2005年度　森泰吉郎記念研究振興基金　報告書

政策・メディア研究科　修士2年

学籍番号：80426000

佐宗洋彦＜

スピードスポーツにおける視覚と運動の相互関係の研究

1. 本研究の目的: 本研究の目的は、アルペン競技における科学的根拠に基づくコーチング理論の構築に貢献することにある。アルペン競技は自身が高速で移動するという状況下で決められたコースを効率良く、より速く滑走することを要求されるものの１つである。高度なパフォーマンスを発揮するには、滑走前におけるインスペクションによる戦略の構築と滑走中における状況判断が必要である。そこで上記の２つをキーワードとし、雪上での眼球運動および身体運動を計測し、アルペン競技において視覚情報などの競技者への入力から運動制御などの出力にかけてどのような要素が関係するかを解明する。

2. 問題の所在: アルペン競技では『先の旗門を見ろ』という指導方法がコーチによってなされている。しかし、先のゲートを見ることは重要であるものの、実際に滑走をする際に目前の旗門のどこを通るか、滑走ラインの雪面がどのような状態であるかを確認しなければ、選手は最適なパフォーマンスを滑走中に発揮できないはずである。また初心者にアルペン競技を教える際に、滑走ラインの修正から行うコーチが多く存在する。しかし、初心者の多くは滑走ラインを変える方法が分からないのが現状である。さらに変える方法だけでなく選手自身が、どのラインを通っているかさえ認識していないのである。そのような選手は、旗門間のどのラインを通れば良いのか判断ができない。それゆえ現状のコーチング理論は、視覚情報処理や動作解析など基礎に立ち返り再検討をする必要に迫られていると言える。

3. 研究方法

3.1 機材テスト実験　–効果的な機材の吟味

眼球運動を使用する機材(アイカメラ)は、角膜反射法を用いた機材である。この角膜反射法を用いた機材は太陽などの外光に弱く、多量の外光を眼球に受けると計測を行えないという欠点がある。そこで、本実験の主目的である雪上での眼球運動計測の実現のため、問題を解決する機材の作製とその効果実験を行わなければならない。

　　改善方法:雪上実験において問題となる点の改善

1. コントローラの携帯方法

　バックパックの作製の試み。滑走中の転倒などからの衝撃から機器を保護し、機材(アイカメラ)を固定するための内装を準備した。その際に、被験者に掛かる負担を最小限に抑えるように考慮した。

2. 気温により機器への影響

　雪上での実験であるため、氷点下となる場所で精密機器が正常に動作するか確認し、動作しない場合の対策を考慮しなければならない。

3. 外光の影響

外光遮蔽ヘルメットの作製の試み。太陽光などの外光の影響により雪上などフィールド実験が困難であるとされてきた問題点を改善するために次のような条件を満たすヘルメットを作製した。

　　　　　　-外光の遮蔽

　　　　　　-視野の確保

　　　　　　-通気性の確保

　　　　　　-EMRの帽子に特化した構造

これらの条件を満たすために様々な素材を加工し、作製した。

4. 振動、風圧によるカメラのズレ

外光の影響を解決するために作製した外光遮蔽ヘルメットの機能検証を行った結果、静的な状態では眼球運動の計測は可能であり、動的な状態では眼球運動の計測が不可能であったことから、振動、風圧の影響も考慮しなければならないことが発見された。

雪面からの外光の反射を遮蔽するために、布を用意し図1のような風圧により布と体が密着することを考慮した設計にすることで雪面からの外光の遮蔽を試みた。次に、振動、風圧の影響を最小限に抑えるため、外光遮蔽ヘルメットの重心点の調整に鉛を使用して行った。振動による、アイカメラのズレを改善するためにズレを誘発する原因を追求した。その結果、ヘルメットのズレがアイカメラの帽子のズレを誘発していることから、帽子の固定を行った。その固定方法は、ラグビーに使用されているヘッドギアである。

　　データの記録::

