森基金研究成果報告書

政策・メディア研究科 修士課程2

政策形成とソーシャルイノベーションプログラム 

Network Community Project所属

80424208 伊藤文

研究課題:「日本の平和運動にみる運動参加要因と意識変化の過程」

 

□問題背景と問題設定□

 

 今回の研究は、1990年代、日本で話題になった「ナショナリズム議論」に関して、その背景と今後の展望を探ること、が発端となっている。「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される歴史修正主義の台頭、政治の世界で進展を見せる再軍備の動き、1990年に法制化された日の丸・君が代など、国民の間に少なからぬ反対の声があったにも関わらず、その声が反映されない形で、いわゆる戦後リベラル派を脅かす力が政治の中で顕在化したのが90年代であった。このような時代の変化の中で、市民レベルでも意識を高めることの重要性を感じ、本研究のテーマを設定した。

政治的な色合いの強い「ナショナリズム」のテーマに限らず、日常生活に直接の利害を及ぼさない政策課題に対し、国民が関心を持ち、何らかのアクションを起こす、ということには、時間的・経済的な制約や、意識上の限界が伴う。しかし、地方分権に伴う地域への市民参加でも見られるように、本来、自らが暮らす地域に関する問題に住民自らが参加するというのは、民主主義社会における基本的なあり方であるといえるだろう。ことに、グローバリゼーションの進展に伴い、国家間、国民間の相互理解の重要性が高まってきている現在において、国家を超えた相互理解が必要となる問題の解決を、政府に任せきりにしておくことには、限界がある。一人一人の意識の蓄積が、グローバル・セキュリティを考える上でも重要な要素となってゆくであろう。中でも、他国との相互理解をよりスムーズにするため、過去の歴史に学ぶ姿勢を取りつつ、他者との会話を目指す日本国内の平和運動が果たす役割は大きい。このような観点から、本研究で得られた知見を利用し、さらなる市民運動の発展を推進することは、今後の社会にとって欠かせない作業になると考え、研究テーマを設定した。

 実際の研究を行うにあたり、「平和運動」という概念の幅が広範に亘り、具体的な事例に絞り込むことが困難であったため、今回の研究においては、調査対象を「フェアトレード」を行っている団体、企業に変更して、調査を行った。変更の理由は、以下の3点である。フェアトレード運動が日本で注目されるようになったのは比較的最近のことであり、参加しているアクターも少なく調査が行いやすいため。自らがボランティアとしてフェアトレードに関わる団体に所属していた経験を利用することができたため。そして、フェアトレード運動も、広義においては社会問題の平和的解決を求める運動であり、それが社会に浸透してゆく過程の一部分を調査することは本来の問題意識と離れることではないと考えたため、いかにして社会問題への人々へのアクセスチャンネルを増やしてゆくことが可能か、という視点から、今回の研究を行うこととした。

 

□研究概要□

 

 本研究の目的は、現状の日本においてまだ少ない「フェアトレード」の認知を上げ、フェアトレード商品の流通を拡大するという役割を、企業が担ってゆくあり方を検討することである。フェアトレードは、市場を通して商品の流通を拡大するという経済的側面と、その販売を通じて社会問題を改善してゆくという社会的側面、その2つの側面を同時に行う、ソーシャル・イノベーション的な活動であるといえる。その中でも既存の企業が行うそれは、ビジネス的な面も強く持ち、かつ社会に広く訴えかけるという意味でも、ソーシャル・イノベーションの意味合いが強い。今回、既存の企業が扱うフェアトレードに注目する理由もそこにある。企業これまでは営利を上げることだけが目的とされていた企業が、社会問題に対しても働きかけを行うアクターとなりうることは、近年の「企業の社会的責任(CSR)」に対する注目などによって、だんだんと明らかにされてきている。ソーシャル・イノベーションとは、「『社会的なミッション(=使命感)をもち、経済的リターンと社会的リターンの両方を追及する継続的な活動で、従来のビジネス手法を積極的に採り入れるもの』というのが、一般的な『定義』だろう」と金子は『チェンジメーカー』の解説の中で述べる。ソーシャル・アントロプレナーシップとも言われ「社会的起業」と訳されるこの言葉で表される活動の中には、「『起業』の中で『社会性』を重んじたもの」と、「弱者救済になりがちな『社会的活動』に『起業』という発想を採り入れて活性化しよう」とするものというニュアンスの違う2つのパターンがあると金子は指摘している。今回、本研究を通して見ようとしている、企業が担うフェアトレードは、「起業」とは違った形であるが、本来的に営利を目的とした企業が、社会的なリターンも追及するということになり前者に近い形になるであろう。既存の企業が扱うフェアトレードを、そのような流れの中の活動の1つの中に置き、フェアトレード運動の発展に対し企業が果たしうる役割と、今後の展望について検討したい。

