2005年度 森泰吉郎記念研究振興基金 報告書

「認知症高齢者の視点を重視した施設ケアの質の確保・向上に関する研究」

 

中島民恵子

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 博士課程

 

 

1.はじめに

研究計画提出時には実際に特別養護老人ホームならびに認知症高齢者グループホームを対象に調査を実施する予定でしたが、諸事情によりホームに入り込んだ調査は実施できませんでした。そのため、本調査においては計画のステップ1文献調査に重点化し、主眼である認知症の本人の視点、本人の声から求められるケアのあり方を検討することとしましたことをここに報告させて頂きます。

 

2.     本研究の目的

介護保険が導入されて5年が経過しようとしており、様々な課題が指摘されているが、その中の1つに高齢者入居施設のケアサービスの質の格差が挙げられている。高齢者入居者施設の中でも、特別養護老人ホームは5,000カ所、認知症高齢者グループホームは7,000カ所を越えている。認知症の人へのケアがケア提供者側の一方的なケアにならないために利用者の視点から、施設における質の確保・向上のあり方を検討していくことが現在求められている。

本研究の目的は、高齢者施設ケアサービスの質の向上および担保にむけて、ケアのあり方を利用者の視点から検討し直すことである。認知症の人のケアの質の格差は、多くの場合ケア提供者と利用者との齟齬により起きているという視点に立ち検討を行う。

 

3.     本研究の方法

文献調査から、認知症の人の意思や価値観の捉え方を整理する。また、施設における職員と認知症の人との相互作用のあり方に関する研究が、どの様な知見が示されてきたのか既存研究の枠組みを整理する。

 

4.     調査報告

 

1)認知症の人の声、思い

認知症とされる当事者自身によって内面を記した手記が示されたり、本人の視点を取り入れた研究も徐々にではあるが国内外で始まっている。ここでは、認知症の本人によって語られている体験世界を検討していく。

 

 出雲市にある認知症のためのデイケア「小山のおうち」では、認知症の人が手記を書き発表する取り組みが続けられている[1][2]。また、認知症の人が各地で自分の体験を語り始めている[3][4][5]。これら本人の声を見てみたい。

 

「最近物忘れをするようになった。物忘れは悪いことです。なさけないことです。物忘れは人に迷惑をかけることはない。だけどいやです。思うように言われないから。思うことが言われぬのは悪いことです。早く死にたいです。それほど物忘れはつらいです。
 物忘れするのはもうどうしようもないが,どうすることもできない。どうすることもできない自分は早く死にたいと思います。思うことができないから。物忘れする以前は思うことができた。畑仕事その他なんでもできた。田麦ほり,あぜぬりシロかきその他。何かしたくてもやる気があっても何をして良いかわからない。何もすることがないから死んでも良いと思う。することがあればまだまだ長生きしてもいい。」(小山のおうち利用者の声)

 

「(略)わたしはまわりの人にめいわくをかけたくありません。自分でできることはじぶんでしたいです。でも、まわりのひとのたすけがないとくらしていけません。このつぎに、なにをしたらいいかじぶんで決められないからです。()わたしと同じ病気の人たちは、ささえてくれる人がいれば、ふつうにくらせます。よいくすりの開発が進んでいるとききました。はやくのみたいです。元気になりたいです。なんでこんなになったのかくやしいです。(略)」(松本氏公演準備原稿)

 

従来から認知症の人は、他者が理解できるような形で自らの意見を示すことができないと捉えられてきた。しかし、本人たちの語りから、初期段階においては認知症に対する病識があり、病に対する不安ややるせなさが示されている。その一方、認知症の症状が進行していくと病意が欠如し、さらに進行していくと自分のつらさや悩みなどを言葉として伝えるのが難しくなる[6]ことも示されている。さらに、「精神的症状や問題行動は、周囲の受け止め方や対処が原因である」[7]とする仮説も示され、多くの場合関係者によって「作られた障害」をいかに変えていくことが可能であるかが大きな焦点となっている。このような研究を踏まえるのであれば、十分に状況を伝えられない状態にある認知症の人がいかなる世界の中で生きているのかを理解し、その状況に対してケア提供者がいかに適切にアプローチできるかが重要である。さらに本人とケア提供者の相互作用自体のあり方が極めて重要な意味を持つと考えられる。

