- 2005年度 森泰吉郎祈念研究振興基金報告書 -

テーマ:アニメーション空間における数理情報リテラシー

 

慶應義塾大学政策メディア研究科

坂本泰宏

mail: ys(at)sfc.keio.ac.jp

 

はじめに

 

 本研究の遂行にあたって、本基金による研究補助と慶應義塾派遣交換留学によって研究期間の殆どをドイツのベルリンにて送ることとなった。分野として未知の分野である故に本研究の評価も賛否両論ではあるが森基金による研究補助をはじめとして多くの方々の理解と協力を得ることができ、本研究分野のはじめの一歩となる論文とその理論を実験的に試みたアニメーション装置が完成した。そして、幸いなことに同アニメーション装置Anima-ropeの完成版であるZoetmorerope2006年夏にウィーンにて開催されるEurographics2006のAnimation部門に採択されることともなった。ここに改めて私の研究を採択してくださった森基金関係者の皆様方に感謝の意を表すると共に、報告をさせて頂く。尚、本報告書では本研究をまとめた私の修士論文 立体映像装置におけるアニメーションと表現のための数理情報リテラシー〜進化型ゾートロープ“Anima-rope”の制作を通して〜の抜粋を通して研究の報告を行う。

 

 

 

◇研究概要◇

 本研究では、立体映像装置 - 現在では未来を描いたSF映画などでしか見ることができないものの、将来的な実用化が期待され、世界各国の研究機関などで目下技術的研究が進められている - における新しいアニメーションの表現可能性を探求するとともに、その新しい表現手法を数理情報リテラシーという形式で提示するものである。また、表現手法の提示に当たって実証コンテンツである進化型ゾートロープ“Anima-rope”の制作を行う

 


第1章 序章

1.1.研究の成り立ち(省略)

 

1.2.研究目的

1.2.1.研究定義

 そこで、本研究が目指すものとしては、アニメーション本来の意味に立ち戻り、空間的立体映像装置(Physical Space Media)という、アニメーションにとって、より自由な表現媒体における新しい表現の探求とその表現体系における新しい表現を提案することである。それは、近い未来に実現されることが期待される立体映像メディアにおける新しい表現手法への提案についても視野に入れたものである。そして、平面的ではない、立体映像装置におけるアニメーション表現手法の模索とその模索から生まれた表現を元にしたメディアとコンテンツ制作を行うこと、これを研究定義とする。

 

1.2.2.表現として目指すもの

 立体映像装置における表現の方向性として様々な展開と表現探求が期待されるが、本研究においては既存のアニメーションにおける表現手法の適用に関しては言及しない。つまり、立体映像装置におけるキャラクターアニメーション方法論や既存のアニメーション表現の枠組みで語ることが可能な表現についての検証を行うのではなく、対象を実空間において、ありのままに扱うことによって可能になる今までにない新しい表現の探求にのみ焦点を絞る。

 

第2章               研究の背景

2.1.先行研究(省略)

 

2.2.研究の動向と課題

2.2.1.研究の動向

 技術面における立体映像装置の研究は日本のみならず世界各地の研究機関において日々進められおり、何らかの形で露出する機会が増えてくるだろう。しかし、具体的な表現という点に於いては、岩井氏の立体ゾートロープ以降、試行錯誤はあるものの大きな表現的変容はない。また、ノルシュテイン氏のような方向性を加味しても、アニメーションの最終的なアウトプットメディアが平面となってしまう現状では表現としてある程度妥協を行うしかない、というのが現状である。

 

2.2.2.研究の課題

 そこで本研究では、将来的に立体映像装置がメディアとして機能することを想定した場合、早急の課題となるであろう、独自の表現手法の開発という課題に取り組む。その一方で現在、汎用的なレヴェルでは唯一、立体映像装置として機能しているゾートロープの構造を土台として、表現メディアとして既に語り尽くされたと考えられているゾートロープに新しい方向性を提示することも前者と同様、本研究における課題として挙げることができる。その双方の課題に取り組む中で最終的に進化型ゾートロープ ”Anima-rope” とその表現の開発を行う。

