2006年度 森基金報告書

代謝流束解析の回分培養への応用

 

要旨

同位体標識実験に基づいた代謝流束解析では,ガスクロマトグラフィー質量分析(Gas chromatography mass spectrometry; GC-MS)や核磁気共鳴によって測定した同位体標識情報を利用する.この従来方法は,連続培養のみ適応可能であり,産業的に重要とされる回分培養や半回分培養では,タンパク質構成アミノ酸の同位体標識情報を利用するため,本質的には適応することが出来ない.本研究では,キャピラリー電気泳動飛行時間型質量分析(Capillary electrophoresis time-of-flight mass spectrometry; CE-TOFMS)によって直接測定した細胞内中間代謝産物の同位体標識情報を利用する代謝流束解析の新しい方法論を提唱した.この手法の妥当性を示すため,連続培養で培養した大腸菌細胞の代謝流束分布を新規手法によって決定し,GC-MSで測定したタンパク質構成アミノ酸の同位体分布情報に基づいた従来手法によって求めた結果と比較した.これらの手法によって推定された正味の流束は極めて近い値を示したが,幾つかの交換流束係数では異なる値が推定された.交換流束係数に違いが生じた原因を,タンパク質構成アミノ酸とそのアミノ酸の前躯体中間代謝産物の質量分布の比較,及び交換流束係数の質量分布に対する感度の違いから明らかにした.また回分培養における細胞内中間代謝産物,遊離のアミノ酸,タンパク質構成アミノ酸の質量分布の経時変化を測定し,これらの情報の比較からAspThrTyrPheIleのタンパク質構成アミノ酸の質量分布に過去の代謝の影響が蓄積されていることを確認した.さらに中間代謝産物の質量分布から対数増殖期におけるにおける細胞内の代謝分布を推定し,本来適用不可能である従来方法によって推定した代謝流束分布と比較したが,2つの代謝流束分布に大きな違いは見られなかった.しかしながら,推定した代謝流束分布によってシミュレートされた質量分布と実測値との相関から,従来方法が妥当ではないことが示唆された.

 

キーワード : 代謝流束解析,同位体標識実験,回分培養,連続培養   CE-TOFMS      

 

 

 

 

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科

戸谷 吉博

Keio University Graduate School of Media and Governance

TOYA, Yoshihiro

 
Chapter 1
 序論

 

1.1微生物の産業利用

我々は,醸造や発酵など,古くから日常生活の至る所で微生物を利用してきた.近年では,遺伝子工学技術の進歩により,医薬品の生産など,我々にとって有用な特性を付加・強化した微生物も利用されている.また,現代社会では環境問題が広く取り沙汰されており,バイオエタノールや生分解性プラスチックなど,微生物に由来したエネルギー燃料や化学品の需要が急増している.このような有用物質の生産性の向上を目的とした代謝工学を行う上では,代謝流量のような細胞の生理機能や目的物質の合成に関係する代謝制御を理解することが必要不可欠である(Bailey, 1991).しかしながら,多くの場合,細胞内の代謝ネットワークは複雑であり,代謝の制御メカニズムの理解は困難である.そこで,生命をシステムとして捉えるシステム生物学に基づき,代謝の制御メカニズムを理解しようとする試みが注目を集めている(Arita et al., 2005; Kitano, 2002)

 

1.2代謝流束解析

代謝流束解析とは,直接観察することが出来ない,細胞内の代謝流束分布を定量的に推定し,細胞の生理機能や代謝の制御機構の理解を可能にする有効な手法である.代謝流束解析は,1970年代末にAiba and MatsuokaによってCandida lipolyticaのクエン酸発酵を例に提唱された(Aiba and Matsuoka, 1979).それ以来,多くの研究者によって,大腸菌,酵母,菌類のような微生物に加え,植物や動物細胞のような高等真核生物についても代謝流束解析が行われている(Roscher et al., 2000; Follstad et al., 1999; Fischer et al., 2004; Nissen et al., 1997; Christensen and Nielsen, 1999).代謝流束解析は,代謝反応の化学量論に基づいた解析である.しかしながら,解析が必要とされる代謝経路の多くは解が一意に定まらないシステムであり,解析に工夫が必要とされる(Table 1) C. lipolyticaの例では,解析対象経路が一意に解が定まるように仮定を加えている.また,Flux Balance Analysisでは,増殖を最大化するように制約条件を加えることで解析を可能とした(Edwards and Palsson, 2000)

 

また同位体標識実験に基づいた代謝流束解析では,標識情報を制約条件とすることで,under-determinedなシステムの取り扱いを可能にしている.同位体標識実験では,特定の炭素原子を標識した基質を用いて細胞を培養する.細胞に取り込まれた標識基質は,代謝経路を分岐や合流を繰り返し,細胞を構成するタンパク質に到達するため,このタンパク質を構成するアミノ酸には,経由してきた経路の情報が同位体標識情報として記録される.そこで,タンパク質構成アミノ酸が持つ同位体標識情報を測定することで,代謝流束分布の推定が可能になる.同位体標識情報の測定には,12C13Cの質量数の違いを測定するガスクロマトグラフィー質量分析(Gas chromatography mass spectrometry; GC-MS)やスピン結合の違いを計測する核磁気共鳴(Nuclear magnetic resonance; NMR)が利用されている(Shimizu, 2004) GC-MSは,各物質が持つ炭素原子のうち,幾つの原子が標識されているのか測定することが出来る.一方,NMRはスペクトルの形状から標識されている炭素原子の位置関係を測定することが出来る(Figure 1)

 