いかなる世界を体験しているかを検討する際に、アルツハイマー病と診断されたクリスティーン・ボーデン氏の本に示されている軽度、中度、重度の状況[8]が参考となる。認知症の状態の変化3つのステージに分けて考えた場合に、体験している状況を抜粋したものが表1である。認知症の症状の現れ方は、非常に多様であり、下記の分類通りに症状が現れる訳では必ずしもないのが現状である。しかし、今、本人がどういう状況に置かれているのか、「本人が今、何を感じ、何を求めているか」を捉え、その体験している世界に関心を払い、本人の内面の感情等を探ることがケア提供者にとって重要である。その体験している世界に関心を払わずに、介護者が外見だけからみた捉え方をしてしまうと、認知症の本人の真のニーズとズレとしまい、他者がコントロールする介護提供になってしまう恐れがある。そうしたズレは、本人の満足が得られないだけではなく、認知症の人に新たなストレスを発生させ、周辺症状を生み出してしまうと考えられる。

 

1認知症の人の置かれている状況

第1段階-軽度

2段階-中度

3段階-重度

・無関心、生気がなくなる

・趣味や活動に興味がなくなる

・新しいことをしたがならい

・変化についていけない

・決断したり、計画することができなくなる

・複雑な考えを理解するには時間がかかる

・置き場所を間違えた物を他の人が「盗んだ」と言って非難しやすい

・自己中心的になる、他人の人やその気持ちに無関心になる

・最近の出来事の細かい点について忘れやすくなる

・同じことを繰り返し言ったり、思考の道筋を忘れやすくなる

・何か失敗すると、いらいらしたり、怒りやすくなる

・よく知っているものを求め、見知らぬものを避ける

・仕事には援助と監督が必要

・最近の出来事をとても忘れやすい・・・遠い過去の記憶は概してよいが、細かい点は忘れられたり、混乱したりするかもしれない

・時と場所、一日のうちの時間について混乱する・・・夜に買い物に出かけるかもしれない

・よく知らない環境では、すぐに途方にくれてしまう

・友達や家族の名前を忘れたり、家族の一人を他の一人と間違える

・シチュー鍋、やかんを忘れる・・・火にかけたままにしてしまうかもしれない

・道を徘徊する、夜のことが多いが、時には完全に道に迷ってしまう

・不適切な行動をする、例えば、寝巻きで外へ出かけるなど

・そこにない物をみたり、聞いたりする

・とても繰り返しが多くなる

・家では安心するが、訪問することは避ける

・衛生や食事に無頓着になる(お風呂や食事をすませていないのに、もうすませたと言う)

・すぐに怒ったり、混乱したり、悩んだりしてしまう

・例えば、食事をしたことが、ほん二、三分前のことであっても覚えていることができない

・理解し、話す能力を失う

・大小便の失禁

・友人、親戚の顔が分からない

・食事、洗身、排泄、着替えに介助が必要

・うまく脱衣できない

・日常のありふれた物がわからない

・夜に不安になる

・落ち着きがない、たぶん、ずっと前に死んだ親戚を探しているのかもしれない

・攻撃的になる、特に脅かされたり、迫られたりした時にそうなる

・動作のコントロールができなくなる

・最後に、永久に動けなくなり、寝たきり生活になって最後の週数間か、何ヶ月間かを過ごし、意識がなくなり死を迎える

(『私は誰になっていくの?アルツハイマー病者からみた世界』P170-176から抜粋し、作成)

2)認知症の人の置かれている状況とケアのあり方について

先に述べたように、認知症の人は自分自身を表現することが困難になっており、本人に関する情報について介護者がとらえていることが本人の実情とずれてしまうことがしばしば起こりうる。さらに、認知症はみえにくい障害であるため、同じ場面をみたとしても職員間でとらえ方がずれることも頻繁に起こりうる。

さらに、施設におけるケアは、時間が無い、人手が無い中で、どのように効率的に介護作業を進めるかが求められてきた。特に施設においては、自分が関わっている部分のみをケアできればよいという発想ではなく、その人の貴重な情報や本人にあったケアをいかに連携しながら、継続していくかが重要である。

では、ケア関係者認知症の人が置かれている状況をどのように捉え、ケアに活かしていくことが求められるのだろうか。ここでは、永田[9][10]が示した「認知症の人の内側で起きていること」「外見上の様子」「ケアのポイント」との3つのカテゴリーから、本人の置かれている状況がどのような行動につながっており、その際にいかなるケアに心がけていくことが必要かを検討する。

 

表2 認知症の人の状況とケア

認知症の人の内側で起きていること

外見上の様子

ケアのポイント

1.ストレスに耐える力の低下

       ↓

環境(光,,スピード,広さ等)が脅威

       ↓

環境変化への適応困難

何でもないようなところで

・落ち着かない

・ウロウロする

・大声を出す

・不穏な行動

ひきこもり

・安らげる環境づくり

・ゆったりした接し方(言葉と動きのスピードを落とす)

