旧陸軍歴史遺産に関する研究

旧陸軍各務ケ原および明野飛行学校将校集会所の成立と変遷

慶應義塾大学大学院　政策・メディア研究科　後期博士課程

パリ国立工芸学院　技術史科　後期博士課程

前島　美知子　

MAEJIMA Michiko/　Doctoral Program, Graduate School of Media and Governance, Keio University and Doctoral Program of History of Technique, Conservatoire National des Arts et Métiers

Keywords：陸軍遺産、陸軍航空隊、将校集会所、フランス航空教育団

0、序

　明治から昭和にかけて建てられた旧陸軍の建造物は国内各地に残存しているが、建築史的に見て充分な価値評価がなされずに今日に至っている。老朽化に伴い解体の危機に瀕する建物も多く、それらの実態調査と評価が早急に求められている。本研究では、建築史・技術史的な価値を有し保全活用に値する旧陸軍の建造物や土木構造物を「陸軍遺産」と定義し、その事例を調査・検証することで陸軍が残した建造物の評価および位置づけを明らかにしていく。

本論文では、陸軍遺産の内でも特に旧陸軍航空隊に所属していた初期の将校集会所の建物を対象として、その建設の経緯、建築的特質、類型を明らかにしていく。大正8年（1919年）、旧陸軍は列強に遅れまいと、当時飛行機の軍用化に力を注いでいたフランスから約60名の航空教育団を招聘し、陸軍航空隊を設立する[i]。創設期の航空隊基地にはフランス航空教育団が頻繁に訪れ、一年以上基地に滞在して指導を行ったフランス人将校もいた。それに伴い、航空隊の基地も急速に整備が進められ、各基地の将校および貴賓の集う将校集会所も建設される。

本研究で取り上げる旧陸軍航空隊の将校集会所は、航空自衛隊岐阜基地[ii]内に現存する広報資料館（旧陸軍飛行第一大隊将校集会所）と、陸上自衛隊明野駐屯地[iii]内に現存する明野航空記念館（旧陸軍明野飛行学校将校集会所）である[iv]。これらの旧将校集会所の建物の歴史および変遷を追い、旧陸軍の航空隊創設期における将校集会所の建築的・空間的特徴を明らかにする。

1、各務ヶ原飛行隊と将校集会所

　岐阜県各務ヶ原には、明治9年（1876年）に旧陸軍砲兵演習場が設置されていたが、各務野（鏡野）と呼ばれていた平坦な地形が評価され、大正6年（1917年）に旧陸軍管轄の各務ヶ原飛行場が開設された。大正5年（1916年）9月19日受領記録のある、アジア歴史資料センター所蔵の『各務ヶ原飛行場敷地買収の件』に「約九萬六千坪ヲ以テ適当ト認メ候ニ付至急買収ニ着手（中略）買収實費三万八千四百円（略）」[v]とある。翌大正7年（1918年）には所沢の旧陸軍飛行第二大隊が各務ヶ原に移駐、今回の調査対象物件である旧将校集会所は大正9年（1920年）に建てられた。現在本建物は航空自衛隊岐阜基地内において、基地広報館および基地渉外室として使用されている。基地外から来訪者および見学者が訪れる際の窓口となる建物であり、周囲を木立が囲み、メンテナンスも行き届いた保存状態のよい建物である。

2、明野飛行学校と将校集会所

　旧陸軍明野飛行学校は大正9年（1920年）に伊勢神宮の北西約10kmに位置する現陸上自衛隊明野駐屯地の場所に開設され、伊勢市と小俣町の双方に跨る形となっている。終戦時には約500haの広さを有していたが、現在は約51haの敷地となっている。この敷地内に、大正11年（1922年）将校集会所が建てられた。

3、陸軍飛行隊創設期の将校集会所タイポロジー

　2章で取り上げた各務ヶ原の旧飛行第一大隊将校集会所には建物南東部に白いパーゴラと柱の立ち並ぶテラスがあり、3章の明野の旧将校集会所も建物正面に白いパーゴラと列柱を有する大きなテラスがある。各館に所蔵されている史料調査から、各務ヶ原においても明野でも、大正年間の将校および卒業生の記念撮影が白い柱のあるテラス前で行われているものが多く、白い列柱とパーゴラのあるテラスが創設間もない飛行部の象徴的デザインとして捉えられていた可能性がある[vi]。

各務ヶ原の旧将校集会所の南面テラスと同型の、細い木柱の立ち並ぶテラスは旧将校集会所を含む他の旧軍施設の建物にも多々見受けられる[vii]が、同将校集会所の南東部のものや、明野の旧将校集会所に見られる白い円柱とパーゴラを擁するテラスは、他の将校集会所においては見ることのできない独特のデザインであることから、列柱を中心とした建物についてはフランス航空教育団来訪による設計者への影響も考えられ、航空隊将校集会所の建物独自の意匠と位置づけることができる。

