2005年度森基金報告書

 

心筋細胞モデルを用いた心不全時のCa2+動態の解析

 

慶應義塾大学 政策・メディア研究科 博士課程 3年

米田 元洋 (moto@sfc.keio.ac.jp

 

 

 

 

1          はじめに

心臓の主な機能はポンプ活動により全身へ血液を規則的に送り出すことである.心臓の収縮活動は洞房結節から開始し,心房などを経て,心室まで決まった順番で行われる.これは主に各心筋細胞の電気活動と細胞間の電気伝導による.心筋細胞の電気活動の1つに興奮収縮連関があり,これは心筋細胞内Ca2+濃度と関係が深い.

 

心筋細胞内のCa2+濃度と心筋収縮の関係は以下のようになっている.まず脱分極によりCa2+ チャネルが活性化すると細胞外からCa2+が流入し,細胞内Ca2+濃度が増加する.また,脱分極の際にNa2+チャネルから流入したNa2+を細胞外へ汲み出すためにNa2+/Ca2+交換機構(NCX)が働く.NCXによりCa2+が細胞内へ取り込まれるので,さらに細胞内Ca2+濃度は上昇する.これをきっかけとしてリアノジン受容体(RyR)が活性化し細胞内Ca2+の貯蔵庫である筋小胞体からCa2+が細胞内に大量に流入する.この結果心筋が収縮する.心筋収縮において細胞内Ca2+濃度が一過的に上昇することをCa2+トランジェントという.増加したCa2+はその後NCXにより細胞外へ汲み出され,同時に筋小胞体のCa2+ポンプ(SERCA)により筋小胞体内へも取り込まれる.この結果,再び心筋は弛緩する.

 

心不全時の心筋細胞内ではSERCAタンパク質の量が減少していることが観察されていたが(de la Bastie et al., 1990; Kuo et al., 1992; Arai et al., 1994; Wankerl and Schwartz 1995),心不全という状態によりSERCAの量が減少しているのか,逆にSERCAの減少が心不全を引き起こすのかという因果関係については不明だった.

 

近年トランスジェニックマウスを用いた研究により,SERCAを増加させると心不全が回復し,減少させると心不全に陥ることが発見され,SERCAの減少は心不全を引き起こす原因となっている可能性が示唆された(Periasamy et al., 1999; Nakayama et al., 2003).この実験によると,SERCAを減少させたマウスでは心筋の収縮および弛緩能が低下し,細胞内Ca2+トランジェントが低下する.しかし,SERCAの減少がCa2+トランジェントの低下をもたらす過程は証明されていない.

 

本研究ではSERCAの減少とCa2+トランジェント低下の関係を定量的に説明するために,心筋細胞の電気生理学的モデル(Matsuoka et al., 2003; Sarai et al., 2003) を用いてSERCAの減少による心筋細胞の電気生理学的な状態の変化を観察し,SERCAの減少に影響を受けるモデルの要素を絞り込んだ.

 

 

2          手法

野間らによる心筋細胞の電気生理学的モデル(Kyoto model (Matsuoka et al.,2003; Sarai et al., 2003))SERCAの減少にともなうCa2+トランジェントの減少を表現可能であることを確認した.そこで,kyoto modelの心室筋細胞モデルを用いてSERCA活性を低下させたときの細胞内Ca2+トランジェントと心筋収縮を中心に細胞内の動態について観察した.細胞内Ca2+トランジェントは細胞内Ca2+濃度の最大値と最小値との差(振幅)とし,心筋収縮は,Half sarcomere length (HalfSL) に注目して観察した.

 

SERCAの減少の影響についてはSERCAの活性を0%から100%まで5%刻みで設定し各値の時のシミュレーションを行い,比較した.

 

 

3          結果

iSERCA[Ca2+]iHalfSLRyR電流(iRyR)の振幅はSERCAの減少に伴って小さくなり,NCX電流(iNCX)LCa2+チャネル電流(iCaL)は大きくなり,TCa2+チャネル電流(iCaT)はほとんど変化しなかった.HalfSLは最大値で約1%,最小値でも数%しか変化していないため変化が見えにくい.一方,[Ca2+]iではコントロールと5%の時を比べると最大値が0.2倍,最小値が約3倍にまで大きく変化していた.振動のピークのずれは特に目立った特徴を見いだすことはできなかった.

 

SERCAの活性を低下させるほど,筋小胞体へのCa2+取り込みが抑制されるために[Ca2+]iは上昇するが,トランジェントは低下している.この際,リアノジン受容体の活性はコントロールに比べて顕著に低下し,筋小胞体内のCa2+濃度も低下していた.

 

LCa2+チャネルのslowゲートの開確率は脱分極後低下するが,コントロールよりも低下が軽減され,その結果細胞外からのCa2+の流入の減少に遅延が見られる.NCXは通常脱分極直後Ca2+を細胞外から取り込むがすぐに細胞内Ca2+を細胞外へと放出する.しかしSERCA活性を低下させたとき脱分極直後だけでなはくその後しばらくCa2+を取り込み,NCXのモードが逆になり細胞内Ca2+を通常よりも大量に放出している.