 

第3章               研究概要

3.1.研究の概要とアプローチ

3.1.1.研究目標

これまで述べてきたように、本研究では現状におけるゾートロープの表現に新しい鉱脈を見出すと共に、その表現を将来的に立体映像装置における独自の表現手法として確立させるための礎を築くことを目的とする。

 

3.1.2.研究の焦点

 研究に際しては、主題として掲げる「表現」とその検証の為の試作と制作が必要となる。その制作においては、筆者が本研究の基礎研究として行った、デザインプロセスにおける数理的思考と、その働きに関する考察から導き出されたデザインプロセスのための仮説、「数理情報リテラシー」に留意して研究とコンテンツ制作を進める。そこで本研究が焦点として定めるのは立体映像装置における独自で新しい表現の提案とそのための制作理論の仮説を数理情報リテラシーという形式で提案することにある。

 

3.1.3.研究の特徴と新規性

 本研究の新規性としては、今後の技術的発展を見据えた、立体映像装置における表現方法の開発を目指すことと、既存の立体映像装置であるゾートロープを媒介することで、ゾートロープそのものに対しても新しい価値観を与えていこうとするものである。また、その制作から得られた表現と手法を数理情報リテラシーとして提示することで、一般的に「表現」が陥りがちである感覚的な域を超えないという課題を解決し、アクチュアルかつ、アルゴリズミカルな観点から表現方法のガイドラインを提示することである。

 

3.1.4.期待される成果

 本研究によって期待される成果としては既述の通り、表現的鉱脈において滞ってしまっているゾートロープに表現として新しい方向性を提示すること、そしてアニメーションそのものの新しい可能性を切り拓くことである。

 更に将来的に、立体映像装置における表現が活発化した際に、本研究がその一つの指標となることが成果として期待されるものである。

 

3.2.研究方法

3.2.1.研究のアプローチ

 本研究におけるアプローチとしては、大きく分類して3段階に分けて行った。第T段階として「基礎研究」、第U段階としては「応用準備研究」、そして第V段階として「応用研究」を行った。以下に第1段階から第3段階までの簡単な流れを解説する。

 

3.2.2.第T段階:「基礎研究」

 この研究段階ではアニメーションのデザインプロセスのためのガイドラインとして用いることを前提とした「数理情報リテラシー」の定義付けを行うと共に、その為の実験制作を行った。

 

3.2.3.第U段階:「準備応用研究」

 この研究段階ではゾートロープの構造に関して再分析を行うと共に、実際のハードウェアプロトタイプを制作した。Anima-rope作成に関する試行錯誤の結果として、Anima-ropeプロトタイプVer1.0とVer 2.0の制作を行った。

 

3.2.4.第V段階:「応用研究」

 この段階では細かく分けて、更に二つの独立した研究が行われた。1つはAnima-ropeプロトタイプをメディアとしての新しい表現の模索、そして2つ目は、その模索から得られた結論をもとにしたAnima-ropeの実装である。

 

3.2.5.研究方法のまとめ

 これら3つの段階に沿って研究を行った後、数理情報リテラシーの観点に基づいて、得られた結論を立体映像装置におけるガイドラインとしてまとめた。

更に、本研究から得られた考えを更に発展させた空間的アニメーションコンテンツの可能性に言及した。

 

