序論


インフルエンザウイルスはヒトをはじめとした脊椎動物に感染する1本鎖RNAウイルスであり,自身のmRNAに対して宿主細胞中で選択的な翻訳の促進を行うことが知られている(Gale and Katze,2000).インフルエンザウイルスmRNAの翻訳は宿主細胞の翻訳機構によって行われるため,このウイルスの行なう選択的な翻訳制御はインフルエンザウイルスmRNAと同様の特徴をもったヒトmRNAについても同様に機能することが考えられる.インフルエンザウイルスの翻訳制御はGuanine rich sequence factor 1 (GRSF-1) というRNA結合タンパク質がインフルエンザウイルスmRNAの5’非翻訳領域(Untranslated Region;UTR)に存在するGRSF-1認識配列(5′-AGGGT-3′および5′-AGGGGT-3′)を認識し結合することで機能していることが報告されている(Garfinkel and Katze, 1992). このGRSF-1がインフルエンザゲノムではなく宿主側のゲノムにコードされたタンパク質であることから,そもそもこのGRSF-1とその認識配列による制御はインフルエンザウイルスに関係なく宿主で創造された機構であり,インフルエンザウイルス非感染下の宿主細胞において選択的な翻訳の促進制御の役割を担っているという可能性が考えられる.この仮説に基づけば,インフルエンザウイルスで明らかとなったGRSF-1とその認識配列による翻訳の促進機構は,高等脊椎動物に感染したインフルエンザウイルスの一部が突然変異によってGRSF-1の認識配列をもつようになり,より効率的に自己を複製できることから集団の中で選択され進化した結果である.本研究ではこの仮説に則り,ヒトmRNAの情報解析を行なうことで,ヒトにおいてGRSF-1とGRSF-1認識配列による翻訳制御が行われている可能性を検証することを目指した.もし宿主でもGRSF-1による制御が行われていれば,GRSF-1の認識配列はインフルエンザウイルスmRNAの5′UTR上だけでなく宿主mRNAの5′UTR上にも,GRSF-1によって認識されるための条件を満たして存在するはずである.また,制御の役割を担っているのであれば,制御に関係のない配列よりも強く保存されていることが考えられる.以上の観点からヒトmRNAの5’UTRにおけるGRSF-1認識配列の出現を観察することとした.また,GRSF-1認識配列が5bpまたは6bpと短いことから選択的な制御を行なうには配列だけでなく5’UTRにおいて配列の存在する位置も重要であると考え,GRSF-1認識配列の存在数と5’UTR上の出現位置の関係を解析することとした.ここで,インフルエンザウイルスでのGRSF-1による翻訳制御の研究からは,GRSF-1認識配列は5’端から10bpほど下流に存在し,そこに結合したGRSF-1がmRNAの5’端に存在するキャップ構造およびキャップ構造と相互作用する翻訳開始複合体に作用することで翻訳の促進を行うというモデルが提唱されている(Gale and Katze,2000).従ってヒトmRNA上で機能するGRSF-1認識配列には5’から比較的近い位置に存在する必要があると考えられる.本研究では5’UTR上の位置ごとにGRSF-1認識配列の出現数を調べた結果,ヒトmRNA上にこのような条件を備えたGRSF-1認識配列が存在することを明らかとなった.


Ref:
Gale, M.,Jr, Tan, S.L., and Katze, M.G. (2000). Translational control of viral gene expression in eukaryotes. Garfinkel, M.S., and Katze, M.G. (1992). Translational control by influenza virus. Selective and cap-dependent translation of viral mRNAs in infected cells. J. Biol. Chem. 267, 9383-9390.