GC-MSNMRを利用したタンパク質構成アミノ酸が持つ同位体標識情報に基づく代謝流束解析は,2つの問題点を有している(Wiechert, 2001).第一に,この手法は連続培養による定常状態にのみ適応可能であり,産業的に重要とされる回分培養や半回分培養といった非定常状態における解析には適応することが出来ない(Wiechert and Nöh, 2005).タンパク質構成アミノ酸の同位体標識情報には培養が開始されてからサンプリングに至るまでの経緯が蓄積されている.従って,この情報を非定常状態における代謝流束解析に利用することは妥当ではない.第二に,この手法はタンパク質構成アミノ酸を測定するため,サンプルの前処理としてタンパク質の加水分解など複雑な前処理を必要とする.またNMRは測定に多量の試料を必要とすることに加え,測定条件を最適化するのが非常に困難であり,専門の技術を要する.GC-MSは,代謝産物の多くが不揮発性物質であるため,測定前にサンプルの誘導体化を必要とする.これらの問題を解決するため,低分子代謝産物を液体クロマトグラフィー質量分析(Liquid chromatography mass spectrometry; LC-MS)によって直接測定するという研究も行われている.van Winden等はLC-MSを用いて,代謝産物の同位体標識情報を測定し,酵母細胞の解糖系における代謝流束分布の推定を行った(van Winden et al., 2005).しかしながら,LC-MSによってイオン性物質を測定するためには,測定対象に応じたカラムの選択をする必要があり,複数の測定対象を一斉に測定することは困難である(大橋ら, 2006)

 

1.3メタボローム解析

近年,メタボロミクスと呼ばれる細胞内の低分子代謝産物の一斉定量が行われ(Hollywood et al., 2006),単なる細胞内の機能の観察だけではなく,疾患の発見,バイオマーカの探索,代謝工学における効果的な手法として注目を浴びている(Soga et al., 2006; Baran et al., 2006; Buchholz et al., 2002).メタボローム解析ではGC-MSLC-MSNMRの他にキャピラリー電気泳動質量分析(Capillary electrophoresis mass spectrometry; CE-MS)という技術が用いられている.CE-MSは煩雑な前処理なしに,細胞内のイオン性代謝産物の一斉定量を可能にする有効な技術である.CE-MSは極めて高い分離能を持ち,殆ど全てのイオン性代謝物質を直接測定できる(Soga et al., 2003).また,キャピラリー電気泳動飛行時間型質量分析(Capillary electrophoresis time-of-flight mass spectrometry; CE-TOFMS)と呼ばれる,CE-MSよりも高い感度と物質同定能を持つ新しい技術も開発されている(Soga et al., 2006)CE-TOFMSは従来の四重極のCE-MSに比べて,約65倍の感度を持ち,ミリマスレベルにおける違いを検出することが出来る.またCE-TOFMSでは,CE-MSと同様にハイスループットな定量解析が可能である.

 

1.4 CE-TOFMSを用いた代謝流束解析と従来手法の違い

従来,代謝流束解析はGC-MSNMRによって測定したタンパク質構成アミノ酸の質量分布を用いて行われてきた.一方,本論文で提唱する新規代謝流束解析手法では,CE-TOFMSで測定した遊離の中間代謝産物の質量分布を利用して代謝流束分布の推定を行う.Figure 2に2つそれぞれの手法の概念図を記載した. 細胞に取り込まれた基質は,代謝経路を通って代謝される.CE-TOFMSを利用した新規手法では,このようにして代謝された中間代謝産物の標識パターンを直接観察し,細胞内の流束分布を決定する.一方,GC-MSNMRを利用した従来手法では,一部の代謝産物がアミノ酸に同化され,細胞を構成するタンパク質として使われることを利用し,タンパク質構成アミノ酸の標識パターンを測定することで,間接的に細胞内の流束分布を決定する.

 

1.5 本研究の目的

本研究では,CE-TOFMSを利用した代謝流束解析の方法論の提唱し,産業的に重要とされる回分培養に適用する.先に紹介した,GC-MSNMRを利用した従来の代謝流束解析では,タンパク質構成アミノ酸が持つ同位体標識情報に基づいて代謝流束分布を推定するため,連続培養における細胞しか解析することが出来ない.そこで,CE-TOFMSが,細胞内の中間代謝産物を定量出来ることを利用し,中間代謝産物が持つ同位体情報に基づいて,代謝流束解析を行う.回分培養における,前躯体中間代謝産物,遊離のアミノ酸,タンパク質構成アミノ酸の同位体標識パターンの経時変化を比較し,回分培養に従来手法が適応できないとされる原因である,タンパク質構成アミノ酸の同位体標識情報の蓄積を調べる.そして,前躯体中間代謝産物,遊離のアミノ酸,タンパク質構成アミノ酸,それぞれの同位体標識パターンから代謝流束分布を推定し,どのような違いが生じるか明らかにする.
Chapter 2 同位体標識を利用した代謝流束解析

2.1 同位体標識を利用した代謝流束解析の原理

12C13Cでは質量が1.003異なるため,同位体によって標識されている炭素数の違いにより,代謝産物は異なる質量数をとる.すなわちN個の炭素原子から構成される代謝産物はN+1通りの質量数を持つ可能性がある.ある定常状態において各代謝産物がどのような質量分布を示すかは,次項で説明するように,細胞内の代謝流束の値から計算することが可能である.そこで細胞内の代謝流束の値から計算される代謝産物の質量分布が,質量分析で測定された代謝産物の質量分布と一致するように,流束分布を最適化計算手法である遺伝的アルゴリズムを用いて最適化する.

 

2.2 同位体表記モデルの表現法

まず,同位体標識情報を扱うにあたり,各物質における標識パターン毎の分布割合を同位体分布ベクトル(Isotopomer distribution vectorIDV)を用いて表記した.物質が持つそれぞれの炭素原子は,同位体で標識されているか否かの2通りであるため,代謝産物の標識パターンはbinary表記が可能である.例えば,炭素原子2つから構成される物質のIDVは,(1)式として表記した(Schmidt et al., 1997)

 

次に,反応による炭素原子の移動情報を同位体写像行列 (Isotopomer mapping matrixIMM)として表記した.IMMとは反応による炭素の移動情報をIDVに対応した行列として扱ったものである.IMMを作成するには,直感的に理解しやすい原子写像行列(Atom mapping matrix : AMM)を作成する必要がある.Figure 3のような物質Aから物質Bに変化する反応があったとする.炭素はそれぞれ2つで,物質A1番目の炭素が物質B2番目の炭素に,物質A2番目の炭素は物質B1番目の炭素に移動するとする.これをAMMで表現すると(2)式のようになる.列数は基質の炭素番号を表し,行数は生成物の炭素番号を表す.移動に該当する要素は1,それ以外の要素は0とされている(Zupke and Stephanopoulos, 1994)

 

作成されたAMMIDVに対応させたIMMとして扱うため変換を行う.(2)式のAMMからは(3)式のIMMを得ることが出来る.列数は基質の標識パターンを表し,行数は生成物の標識パターンを表す.(2)式のAMMの情報に従い,基質の炭素位置の移動を考慮した上で,ありうる炭素移動に該当する要素は1,それ以外の要素は0とされている.