また、各務ヶ原や明野の旧将校集会所より建設年代が15年程下る、昭和10年（1935年）頃に建てられた旧熊谷陸軍飛行学校の旧将校集会所[viii]の改築以前の古写真との比較を行うと、白い柱とパーゴラを擁するテラスは存在するものの、細長い渡り廊下を兼ねたものであり、列柱も細くなっている。本研究対象建物である各務ヶ原と明野の旧将校集会所は、大正期の旧陸軍航空隊創設期における同一タイポロジーを指し示しているのがわかる。明治以来の和洋折衷の木造平屋のタイプを守りながら、テラスに示されるように、特にフランス・ドイツ・オーストリアに代表されるヨーロッパ建築の影響を部分的に受けている可能性がある[ix]。

4、結

　本論では、陸軍遺産の枠組みの中で、現存する大正期の建設になる旧陸軍航空隊創設期の将校集会所を二例取り上げた。各務ヶ原飛行第一大隊将校集会所と旧明野陸軍飛行学校将校集会所の比較を通して、以下の知見が浮かび上がってきた。

１．大正期のデザイン

基本的に木造であるが、明治期の標準設計[x]には当てはまらない、移行期のデザインである。尚、旧航空隊将校集会所のみならず、同時期の他の将校集会所にも当てはめられる[xi]。

２．特異な類型

明治末期の旧将校集会所建築から見られたバルコニー型[xii]のスタイルの流れを汲む。また、I字型（直線形）の建物形状からL字型への移行も見られる。

３．ヨーロッパ建築様式の影響

白い円柱とパーゴラを擁するテラスは、航空隊独特のデザインであることから、フランス航空教育団来訪に関連してヨーロッパの影響を受けた航空隊将校集会所の建物独自の意匠である可能性が示唆される。

４．皇族来臨による増築のメカニズム

本論では明野の旧将校集会所に貴賓室の増改築がなされているが、皇族来臨の際は、各基地内において貴賓の来訪時の受け入れ先となる将校集会所を増改築し、最高仕様のしつらえとして対応を行っていた[xiii]。

　本研究内の対象建築物はいずれも現在、陸上或いは航空自衛隊に所属しているが、これまでも駐屯地或いは基地内における建物のうち、建設年の古いものは特に、自衛隊の基地（駐屯地）整備によって多くが取り壊されつつある。今後、陸軍営繕組織を介した建築様式の伝播について更なる研究及び検証を進めつつ陸軍遺産としての旧陸軍飛行隊創設期の建造物の価値評価を内外に熟知させ、また保存活用へ向けてのアクションが必要とされている。

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註

[i] 参考文献7　1枚目　陸訓第四一號二参照

[ii] 岐阜県各務ヶ原市那加官有地無番地　航空自衛隊　岐阜基地

[iii] 三重県明野度会郡小俣町明野　陸上自衛隊　明野駐屯地

[iv] 陸軍航空隊創設期に当たる大正年間に建てられた旧陸軍航空隊将校集会所は対象建造物に挙げた2件のみである。

[v] アジア歴史資料センター所蔵　Ref.C02031899500、陸軍省大日記類　大日記乙輯 大正05年「各務ヶ原飛行場敷地買収の件」より一部抜粋

[vi] 両将校集会所の施工を請け負った現株式会社北川組の影響については、同社内史料調査及び参考文献2より、両建築を除いて同様の白い円柱を擁するテラスを含む建物は見つかっていない。

[vii] 事例：旧東京鎮台第8番大隊新発田駐屯地分屯営兵舎（現陸上自衛隊新発田駐屯地、明治7年（1874年）建設）、旧歩兵第二十三聯隊将校集会所（現陸上自衛隊都城駐屯地、明治41年（1908年）建設）、旧歩兵第５聯隊兵舎（現陸上自衛隊青森駐屯地、明治11年（1878年）建設）、旧野砲第4聯隊信太山北白川宮住居（現陸上自衛隊信太山駐屯地、大正8年（1919年）建設）等。

[viii] 埼玉県熊谷市拾六間839　航空自衛隊　熊谷基地内　御陵威クラブ

[ix]増改築時には各々テラス部分の改変を行っており、特にパーゴラについては双方とも組み替え工事を行っている。各務ヶ原においては昭和8年（1933年）の古写真内に、パーゴラまでは到達していないものの、つる性の植物が列柱に絡み付いているのが見える。また明野においては昭和15年（1940年）撮影の古写真にて、正面のパーゴラ脇に植えられた藤のような植物がパーゴラまで伸びて藤棚となっている。したがって、双方におけるパーゴラ部分の組み換えは木製パーゴラの腐食による工事であった可能性が考えられる。

[x]一般的な旧陸軍将校集会所のタイポロジーは、木造平屋、左右対称形を基本とし、和洋折衷、煉瓦基礎に下見板張りの建物である。註xi参照

[xi]　事例：旧陸軍野砲兵第４聯隊（現陸上自衛隊信太山駐屯地）内、旧将校集会所（大正8年（1919年）建設）

[xii] 事例：旧陸軍第64聯隊（現陸上自衛隊都城駐屯地）内、旧将校集会所（明治41年（1908年）建設）及び、旧陸軍野砲兵第４聯隊（現陸上自衛隊信太山駐屯地）内、旧将校集会所（大正8年（1919年）建設）

[xiii]　本論内既述の明野と都城の他に、皇族関係では、明治末期に北白川宮成久王の執務室として建設された信太山（註xxvii参照）の事例も挙げられる。