・脅かさない(音,,広さ,風など)

2.見当識が低下

不安や混乱、世界が崩れていく

      ↓

パニックへのつながりやすさ

・場所間違え

・時間間違え

・昼夜の取り違え

・呆然とする

・「自分の居場所」の確保ができる環境づくり

・見当識の強化

・本人のなじんだ時間のすごし方の提供

3.潜在力を使えない

      ↓

失敗の連続

      ↓

自信、自尊心の喪失

 

・奇怪な動作,とんちんかんな行動

・大騒ぎ

・介護者への抵抗

・緊張,引きこもり,孤立

 

 

・できることをお膳立てした場面作り

・秘められた可能性に働きかける

・適切な刺激

・周りの人の暖かい対応

4.意思や欲求の伝達困難

      ↓

欲求不満

      ↓

パニック、ひきこもり

・イライラ

・うろうろ

・突然の激しい言動

・ひきこもり

・言動やサインの「意味」を周りが気づく、汲み取る、

・先取りやしきりをしない(待つ、全身で聞く)

・選べるような場面や声かけの工夫

5.身体の変調の伝達困難

      ↓

  慢性不快、不調

      ↓

落ち着きのなさ、体調変化

 

・体調の崩れや傷病が増悪する

・周辺症状の増悪

 

・いつもと違う変化を早期発見

・予防

(永田久美子「第2章痴呆性高齢者のケアマネジメントの方向性」P50,51より抜粋、一部修正)

 

 

認知症の人が置かれている状況の中で、

「1.ストレスに耐える力の低下」については、普段何気ない音や光に対してもストレスを感じたり、

感じたストレスをうまく解消できない状況をさしている。また、それに関連して、環境の大きな変化にも適応することが難しく、リロケーションダメージも受けやすい。在宅から施設へと住まう場所を変えなくてはならない場合に、環境の変化をできるだけ和らげるために、本人にとってなじみの環境をいかにつくれるのか、どうしたら本人が安らげるかを検討することは重要である。

2.見当識が低下」では、自分がいる場所や時間や周りにいる人が誰であるかが分からないことによる、不安や混乱が起きうる状況をさしている。さらに、その不安や混乱から、なぜ今自分がここにいるのかわからない状況に陥ることもある。その場合に、本人が落ち着ける時間の流れになっているか、落ち着ける環境がどのようなものであるのかをケア提供者が捉えていくことが重要となる。

「3.潜在力を使えない」については、身体的機能や精神的機能を本人が持っているものの、その力を活かすための方法(手順)が分からなくなったりすることで、力を活かす機会を自分で作れなくなってしまう状況をさしている。また、それらが積み重なることによって失敗を繰り返し、自信の喪失などにつながりやすい。しかし、動作を助ける道具の提供や見守りを中心とし失敗を責めないケア提供者の関わりによって、本人は今ある力を存分に発揮することが多くの場合可能となる。

「4.意思や欲求の伝達困難」については、自分が今欲しいもの、やりやいこと等を相手に十分伝えられないことにより、激しい言動につながったり、逆に引きこもりになってしまう状況をさしている。本人の発しようと思う言葉に耳を傾け、本人のしたいことやできることの見極めをしながらケアにあたることが重要となる。

「5.身体の変調の伝達困難」については、身体の変化(痛み、かゆみ、発熱、息苦しさ、しびれ等)を自分自身でうまく気づくことができない、もしくは、感じても周囲にどの様な具合か言葉で適切に伝えることができない状況をさしている。しかし、本人は心身に起きている変化やニーズを表情や姿勢、体の動き、雰囲気等全身を通したサインとして発していることが多々ある。それら一人ひとりが発しているサインをキャッチしていくことがケアを実践していく上で重要である。

また、中等度・重度認知症の人に残された現実認知の力についての研究[11]では、認知症高齢者のわずかな言葉の中から本人が認知症をどのように捉え、経験しているかを質的に分析している。残された現実認識の力の大カテゴリーとして「他者に働きかけて関係を作ろうとする残された力」「他者に気持や感情を表す残された力」をあげている。今後さらに、認知症の人がどのような意思や価値をどのような手段で、どのような状況で表しているのかを臨床で総合的に明らかにしていくことが求められる。

 