 

このようにして定義したIDVIMMを利用して,各代謝産物のIDVの時間変化量を微分方程式によって表現した.Figure 4のモデルでは代謝産物CIDV(4)式として表現出来る.

 

モデルに含まれる全ての中間代謝産物のIDVについて,(5)式と同様に表現する.基質となる物質のIDVと各流束の値を固定すると,中間代謝産物のIDVは逐次代入法を用いて,算出する事が可能である.しかしながら,このようにして計算されたIDVは,質量分析により測定されたデータ(質量分布)と直接比較することが出来ない.これは質量分析では分子の重さの違いを識別することは可能だが,どの位置の炭素原子が標識されているか識別することが出来ないためである.そこで質量変換行列を利用し,IDVを質量分布ベクトル(Mass distribution vectorMDV)に変換する必要がある.例えば炭素が2つ,質量がMの物質については,(6)式の関係が成り立つ.質量変換行列を利用することで,標識パターン毎の比率から,質量数毎の比率に変換することが出来る(Wittmann and Heinzle, 1999).

 

2.3 実測データの補正計算

細胞内の中間代謝産物や誘導体化したタンパク質構成アミノ酸はHCONSiS原子から構成されている(Appendix 12).これらの原子は自然界に一定の割合で同位体が存在している(Table 2).そのため,GC-LC-CE-MSのような質量分析によって測定した物質の質量分布データには,このような天然同位体の影響が加わっている.しかしながら前項に記載した代謝流束分布からシミュレートした質量分布は,このような天然同位体の影響が含まれてない理論値である.そこで,実測値とシミュレーション値の比較を可能にするため,(7)式の補正を行った(Wittmann and Heinzle, 1999; van Winden WA et al., 2002).

 

例えば炭素原子の場合,a12Cの存在比率である0.9893b13Cの存在比率である0.0107となる(b = 1-a).また,nは補正対象原子の数である.

  

2.4 細胞外流束の算出法

細胞内の代謝流束分布を推定するために,あらかじめ解析対象経路から外部へ流出する流束の大きさを,制約条件として算出しておく必要がある.このような流束として,酢酸やエタノールなどの代謝副産物や,細胞自身の合成が該当する.代謝副産物への流束値は比基質消費速度と比生成速度を用いて(8)式として算出した.また,細胞合成への流束は,比基質消費速度,比増殖速度,前駆体使用量(Table 3)を用いて(9)式として算出した.

 

vextracellularは代謝副産物への流束,vbiomass,iTable 3i行目の前駆体がバイオマスの生合成に使用された流束,ρは比生成速度,νは比消費速度,μは比増殖速度,ciTable 3i行目の前駆体使用量を表した.

 

 

2.5 最適化対象

代謝流束分布は,化学量論によって制約されるため,幾つかの流束によって全体の分布を決めることが出来る.この流束をフリーフラックスとして,最適化の対象とした.また可逆反応は,正・負それぞれの流束を決める必要があり,交換流束を用いてそれぞれの決めた.交換流束は交換流束係数を用いて次の式で表現した(Wiechert et al., 1997)

 

viexchは交換流束を,またexchiは交換流束係数を表した.本解析においてb100とした.

 

2.6 代謝流束分布の評価

フリーフラックスと交換流束係数を最適化するために,フリーフラックスと交換流束係数から計算した質量分布のシミュレーション値と実測した質量分布の適合度を評価する必要があった.本研究において,(11)式を評価関数として最適化計算に利用した.

 

MDVimeasuredi番目の測定物質の質量分布,MDVisimulatedは質量分布のシミュレーション値,Nは測定した物質の数を表した.

 


2.7 代謝流束分布の推定法

Figure 5に同位体標識を利用して,代謝流束分布を推定するための計算手順を記載した.まず,最適化対象として,フリーフラックス及び交換流束係数を指定し,初期値を設定した.設定したパラメータセットから,化学量論に基づいて代謝流束分布を計算した.次に,この代謝流束分布における各物質のIDVを同位体バランス方程式により計算した.得られた中間代謝産物のIDVをアミノ酸のIDVに変換した(実測データが中間代謝産物の場合,この計算は不要).代謝流束分布を評価するため,IDVMDVに変換し,質量分析計で測定した質量分布との差を評価した.この評価値が十分小さな値になるように,パラメータセットの最適化を行った.この問題はパラメータの数が複数であり,局所解が多数存在するため,最適化手法として広域探索法の一つである遺伝的アルゴリズムを利用した(Schmitt, 2001)

 

Chapter 3 CE-TOFMSを用いた代謝流束解析

3.1 目的

本章では,CE-TOFMSによって測定した細胞内中間代謝産物の質量分布に基づいた代謝流束解析の妥当性を示すことを目的とする.連続培養において培養した大腸菌細胞について,細胞内中間代謝産物と細胞構成アミノ酸の質量分布をCE-TOFMSGC-MSを用いて測定し,それぞれの質量分布から代謝流束分布を推定し結果を比較する.

 

3.2 対象と手法

3.2.1 培養条件

同位体標識実験を行うため,E. coli BW25113 (lacIq rrnBT14 DlacZWJ16 hsdR514 DaraBADAH33 DrhaBADLD78)合成培地(48 mM Na2HPO4, 22 mM KH2PO4, 10 mM NaCl, 45 mM (NH4)2SO4, 4 g/l glucose)で連続培養した.また培地には1 mM MgSO4, 1 mg/ml thiamine, 0.056 mg/l CaCl2, 0.08 mg/ FeCl3, 0.01 mg/l MnCl2·4H2O, 0.017 mg/l ZnCl2, 0.0043 mg/l CuCl2·2H2O, 0.006 mg/l CoCl2·2H2O, 0.06 mg/l Na2MoO4·2H2Oを加えた.連続培養における希釈率は0.1 h-10.5 h-1について行った.培養はpHセンサー,溶存酸素濃度センサー,温度センサーを備えた2 l BMJ02-PI reactor (Able, Tokyo, Japan)で行った.排ガス中のO2CO2の濃度はOffgas analyzer (DEX-2562, Able)によって測定した.培養槽中の攪拌は500 rpmで行い,通気速度は1 l/minとした.またpHHClNaOHを加えることで,7.0に自動制御した.

