2005年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究報告

 

 

麻酔ナビゲーションシステムにおける分散ベイジアンネットワークモデルの構築

 

政策・メディア研究科

後期博士課程

白鳥成彦

 

 

今研究では、麻酔科医を支援するための麻酔ナビゲーションシステムにおけるエンジン部分である麻酔活動エンジンを分散ベイジアンネットワークモデルを用いて構築することで、手術室における麻酔科医の動的で、多次元的な活動を表現していく研究である。

 

 

研究背景

 

手術中、麻酔医は麻酔行為自身が持つ不確実性と手術室における情報環境の複雑さのために、ヒューマンエラー、技術的エラー等を引き起こし、そのエラーが複数絡み合い重大な麻酔事故が引き起こされている。麻酔活動が持つ不確実性とは、麻酔医が対応する患者状態の不確実性から起因する。患者の状態は、モニター個々のノイズを持つ数字からの不確実な予測でしかなく、さらに、その患者自身も遺伝等の先天的要素、外科的行為の介入等の後天的要素により不確実性を有することになる。以上の不確実性に加え、手術室における情報環境の複雑さが起因となり麻酔事故が引き起こされている。

 

 以上のような不確実性から起こる麻酔事故に対し、修士研究より引き続いて麻酔ナビゲーションシステムの制作を行っている。麻酔ナビゲーションシステムとは、手術室において麻酔医の活動を強化:オーグメンテーションするための道具である。この道具:システムを麻酔医が手術中に利用することで、麻酔事故が未然に防がれ、麻酔医はより多く麻酔活動を濃密に経験し、実体験を通して麻酔知識を学習していくことができる。

 

 昨年度までは麻酔ナビゲーションシステムを設計するための、手術室における麻酔活動の調査と分析を行い、コンセプトレベルのデザインを行った。今期は麻酔ナビゲーションシステムを実装段階へ移行するためのプロトタイプコンセプトを手術室内で実装するフェーズへと移行する。具体的には、実際に麻酔医が通常の行為の中で利用する道具のハードウェアデザインと麻酔意思決定に関連する全ての情報を意思決定にふさわしい情報に変化させるためのソフトウェアデザインに分けることができる。今年度は、後者のソフトウェア部分に焦点を当て研究を推進し、これまでのハードウェアサイドの研究とインテグレーションを図る。

 

 

関連研究

 

現在までにも、医療における思考支援ソフトウェアシステムとしてMYCINを代表とするエキスパートシステムが存在してきた。エキスパートシステムは特定の与えられた領域における専門家をシミュレーションするコンピュータ支援システムとして、医療界において1970年代から利用されてきたシステムである。このシステムには多くの種類が存在するが、多くのシステムは専門家における意思決定の流れをif-thenルールを用いて記述していき、コンピュータ内に表現された知識空間を利用してユーザーに必要な情報を提供するというシステムである。

 しかしながら、エキスパートシステムは麻酔活動を支援する道具としては有用なものにはなりえない。大きな問題として麻酔における意思決定の不確実性をあげることができる。落合は麻酔医における意思決定は、エキスパートシステムで採用された決定的な論理では表現できず、もっと不確実性で曖昧さに満ちたものであることを麻酔医のためのシミュレータエンジンの開発を例に出して述べている。麻酔医の活動、身体的な知識は感や経験に大きく左右され、決定的な論理では表現できないのである。

 これら不確実性を簡易な確率モデルを通して表現する手法がベイジアンネットワークを利用した手法である。このモデルは現在医療診断、自然言語処理等で利用されてきており、コンピュータの高速化により現実味のあるアプリケーションとして展開されてきている。