第4章               研究成果

4.1.基礎研究における成果

4.1.1.デザインプロセスのガイドライン

 ここに至るまで、既に何度か登場している言葉であるが、まず数理情報リテラシーという考え方に関してここで明確にしておきたい。建築のデザインプロセスなど、様々なデザインパラメータが複雑に入り組み合うデザイン行為において整えられたデザインをするために、その様々な要素を制御するためのパラメータが必要となる。建築の分野においてはそれらの制御を行うための手法が20世紀初頭から中頃までにLe CorbusierやBauhausの建築家、Ludwig Mies van der Rohe らによって確立された。それらの理論は幾何学やフィボナッチ数列をもととしたもので、それ以降、構成主義美術にもその影響を与えた。だが、アニメーション制作においてはディズニーやPixarなど、一部のプロダクションよって確立された方法論が存在する以外には具体的にデザインプロセスに関する定義は存在せず、制作者個々人の方針に委ねられている。また、静止しているが故に構図が重要な役割を占める絵画とは異なり、動的であることが求められるアニメーションのデザインプロセスではパラメータ以上に、臨機応変な対応がより重要な役割を示してきた。このような状況が現在に至るまで継続している要因としては、現状でのアニメーションの主なアウトプット手法が平面メディアであるということが一つの要因として考えられる。というのは、先に挙げた構成主義美術において顕著な傾向が見られたように、デザインプロセスにおけるパラメータは特に空間的な構図に関係する変数(要素)を使う状況において特に有効であることが見て取れるからである。逆の発想からすれば、本研究が目指す立体映像装置におけるアニメーションが意味するところである、「アニメーションの平面からの解放」を試みた際にはそのデザインプロセスにおいて必要となる要素を制御するためのパラメータが有効に機能するであろうことが予想できる。

 

4.1.2.数理情報リテラシーという考え方

 そこで、本研究における基礎研究としてまず、平面的メディアではあるが、少なからず構図や空間的要素がデザインプロセスに絡んでくるアニメーションの制作全般におけるデザインプロセスの為の大枠としてのガイドライン定義を試みた。絵画や建築のデザインプロセスおいて数理的手法が、デザインのパラメータ制御に役立つ傍らでそこに美的要素をも付加するように、アニメーションの制作プロセスにおいても同様、パラメータの制御において数理的手法が有効である、という仮定の下、3つの短編アニメーション制作を行った。これらのアニメーション制作から得られたデザインの為のガイドラインを数理情報リテラシーとする。

 

4.1.3.実験制作T:株価アニメーション

 この実験制作が本研究における駆け出しとなったアニメーションである。テレビのニュースや新聞において良く目にする株価であるが、この株価の変化を元にしたアニメーションに何か新しい面白さの可能性があると感じ、実際にアニメーション制作をした。計量経済学において関数として扱われる株価の変化は、アニメーション制作の過程においてもアニメーションにおける仮想キャラクタの動きを定義する関数として機能した。本制作においては株価の変化から導き出された関数をキャラクターアニメーションに適用するという作業に留まったが、この関数を元にキャラクターアニメーションにおける豊かな表現(Stretch, Squash)がディズニーアニメーションとは異なる形式で定義できるという可能性を見出した。出来上がったアニメーションでは方程式化された株価データから生まれた線状のキャラクタが跳躍する様子が描かれている。[Fig.13] の右図はその軌跡。

 

[Fig.13] 株価アニメーション

 

4.1.4.実験制作U “creative cubes”

 実験制作Tにおいて得られた考えを元に、キャラクターアニメーションに関数を利用すると共に更に複雑な動きの実現を試みた映像。このアニメーションは、一見普通のキューブを用いたキャラクターアニメーションであるが、その背景で、映像の中で動くもの全てが仮想3次元空間座標系において、簡単な極座標関数と三角関数によって定義されている。具体的な制作においては3DCGソフトウェアMAYAのExpression機能を用いてキャラクタを構成する各部品の角度・スケール・位置のxyz座標の値を関数で定義した。その際、変数をフレームレートとすることで、時間(t)をパラメータとしてキャラクタの動きを制御するためのガイドラインを定義することが可能となった。また、ディズニーアニメーションルールにおいて、その醍醐味となり、キャラクターアニメーション技法の基礎でもある「Stretch and Squash」を関数で定義することにより、その度合と強弱についてフレキシブルな操作を可能にすることを実現した。

 

[Fig. 14] creative cubes

 

4.1.5.実験制作V “U-Bahn Berlin”