 

3.2.2 同位体標識実験

同位体標識実験は定常状態到達後に開始した.定常状態はCO2の排気と細胞濃度が一定であることから判断した.培養槽に流加する培地に含まれていた4 g/lglucoseは,0.8 g/l[1-13C] glucose0.8 g/l[U-13C] glucose2.4 g/lglucoseに置き換えた.CE-TOFMS解析やGC-MS解析のためのサンプルは,二滞留時間経過後に回収した.

 

3.2.3 細胞外代謝産物の測定

細胞外流束の値を決めるために,培地中に含まれる細胞外代謝産物(エタノール,乳酸,酢酸,ギ酸,コハク酸,ピルビン酸,グルコース)の濃度を測定した.各細胞外代謝物の測定は,酵素法によって行った(F-kit, Roche Diagnostics)

 

3.2.4 GC-MSによるタンパク質構成アミノ酸の質量分布の測定

培養液中から250 ml回収し,4 ml6 M HClを加え,105℃で16時間,細胞を加水分解した.冷却後,遠心エバポレーターでサンプルを乾燥させた.乾燥させたサンプルを再溶解し,0.22-mm pore sizeのフィルターでろ過した.ろ過物を再び乾燥させ,1.5 mlのアセトニトリルに再溶解させた.サンプルを誘導体化させるため,80 mlのアセトニトリルに溶かしたサンプルに,等量のN-methyl-N-(tert-butyldimethylsilyl)-trifluroacetamideを加え,110℃で30分間熱した.冷却後,誘導体化したサンプルをTruboMass Gold mass spectrometer (Perkin Elmer, USA)によって測定した.測定はアミノ酸(Ala, Gly, Val, Ile, Pro, Met, Phe, Asp, Glu, Tyr)[M-57][M-159]のフラグメントイオンの質量分布を対象として行った(Dauner and Sauer, 2000)GC-MSの詳細な測定条件はSiddiqueeらの測定条件に基づいた(Siddiquee et al., 2004)

 

3.2.5 CE-TOFMSによる細胞内の中間代謝産物の質量分布の測定

培養液中から10 mlを回収し,0.45-mm pore size フィルターでろ過した.フィルター上の大腸菌細胞は20 mlの水で洗浄し,4 mlのクロロホルムと1.6 mlの水の中に入れた.水層のみを回収し,5-kDa cutoff フィルターを利用し,高分子化合物を取り除いた.20 mlの水に溶解し,CE-TOFMSで測定した.全てのCE-TOFMSの解析は,Agilent CE-Agilent G3250AA LC/MSD TOF system (Agilent Technologies, Germany)を組み合わせて行った.CE-TOFMSの詳細な測定条件はSoga(2006)の測定条件に基づいた.

 

3.2.6 代謝流束解析

 代謝流束解析のため,解糖系,ペントースリン酸経路,クエン酸回路,補充経路からなる化学量論モデルを構築した(Figure 6).本モデルにおける,最適化対象は2つのフリーフラックス(v8v10)8つの交換流束係数(exch2exch8exch13exch14exch15exch20exch21exch22)であり,仮定した流束分布から計算した質量分布が実験的に測定した中間代謝産物やアミノ酸の質量分布と最も一致するように最適化を行った.代謝流束分布はフリーフラックスと交換流束係数から計算された.最適化された流束分布は100回の独立した流束分布の推定結果から選択した.

新規手法では,CE-TOFMSで測定した細胞内代謝産物の質量分布を実験データとして利用した.一方従来手法では,GC-MSで測定したタンパク質由来のアミノ酸の質量分布を実験データとして利用した.質量分析計で測定した質量分布情報は前述した天然同位体に関する補正に加え,流加する培地を標識培地に切り替えてから,サンプリングまでの時間を無限大にするための補正を行った(Dauner, 2001).全ての計算はMATLAB 7.1およびGenetic Algorithm and Direct Search Toolbox 2.0.1 (Mathworks Inc., USA)によって実行した.

 

3.2.7 交換流束係数の変化に対する質量分布の感度解析

新規手法と従来手法における異なる特徴を明らかにするために感度解析を行った.解析対象とした交換流束係数の値のみを変動させ,それ以外のパラメータは新規手法で推定した流束分布に固定した.それぞれの交換流束係数は0から0.95の幅で変動させた.本解析では,CE-TOFMSで測定したG6PF6PF16PDHAP3PGPEPPYRRu5PR5PS7PaKGMAL,およびGC-MSで測定したAlaAspGluSerGlyValIlePheに関する質量分布の感度を解析した.

 

3.3 結果と議論

3.3.1 細胞内中間代謝産物とタンパク質構成アミノ酸の質量分布

Table 4にはCE-TOFMSで測定した希釈率0.1 h-10.5 h-1における細胞内代謝産物の質量分布を記載した.また同様に,Table 5にはGC-MSで測定したタンパク質構成アミノ酸の質量分布を記載した.中心炭素代謝経路における,幾つかの中間代謝産物は,アミノ酸の前駆体であることが知られている.そこでCE-TOFMSで測定した,アミノ酸合成のための前駆体代謝物質の質量分布と,GC-MSで測定した対応するアミノ酸の質量分布のフラグメントイオン([M-57]+)の質量分布の比較を試みた.この経路において3PGPYRaKGの炭素骨格は,それぞれSerAlaGluに引き継がれる.そこでこれらの物質について測定した質量分布を比較した.またOAAの炭素骨格はAspに引き継がれるが,現在OAACE-TOFMSで測定することができない.そこでOAAと似た質量分布を有すると考えられるMALAspを比較した.実測値の比較において,細胞内中間代謝産物とタンパク質構成アミノ酸では原子組成に違いがあるため,天然同位体の影響が生じないように補正した.Figure 7には希釈率0.1 h-1におけるこれら8つの物質の質量分布を記載した.Figure 7からは,3PGPYRaKGの質量分布の傾向は,SerAlaGluの質量分布と類似したことが分かる.またMALの質量分布の傾向はAspの質量分布とよく似ている.この結果から,予想通り前駆体代謝産物とタンパク質を構成するアミノ酸の質量分布似た値を示したことがわかった.しかしながら全ての比較において,アミノ酸のm0の割合は,代謝産物のm0の割合に比べて高かった.この現象は,タンパク由来のアミノ酸プールサイズと中間代謝産物のプールサイズの違いが原因と考えられる.細胞内物質のターンオーバーの速度はそのプールサイズ依存する.タンパク質構成アミノ酸のプールサイズは中間代謝産物のプールサイズに比べて大きいため,タンパク質構成アミノ酸のターンオーバーは中間代謝産物に比べて遅い(Yang et al., 2003; Ingraham et al, 1983).タンパク質構成アミノ酸のm0の割合が大きな原因は,ターンオーバーの遅さに起因するかもしれない.

