2006年度 森泰吉郎記念研究振興基金
研究者育成資金 修士課程 報告書
私的な支援関係による高齢者の「福祉」
〜ベトナム中部フエ市の事例から〜(改題)
政策・メディア研究科
修士課程2年 槌屋 洋亮
※ 研究タイトルを申請時より変更しました。ご了承ください。
報告概要
筆者は、急速に高齢化が進展する一方で、福祉政策の基盤が未整備であるベトナムにおける「福祉」のあり方についての研究を行っている。具体的には、福祉政策から除外される高齢者を主な対象として、彼らが頼れる私的な支援関係(Informal Support Network)が、何を拠りどころとして形成されているのかを明らかにすることを目的に、現地調査を続けている。今年度は、左記の問題設定に基づいた修士論文を作成することに、活動の力点を置いた。
研究内容
本研究では、ベトナムにおいて公的支援(国家による社会福祉)の対象から除外される高齢者が頼れる、私的な支援関係の役割について検討する。ベトナム中部フエ市においてフィールド調査を行い、60歳以上の男女30人へのインタビューデータを収集した。
急速な高齢化への対応が迫られるベトナムにおいて、高齢者へ提供される公的支援には、加齢を基準とした支援枠組みと、べトナム戦争への貢献を基準とした支援枠組みの2種類がある。漸増する高齢者人口に対して、支援対象を限定せざるを得ない現状では、多くの高齢者がアクセスできるのは、後者による支援枠組みである。一方で、戦争貢献者への支援枠組みは、対象者自身が戦争への貢献を証明することができなければ、対象とならない。つまり、戦争に貢献しなかった高齢者(元南ベトナム政府関係者)はもちろん、戦争へ貢献したことを証明できない高齢者までも支援の対象から除外されている。本研究の目的は、このような高齢者が頼れる支援関係が何によって形成され、それが高齢者が考える「福祉」(良い生活)を形成するのにどの程度の役割を果たしているのかという点に関して検討することである。
調査から、次の点が確認された。まず、私的な支援関係について、子供との関係、隣人との支援関係、そして宗教的な支援設備が確認され、それぞれの枠組みで衣食住と健康維持へのケアが行われている。そして、家族、宗教的な支援設備、隣人関係によって形成される、小規模かつ保守的な関係性が、高齢者自身が精神的にも「満足する」生活を達成するうえで一定の役割を果たしている。小規模かつ保守的な関係性とは、先行研究でいうところの「生活の方法としての儒教主義」、すなわち子供ー親、あるいは、施設メンバーと施設運営者の間での、お互いの義務意識に基づいた互助関係ともいうことができる。子供への義務として、親である高齢者は孫の世話や「一家の長」として振る舞う傾向にある。身より無く、1人で過ごす高齢者は、同じような境遇にある隣人と「不安」を共有する関係を形成し、兄弟姉妹の如くお互いの生活に責任をもっている。寺院で生活する高齢者は、毎日の掃除と商売(ドライピーナッツ作り)で施設の運営に貢献し、同じ収容者、僧侶との間で「まるで家族と一緒に過ごしているみたい」な関係を形成するのである。
この「小規模かつ保守的な関係性」はベトナムにおける伝統というよりは、長く続いた戦争時の混乱の中で、人々が生活してゆくうえで依りどころとなり、彼らの認識枠組みの中に根付いてきたものであることに特徴がある。戦争当時の南ベトナムは、北ベトナム軍、南ベトナム軍のみならず、民族解放戦線(National Liberation Front)、仏教徒など、様々な主体による戦闘/工作/暗殺/抵抗運動などが繰り広げられ、極めて混乱した社会状況にあった。その中で、人々が生活の依りどころとしていたのは、敵か味方か区別がつかない他者よりも、両親や兄弟姉妹といった近親者のみであったということは想像に難くない。 30人の高齢者の戦争体験で特徴的だった「近親を基盤とした生活単位を維持しようとしていたこと」「フエから離れ、各地を転々としていた人々は全員1975年にフエに帰って来た」という事実は、その当時を生きていた現在の高齢者の中に、家族への帰属意識を強く埋め込まれていたことを伺わせる。
実際に、ベトナムにおいて過去30年以上もの間にわたって続いた戦争状態は、その時代を生きて来た現在の高齢者の生活そのものを規定し続けている。彼らが考える「福祉」というものも、個別的かつ地域的文脈としての戦争体験から切り離して考えることはできない。30年以上続いた戦争は人々の意識をどのように変えたのか、あるいは変えなかったのか。そして、戦争によって形成された制度・社会・人々の意識は、その後の社会変化の中でどこまで残存し、人々の今の生活を規定しているのか。ベトナムにおいて高齢者が頼れる支援関係を観察するということは、上記の点を問うことにほかならないのである。
研究成果
上記の研究成果を、「私的な支援関係による高齢者の『福祉』ーベトナム中部フエ市の事例からー」というタイトルで修士論文にまとめ、本学政策・メディア研究科に提出した。また、2007年2月25日から27日にかけて開催された国際ワークショップ “Human Security in East Asia: Ideas and Practices” に参加し、25日に “Welfare” of the elderly by Informal Support Network - Cases from Hue City, Central Vietnam - というタイトルで研究発表を行った。本ワークショップへの参加は、今後の本研究の方向性を考えるうえで大変参考になり、刺激的であった。
助成金の使途
現地調査の際の渡航費等は、別途いただいた助成によって賄うことができたので、森基金からの助成金は、昨年10月に修復不能となったラップトップコンピュータを買い替える際の資金、および研究に必要な書籍、その他を購入するための資金に当てた。これらの資金によって、安定的に研究を遂行する環境を整えることができた。
以上