各問題の改善を試み、その問題が改善されているか否かを検証する実験を、問題となる要素が含まれているスポーツを対象に眼球運動計測を行った。

1. コントローラの携帯方法

　作製したバックパックの機能検証のため、ゴルフのアプローチ遂行中の眼球運動計測を行った。

　作製したバックパックの中に小型・軽量アイカメラ(EMR-8B, ナック　イメージテクノロジー社製)のコントローラを入れ、実際にアプローチを行ってもらった。その結果、機材の安定を確認した。

2. 気温による機器への影響

外光遮蔽ヘルメットの検証実験を行う際に、正常にアイカメラが動作するか確認を行った。その結果、コントローラを携帯するために作成されたバックパックが保温効果をもたらし、正常に動作したことを確認した。

3. 外光の影響

ヘルメットに必要となる条件を明確にするのに、陸上での歩行・走行実験、雪上での滑走実験などを行った。それらの結果から、完成された外光遮蔽ヘルメットを再び雪上での眼球運動計測で用いた。その結果、雪面からの外光の反射や振動、風圧によるアイカメラのズレにより眼球運動の計測は不可能であった。

4. 振動、風圧によるカメラのズレ

雪面からの外光遮蔽の対策を行い、その検証実験として外光の反射率が比較的高い晴天でのアスファルト上でインラインスケートの滑走実験を行った。その際に、滑走中の眼球運動計測を行い、振動、風圧の影響の大きさについても検証を行っ�た。

外光遮蔽ヘルメットの重心点の調整を行った後、風圧の影響の検証実験として自転車を使用し眼球運動計測を行った。その結果、風圧に関係なく眼球運動を計測できることを確認した。

最後に、振動によるアイカメラのズレをラグビー用ヘッドギアを用いることで改善し、その効果の有無を検証するため、雪上での滑走実験を行った。その結果、振動による影響を最小限に抑えることが可能となり、雪上環境下での滑走中の眼球運動計測が可能となった。

　　成果報告:

上述の一連の実験の成果と下記の雪上実験①の結果をまとめ、株式会社　ナック　イメージテクノロジー主催の視覚計測セミナー2005で講演を行った。

屋外スポーツにおける視覚計測　(東京, 2005年9月 , TEPIAホール) 講演

視覚計測セミナー2005

「視覚計測の定量化とヒューマンサイエンスへの応用　～アイマークレコーダーで何ができるのか～」

株式会社　ナック　イメージテクノロジー　主催

3.2 雪上実験①　@長野県 2005年3月下旬

上述の機材テストによって得られた効果的な対策を用い、実際に雪上で被験者の眼球運動の計測を行う。スキー場の一部を貸切り、大回転競技を大会同様のプロセス(インスペクションと実際の滑走)で行ってもらう。実験は、長野県菅平高原スキー場のパインビーク・ツバクロゲレンデで行われた。その他、詳細な実験内容は次の通りである。

　　　■被験者:4人

　　　■平均斜度:10°

　　　■種目:Giant Slalom (大回転)　8旗門

　　　■実験方法:小型・軽量アイカメラを装着し、滑走する。

　　　■データの記録: 眼球運動データ及び、滑走動作はDVテープで記録された。

■結果:熟練者におけるインスペクション時の眼球運動は、非熟練者と比べ選手が滑走中に通るであろうラインを眼で辿っていた傾向にあった。また、競技スキーでよく言われる『先の旗門を見ろ』というアドバイスを忠実に再現していた傾向にあった。一方、非熟練者は目の前の旗門に終始視線を置いていた傾向にあり、旗門付近の雪面にも視線を置いている傾向にあった。

　熟練者における滑走中の眼球運動は、『先の旗門を見ろ』という指導方法を忠実に再現しているわけは無かったと示唆された。熟練者は必ずしも滑走中に先の旗門を見ておらず、先の旗門と手前の旗門の中間付近の雪面に視線を置いている傾向が見られた。また、先の旗門と手前の旗門の中間付近の雪面に視線を置く際、身体運動はターンの切換えすタイミングもしくは身体を次のターンに向けて倒しこむタイミングと一致していた。これらは、身体のバランスが不安定な時に、視線による支点を置きバランスを保つ役割を担っていると考えられる。また、先の旗門と手前の旗門の中間に視線を置くことで、先の旗門が手前の旗門からどれほどふり幅があるか、また手前の旗門をどのように通過したら良いかなどを判断するために中間に視線を置いていると考えられる。