 

3.3.2 代謝流束解析

各希釈率で連続培養を行った際の,培地中に含まれる,グルコース濃度,酢酸濃度,エタノール濃度,乾燥菌体重量をTable 6に記載した.これら結果から得られる,グルコース比消費速度,酢酸比生成速度,エタノール比生成速度,O2比消費速度,CO2比生成速度をTable 7に記載した.また,代謝流束解析に用いる細胞外代謝流束を算出し,Table 8に記載した.

同位体標識された中間代謝産物及びタンパク質構成アミノ酸は同じサンプル培養液から回収し,それぞれの質量分布をCE-TOFMSGC-MSによって解析した.Figure 8には新規手法と従来手法それぞれの代謝流束解析手法で推定した流束分布を記載した.二つの手法で推定された流束分布は,きわめて近い結果を示した.このことから,GC-MSで測定したタンパク質構成アミノ酸の質量分布と同様に,CE-TOFMSで測定した中間代謝産物の質量分布を用いて推定することが出来ることが示せた.更に代謝流束解析の確からしさを検証するため,推定された流束分布からシミュレートされた質量分布と,測定した質量分布を比較した(Figure 9)Figure 9の結果から,各希釈率において,シミュレートした質量分布と測定された質量分布は極めて一致していることが確認出来た.これらの結果は代謝流束の推定が成功したことを示唆している.

またYang(2003)によって,希釈率0.100.55 h-1の連続培養における野生株大腸菌の代謝流束分布が,NMRを利用した従来手法によって推定されており,その結果はFigure 8と類似した結果であった.この結果からも,本解析結果の妥当性は示された.

 

3.3.3 交換流束係数のための質量分布の感度解析

新規手法と従来手法を用いて推定した正味の流束には,高い相関を確認することが出来た.しかしながら,exch2を除く交換流束係数には違いが生じた(Figure 8).そこで新規手法と従来手法によって違いが生じた交換流束係数について,その原因を明らかにするため感度解析を行った.それぞれの交換流束係数を0.00から0.95の幅で変化させ,交換流束係数の変化に伴う中間代謝物質とアミノ酸の質量分布の変化をシミュレートした.代謝流束解析では,交換流束係数を含む未知変数の値を仮定し,その仮定した値を利用して代謝産物の質量分布をシミュレートする.シミュレートした質量分布と実験的に測定した質量分布は比較され,その違いは評価関数Jとして評価される.従って,もし交換流束係数の変化に対する,質量分布の感度が高かった場合,評価関数の変動幅が大きくなり,代謝流束解析における,その交換流束係数のパラメータ推定は容易になる.また感度を持った代謝物質の数もパラメータ推定の難易度と関係している.

Figure 10 Aからは,exch13の変化による影響が,解糖系とペントースリン酸経路に関係する中間代謝産物とアミノ酸の質量分布に現れていることが見られる.exch13と同様の特徴を,exch14exch15(Figure 10 B, C)にも見ることが出来た.これらの交換流束係数の変化に対して,質量分布が変化した物質は,CE-TOFMSで測定した中間代謝産物のほうが,GC-MSで測定したタンパク質構成アミノ酸よりも数が多かった.加えて,中間代謝産物の質量分布の変化は,タンパク質構成アミノ酸の質量分布の変化より大きかった.これらの結果はexch13exch14exch15については,従来手法より新規手法の方が,パラメータ推定が容易であることを示唆している.また,新規手法ではこれらの交換流束係数がG6PF6PF16PRu5PR5PS7Pの質量分布によって決められているのに対して,従来手法ではE4Pに由来するPheTyrの質量分布によって決められている.従って,新規手法と従来手法によって,これらの交換流束係数の値が異なった理由は,新規手法と従来手法それぞれに用いている同位体標識情報が違うことによって生じたと考えられる.

一方Figure 10 Dからは,exch21の変化に対する影響が,解糖系後半とTCA回路に関係する中間代謝産物(3PG, PEP, PYR, MAL)とアミノ酸(Ala, Asp, Ser, Gly, Val, Phe)の質量分布に現れていることが見られる.exch21と同様の特徴を,exch22 (Figure 10 E)にも見ることが出来た.これらの変化した物質に着目すると,前躯体中間代謝産物(3PG, PYR, MAL)の質量分布は,対応するタンパク質構成アミノ酸(Ser, Ala, Asp)の質量分布と異なることを3.3.1で確認した.その結果として,新規手法と従来手法によって,これらの交換流束係数の値は異なる値が推定されたと考えられた.これらの交換流束係数は異なる値が観察されたが,v21v22の正味の流束では,新規手法と従来手法で類似した値が推定された.

またFigure 10 Fからは,exch7の変化に対する影響が,CE-TOFMSGC-MSで測定した殆どの物質の質量分布に現れていないことが分かる.Zhao and Shimizu (2003)によると,エノラーゼ(本研究のexch7に該当)90%信頼区間が極端に大きいことから,信頼性が低いことが報告されている.本解析においてもexch7を決めることは出来なかった.

 

Figure 10 交換流束係数の変化が代謝産物の質量分布に与える影響.
交換流束係数を変化させた際,質量分布にどのような影響を与えるか,新規手法によって推定した希釈率
0.1 h-1における代謝流束分布を利用してシミュレートした.(A)exch13(B)exch14(C)exch15(D)exch21(E)exch22(F)exch7のシミュレーション結果を示した.またこの図では,質量分布の中でm0の変化のみを示した.

