2006年度森基金 研究成果報告書

地理的位置に関した情報を格納するデータベースの即興的な構築の実現

慶應義塾大学
政策・メディア研究科
後期博士課程3年
80449058, niya
伊藤昌毅

研究課題

本研究は,位置に関連付けられた情報を収集,格納し,任意の用途のために提 供するシステムの,即興的で容易な構築を目標とする.位置に関連付けられた 情報とは,その場所の気温や天気,地震記録といった観測データや,移動や買 い物記録といった人がある場所で起こした行動の記録,ある場所で撮られた写 真などといったデータである.こうしたデータは特定の場所や時刻に関連づけ ることができ,時空間を軸にデータを整理することはデータの理解や解析に有 効である.既に電子国土プロジェクトによって様々な地理情報が発信されてい るほか,Google Earthやはてなマップといったユーザ参加型で場所に関連付け られた情報を収集し共有するシステムも実用化されている.しかし,こうした システムは主に地図上での視覚化を前提として設計がされており,収集された データの解析や応用は難しい.

本研究では,様々な用途に利用可能な汎用的なデータの蓄積や,様々な条件に 応じたデータの取得機能を提供する空間情報データベース構築を目標とし,本 年度は特にセンサデータを収集するデータベースシステムの設計と実装,運用 を行った.昨年度までの研究で構築したmPATHフレームワークが,主に人に注目 しその行動履歴を扱っていたのに対し,本年度課題としたセンサデータは,特定の場所に注目しそ の観測値を取り扱う.これらの研究課題を総合しながら,時空間データベース の機能や仕組みを研究している.

本システムはまた,慶應義塾大学石川幹子研究室との合同研究プロジェクトと して新宿御苑において実証実験を行った.本システムを用い,新宿御苑に160個の センサを設置し御苑の微気象の観測を実現した.

Airy Notesシステム

本研究課題の実現のために,センサデータを集約し配信するAiry Notesシステ ムを設計,実装した. Airy Notesシステムは,小型センサを用た環境モニタリングシステムである. Airy Notesシステムにより,大量の小型センサを用いた環境モニタリングを実 現できる.ユビキタスコンピューティング技術の発達により登場した小型セン サ技術により,従来とは異なる時間,空間粒度での観測が可能となっており, 本システムはそれをより効率的に実現する.

Airy Notesシステムの特徴

Airy Notesシステムは以下の特徴を備える.


図:センサ設置補助システム

ソフトウェア構成

図に,Airy Notesのソフトウェア構成を示す.ソフト ウェアコンポーネント間はHTTPやXMLといった標準的な通信規格を通じ接続さ れ,コンポーネントの独立性を実現している.このため,新たなセンサ機器や 視覚化アプリケーションなどの追加は容易である.


図:ソフトウェア構成

観測対象となる地域には,センサデータ集約用のPCを設置し,センサが値を観 測する毎にXML形式にてHTTPを通してサーバに転送する.図に,XMLの例を示す. サーバ内では,時刻 と位置とを鍵としてセンサデータを保存し,任意の場所の任意の時刻のセンサ データを検索可能にする.センサデータ閲覧のために携帯電話用のビュアとや 地図を利用したデスクトップ用のビュアを実装しており,それぞれのビュアは 必要なデータを取得しグラフなどによって視覚化する. 本システムは,サーバ側のソフトウェアをRuby on Railsで,センサデータ集約 部分や視覚化のソフトウェアをJavaで実装した.


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センサシステム

本節では,Airy Notesシステムにおいて利用するセンサシステムについて述べ る.センサを活用したユビキタスコンピューティングの研究事例は多いが,精 密機器であるセンサを屋外で運用した例は多くない.新宿御苑での実証実験で はドイツ カールスルーエ大学TecOにて開発された uPartワイヤレスセンサシステム を利用した.以下にセンサの選定や屋外設置の際のパッケージに ついて述べる.

uPartワイヤレスセンサシステム

センサの選定では,気象観測に必要なセンサを備え,リアルタイムでのデータ 収集が可能であるほか,大量に設置するため個々のセンサが低価格であること, 長期間の電池寿命が期待できること,十分な無線の到達距離などによる広範囲 への設置が可能であることを条件となった.一方でセンサは環境に固定され, 位置情報以外に設置環境の様相を入力する必要があるため,GPSなどによる位 置の自動認識は必ずしも必要ではなかった.

