2006年度森泰吉郎記念研究振興基金
研究育成費 修士課程 報告書

被災地復興における個人の社会的可能性

国友 美千留
政策・メディア研究科 修士課程1年
InterReality Project


研究課題

被災地復興における個人の社会的可能性

大規模自然災害が頻発する昨今、高度に都市化した地域の災害に対する脆弱性が叫ばれて久しい。特に、阪神・淡路大震災以降、「防災」がビジネスや企業のコンプライアンス、コミュニティ運営においてある程度の地位を占めるようになった。しかしながら、依然として「防災」のコンセプトが社会に根付くには至っていない。改めて阪神・淡路大震災という事象の意味を問い直すと、災害に対してまったく無防備な状態であった地域が、災害の被害を真っ向から受けたケースが阪神・淡路大震災であった。そして、その被害から物理的・精神的にも立ち直ってきたということもまた、このケースが持つ社会的意味として挙げることができるだろう。現状では、「防災」が社会に根付くためには、震災の被害を真っ向から受けた被災地がいかに立ち直ってきたかという視点が必要である。無味乾燥な「防災」から、被災者の経験、生きた知識を取り入れた共感から始まる「防災」へ、コンセプトをデザインしていく必要がある。



研究成果

【社会システム理論による災害復興過程の捉え方】

本研究では、社会システム理論を唱える社会学者ニクラス・ルーマンの考え方を基本的な理論的素地に置き、社会において「災害からの復興」がどのような機能を持っているのかをコミュニケーションという観点から捉え、検討する。「復興」にまつわるコミュニケーションはどのように取り交わされてきたのか、また人々はいかにしてそのコミュニケーションに参加してきたのか、社会と個々人の意識の両レベルから俯瞰する。
本研究は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災を事例としている。阪神・淡路大震災の被災中心地である神戸市中央区で生起する事象を事例に、災害発生後の被災地域と日本社会とをとりまく社会的事象を、「治癒」と「防災」という異なる2つの観点から見たコミュニケーション・システムとしてとらえ、災害発生後の社会の有り様を明らかにする。%また、被災によって家族を亡くした「震災遺族」と呼ばれる人々を対象にライフストーリー・インタビューという手法を用いてインタビュー調査を行い、被災者の持つ主観的現実を描写する。コミュニケーションという観点から社会をとらえ、「治癒」と「防災」、2つの視座を提供する社会システム理論と、個人の主観的現実をインタビューによって描き出すライフストーリーとの併用は、「システム的アプローチ」と「質的研究」と呼ばれる双方の社会科学の調査手法に、新たな視座を提供するものと考えられる。



図1:2つのアプローチ-社会システム理論とライフ・ストーリー-


田中および深谷は、「世界にリアリティを与えるのは主体による「意味づけ」であり、意味づけられた情況こそが当人にとっての現実なのである」と述べている。物事に対するこのような「意味づけ」は、他者との社会的関係のなかでかたちづくられ、他者のそれと絶えず相互作用を及ぼしあっている。それに倣い、他者とのこの相互作用を広い意味での「コミュニケーション」と定義する。
システム理論を社会学に応用したニクラス・ルーマンは、社会を、瞬時に立ち消えてしまう「コミュニケーション」で構成される総体とみなし、それを「社会システム」と定義する一方で、人間個人の心・意識を「心的システム」とし、社会システムと区別している。社会を構成する要素は個人や組織など行為の主体であると考えがちだが、ルーマンの社会システム理論では、社会の構成要素を「コミュニケーション」と捉える点が特徴的であり、まさにこの点において、意味づけ論との接点を見いだすことができる。
以上を踏まえ、阪神・淡路大震災の社会的機能について考えてみると、震災は社会に2つのコミュニケーション・システムをつくり出したと捉えることができる。その一方が「防災システム」、他方が「治癒システム」である。「防災」、「治癒」という意味づけは、他者とのコミュニケーションのなかで社会的につくり出され、「防災」、「治癒」についてのコミュニケーションが連鎖し、つながっていくことでそれぞれのシステムをかたちづくるのである。