 

3.4 結論

本章では,CE-TOFMSで測定した細胞内中間代謝産物の質量分布を用いた,新規代謝流束解析手法を連続培養で培養した大腸菌細胞の中心炭素代謝経路に適応させ,従来手法で推定した代謝流束分布と比較することで,手法の妥当性を検証した.この新規手法は,タンパク質の加水分解やアミノ酸の誘導体化のような複雑な前処理を必要としないため,ハイスループットな解析を可能にした.前処理に必要とする時間は,従来手法が2-3日に対して,新規手法は約6時間しか必要としなかった.

加えて,新規手法では細胞内の遊離の中間代謝産物の同位体標識パターンに基づいて,代謝流束分布を推定するため,アミノ酸を炭素源とした培養においても適応が可能であると考えられる.また,細胞内の中間代謝産物のプールサイズは一般的に非常に小さく,ターンオーバー速度が速いため,上流の代謝物質の標識パターンの変化が,中間代謝産物のプールに迅速に反映される.そのため,この新規手法を回分培養や半回分培養に適応できることが期待できる.次章では,回分培養で培養した大腸菌細胞について,この新規代謝流束解析を適応させる.


Chapter 4 回分培養への代謝流束解析の応用

4.1 目的

これまで,回分培養で培養した細胞のタンパク質構成アミノ酸には,過去の代謝流束分布の変化が同位体標識情報として蓄積されるため,タンパク質構成アミノ酸の同位体標識情報として利用する従来の代謝流束解析は適応できないとされてきた.本章では,遊離のアミノ酸,中間代謝産物,タンパク質構成アミノ酸の質量分布の経時変化を測定し,それぞれの振る舞いを比較することで,この現象が実際の細胞内で,どのように生じているか確認する.また測定した中間代謝産物の質量分布情報から回分培養における代謝流束分布を推定する.加えて,遊離のアミノ酸,タンパク質構成アミノ酸の質量分布からも代謝流束分布を推定し,それぞれの代謝流束分布にどのような違いが現れたか考察する.

 

4.2 対象と手法

4.2.1 培養条件

E. coli BW25113を合成培地で回分培養した.合成培地は3章で行った連続培養とグルコース以外は同様の組成を用いた.グルコース濃度は10 g/lに変更し,その中の2.0 g/l [1-13C]glucose2.0 g/l [U-13C] glucoseとした.また培養槽中の攪拌を750 rpmに変えた.その他のセンサー類は3章と全て同様とした.

 

4.2.2 細胞外代謝産物の測定

細胞外流束の値を決めるために,培地中に含まれる細胞外代謝産物(酢酸,グルコース)の濃度を測定した.各細胞外代謝物の測定は,酵素法によって行った(F-kit, Roche Diagnostics)

 

4.2.3 GC-MSによるタンパク質構成アミノ酸の質量分布の測定

培養開始から46810時間目に培養液を250 ml回収し,3章と同様の前処理を行った.GC-MSの測定条件も同様にSiddiquee(2004)の測定条件に基づいた.各時間におけるタンパク質構成アミノ酸(AlaGlyValIleProMetPheAspGluTyr)[M-57][M-159]のフラグメントイオンの質量分布を測定した.

 

4.2.4 CE-TOFMSによる細胞内の遊離のアミノ酸,中間代謝産物の質量分布の測定

培養開始から46810時間目に培養液を回収し,3章と同様の前処理を行った.CE-TOFMSの測定条件も同様にSoga(2006)の測定条件に基づいた.各時間における遊離のアミノ酸と中間代謝産物の質量分布を測定した.測定のため培養槽から回収した培養液は,それぞれの時間で菌体の量が異なることから,順番に251043 mlとした.

 

4.2.5比速度の算出

測定した培地中の乾燥菌体重量(Dry cell weight; DCW),グルコース濃度,酢酸濃度の経時変化から,グルコース比消費速度(ν),酢酸比生成速度(ρ),比増殖速度(μ)の経時変化を(12)(13)(14)式によって算出した.

 

Xは菌体濃度(g/l)Sはグルコース濃度(mmol/l)Pは酢酸濃度(mmol/l)を表した.また,DCWの経時変化はODの経時変化からFigure 11によって得られたODDCWの関係式(15)式によって変換した.

 

4.2.6 代謝流束解析

培養開始から6時間目について,細胞内における代謝流束分布の推定を行った.解析には3章と同様の解糖系,ペントースリン酸経路,クエン酸回路,補充経路からなる中心炭素代謝経路のモデルを用いた(Figure 6).解析はGC-MSによって測定した細胞構成アミノ酸の質量分布を利用した場合,CE-TOFMSによって測定した遊離のアミノ酸の質量分布を利用した場合,CE-TOFMSによって測定した遊離の中間代謝産物の質量分布を利用した場合について,それぞれ代謝流束解析を行った.GC-MSCE-TOFMSで測定したそれぞれの質量分布情報は,前述した天然同位体に関する補正を行った.全ての計算はMATLAB 7.1およびGenetic Algorithm and Direct Search Toolbox 2.0.1(Mathworks Inc., USA)によって実行した.

 

4.3 結果と考察

4.3.1 培養結果

Figure 12OD,培養液中のグルコース,酢酸,溶存酸素濃度,排ガス中のCO2濃度の経時変化を記載した.Figure 12 Aに記載したODの経時変化から, 0から1時間目が誘導期,18時間目が対数増殖期,8時間目以降が定常期と判断できる.またFigure 12 BCに記載した培養液中のグルコースと酢酸濃度の経時変化から,グルコースを消費しながら酢酸を生産し,8時間目前後にグルコースを使い切った後,酢酸を基質とした代謝に変化している様子がFigure 12 BCに見られる.この現象はFigure 12 DEの培養液中の溶存酸素濃度と排ガス中のCO2濃度の経時変化でも確認出来た.すなわち,8時間目まではグルコースを消費して呼吸鎖を働かせるため,培養液中の溶存酸素を取り込んでCO2を排出していた.8時間目にグルコースを使い切った後,代謝が一時的に止まるため培養液中の溶存酸素は再び飽和状態に回復し,CO2の排出が低下した.8時間目以降は酢酸を消費するため,再び培養液中の溶存酸素を取り込んでCO2の排出が再開された.