これらの条件を十分に満たすセンサシステムは現在のところ存在しないが,新 宿御苑における実証実験ではセンサとしてuPartワイヤレスセンサシステムを 利用した.uPartは,カールスルーエ大学TecOにて開発された超小型で安価な センサシステムである.図にuPartセンサモジュールを示す. ひとつのuPartセンサモジュールは30ユーロ程度の価格であり,本実験用に200 個以上のセンサを準備した.uPartセンサモジュールは温度,照度,振動を検 知するセンサが備えており,10秒ごとにその観測値を無線で発信する.観測値 の発信間隔は,電池挿入時に特定の発光パターンを照度センサに与えることで 変更できる.ひとつのボタン型電池(CR1620)で3ヶ月以上動作し,発信間隔を 40秒間にした場合には半年を越える動作を確認している.


図:uPartセンサモジュール

一方,uPartセンサシステムは広範囲へのセンサの設置には必ずしも適してい ない.uPartからのデータを受信するために,図に示す XBridgeと呼ばれる受信機を用いる.XBridgeは,複数台のuPartからの信号を 受信でき,受信データはUDPパケットとしてEthernetポートを通じ出力する. uPartからの無線信号は約30m程度の距離まで到達するため,広い領域の観測を 行うためにはEthernetを敷設しXBridgeを高密度に設置する必要がある.実証 実験において観測を計画した地域が限られていたため,新宿御苑での実証実験 ではuPartセンサシステムを利用した.


図:XBridge

センサパッケージ

野外でのuPartの設置にあたり,雨や日射の遮蔽のためのパッケージをデザインし た.A4版耐水用紙に薄いプラスチック板を補強のために貼り筒状にした もので,パッケージの表面にはuPartの観測データへアクセスするURLを示すQRコード を印刷した.携帯電話からQRコードを通じWebにアクセスすること で,センサの観測値やグラフによるデータ履歴を閲覧できる.図 にパッケージの形状を示す.


図:センサパッケージ

uPartセンサユニットは温度,照度,振動の3種のセンサを備えるが,屋外にお いて正確な観測データを得るためには,百葉箱に相当するような適切な機材に よって観測条件を整えることが不可欠である. 今回の実証実験では,パッケー ジの形状は気温センサの測定条件を整えることを優先し設計した.日射 を遮蔽すること,自然通風が可能であること,地上からの熱の影響を低減する こと,パッケージの熱がセンサに伝導しにくいことが要件となっている. 本実験は短期間に多数のセンサを用いることから,材料の入手,加工 が容易なこと,設置やメンテナンス,回収が容易であることを考慮した.耐用 期間は一ヶ月程度に設定している. パッケージ表面は,Airy Notesシステムのインタフェースとして人目を引きやすものであること,一方で設置環境の景観を 乱さないことに配慮しデザインした.

実証実験

2006年6月3日に新宿御苑100周年記念イベン ト「 玉川上水復活に向けて」が開催され,その一環として慶應義塾大学石川幹 子研究室との合同プロジェクトによりAiry Notesの実証実験を行った.実証実 験では,新宿御苑が冷気を周囲の都市部に供給することでヒートアイランド現 象を緩和していることを,御苑や区役所に設置した計165個のセンサで観測し, 携帯電話やイベント会場のディスプレイを通じ示した.イベントでは新宿区長 をはじめとする多くの来園者にシステムを紹介し,好評を得た.5月30日から稼 動させたシステムは,イベント後も6月12日に撤収するまで安定して動作した.

新宿御苑

東京都の中心部,新宿区にある新宿御苑は,58.3haとい う広大な敷地を持ち,一日平均3,200人,年間90-100万人の来場者が訪れる都 市公園である.新宿御苑は,様々な自然環境調査の対象とされる場所でもある. 新宿御苑周辺は高層ビルや繁華街が密集する都内有数のオフィス,商業地域で あるが,近年の調査によって,新宿御苑がこれらの周辺地域の環境保全に大き な役割を果たしていることがわかってきた(参考).新宿御苑は周 辺地域に比べ2-3度気温が低く,新宿地域における冷気溜まりとなっており, 冷気が周辺に滲み出し,周辺地域の温度を下げていることなどが明らかにされ ている.

