2005年度森泰吉郎記念研究振興資金 研究者育成費(修士・博士) 報告書

研究題目 : 呼吸によって動かす遊具「DIPA」の制作

所属  : 政策・メディア研究科修士2年 メディアデザインクラスタ

氏名  : 橋 洋平

 

 

 

1. 研究課題

 

 呼吸によって動かす乗って遊ぶヒューマン・ジャイロスコープ「DIPA(ディーパ)」の制作を行った。DIPAは、呼吸のしかたを変化させることによって、様々に引き起こされる回転運動を楽しむ遊具であり、同時に、搭乗者が意識状態の変化や身体感覚の変化を体現できるいわば瞑想装置でもある。人間の身体に直接作用する実空間でのコンピューティングにおいて、人間の呼吸活動を積極的にインタラクションの道具として用いる本研究は、先駆的な試みとなる。

 

 

2. 呼吸遊具DIPA概要

 

 呼吸遊具DIPA は、搭乗者の呼吸のしかたにしたがって空間的な回転運動を起こす乗り物である。搭乗者は、眩暈を起こしかねない回転運動を体感し、呼吸にともなう身体感覚の変容を感じとることができる。

 呼吸は身体の状態に変革をもたらす力を持っている。インド、中国、日本などの東洋世界では、さまざまな呼吸法を体系化し、宗教や武術における精神や身体を鍛錬する方法として活用してきた。宗教家や武術家は、呼吸法を実践することで、精神を安定させ、身体感覚を鋭敏にしその力を最大限にひきだしてきたのである。

 呼吸遊具DIPAは呼吸のしかたを変えることは、自己の身体を変えることにつながるという東洋の呼吸観から作られている。そしてこの遊具は遊びを通した呼吸法の実践によって、身体の変容を経験できるものである。

 

 

   

DIPAの全体構造                                                        アーキテクチャ

 

 呼吸遊具DIPAは、呼吸の変化がもたらす身体感覚の変容を、回転運動によって知覚させるための遊具である。人の身体の状態は、呼吸に表れるものであり、DIPAは、呼吸を読み取ることで搭乗者の身体感覚の状態を測っている。その状態を回転運動に変換することで搭乗者にその呼吸にともなう身体感覚の自覚をうながすのである。そして、呼吸を変化させることが身体感覚の変容を生み、呼吸の制御が身体の制御につながることを、呼吸による回転操作の遊びのなかで学ぶのである。

 DIPAは、呼吸によって搭乗者の身体の状態を読み取る方法を、東洋の呼吸法の考え方を参考に組み立てている。その考え方を端的に言えば、深く、長く、静かに、均等に行われる呼吸は心身の沈静を表し、逆に浅く、短く、騒がしく、不均等に行われる呼吸は心身の緊張を表すというものである。この方法によって読み取られた身体の状態は回転運動に変換される。

 DIPAの回転運動は、搭乗者の体を前後、上下、左右と動かす空間的な運動となる。その運動は、速度の変化や加速・減速のくりかえしによって、激しく不安定に回る動的な動きから、穏やかに安定して回る静的な動きまでの幅を持っている。たとえば、搭乗者が速く浅い呼吸をすれば動的な動きとなり、深く浅い呼吸をすれば静的な動きとなる。搭乗者は、動的、静的な動きを全身で感じて、自己の呼吸の状態を知り、それにともなう身体感覚の状態を感じる。

 DIPAは、搭乗者を乗せる回転球と、回転球を支持し回転をつくりだす台坐とから構成される。回転球には搭乗者が坐る坐席があり、坐席部にあるベルト、ヘルメットが搭乗者の身体を支える。回転球には、3つの回転機構があり、回転球の空間的な回転を作り出す。

 

台座部回転機構

 

 