 

4.3.2 比速度の算出

Figure 12 ABCから,グルコース比消費速度(ν),酢酸比生成速度(ρ),比増殖速度(μ)の経時変化を(12)(13)(14)式から算出した.各時間における微分値は,Figure 11のそれぞれのデータについてスプライン補間を行い算出した.Figure 13に算出したグルコース比消費速度,酢酸比生成速度,比増殖速度の経時変化を記載した.これらの情報は,4.3.4で代謝流束分布を推定する際に利用した.

 

4.3.3 遊離のアミノ酸,中間代謝産物,タンパク質構成アミノ酸の質量分布の比較

 培養開始46810時間目の各サンプルについて,CE-TOFMSを用いて中間代謝産物と遊離のアミノ酸の質量分布を(Appendix 34),またGC-MSを用いてタンパク質構成アミノ酸の質量分布を測定し(Appendix 5),それぞれの質量分布の経時変化を比較した.タンパク質構成アミノ酸の質量分布は[M-57]+誘導体化断片を用いた.また各質量分布データは,天然同位体の影響を補正計算によって取り除いた上で比較した.

 

(1) 3PG,遊離のSer,タンパク質構成Serの比較

Ser3PGを前躯体とするアミノ酸で,3PGの炭素骨格はSerに引き継がれる.そこで,3PG (3PG free),遊離のSer (Ser free),タンパク質構成Ser (Ser protein)の質量分布の経時変化をFigure 14に記載した.Figure 14では,3PG freeSer freeの質量分布の経時変化は非常に類似していた.しかし3PG freeSer freeの質量分布の経時変化は,Ser proteinの質量分布の経時変化と大きく異なった.

 

(2) PYR,遊離のAla,タンパク質構成Alaの比較

AlaPYRを前躯体とするアミノ酸であり,PYRの炭素骨格はAlaに引き継がれる.そこで,PYR (PYR free),遊離のAla (Ala free),タンパク質構成Ala (Ala protein)の質量分布の経時変化をFigure 15に記載した.3PG freeSer freeと同様にPYR freeAla free質量分布の経時変化は非常に類似していた.またPYR freeAla free質量分布の経時変化はAla proteinの質量分布の経時変化とも非常に類似していた.

 

(3) AspThrの比較

AspThrは共にOAAを前躯体中間代謝産物とするアミノ酸でありOAAの炭素骨格はAspThrに引き継がれる.そこで遊離のAsp (Asp free),タンパク質構成Asp (Asp protein),遊離のThr (Thr free),タンパク質構成Thr (Thr protein)の質量分布の経時変化をFigure 16に記載した.Figure 16からは,Asp freeThr freeの質量分布の経時変化が大変類似していることが分かる.また,Asp proteinThr proteinの質量分布の経時変化にも挙動の類似が見られた.しかしながら,遊離のアミノ酸とタンパク質構成アミノ酸の質量分布の経時変化の違いは,AspThrいずれにおいても観察された.2つのアミノ酸共に同じ傾向を示したため,この違いの原因は過去の代謝情報の蓄積によるものと考えられる.

 

(4) TyrPheの比較

Figure 16の比較と同様の現象は,TyrPheにおいても現れた.TyrPheは共にE4PPEPを前躯体中間代謝産物とするアミノ酸である.遊離のTyr (Tyr free),タンパク質構成Tyr (Tyr protein),遊離のPhe (Phe free),タンパク質構成Phe (Phe protein)の質量分布の経時変化をFigure 17に記載し,それぞれのデータを比較した.Figure 17からは,Tyr freePhe freeTyr proteinPhe proteinの質量分布の経時変化にも挙動の類似が見られた.しかしながら,遊離のアミノ酸とタンパク質構成アミノ酸の質量分布の経時変化の違いは,TyrPheいずれにおいても観察され,同じ傾向を示したため,この違いの原因も過去の代謝情報の蓄積によるものと考えられる.

 

(5) IleLysの比較

IleLysは共にOAAPYRを前躯体中間代謝産物とするアミノ酸である.遊離のIle (Ile free),タンパク質構成Ile (Ile protein),遊離のLys (Lys free) の質量分布の経時変化をFigure 18に記載し,それぞれのデータを比較した.なおタンパク質構成Lys (Lys protein)の質量分布は測定することが出来なかった.Figure 18からは,Lys freeIle freeの質量分布の経時変化は大変一致していた.またLys freeIle proteinの質量分布の経時変化は明確に異なっており,この違いの原因も過去の代謝情報の蓄積によるものと考えられる.

 

4.3.3 細胞内中間代謝産物の質量分布の経時変化

CE-TOFMSによって測定された遊離の中間代謝産物の質量分布の経時変化が,近隣の中間代謝産物の質量分布の経時変化とどのような関係にあるか理解を深めるため,代謝マップ上に記載した(Figure 19).まずG6Pの質量分布の経時変化に注目すると,48時間目までm0の割合は,僅かに6割を下回る値であり,これは培地に含まれる基質グルコースのm0の割合と一致した.また810 時間目においてG6Pm0の割合は減少した.4.3.1の培養結果より,本実験では8時間目まではグルコースを基質とした代謝,810 時間目は酢酸を基質とした代謝であることが分かっている.すなわち,8時間目までm06割であることは,培地から取り込まれたグルコースの影響であり,僅かに6割を下回ったのは,v2 (Phosphoglucose isomerase)の逆反応による影響と考えられる.また810時間目においてG6Pm0の割合が減少したのは,対数増殖期に生産した同位体標識入りの酢酸を炭素源として培地から取り込み,糖新生によってG6Pまで同化したことが原因と考えられる.またRu5PG6Pの質量分布の経時変化は大変一致していた.これはRu5PG6Pからのみ作られており,X5PR5Pからの逆行がないことを意味している.Ru5PR5Pの質量分布の経時変化は異なる傾向を示しており,その原因は,v13 (Transketolase)の逆反応の影響と考えられる.