観測地点

多様な環境下での観測値を収集しそれぞれの特徴を知るためには,新宿御苑内 のさまざまな箇所や,新宿御苑外の市街地にもセンサを設置し,その値を比較 する必要がある.実証実験では,池のほとりや散策路の付近,アスファルトで 覆われた新宿門付近や樹木の密集する地点など,御苑内でも異なる環境となる 地点が観測対象となった.それぞれの観測地点にXBridgeを設置し,その周辺 にそれぞれ15個程度のuPartセンサモジュールを設置した.新宿御苑全体では, 150個のセンサを設置した.また比較のため,歌舞伎町にある新宿区役所屋上 にもセンサを設置した.図に観測用に構築したネットワークの概略を示す.


図:新宿御苑でのネットワーク

センサ設置作業

新宿御苑へのAiry Notesシステムの設置には,一日あたり約3人による作業で 合計6日間要した.2005年5月25日に始めた設置は,5月30日に完了しその日か ら観測を始めた.センサの設置作業は,XBridgeの設置やそのためのネットワー クケーブルの敷設を中心としたインフラ構築作業と,センサを各XBridge周辺 の木々の枝に設置するセンサ設置作業とに大別される.実証実験では,作業期 間の前半3日間をインフラ構築作業に,後半3日間をセンサ設置作業に費やした.

観測結果

図に示す観測結果は,比較的日照時間が長く,気温が上昇した6月10日のデー タである.本結果からは,市街地,市街地との境界部分,庭園地,御苑内の樹林地と,市街地から離れ樹林の緑が増えるにつれて気温が低くなる様子を概観できた. 気候が最も安定していたのは,散策路の中でも特に成長した樹木の枝葉に天空 が被われたエリアで,常に他より低い気温を示していた.御苑 内部は,散策路よりは気温が若干高く,変化も大きい.これは,センサの設置 箇所が果樹園や庭園といった明るい木陰であったことが影響したものと考えら れる.市街地や市街地との境界部分では,気温の変化がより急激であった.夜 間は,どの地点でも大きな差異は見られなかった.


図:新宿御苑の観測結果(2006年6月10日)

実証実験に際し高密度に設置したセンサによって,空間的な温度分布を明確に 読み取ることが出来た.新宿御苑と市街地との違いや,新宿御苑内の温度変化 の違いも,その特徴を捉えることが出来た.実証実験における観測期間では, 平均気温が22度前後(気象庁発表東京)で日照時間も少なかったため,ヒートア イランドなどの都市気候の影響は顕著ではなかった.今後,夏季に同様の実験 を行うことで,より特徴的な気象を観測できると考えられる.

研究成果

本研究の成果として,本年度は以下の論文発表,学会発表を行った.今後も, これに加え国内,国際学会における発表や,論文誌への投稿を計画している.

講演

学会発表

おわりに

本ページでは,小型センサデバイスを用いた環境モニタリングシステムであるAiry Notesシステムについて述べた.Airy Notesシステムはドイツ カールスルーエ 大学によるuPartセンサモジュールを利用し,センサデータの収集やセンサの 屋外への容易な設置を実現するシステムである. 6月3日の新宿御苑100周年イベントの前後に,新宿御苑に内に160個のセンサを 設置し,本システムによる微気象観測を行った.実験では新 宿御苑が都市気候の特徴を緩和し周辺より温度が低く保たれる様子が観測され, イベント参加者の興味を引いた.

紹介したの新宿御苑での実験はAiry Notesシステムの最初の実証実験であり, 現在はSFCにおいて実験を継続しながら,システムの改良を行っている. それらを通じてデータの視覚化や解析手法を洗練させ,ユビキタスコンピュー ティング技術による環境モニタリング技術の確立につなげてゆく. 筆者は,来年度以降も慶應義塾大学において本研究を継続する予定であり,本 研究の今後の成果は,筆者の Webページにおいて発表する.