3)施設ケアにおける本人と職員の相互作用

施設ケアにおける本人と職員の相互作用に関しては、まだ十分には研究が蓄積されていない状況にある。老人保健施設におけるケア提供者と認知症高齢者とのずれに関する研究では「一貫して添っていこうとする(手探り、引いて待つ、向き合う)「添っていけない(譲らない、離れる)」「全く添っていこうとしない(動かす、抑え込む)」[12]3つにカテゴリー分けしている。多久島[13]も老人保健施設でのケア提供者の認知症の人への対応場面の分析をしているが、「生活の安定のための視点」「すれ違いを生む要因」「マイナス効果を生む要因」の3つに分けて検討している。「生活の安定のための視点」では、基盤となる姿勢として、相手への気遣い・信頼を壊さない・安全の保障・相手への感情への寄り添いがあげられており、創造的な支援として、探索・相手の力を生かすがあげられている。その一方で、「すれ違いを生む要因」では、個人的体験の優位さとして、体験的ルーティン化、強引さ、個人の意識の差として、見過ごし、無意識、優先順位、その場をしのぐとして、説得、関心を寄せないがあげられている。「マイナス効果を生む要因」では、混乱として、困難感、答えが出ない、引きずられがあげられている。特に、これらのすれ違いやマイナスに関しては、体験的に認知症の人の訴えや行動を捉えてしまうことで相手への関心度が低くなること、業務という時間的人的制約のある中で生まれると考えられている。

 

4)まとめ

 文献調査を通して、認知症の人が体験している状況と対応したケアのあり方について検討を行ってきた。実際の老人保健福祉施設における認知症の人とケア提供者ずれに関しても、ケア提供者の見過ごしや無意識により、ずれのあるケアが起こっている状況が示されていた。

認知症の人の状態が何に起因しているかを、ケア提供者が適切に観察することが可能となれば、その状況に対して適切なケアを実施することが可能となる。施設等においては、人員配置等の関係もあり効率化がどうしても求められがちであるが、日常的な関わりの中で本人を適切に観察し、本人の五感や心地よさに働きかけながら、動作や記憶を引き出していくことができる場面が多くあり、QOLの向上に結びつけられる[14]と考えられる。今後さらに、老人保健施設だけでなく生活の場とされる特別養護老人ホームやグループホームなどにおける研究が進んでいくことが望まれる。

 

最後に、調査活動を支援いただきましたことを、ここに、深く感謝いたします。



[1] 高橋幸男,石橋典子「痴呆を患って生きる」精神医療,4(16) ,1999 pp,12-22

[2] 出口泰靖のフィールドノートhttp://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2582dir/n2582_05.htm

[3] 社団法人呆け老人をかかえる家族の会『本人の思いとは何か 松本照道・恭子夫妻の場合』クリエイツかもがわ,2005,pp22-30

[4] McGowin D.FLiving in the Labyrinth; A Personal Journey through the Maze of Alzheimer'sDelta Book,1983(中村洋子訳『私が壊れる瞬間−アルツハイマー病患者の手記』DHC,1993)

[5]社団法人呆け老人をかかえる家族の会『痴呆の人の思い家族の思い』中央法規出版,2004

[6] 加藤伸司『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』河出書房新社,2005,P42

[7] Cohen,G.D. The subjective experience of Alzheimer’s disease: The anatomy of an illness as perceived by patients and families.American Journal of Alzheimer’s Care and Related Disorders and Research,6, 1991, pp6-11

[8] Boden.CWho Will I be When I Die?Harper Collins Publisher,1998(檜垣陽子訳『私は誰になっていくの?−アルツハイマー病者からみた世界』かもがわ出版, 2003

[9]永田久美子「第2章痴呆性高齢者のケアマネジメントの方向性」『痴呆の理解とケアのあり方』日医総研,2003,pp50-51

[10]永田久美子「2アルツハイマー病の人のケア」『よくわかるアルツハイマー病-実際にかかわる人のために』永井書店,2004,pp307-318

[11]高山成子,水谷信子「中等度・重度痴呆症高齢者に残された現実認知の力についての研究:看護婦との対話から」日本看護科学学会誌, Vol.21No.2, 2001,pp46-55

[12]天津栄子,中田まゆみ「老人保健施設における痴呆性老人とケアスタッフの相互作用にみられるずれの特徴」老年看護学Vol.3 No.1 ,1998,pp52-63

[13]多久島寛孝他「老人保健施設におけるケア・スタッフの痴呆性高齢者への対応場面の分析」第9回老年看護学会大会抄録,2005

[14] 藤本直規「痴呆患者に対する治療とケア:介護者支援の支店を入れて」日本老年医学会雑誌37,P575-583,2002