 このアニメーションは、ベルリンの地下鉄路線図とその線路上を走る架空の地下鉄(赤点)の凸包とその多角形のDelaunay三角形分割をアニメートしたものである。表現的に試みたポイントとしては、数理アルゴリズムの生成過程と、イメージとして身近な地下鉄の路線図を組み合わせることによって3Dアニメーションにおけるアルゴリズムが描き出す数理的な構図の美を抽象的ながらもより分かりやすい形で表現しようとしたということである。この制作においては「表現=数理的表現」であったが、実際にその理論をデザインプロセスレベルにまで絡ませる、つまりアルゴリズム解説の映像にするのではなく、数理情報リテラシーそれ自体を表現とするアニメーションとして仕上がった。

 

[Fig. 15] U-Bahn Berlin

 

4.1.6.基礎研究と数理情報リテラシー

 ここでは修士課程前半に制作した映像の中から特に数理情報リテラシーの仮説を立てるに至った3本のアニメーションを紹介した。これら制作の過程で確認出来たことは、数理的手法がアニメーション制作において制御せねばならない複数のパラメータを上手く操作するために確実に機能する(表現を整理する)こと、そして表現以外の部分において人を惹き付けるように機能する美のスパイスとしても機能することである。また、表現に直接、数理的アルゴリズムの美しさを扱う際にも、そのアルゴリズムを上手くデザインプロセスに組み込むことによって、表現として機能させることが出来るという仮説も得た。これら全ての傾向は何れにせよ空間的要素を含んだアニメーションである”creative cubes”と”U-Bahn Berlin”においてより顕著に確認された。しかしながら、この3つの発見はあくまでも数回の映像の上映によって得たフィードバックの範囲内であるということを注意として付加しておきたい。

 

4.2.準備応用研究(省略)

 

4.3.応用研究T:Anima-rope:表現の模索

4.3.1.表現の模索にあたって

 基礎研究において数理情報リテラシーという考え方がアニメーション制作に機能しうるという可能性が提示された。そこでAnima-rope制作とその中での新しい表現の探求に際して、その中軸として数理情報リテラシーを念頭に置くことによって、実験制作を行うと共に数理情報リテラシーの更なる例を示していきたい。

 

4.3.2.表現の方向性として考えられるもの

 ここで考えるべき点は、立体映像装置という表現メディア、進化型ゾートロープだからこそ可能な新しい表現を明確にし、その鉱脈において試作と表現的模索を行うということである。まず表現模索の取り組みとして3つの表現を実践し、考察を行った。その表現に関して以下解説を行う。

 

4.3.3.表現T:不可能物体と青い帯

 

a) 導入

 立体映像装置など、立体+物理的空間の特色を活かした新しい表現の一つ目の例として、不可能物体、その独特な世界を舞台としたアニメーションというものを考えた。本来、理論的にはn次元空間においてのみ説明可能と定義されている不可能物体ではあるが、表現的な観点からは理論物理学者フィッシャーによって擬似的に平面に視覚化され、更には福田氏によって「視点固定」という条件付きではあるが3次元実空間における視覚化が実現された。そして、ここでは福田氏の不可能図形の3次元実空間における視覚化を踏まえつつ、立体映像装置の特性を利用してのアニメーションを試みた。

 

b) 表現の拡張と課題

 下記にデモ用に制作したモデルアニメーションの一部 [Fig.24] を示した。ここにあるように、映像は一見、何の不自然もない様に見える。しかし、実際はその中に不可能物体である「登り続ける階段」が再現されており、その空間を青い帯が移動している。

 

[Fig.24] アニメーション「登り続ける階段」より

[Fig.25] 別の視点から見た「登り続ける階段」

 

 しかし、これは別視点からの画像[Fig.25]が示すように実際は先の画像が示すような立体とはかけ離れた造型をしている。つまりこのアニメーションを立体映像装置において実現した場合、視点によって、異なる2種類以上の、視点のみ成らず意味も異なる映像を楽しむことが可能であることが理解できる。実のところ、ここで興味深い点はこのオブジェクトが不可能物体として見える視点(以下視点A)ではなく、それ以外の部分にある。もし仮に、このアニメーションがディスプレイ内の映像の枠を超えない場合、制作者側は固定された視点において(この場合オブジェクトが不可能物体として見える視点)のみ、矛盾なくアニメートすれば良い。しかし、別視点からも見られるということを前提とした立体映像装置における表現では、視点Aで意図的に起こした矛盾をいかに解決するかが制作における課題となる。