3.3 雪上実験②　@群馬県　2006年1月下旬

長野県で行った雪上実験の経験からコントローラの携帯方法の改善をお試みた。改善を行った点は、より軽量化を目指すためにこれまで使用していたBＯＢＬＢＥ-Ｅのバックパックをより軽量かつ小型なMenterを加工し、実験に試みた。また、これまで使用していたバッテリーの軽量化にも試みた。これらの改善により、被験者の負担を抑えることができる。

さらに、本実験では滑走中の眼球運動と身体運動の同時計測を試みた。身体運動の計測にはHDV(Sony HDR-FX1)を2台用い、1台はコース中盤にパンニングDLT法で被験者の滑走動作の撮影を行った。もう1台は、ゴール付近にカメラを設置した。これにより、滑走中の眼球運動がどのように動作に影響しているかを解明することが出来る。

　■被験者験者:3人

　　　■平均斜度:約10°

　　　■種目:Giant Slalom (大回転)　7旗門

　　　■実験方法:小型・軽量アイカメラを装着し、滑走する。その際に、HDVにより被験者の滑走動作も同時に撮影を行う。

　　　■データの記録: 眼球運動データ(DVテープ)及び滑走動作(HDVテープ)は記録された。

■結果:長野県で行われた眼球運動-雪上実験に加え、より詳細な身体運動の計測を試みた。眼球運動に関しては、前回の実験とほぼ同様の結果が得られたが、より詳細な身体運動と眼球運動の関係については更なる分析が必要となると考えられる。現時点で示唆された点は、眼球運動が先の旗門や手前の旗門と先の旗門との中間に視線が位置する頻度が高いほど、ターンを遂行するタイミングが速くなり、滑走タイムも速くなるという結果が得られた。

4. 今後の展望と研究成果の応用

より詳細な分析により身体運動と眼球運動の関係が明らかになると、次のような点でコーチング理論に貢献できると考えられる。

1. 正確なインスペクション方法の提案

　インスペクション時と滑走時の眼球運動の結果から、滑走中に見ている場所とインスペクション時に見ている場所の関係を見出し、インスペクション時に見なければならない場所で滑走中には、その場所を見ないようなより効率的な滑走を促すことができると考えられる。例えば、詳細な旗門の位置は、インスペクションで把握するようにし、滑走中には、インスペクションで決めたポイントに視線を置くのみにすることが挙げられる。それにより、インスペクション時に見たコースセットを参考にしてタイミングをポイント周辺の雪面状況と比較し滑走ラインを判断する効率の良い戦略が組めるようになると考えられる。

2, 滑走中の失敗の対応方法の提案

　�滑走中に体が遅れるなどで、ターンのタイミングが遅れた時、どのようにしてリカバリーをすればよいのか提案することができると考えられる。それは、視線で身体のバランスや身体運動の方向などを判断していることから視線からリカバリー動作を導くような方法が挙げられる。

3. 滑走中失敗しないための方法の提案

　時速60～80km程度で滑走する競技では、一つの失敗で大きな順位後退を意味する。その失敗の原因は、体が遅れてしまった結果や身体バランスを崩した結果などが挙げられる。それには、あらかじめコースの状況を把握し、より早いタイミングでターン動作や滑走の準備をしなければならない。そのために、実験で得られたような、身体バランスが一番崩れる際に、視線によりバランスを維持し、それと同時にターンの方向を判断するという効率的な情報処理方法を提案することが出来る。この一連の運動を遂行するには、眼球運動の計測と同時に計測していた身体運動のデータを参考に視線を先行させるには、どのように動けばよいのかを提案することが出来る。

今後、これらの結果を元に、実践に応用し得られた知見が有効か否かを判断する検証を行っていきたいと考えている。

以上、研究を進めるにあたり、実験運営費用などとして当基金による助成金を利用した次第である。当基金による研究助成がなければこのような世界で初の実験を成功することはなかった。当基金による研究助成に深く感謝する。