 具体的には、フェアトレードの認知がまだ日本では低い現状を捉え、今後、フェアトレードに対する認知、商品の流通を拡大するための方法を検討することを本研究の第1の目的とする。本研究では、認知・流通拡大の手段として、商品上の情報提供に方法を絞り、店頭において実際にどのような情報が消費者を惹き付けるのか考察するとともに、フェアトレード商品を販売する際に重要となると考えられる要素について、消費者に対するアンケートを元に検討する。

 次に、現在日本でファトレードに取り組んでいる企業を事例として、その取り組みの実態を調査する。そのことにより、フェアトレードの持つ社会的側面を推進しながら、それを営利追求型の企業が担ってゆくという難しさを克服し、今後もさらなる企業や団体が参加してゆく際のモデルを提示することを第2の目的とする。

 この2点について検討を加えることにより、上述したような、経済性、社会性の両面を同時に行ってゆくフェアトレード流通拡大のあり方を、フェアトレード商品を実際に扱う際のモデルとして提示したい。

 これまで、フェアトレードに関する研究は、経済学的観点からの理論研究に加え、そのプロセスの有効性や生産地における実際の効果を検証するものやフェアトレード商品が消費者に与えるインパクトに関する研究が主であった。特に日本の文脈においては、まだフェアトレードが拡大していない現実の中で、その概念に関する理論的考察の研究が多い。そのような中で、企業を流通拡大のための1アクターとして捉え、具体的にその取り組み内容と今後の発展の可能性に関する考察を行うことが本研究の意義である。

 

□研究要旨□

 

 日本においてフェアトレード商品を扱う民間企業の取り組みを、経済的なリターンと社会的なリターンを同時に追及するソーシャル・イノベーションという枠組みで捉え、その効果を有効に運営する手法を示すことが本研究の目的である。

 1960年代に生まれたフェアトレード運動は、当初NGOを中心とした限定的な社会運動であったが、その市場規模を拡大するために、認証ラベルを利用して、スーパーマーケットなど既存の市場に参入することになった。現在は、民間企業も認証ラベルを利用することにより、フェアトレードのアクターとしてその流通に参加している。

 本来営利追求のみを目的とすると捉えられてきた企業が、社会性を持った活動も同時に行う流れに近年注目が高まってきている中で、本研究では、企業が担うフェアトレード活動をその枠組みの中で捉え、フェアトレードが企業にもたらす経済的リターンと、企業がフェアトレードを行うことで果たし得る社会的リターンの双方を活用する方法について検討した。

 具体的には、現在日本でフェアトレードの認知、流通が低い状況を踏まえ、1つ目にフェアトレード商品の認知、流通を上げること、2つ目には、フェアトレードの本来の理念を少しでも普及しながら、それを阻んでいる要因を乗り越えるために方法を検討することを目的として、消費者に対するアンケート調査、並びに取り組み企業に対するインタビュー調査を行った。

 その結果、消費者側からも企業側からも、日本においてフェアトレードをビジネス性と社会性の両者を進める形で推進してゆくためには、商品の「品質」に重きを置いたマーケティング、プロモーションを行ってゆくことが有効であるとの示唆が得られた。一般的に考えられる、社会的なミッション遂行をビジネスとして展開してゆくソーシャル・イノベーションのモデルとは違うものの、そのことが結果的に、日本のフェアトレードにおいては、ビジネス性と社会性の両者を進めるにあたり、よいバランスを保つ役割を果たすことが明らかになった。

 

□結果のまとめ□

 