【防災システムと治癒システムの提唱】

災害が発生すると、建物が崩壊したり街並みが跡形もなく破壊されているような悲惨な情景や被害の深刻さについての情報が、マス・メディアをつうじていっせいに、繰り返し伝えられる。災害を直接的には体験していない多くの人々は、こうした情報を目撃することで、その光景の恐ろしさとわが身に降りかかってきたときの恐怖を想像し、「不安」を喚起させられる。防災システムでは、こうした「不安」を要素に次々と「起こるかもしれない、未来の災害のための防災」についてのコミュニケーションが連鎖していく。阪神・淡路大震災以後、家屋の耐震化設計の導入の意識を喚起するコマーシャルが年々普及し、今ではごく一般的に需要されるものとなっている。このことは防災システムのコミュニケーションのありようをよく示している。
被災コミュニティの外部では、震災の出来事に「防災」という社会的意味づけがなされる一方、被災コミュニティの内部においては、震災によってできた深い傷を癒す方向へ震災が意味づけられていく。震災についての実体験を持つ人々は、時間の経過に伴って自らや他者の持つ喪失体験に意味づけを行い、被災を通じて芽生えた新たな価値観や取り組みを通じて、被災によって負った傷を癒していく。%これが治癒システムの作動である。 治癒システムにおいて重要なことは、被災よる悲しみや深い心の傷、喪失体験に対して、「共感」するということがコミュニケーションの源泉となり、被災地の復興に還元されるような活動や取り組みが肯定されながらシステムが作動しているという点である。%この治癒システムの作動を、コミュニケーションを支えるコミュニケーション・メディアの具体例とライフストーリーというインタビューに基づく結果を交えながら説明する。


【共感を育むメディア】

災害が人々の不安を喚起するたび、防災にまつわるコミュニケーションは次々と連鎖する。こうした点を鑑みると、防災についてのコミュニケーションは、治癒システムと比較しても維持しやすいコミュニケーションであることがわかるだろう。しかしながら、防災コミュニケーションの連鎖は、災害の発生に伴って生まれたコミュニケーションの一種ではあっても、被災地が受けた傷を癒し、復興することに直接つながるコミュニケーションの類ではない。災害の被災地が復興してゆくためには、治癒システムの存在が不可欠なのである。
ニクラス・ルーマンは、システムにおけるコミュニケーションの連鎖を維持する働きを持つものをコミュニケーション・メディアと定義し、経済システムにおける貨幣や宗教システムにおける信仰などを例に説明している。ルーマンの考え方を援用すると、治癒システムにおけるコミュニケーション・メディアは、被災の体験に対する「共感」であると考えられる。震災が発生した1月17日に毎年行われる追悼イベントや、被害や人々の想いを刻んだモニュメントは、こうした「共感」のコミュニケーションを支え、繋いでいく役割を担っているのである。震災によって家族を失った「震災遺族」を対象に行ったライフストーリー・インタビューでは、阪神・淡路大震災のモニュメントである「1.17希望の灯り」について、「どういうわけか灯には、みんな想いいれがある」「震災が起こったとき、電気もない真っ暗闇のなかで、灯りをたよりに身を寄せ合っていた、その当時を思い起こさせる」という声が多くあった。



本年度の研究成果発表

【学会発表】

  • 国友美千留, 井庭崇, 「震災復興の社会システム学-治癒のコミュニケーションを支えるメディアの可能性」, 社会・経済システム学会 第25回全国大会 2006年10月14日(土)・15日(日), 神戸大学 報告要旨. 発表資料.
  • 国友美千留, 井庭崇, 「震災復興の社会システム学」, 第79回 日本社会学会 大会 2006年10月28日(土)、29日(日), 立命館大学 報告要旨, 発表資料.
  • Michiru Kunitomo, Takashi Iba, Hideki Takayasu, "Building a Simulation Model of the Currency Basket Peg System", CIEF 2006 (The 5th International Conference on Computational Intelligence in Economics and Finance), October 8-11, 2006, Kaohsiung City, Taiwan :report, handout.




    フィールド調査対象団体・企画

    【団体・アクター】


    【企画・フィールド】

    ※なお、研究遂行の関係で申請時における研究テーマ「被災地復興における個人の社会的可能性」という具体的研究から、テーマを 多少変更しました。研究課題に変更はありません。

    Michiru Kunitomo(piyo@...)