次に,解糖系後半(3PGPEPPYR)の質量分布の経時変化に注目すると,m0の割合はおよそ7割である.培地から取り込まれたグルコースは解糖系において,3分子ずつに分かれる.培地に含まれるグルコースの標識パターンは6割が標識なし,2割が片端に標識,2割が完全に標識であったため,この分子を半分で開裂すると,標識パターンは7割が標識なし,1割が端に標識,2割が完全標識となるため,結果とほぼ一致する(Figure 20)

 


 

4.3.4 代謝流束分布

回分培養における培養開始6時間目について,代謝流束解析を行った.Figure 13に記載したグルコース比消費速度,酢酸比生産速度,比増殖速度から代謝流束解析に用いる細胞外代謝流束を算出しTable 8に記載した.中間代謝産物とタンパク質構成アミノ酸の質量分布は同じ培養液から回収し,それぞれの質量分布をCE-TOFMSGC-MSによって解析した(Appendix 35)Figure 21に新規手法と従来手法それぞれの代謝流束解析手法で推定した流束分布を記載した.2つの手法で推定された代謝流束分布は,正味の流束には大きな違いは見られなかった.

しかしながら,得られた結果の確からしさを検証するため,推定された代謝流束分布からシミュレートした質量分布と,実測した質量分布を比較したところ新規手法と従来手法には違いが見つかった.新規手法で推定した代謝流束分布は,実測した質量分布とシミュレートした質量分布が非常によく一致しており,代謝流束解析が正しく実行されたことが示されたのに対し(Figure 22 A),従来手法で推定した代謝流束分布は,Ser [M-57] +Tyr [M-57]+Met [M-159] +の実測質量分布とシミュレーション質量分布が大きく異なった(Figure 22 B)

新規手法によって推定された代謝流束分布の特徴は,解糖系とペントースリン酸経路の分岐比に連続培養における代謝流束分布と大きな違いが見られた.連続培養では取り込んだグルコースの内78割が解糖系,23割がペントースリン酸経路に流れたが,回分培養では4割が解糖系,6割がペントースリン酸経路に流れた.ここで連続培養と回分培養では,グルコースの取り込み速度が大きく異なることに注意する必要がある.すなわちグルコース取り込み速度に対する割合では,連続培養と比べて解糖系を通る流量は減少したが,絶対量に直すとTable 9のように高い希釈率(D=0.5 h-1)における連続培養に近かった.またペントースリン酸経路への流量が増加した原因として,回分培養の対数増殖期における細胞の増殖速度(μ=0.73 h-1)が連続培養実験に比べて速いことが挙げられる.そのため増殖に必要な還元力としてNADPHの需要が大きくなり,ペントースリン酸経路(v10)ではNADPHが作り出されるため,v10の流束が多くなったと考えられる.

 

4.4 結論

本章では,回分培養における細胞内中間代謝産物,遊離のアミノ酸,タンパク質構成アミノ酸の質量分布の経時変化を測定し,これらの情報を比較することで,AspThrTyrPheIleについて,タンパク質構成アミノ酸の質量分布に,過去の代謝の影響が同位体標識情報として蓄積されている様子を観察した.この現象はタンパク質構成アミノ酸の同位体標識情報が,連続培養以外の代謝流束分布の推定に利用できないとする要因であり,実際の回分培養において,その現象を確認することが出来た.

また中間代謝産物の質量分布から対数増殖期における細胞内の代謝流束分布を推定し,本来適用不可能である従来方法によって推定した代謝流束分布と比較したが,2つの代謝流束分布に大きな違いは見られなかった.しかしながら,新規手法では推定した代謝流束分布が,実測した質量分布を説明出来ているのに対して,従来手法では推定した代謝流束分布が十分に実測した質量分布を説明できていなかった.新規手法によって推定された代謝流束分布は,連続培養における代謝流束分布と異なったが,細胞がグルコースを取り込む速度が連続培養と比べて速いため,解糖系に流れる流量は絶対値に変換すると,高い希釈率における流量に近い値であった.また細胞の増殖速度が連続培養に比べて速いため,還元力としてNADPHを作る必要があり,ペントースリン酸経路の流量が大きな値であったと考えられた.

 

Chapter 5 展望

 

本研究では,CE-TOFMSによって細胞内中間代謝産物の質量分布を直接測定し,代謝流束分布を推定する代謝流束解析の新規手法を提唱した.またこの手法を,従来の代謝流束解析では適応することが出来ない回分培養における大腸菌細胞に適用させた.本実験では,対数増殖期中の培養開始6時間目における代謝流束分布の推定を行ったが,他の状態における代謝流束分布を推定することで,対数増殖期から定常期にかけて,どのように細胞内の代謝流束分布が変化するのかを明らかにしたい.特に,物質生産においては,増殖終了後に有用物質の生産を行うことが多く,増殖終了後の細胞内の生理状態を理解することが求められている.

また野生株の大腸菌は,グルコース枯渇後に酢酸を消費して代謝を行う.そこで酢酸を取り込めない欠損株(aceA遺伝子欠損株)について,細胞内中間代謝産物とタンパク質構成アミノ酸の質量分布を測定し,野生株と比較することで,定常期において,どのような代謝の変化が起きたのか推測したい.

 

謝辞

 

本研究を進めるに上で,慶應義塾大学先端生命研究所の石井伸佳研究員からは,数多くの適切な助言を頂いた.また石井研究員からは,研究の基本的知識から研究者としての在り方まで,多くのことを学ばせて頂いた.同大学院・政策・メディア研究科の平沢敬助手には,実験の指導をして頂いた.加えて平沢助手には研究の方向性を決める様々な有益な助言をして頂いた.同・先端生命研究所の那波幹氏,平井健太氏,本間雅之氏には培養実験,また同・先端生命研究所の菅原香織氏,五十嵐沙織氏にはCE-TOFMSの測定をお願いした.同・環境情報学部の中山洋一非常勤講師(アーティセル・システムズ代表取締役),同大学院・政策・メディア研究科の中東憲治助教授,同・環境情報学部の曽我朋義教授からは,研究全般に関して数多くの有益な助言を頂いた.九州工業大学情報工学部生命情報工学科の清水和幸教授には研究を進めるにあたり指導して頂いた.この場をお借りして感謝の意を表したい.

そして最後に,最高の研究環境を与えて頂いた慶應義塾大学環境情報学部長,兼同・先端生命研究所所長の冨田勝教授に感謝したい.

 

 

 


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