2006年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告
ウェブの空間性に注目したデジタル・アイデンティティの研究
加藤貴之 政策・メディア研究科 修士課程1年
takayuki at sfc.keio.ac.jp
2007年2月28日
研究の概要
eコマースやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)など,人のアイデンティティを活用したサービスがWeb上に多く登場している.
こういったサービスでは,情報空間上での人と人とのつながりが,実世界上にもそのまま反映されることが特徴である.
その基盤としては,アイデンティティ・マネジメントの技術,具体的には認証,実在証明といった道具がある.
ところで,上であげたような情報システムは本質的には物を売買する,情報をやりとりするといったような,Webの登場以前からあたりまえに行われている活動を情報空間へそのまま再現したものに過ぎない.
私はこれに対して,情報システムという道具を活用すれば,まったく新しいスタイルの社会的活動が可能になると考える.
そこで,本研究の目的はアイデンティティ・マネジメントの技術を活用することによって,人々のあいだに独特な社会的インタラクションを発生させる場を作ることである.
研究は具体的には以下の目標を持つ:
- 理論的基盤の構築: 社会学(社会システム論),哲学(現象学),経済学(経済史)などの文献購読,および既存のWeb上のアプリケーション,技術的研究の調査を通じて,技術とアイデンティティの関係を研究すること.
- 実践: 上で得られた知見をもとにして情報システムを設計,実装,運用して,そこで行われるインタラクションの質を評価すること.
本年度の成果
中西泰人助教授,小檜山賢二教授,萩野達也教授,服部隆志助教授などの指導のもとに研究を進めている.2006年度の成果を以下に報告する.
文献調査
まず理論的基盤を構築するために調査を行った.具体的には以下の文献群を精読し,その内容と本研究のテーマとのかかわりを研究室内で議論した.
- アイデンティティと資源流通
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- Baldoni, et al. (2005) Personalization for the Semantic Web, In in Proceedings of Cooperative Intelligent Agents, 2003.
- 金子 (2005) 『Winny の技術』, アスキー
- Golbeck, et al. (2003) Trust Networks on the Semantic Web, In Lecture Note on Reasoning Web 2005 summer school.
- ナレッジ・マネジメント
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- 野中郁次郎, 竹内弘高 [著], 梅本勝博 [訳] (1996) 『知識創造企業』, 東洋経済新報社.
- エティエンヌ・ウェンガー [他, 著], 櫻井祐子 [訳] (2002) 『コミュニティ・オブ・プラクティス: ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』, 翔泳社
- 杉山公造[編] (2002) 『ナレッジ・サイエンス』, 紀伊國屋書店.
- E. Aïmeur, et al. (2005) Personal knowledge publishing: fostering interdisciplinary communication, In Intelligent Systems, Volume 20, Issue 2, IEEE.
- 情報と著作権
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- 名和小太郎 (2004) 『ディジタル著作権: 二重標準の時代へ』, みすず書房.
- クリエイティブ・コモンズ・ジャパン[編] (2005) 『クリエイティブ・コモンズ―デジタル時代の知的財産権』, NTT出版.
- 社会システムにおける信頼
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- N. ルーマン[著],大庭健、玉村俊之[訳] (1990) 『信頼 ― 社会的な複雑性の縮減メカニズム』, 勁草書房.
- E. ゴッフマン[著], 丸木恵祐・本名信行[訳] (1880) 『集まりの構造 ― 新しい日常行動論を求めて』, 誠信書房.
- ネットワーク,ネットワーキング
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- B. Wellman (2001) Computer Networks As Social Networks, In Science, Volume 293, American Association for the Advancement of Science.
- 安田雪 (1997) 『ネットワーク分析 ― 何が行為を決定するか』, 新曜社.
- 金子郁容 (1992) 『ボランティア ― もうひとつの情報社会』,岩波新書, 岩波書店.