 しかし、エキスパートシステムと同様に麻酔活動を支援する道具としては有用なものにはなりえない。麻酔医の意思決定は行う1つの行為が意思決定モデルにおける次のノード、行為だけではなく、行為の効果が続く限り影響を与え、さらに予測、行為、判断という麻酔の行為モデル全てに影響を与えていくことになる。以上のような時間軸が意思決定のコンテキストに大きく影響を与えるために一次性のマルコフモデルを採用したベイジアンモデルでは麻酔意思決定の重要な部分はモデル化できない。さらに、麻酔の意思決定は、麻酔医自身だけで決定されるのでなく、外科医や患者など他のモデルに影響を大きく与えられていく多次元モデルであるために、状況的に行為の妥当性を決定している。通常のベイジアンネットワークモデルの形では、最初に問題空間とノードを決定してしまうために状況的判断のモデル化ができない。

 現状の研究と目的であるシステム間の問題点を整理すると以下になる。

 

・単純なベイジアンネットワークモデルでは麻酔における時間軸を通した意思決定をモデル化ができない

・単独のモデルでは麻酔科医の活動モデルである、複数人の多次元的状況的判断をモデル化することができない

 

 

Research Question & Concept

 

以上の問題を解決するために、ダイナミックベイジアンネットワークを利用した時間軸を考慮した表現と、手術室内における複数主体の時間軸を分散して表現する分散ダイナミックベイジアンネットワークモデルを用いた。分散ダイナミックベイジアンネットワークモデルの構築手法は以下である。

 

1.        手術室内の各個別の主体(外科医、患者、麻酔科医他)の活動を静的ベイジアンネットワークモデルを用いて構築する

2.        各個別ベイジアンネットワークモデルに時間軸を導入したダイナミックベイジアンネットワークモデルに拡張する。各個別の時間幅を外科医は30分単位、麻酔科医は30秒単位、患者は1分単位で表現する。

3.        各個別ベイジアンネットワークモデル間の依存関係を表すノードをインタフェースノードとして抜き出す。インタフェースノードは時間を通して1つであり、時間軸表現をノードの中には含まない。たとえば、時間tにおいても、t+1においても、インタフェースノードは共通ノードである。

4.        インタフェースノードを用いて麻酔科医の動的ベイジアンネットワークモデルと、他主体のベイジアンネットワークモデルを結合する。

 

 

分散ベイジアンネットワーク構成図

 

以上の分散ベイジアンネットワークを今年度は慶應義塾大学 門田が開発したJENGAを用いてプロトタイプを実装した。各個別の静的ベイジアンネットワークをJENGAを用いて構築し、各個別の静的ベイジアンネットワークを動的に拡張して、ダイナミックベイジアンネットワークを、さらに各ダイナミックベイジアンネットワークを結合させて、分散ベイジアンネットワークを構築した。

 

 

研究成果

 

今年度は以上の分散ダイナミックベイジアンネットワークの成果を下記の学会等を用いて発表した。今年度までに麻酔科活動における分散ダイナミックベイジアンネットワークモデルのプロトタイプ構築は終了した。18年度は今プロトタイプにおいて人工関節置換術におけるデータから実際の手術室内で動かすプロトタイプエンジンのモデル構築を行うと共に、分散ベイズモデルにおける推論アルゴリズムの評価を行っていく。人工関節置換術の動的データの基本情報はすでに収集してあるために、次の段階として指導医からのフィードバックを元にベイズモデルの再構成と、ナビゲーションエンジンとベイズエンジンとの連結部分の実装を行っていく。さらに、分散ベイジアンモデルにおける医療行為に負荷をかけない正確性と推論時間の評価を、単純な静的ベイジアンモデル、通常のダイナミックベイジアンモデル等の他モデルと比較する形で行っていき、分散ベイズモデルの優位性を実証していきたい。

 

 

白鳥成彦, and 奥出直人. 2005. 分散ベイジアンネットワークを用いた麻酔データベースの構築:曖昧な麻酔プラクティス表現と麻酔ナビゲーションシステムの構築を通して. In 25回医療情報学連合大会. Yokohama, Japan.

奥出直人, and 白鳥成彦. 2005. 麻酔ナビゲーション. In 心臓血管麻酔の進歩, edited by 武田純三, 森田茂穂, 野村実, 山田達也 and 小出康弘: 真興交易(株)医書出版部.