 

c) 表現的課題の解決

 視点Aにおける矛盾の解決方法として、その両端をそのまま帯で延長し、接続してしまうという方法(厳密には2本の帯の長さは数ミリ異なるの)をとった[Fig.26-a,b]。

 

 

[Fig.26-a] 視点Aにおける矛盾の解決

[Fig.26-b] [Fig.26-a]を視点Aから見た場合

 

 さて、この矛盾の解決方法であるが、幾何学的観点からの検証を試みた場合、当然、常識の範囲では(ユークリッド幾何学的に)問題があるように見て取れる。ところが、実のところは非ユークリッド幾何学における平行移動の定義下では「視点Aにおける青い帯とその他の視点における青い帯は合同」、が成り立つ。(参考:[Fig.27])

[Fig.27] 双曲的非ユークリッドにおける平行移動

 

d) 考察

 この表現例では、立体映像装置において、その表現の性質上回避できない空間的な矛盾、という問題点の解決法とし、結果的にではあるが、非ユークリッド幾何学を使用した。これは以前の基礎研究で扱った数理情報リテラシーの範囲では言及しえなかった分野(つまり以前は幾何学の分野に於いては絵画や建築における数理的方法論同様、数理情報リテラシーとしてユークリッド幾何学をそのリテラシーの一つの基盤としていた)にまで及んだ。今後、空間的映像装置におけるアニメーションの表現的デザインプロセスにおいて非ユークリッド幾何学を基にした数理情報リテラシーが有効である可能性があるというという結果が得られた。これより次のことが成り立つ。

 

定義1:Anima-ropeにおけるデザインプロセスにおいて双曲線的或いは楕円的非ユークリッド幾何学が有効な場合がある。

 

e) 仕上げ

 この時点では試作ということもあり、表現的な未熟さがあることは否めないが、ここまでの範囲での表現的演出のための方法として視点Aにおいての効果的表現を行うことを目指し、背面に鏡を配置した。これによって視点Aの不可能物体における矛盾の瞬間に現実問題として何が起きているのかを同時に把握することが可能になった。[Fig.28] にその方向性において制作した筐体、[Fig.29 ]にアニメーションパーツの配置例を示した。[Fig.28 ]の12個の各ブースは、アニメーションのコマと同様に扱うことが可能で、そこにそれぞれのアニメーションパーツを配置し、Anima-ropeの回転構造部分の上に置き、回転させることによってアニメーションを楽しむことができる。

 

[Fig.28] 表現T:Anima-rope筐体 [Fig.29] アニメーションパーツの配置例

 

4.3.4.表現U:雪と火山

a) 別の鉱脈

 Anima-rope完成版に向けた表現の更なる模索として次は「多義物体」というキーワードを設定し、表現の模索を行った。従来のゾートロープでは個々に独立したアニメーションパーツが任意の数、用意され、その各パーツの微妙な差異が残像現象を起こし、アニメーションに結びつくというものであった。だが、制作を進めていく過程で具体的な1つの物体のみを回転させることによってアニメーションさせることが可能なのではないかという仮説を得た。もし、この仮説が実現可能ならば「多義物体」というものが実現する。ここで意味している仮説における「多義物体」とは、物体が静止している時に既に一つの意味を持つオブジェクトとして成立しているが、それをAnima-ropeとして使用した場合(回転+ストロボ)にまた別の意味を持つアニメーションとなる、ということである。

 

b) 表現として制作したもの

 前述の仮説に基づいて制作したものが [Fig.30] である。この立体造型は粘土で制作したもので、イメージとしてはスキー場などの粉雪が積もっている状態を表現した。しかし、このオブジェクトをAnima-ropeの回転構造にセットし、回転させ、ストロボ装置で光を与えると、アニメーションとして火山のマグマが煮えたぎるような情景が浮かび上がってくる。これにより雪と火山という意味としても正反対のイメージを静と動によって使い分けることが可能な「多義物体」として表現することに成功した。