 今回の研究で調査を行った企業によるフェアトレードは、商品の品質を重視した形で展開してきたことが分かった。これは、フェアトレード運動自体が持つ本来の第一義的な目的、「貧困な状況にある生産者の生活を支援する」というものとは必ずしも一致するわけではない。フェアトレード認証ラベルが保証するものは品質ではなく、生産者の生活である。「品質がよい」ということは、認証基準を満たし、生産者が経済的、環境的に安全な生活のもとで作業を行えることによって産まれる副次的な結果である。しかし、消費国である日本の市場側から考えれば、品質がよくなければ、フェアトレードの本来的な目的を達成することも難しい、ということが、消費者の立場からも、企業の立場からも言えることが今回の調査で分かった。特に日本の文脈において、フェアトレードをビジネスとして成り立たせる際に重要なことは、何よりも品質重視の姿勢であるということが明らかになったと言える。フェアトレードコーヒーが、本当に他のコーヒーと比べて品質的に遜色のないものなのか、それは、最終的には消費者が判断することであり、主観的な基準なので、ここで別の商品と比較することはできないが、少なくとも担当者がそれを売りにしようとしており、また、売り上げが伸びている実績を考えると、日本の市場に見合った質を確保できているということになるであろう。そしてそのようにした形で流通が拡大してこそ初めて、フェアトレードの持つ社会的な側面が伝わる土壌ができる、ということになる。現状ではまだ流通が少なく、社会的なリターンの確保も小規模に留まっている現状の日本のフェアトレード商品が、企業の取り組みによって拡大してゆくためには、まず、「質」を重視する取り組みによって経済的リターンを確保してゆき、そしてそのことが、副次的に、フェアトレードが持つ社会性も担保してゆくこととなり、また、それらフェアトレードの取り組みが、企業の発展にもつながるというポジティブな循環を形成することによって、企業によるフェアトレードの発展を推進してゆく可能性が示唆された。

 しかし、今回のこのプロセスの限界として、具体的に見た商品がコーヒーに限られていたことが上げられる。品質という点では他の商品への汎用性があるが、実際に企業が取り組むことを考慮すると、そのインセンティブは他の商品は弱いものとなることが考えられる。コーヒーは嗜好品であり、さらに、価格の変動の激しい商品である。各社の担当者が述べていた通り、価格の下落は、直接に品質の悪化を招き、特に嗜好品であるコーヒーの品質を維持することが、良質なものを作ろうという意図を持った企業にとって最重要課題となるのはある意味当然のことなのである。インタビュー内容からも、そのことが、フェアトレードに取り組む一番のインセンティブになっていることを見た。そう考えるならば、今後、嗜好品ではなく、比較的質の良いものを格安で手に入れることのできる産品に関して、質を求めるというインセンティブだけで拡大を目指すことには限界が生じるであろう。本研究で見てきたような、消費者のフェアトレードの理解を促進し、新たな価値を伝えること、また企業にとっては、質のよい商品だから売れるというだけではない、副次的なリターンを増大するような社会を作ってゆくことが、さらなる流通拡大のために重要になってくる。

 また、今回扱った企業が、比較的小規模であったことも、今回の調査のバイアスとなっている。大企業がフェアトレード商品を扱う動機は、今回見てきたものとはまた違ったものである可能性は十分考えられる。

甲賀(2005)は、現状での流通拡大の前に存在する壁を乗り越えるために重要な手段として、「消費者教育」の重要性を指摘するが、このことについては、本論文では触れることができなかった。また、フェアトレード運動は万能な運動ではなく、限界が存在する。たとえば、調査をしてゆく中で出会った「フェアとは誰にとってのフェアか」という問題や、需要が増えてもフェアトレードの性質上、ある一つの生産地の商品を一気に増やすことはできないため企業の側からしても宣伝をかけにくい、といった問題は、本研究で扱った以外の現状の流通量の低さの要因になっていると考えられる。このような課題に関しては、今回は扱うことができなかったため、生産地での現状も考慮した上でさらに丹念な検討が必要である。

さいごに、たとえば、ここでいうフェアトレードの拡大による「解決」が、それがどんな形であったにしろ、結局は、何らかの、社会は「よくなるべき」という一定方向に向かった大きな価値観に、今まで以上に多くの人を取り込んで終わるだけなのではないか、という疑問については、ここでは議論することができない。これらの課題については、また別の機会に検討したい。