 坐席部のベルト、マスクには、搭乗者の呼吸の状態を読み取るための各種センサが取り付けられている。ベルトには、胸の位置、腹の位置に感圧センサがついており、主に胸を使って呼吸をしているか(胸式呼吸)主に腹を使って呼吸をしているか(腹式呼吸)の情報や、呼吸の深さが読み取られる。マスクには、鼻の前、口の前にそれぞれ音センサ(コンデンサマイク)と温度センサがついており、鼻をつかって呼吸をしているか(鼻呼吸)口をつかって呼吸をしているか(口呼吸)の情報や、呼吸の長さ、静かさ、均等さ、深さの情報が読み取られる。

 

台座部のベルトとセンサー

 

 

 読み取られた情報は台坐部にあるマイクロコンピュータに伝えられ、呼吸の状態が処理される。そしてその処理結果にしたがって、台座部の回転機構が駆動され、DIPAの回転運動が生み出される。腹式呼吸/胸式呼吸、鼻呼吸/口呼吸、呼吸の長さ、静かさ、均等さ、深さなどの呼吸の状態は回転となって表れる。

 その動きは、速く、加速・減速を繰り返す動的な回転から、遅く、加速・減速のない静的な回転までの幅を持っている。呼吸が短く騒がしいと判断されたとき、回転機構が速い回転を回転球に伝え、長く静かな呼吸と判断されたときは、遅い回転を伝える。間断のある浅い呼吸は加速・減速を生じさせ、間断のない深い呼吸は加速・減速がのない定速の回転を生じさせる。また、その速度は、胸式呼吸、口呼吸のときほど速くなりやすく、腹式呼吸、鼻呼吸のときほど遅くなりやすくなる。

 回転は遠心力や通常とは異なる重力感覚によって搭乗者の全身を刺激する。その刺激は、搭乗者に自分の呼吸のしかたの自覚をうながすものとなる。動的な回転はその急速で不安定な動きで搭乗者の体を揺さぶり、呼吸の荒さの自覚をうながす。静的な回転は、穏やかで安定した動きで搭乗者の体をやさしく揺らし、呼吸の穏やかさの自覚をうながす。搭乗者は、回転運動を感じることで自分の呼吸を自覚し、呼吸を変化させることでまた別の回転運動が生じることを知る。そして、呼吸にともなう身体感覚の変化を回転運動によって感じとるのである。

 

 

3. プロトタイプ制作

 

3.1        筐体制作1

 

 DIPA の回転球は人が乗り込む部分であり、20個の六角形と12個の五角形を組み合わせた、ジオデシック・ドーム形状をしている。この形状は、単純な部材の組み合わせによって球形状を作ることができ、耐性のある部材を用いることで人が乗り込むだけの強度を確保できる構造となる。

 実際に直径60cmのジオデシック・ドームを作り、構造および強度の検証を行った。

 

回転球(直径60cmジオデシック・ドーム)

 

3.2        筐体制作2

 

 DIPAの回転球に空間的な回転運動をもたらす構造を検証するために、直径約20cmのバレーボールを回転させる機構を制作した。

 

台座部回転機構のプロトタイプ

 

3.3        プロトタイプ制作

 

 呼吸遊具DIPAのコンセプトを検証するために簡単なプロトタイプを制作した。

 

 

プロトタイプのデモプレイ

 

 このプロトタイプは、直径1.5mのドーム型スクリーンに2台のウェブカメラからの映像を投映する方法によるものである。ドーム型スクリーンのなかに人が足を組んで坐り、呼吸によって変化する目の前の映像を体験する。ドーム型スクリーンは人の視野を球状にとりかこんでおり、映し出されるの映像は、DIPAのなかから見える景色を模擬的に再現するものとなる。呼吸の読み取りは鼻部、口部につけられた二つの音センサによって行われ、その情報はマイクロコンピュータ(Wiring I/O Board)に渡される。そこでは、鼻呼吸/口呼吸、呼吸の長さ、静かさ、均等さの処理が行われる。その結果にもとづいて、ウェブカメラの土台つけられた二つのモータを回転させ、ウェブカメラによって撮られる映像を変える。