 

[Fig.30] 表現U:雪と火山

 

c) 数理情報リテラシーの考察

 「表現U:雪と火山」はその造型や素材からして、感覚的な操作で制作されたイメージが付きやすいものであるが、実際には仕上げ以前の段階で、綿密な数理的考察と操作が行われている。この構造においてどのような造型を行えば自然なアニメーションが実現可能かということを考えた場合、一つの解答として造型の変化がある程度滑らかでなければならないということである。つまり造型としての理想型はsin関数のような起伏の変化が最も望ましいということである。故に、[Fig.31]にあるような直線“p,q.r”でこの物体を切断した場合、それらがsinカーブに近い軌跡を持つことが理想である。ここで定義1に則り、3つの軌跡の条件をそろえるために非ユークリッド幾何学による平行移動を利用する。それによって断面p,rとqを同じ条件で扱うことが可能になる。(参考[Fig.32])

 

 

[Fig.31] 切断の為の線 “p,q,r”  [Fig.32] 双曲型非ユークリッド空間における直線

 

 更にここで、sinカーブの振動の最適値(盤上のどこでも均一なアニメーションを行うためのもの)を決定するための指標についても定義しておきたい。考えるべきポイントはAnima-rope上の任意の点の単位時間あたりの移動距離である。この移動距離は円周の公式より、Anima-ropeの回転軸からの距離に比例して大きくなる。よって、振動の密度の比率について下記の式で定義できる。

 

定義2:基本振動数(f)×回転軸からの距離(r) = 最適値但し基本振動数は任意の定数

 

尚、この式は表現Tタイプの場合ではアニメーションパーツの配置を決定するための指標として利用できる。その際の基本振動数は「配置されているオブジェクト(アニメーションパーツ)の密度」と書き換えられる。

 

c) アニメーション効果

 この表現ではストロボ装置を用いたフレームレート操作によって常に変化するアニメーションを楽しむことができる。これはこのオブジェクトが明確な順序関係を必要とするアニメーションパーツによって成立しているのではないからこそ可能な表現である。これによって先にストロボ装置の項目において述べた仮説が立証された。

 

4.3.5.表現V:仮想の球体

a) 実験の焦点

 既に表現T、Uを通してAnima-ropeにおける新しい表現の鉱脈を見出し、議論した。そこで、ここでは特にAnima-rope完成版の構造を意識した表現を目指した。まず、その結果を[Fig.33]に示す。

[Fig.33] 表現V:仮想の球体

 

 このオブジェクトは鏡の上に大きさの異なる透明かつ半球状の物体を重ねたものをスクリーンとすることで可能になった球状の新しいタイプの立体映像装置である。この場合は茶色のブロックが空間を駆けめぐるアニメーションを見ることができる。

 この構造に先行表現例として紹介したノルシュテイン氏の手法を重ね合わせることでAnima-ropeは更に表現としての豊かさを増すことが期待される。

 

b) 数理情報リテラシーへのアプローチ

 この映像装置に限っては、扱う空間が球面で、かつ内部もアニメーションの為の利用可能である、ということから(つまり従来の球面に平面の映像を投影するのとは違う)定義Tに則り、仮説1が成り立つ。

 

仮説T:楕円的非ユークリッド幾何学がデザインプロセスにおける数理情報リテラシーとして有用であることが予測される。

 

4.4.応用研究U:Anima-ropeの実装

4.4.1.Anima-ropeの実装

 応用研究Tから得られた表現的な可能性と数理情報リテラシーとしての定義TU、仮説Tとをもとに完成版Anima-ropeを制作した。

 これまでの表現例における表現は目的として定義や仮説を得ることを目的としていたため、世界観までの作り込みは行わなかったが、Anima-rope完成版においてはその点にも言及した上で柔らかい表現を目指した。その完成品を以下に紹介する。

