中国映画から見る「日本人」イメージ

―改革・開放以降を中心に―

 

政策・メディア研究科

GRプログラム

修士2年 張 輝

 

本研究の目的は、中国映画の中の「日本人」イメージに着目し、とりわけ改革・開放以来、どのような「日本人」イメージが中国映画に描かれたのか、そしてどのような変化があったのか、さらにその変化はどのような要因と背景がかかわっているのかを明らかにすることであ。

1980年代にはじまった改革・開放以前、中国映画の中の「日本人」イメージは、「日本鬼子」と呼ばれた「日本兵」のイメージであった。これらの映画では、残虐で愚かな「日本鬼子」が、中国共産党が指導した民衆に敗れたストーリーを繰り返し語っている。

改革・開放政策以降、日中間の経済、貿易さらに文化関係の深化に伴って、映画の中の「日本人」イメージに変化が起こった。もちろん、「日本鬼子」のイメージが簡単に後退したわけではないが、残留孤児、ビジネスマン、学者、エンジニアなどの人物像も出現するようになった。

1989年の「六四事件」以降、信頼危機に直面した中国共産党政権は、国民に対する求心力を再度強めるために、強い「外敵」としての「日本人」イメージを再強調し、「主旋律映画」を重要視するようになった。一方で、「社会主義市場経済」はそれまでの中国映画資金構造を変化させ、商業要素をより重視した「商業映画」が誕生した。こうしたなか、政府のイデオロギーに抵抗しないと同時に、観衆のニーズに応じ、興行成績を最大限に上げられる作品が映画の主流となった。こうした変化を背景に、この時期の映画の中の「日本人」イメージは一党支配の下の政治的特徴と市場に左右される経済的特徴のいずれにも投影されるようになった。

また90年代後半以降、民間や外国からの資本が大量に流入してくることによって、日本、台湾、香港、韓国からの俳優、監督、シナリオ・ライターなどが積極的に中国映画の製作に参与してきた。それによって、多くの日本人俳優が直接に中国の映画で「日本人」に扮することも可能になり、「現在」を舞台にした等身大の「日本人」イメージが見られるようになった。この新たな「日本人」のイメージは、ステレオタイプな「日本人」イメージを逆転させる力はまだないとはいえ、少なくとも抗日戦争映画で植えつけた日本人のイメージを希薄させる役割をはたしているといえる。