- 非資本主義社会
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- K. ポランニ[著],栗本慎一郎,端信行[訳] (2004) 『経済と文明』, ちくま学芸文庫, 筑摩書房.
- I. イリイチ[著], 玉野井芳郎,栗原彬[訳] (2005) 『シャドウ・ワーク』, 岩波書店.
コンセプトの導出
文献研究で得られた知見から,本研究の基盤となる社会モデル,それを実現する情報システムのモデルをそれぞれ理論化した.
「個人間の信頼に基づく交易活動」
「個人間の信頼に基づく交易活動」という社会モデルを導いた.このモデルを研究室内のレポートとしてまとめた:
「約束のプラットフォーム」
また,「個人間の信頼に基づく交易活動」を実現するための情報システムとして「約束のプラットフォーム」というコンセプトを構築した.このコンセプトを「グループウェアとネットワークサービスワークショップ2006」で発表した.以下はその概要である:
- 題
- Salarm: 人力目覚まし時計を介したソーシャルネットワーキングシステム
- 著者
- 加藤貴之, 中西泰人, 服部隆志, 萩野達也
- 発表場所
- グループウェアとネットワークサービスワークショップ2006, 2006年11月16日,伊豆.
- カテゴリ
- ポジションペーパー
- 概要
- 本論文では「約束のプラットフォーム」という新しいコミュニティ支援メディアのモデルを提示する.それ
は約束の連鎖を通じて貸し借り,手伝いといった,個人間の信頼に基づく経済活動を活性化させるモデルであ
る.さらに,このモデルの応用例である"Salarm"システムを紹介する.Salarm は目覚ましの約束を通じて
起こす,起こされるという関係を連続的に作り出すシステムである.
- 論文
- [PDF] kato-salarm-paper.pdf
- 発表資料
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プロトタイプとなるアプリケーションの作成
コンセプトの導出,洗練と平行して,実践的な活動を行った.具体的には「約束のプラットフォーム」モデルに基づく情報システムのプロトタイプを作成した."Salarm"と"BOZAAR"という二つのウェブアプリケーションを構築した.
手伝い市場"Salarm"
"Salarm"(サラーム)は手伝いという交易活動を活発に行うためのWeb上の労働市場である.
"Salarm"のプロトタイプを「グループウェアとネットワークサービスワークショップ2006」およびSFC Open Research Forum 2006 (ORF 2006, 2006年11月,東京)でデモンストレーションした.コンセプトについての評価を受けるとともに,システムの安定性を確認した.以下はORFでの発表概要である:
- Salarm: 経度と経度を結ぶ実存主義的ソーシャル・ネットワーキング・サービス
- 概要: 私たちはソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) 、特に「出会い」に興味を持っています。既存のSNSの人間関係観は固定的なので、新しい出会いがありません。これに対して私たちは、人間関係を動的なプロセスとして捉え、個人が具体的な行為者として世界に現れることが出会いのきっかけになる、というモデルを作りました。今回はその応用例として、人力目覚まし時計を用いたサービスをデモ展示します。
- [PDF] ポスター
"Salarm"のORF用プロトタイプのスクリーンショット
貸し借り市場"BOZAAR"
"BOZAAR"(ボザール)は貸し借りという交易を活発に行うための耐久財市場である."BOZAAR"は現在開発中で,2007年2月現在でモデル設計とモックアップの作成が完了している.秋学期の中西研究室最終発表会で"BOZAAR"のコンセプトを発表した.
"BOZAAR"のモックアップ
来年度の計画
本研究の来年度の計画につい述べる.まず"BOZAAR"を実装,運用して,成果をまとめる.つぎに"Salarm"と"BOZAAR"からモデルの抽象化を行い,「約束のプラットフォーム」を実装するためのライブラリを構築する.さらに,このライブラリを公開し,その汎用性およびそこから生み出されるインタラクションの質を評価する.最後に,2年間の成果を修士論文としてまとめて研究を終了とする.