 

 

[Fig.34] Anima-rope表現部分:ドームなし

 

4.4.2.Anima-ropeの解説

 あくまで独断的なものであるが、この造型を初見でアニメーション装置と考える人はそう多くはないだろう。この装置はあくまでその意図に則り制作したもので、先に述べた「多義物体」の考えに由来するものである。人がこのコンテンツに接したときの最初のイメージが良い方向に裏切られることによって、そこに更なるエンターテイメントの醍醐味が生まれるのである。以下、Anima-ropeの詳細について中心部(第1層)より外側に向かって解説する。

 

第1層:森

 回転の中心部においては、定義2の式に則れば、装置回転時のアニメーション効果はあまり期待できない。しかし、それを逆に活かし、敢えて殆ど差違のない木を配置することによって風に囁く木々の様子を再現した。

第2層:馬

 ここは敢えてゾートロープの王道である普通の立体アニメーションパーツを配置した。それによって他の表現を際立たせることを狙いとしている。

第3層:川

 表現例2:雪と火山で行った表現を、リアリスティックウォーターを用いた些細な起伏に応用することで、実際に水が流れているかのようなアニメーションを目の前に起こすことに挑戦した。

第4層:平面/立体羊

 それぞれの立体羊の中間に両側の羊の中間の形をした平面を配置することで実空間において平面と立体を行き来する羊のアニメーションを実現した。

上層:鳥

 ここでは表現例3の例の応用を実践した。飛翔する鳥が2層に重ねられたドーム状レイヤーの上下を行き来しながらアニメーションするものである[Fig.36]。ここでは定義Tや仮説Tに従ってレイヤーの行き来の際のコマの配置やサイズの変化を計算している。

最上層:環境表現

更にオプションで情景の環境を描写するレイヤーを追加することを現在予定している。それによってノルシュテイン氏が実現したような淡く独特な世界観描写をAnima-ropeでも実現可能になる。

 

4.4.3.数理情報リテラシーの考察

 Anima-ropeの本制作において、数理情報リテラシーに関しては基本的に定義T・Uと仮説Tという比較的抽象的なガイドラインを用いる範囲でデザインを遂行した。しかしドーム構造におけるアニメーションパーツの作成や配置においてはより深いレベルでの非ユークリッド幾何学の概念が必要とされた。これは自明なことであるが、プロジェクタの映像を球面に投影すると大きく歪んでしまうように、ドーム上に、普通にアニメーションパーツを配置してしまうとオブジェクトが歪んでしまう、或いはパーツがレイヤー間を移動する際の描写に問題が生じる。そこで、オブジェクトの形や位置の決定において、制作過程で実践した結果、楕円方非ユークリッド空間(ドーム)と平面座標の合同変換式、  [Fig.37] が有効であるという結論に至った。下記の式の形ではかなり難解なイメージが見て取れるが、複雑な配置や造型でない限りにおいては、 [Fig.38] に示したイメージを理解さえしておけば充分であろう。

 

 

[Fig.37] 楕円型非ユークリッド空間の合同変換式 [Fig.38] 楕円型非ユークリッド空間と平面空間の関係性

 

第5章 結言

 本研究では、立体映像装置における表現のための数理情報理リテラシーとして、非ユークリッド幾何学の必要性を示唆し、幾つかのケーススタディを行うことができた。そして、その上でAnima-ropeの制作を行った。その中で幾つかの可能性を示すことは出来たものの、表現的スタディの数が十分ではないことから、方法論として整理するまでには至らなかった。その点については本研究の成果をもとに今後、博士研究として取り扱っていきたい。

 また、ストロボ装置単体に関して、既に幾つかの新しい表現の可能性を見出しており、次の研究対象としての準備段階に入っている。それはストロボを、もっと広い、空間レヴェルで取り入れることで、その空間においては全てがアニメーションする『アニメーション空間』が実現できるという仮説である。これにより、いよいよPhysical Space Mediaとしてのアニメーションの可能性が広がるだろうと予測される。

 

参考文献一覧

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