 

 

4          考察

SERCAの減少に伴い,Ca2+トランジェントおよびHalfSLの振幅が低下したが,振動と周期は維持されており,振動する要素の値が最大値と最小値をとるタイミングについても顕著なずれはみられなかった.このモデルでは,SERCAの影響は振動そのものを破綻させるまでには至らないが,モデルの要素の多くについて振幅を小さくしていることがわかる.一方で,LCa2+チャネルとNCX については例外的に振幅が大きくなっていた.

 

心筋の収縮を担うCa2+結合タンパク質がCa2+と結合する割合は細胞内Ca2+濃度に依存する.脱分極時の細胞内Ca2+が高濃度であるほど心筋はより大きく収縮する.しかし,SERCAを減少させた影響により脱分極前に通常より細胞内Ca2+濃度が高く,脱分極後の濃度が低くなると,細胞内Ca2+トランジェントが小さく,収縮と弛緩時のサルコメア長の差が短くなり,心臓はポンプとして血液を全身に送り出す役割を果たせなくなる.

 

Ca2+トランジェントが低くなる主な要因は,SERCAの活性低下により筋小胞体へ取り込まれるCa2+が減少しそれにより筋小胞体からの放出口であるリアノジン受容体から放出されるCa2+も減少するためである.SERCA活性を5%にした場合には,筋小胞体内Ca2+放出側の[Ca2+]はコントロールの半分程度である.しかし,それに依存するiRyRはこの変化が増幅されて顕著に低下している.このことから,心筋が収縮能力を維持するためには,筋小胞体内の[Ca2+]がある一定の以上のレベルに維持されている必要があると考えられる.

 

[Ca2+]i 変化の仕方を見ると,トランジェントの減衰が緩慢になっており,ピークを形作ることができなくなっている.これはSERCAの減少に伴ってiRyRが低下し,iRyRの振幅が十分大きい際には現れていなかったNCXLCa2+チャネルの影響が細胞内[Ca2+]に及んでいる可能性が考えられる.このことから,SERCAによるCa2+トランジェントへの影響は,細胞内[Ca2+]だけではなく細胞のNa2+濃度やLCa2+チャネルにも関連して引き起こされていることがわかる.SERCAの活性を下げたときに[Ca2+]iが通常よりも高い濃度に落ち着いている現象も,Ca2+チャネルとNCXよる影響で[Ca2+]iのピークが下がりきらないことが要因であると考えられる.

 

今後はSERCAの活性を低下させた状態で,さらにいくつかの要素をコントロールの値に固定した時の細胞内の動態について調べる.また,正常状態の心筋細胞に対しSERCAの活性を急激に低下させる実験を行い,系の応答について解析する.

 

 

参考文献

Arai, M., Matsui, H. and Periasamy, M. (1994) Sarcoplasmic reticulum gene expression in cardiac hypertrophy and heart failure. Circ Res 74(4), 555-64.

de la Bastie, D., Levitsky, D., Rappaport, L., Mercadier, J. J., Marotte, F., Wisnewsky, C., Brovkovich, V., Schwartz, K. and Lompre, A. M. (1990) Function of the sarcoplasmic reticulum and expression of its ca2(+)-atpase gene in pressure overload-induced cardiac hypertrophy in the rat. Circ Res 66(2), 554-64.

Kuo, T. H., Tsang, W., Wang, K. K. and Carlock, L. (1992) Simultaneous reduction of the sarcolemmal and sr calcium atpase activities and gene expression in cardiomyopathic hamster. Biochim Biophys Acta 1138(4), 343-9.

Matsuoka, S., Sarai, N., Kuratomi, S., Ono, K. and Noma, A. (2003) Role of individual ionic current systems in ventricular cells hypothesized by a model study. Jpn J Physiol 53(2), 105-23.

Nakayama, H., Otsu, K., Yamaguchi, O., Nishida, K., Date, M. O., Hongo, K., Kusakari, Y., Toyofuku, T., Hikoso, S., Kashiwase, K., Takeda, T., Matsumura, Y., Kurihara, S., Hori, M. and Tada, M. (2003) Cardiac-specific overexpression of a high ca2+ affinity mutant of serca2a attenuates in vivo pressure overload cardiac hypertrophy. Faseb J 17(1), 61-3.

Periasamy, M., Reed, T. D., Liu, L. H., Ji, Y., Loukianov, E., Paul, R. J., Nieman, M. L., Riddle, T., Du®y, J. J., Doetschman, T., Lorenz, J. N. and Shull, G. E. (1999) Impaired cardiac performance in heterozygous mice with a null mutation in the sarco(endo)plasmic reticulum ca2+-atpase isoform 2 (serca2) gene. J Biol Chem 274(4), 2556-62.

Sarai, N., Matsuoka, S., Kuratomi, S., Ono, K. and Noma, A. (2003) Role of individual ionic current systems in the sa node hypothesized by a model study. Jpn J Physiol 53(2), 125-34.

Wankerl, M. and Schwartz, K. (1995) Calcium transport proteins in the nonfailing and failing heart: gene expression and function. J Mol Med 73(10), 487-96.