 

プロトタイプシステム

 

 

ドーム型スクリーンに投映された映像

 

呼吸の状態のセンシングは2つの音センサによって行われる。2つの音センサ(コンデンサマイク)はそれぞれマスクの鼻部、口部につけられている。センサは、マスクを装着したときに鼻、口に密着するように設計されているため、鼻の音、口の音を直接読み取ることができる。センサは、呼気・吸気の音の大きさを読み取って、その情報はマイクロコンピュータに渡されて処理される。

 

 

センサ装着図

 

 

音による呼吸情報によって、鼻呼吸・口呼吸の判断、呼吸の長さ、静かさ、均等さの判断を行うことができる。鼻で呼吸を行っているときは、鼻部の音が明瞭に表れ、口で行っているときは、口部の音が明瞭に表れる。それによって、鼻呼吸、口呼吸の判断がなされる。呼気、吸気のはじまりは出入りする呼吸量が多いため音が大きくなりやすい。そのため呼吸の長さの判断は、音が大きくなったときから次に音が大きくなるときまでの時間を測って行われる。呼吸の静かさは、そのまま呼気・吸気の音の大きさによって判断される。呼吸の均等さは、音が大きくなったり、小さくなったりするその変化のムラから判断される。

 回転速度は、これらの呼吸の状態によって規定される。鼻呼吸の場合は、毎秒0度回転から毎秒120度回転となり、口呼吸の場合は、毎秒60度回転から毎秒180度回転となる。呼吸の長さから速度を決定するときは呼気の長さを使い、それが2秒以下の場合は、鼻呼吸、口呼吸で決定される速度の範囲の最大速度となり、30秒ならばその中間値となり、60秒以上となると最低速度となる。呼吸の静かさは、通常時の呼吸音の大きさとの比によって求め、その値を呼吸の長さで決定された速度に乗算する。決定された速度が毎秒100度回転で比が−10%であれば、速度は毎秒90度回転に設定しなおされる。呼吸の均等さもまた、通常時の呼吸音の大きさの比から求め、処理が呼び出されるごとに比の値をそのときの速度に乗算して、加速・減速を行う。

 マイクロコントローラは、呼吸情報の処理を終えるとその結果にもとづき、モータの駆動を行う。

 ウェブカメラの土台に2つのモータがついている。モータはそれぞれ左右軸の回転、上下軸の回転を起こしてカメラを動かす。前後軸の回転はソフトウェアによって行われる。なお回転はジャイロセンサによる方向制御を行っていないので任意の方向に回転するように設定した。

 

 

ウェブカメラとモータ

 

 このプロトタイプを用いて3人の学生に遊んでもらった結果、DIPAのコンセプトである「回転と呼吸が身体に与える影響の相乗効果によって身体感覚の変容を経験することができる」ということを実現できたと考えられる。3人の被験者はみなDIPAの遊びを楽み、そして、呼吸を変え、回転を感じて、身体感覚の変容を経験できたからである。

 

 

4. 学会発表

 

 アメリカ合衆国ロサンゼルスにて、7月31日から8月4日まで開催されたSIGGRAPH2005に参加し、ポスターセッションにて、"Dipa: An play equipment with respiration-sense interface"というタイトルで発表を行った。

 

SIGGRAPH会場風景と発表ポスター

 

 

 

5. 貢献

 

 本研究では、呼吸遊具DIPAにおける呼吸で遊びを制御することの面白さを実証することができた。また、呼吸による遊びが、遊ぶ人の身体感覚を変容させることを実証することもできた。本研究のこの取り組みは、フィジカルコンピューティングの分野における一事例となる。それは、人とコンピュータとの関わり方がコンピュータ画面とのやりとりにとどまることなく、実空間における身体的操作による関わり方によるコンピューティングをおこなう分野である。この分野における呼吸によるインタラクションの事例はまだ少なく本研究はその点で貢献を果たすものといえる。