2007年度森基金報告書
政策・メディア研究科博士課程3年 元木 悠子
わが国は、京都議定書で定められた温室効果ガスの削減目標（1990 年度比6％削減）を達成するために、地方自治体レベルでの、再生可能エネルギーや省エネルギーの取組みを促す必要がある．本研究は、エネルギーシステムの最適化分析モデルMARKAL（Market Allocation）を用いて、自治体のエネルギーに関する中長期計画を策定するための具体的な手法を提案する．はじめに、既存の入手可能な統計資料とエネルギーモデルを効果的に組み合わせ、地方自治体のエネルギーシステムをモデル化し、地域がエネルギー計画の策定・実施を進めていく上での効果的な方法を開発した．次に、上記モデルをいくつかの地域に適用し、自治体レベルでの温室効果ガス削減に向けた取組みの現状を評価した．本モデルでの分析作業を通じて、各地域のエネルギー需給の現状、及び、将来想定される環境制約の下での再生可能エネルギーの導入可能性について議論することにより、それぞれの地域が持続可能な取組みを進めるにあたっての課題や自治体の果たすべき役割について提言することができる．
わが国における温暖化防止を目的とする地域レベルのエネルギー計画には、「地球温暖化対策法」に基づく「地球温暖化対策地域推進計画」、新エネルギー・産業技術総合開発機構が策定を支援する「地域新エネルギービジョン」、「地域省エネルギービジョン」などがある．しかしこれらの多くは、目標年度における削減目標を示すにとどまり、目標に至る道筋や、各主体が各時点でとるべき行動が何であるか、対策がどの程度進捗しているのかなどが示されずにいる．そして多くの自治体において、目標年度を間近にその実現が極めて困難であることが明らかになった際、未達部分の十分な検証なしに次の新たな目標が定められるという事態が繰り返されている．今後、自治体レベルで具体的なエネルギー計画を策定する際には、エネルギーモデルを用いての合理的なシナリオ作成が不可欠であるが、現状では、有効なツールとして地域に適用できるエネルギーモデルが見当たらない．
一方、海外に目を転じると、ALEP（Advanced Local Energy Program）と呼ばれる注目すべき取組みがある．ALEPは、国際エネルギー機関（International Energy Agency: IEA）の実施協定に基づく共同研究（IEA program for Energy Conservation in Buildings and Community Systems, Annex 33）であり、トリノ市、マンハイム市、イェーテボリ市など具体的な地域を対象とするエネルギーモデルを用いたケーススタディが実施されている．しかし、これをわが国で進めようとしたときに大きな制約となるのが、モデル化の前提となる情報の獲得である．熱や電力供給事業者が地域レベルで存在し、エネルギーの地域集約的運用（地域冷暖房など）に実績がある欧州に比べ、国内地域を対象とするエネルギー統計や分析に必要となる各種情報が十分でないわが国において、人員や予算に制約のある自治体が統計の整備等を単独で行うことは容易なことではない．温暖化対策の先送りがもはやできない状況にあって、地域のエネルギー計画策定を促すにはいかなる方策が必要とされるのであろうか．
そこで、本研究では、既存の利用可能な統計情報を用いてわが国自治体のエネルギーシステムをモデル化する．本地域モデルは各自治体に関する1990 年から2050 年までのエネルギー需給の推移を描く．そして、現在の政策の下での基準シナリオ（reference scenario）の分析の他、CO2 排出総量や排出量当たりのコストに制約を課したシナリオ、あるいは、政策目標を取り入れたシナリオ（alternative scenario）を分析することを可能とする．これにより、政策の実現に向けての現状がどの程度であるかについての現時点での検討材料を示すことができる．以下にモデルの特徴を2点示す．
（1）既存統計の活用
第一の特徴は既存統計の活用にある．エネルギーに関する代表的な統計としては、「総合エネルギー統計」（資源エネルギー庁)や「エネルギー・経済統計要覧」（日本エネルギー経済研究所)があるが、いずれも国を対象とするものである．一方、自治体を対象とするものには「都道府県別エネルギー消費統計」（経済産業研究所)あるいは各種計画・ビジョンの中で自治体が独自に推計するものに限られる．自治体固有のこれらの統計は、事業者統計や需要特性に関する情報を反映しやすい反面、推計法の根拠や調査年次のバラつき、データ入手が容易でないなどのデメリットがある．そこで、本研究では、モデルの汎用化及び同一条件下での複数自治体の分析を行うことに適しているとの観点から、「都道府県別エネルギー消費統計」を用いることとした．本統計は、「総合エネルギー統計」の最終消費部門を地域分割し、各都道府県のエネルギー消費量を推計したものである．「行」には産業、業務、家庭、輸送の各部門が位置づけられ、「列」には石炭、石油製品、電力などのエネルギー種が位置づけられている．本研究では、産業、業務、家庭の各部門について、「都道府県別エネルギー消費統計」をもとにエネルギーモデルとの接続のための部門再編をした「地域エネルギーバランス表」を作成した．なお、輸送部門については、「都道府県別エネルギー消費統計」の分析対象が自家用乗用車のみであることから、乗用車、バス、トラック3
部門について燃料種別保有台数に基づく簡易モデルを構築し、独自の集計を行った．
（2）既存モデルの活用
第二の特徴はMARKAL 日本モデル（佐藤2005)の活用にある．MARKAL 日本モデルは、エネルギーの供給から需要に至るエネルギーフローを約500 の技術要素で表現した技術積み上げ型（ボトムアップ型）モデルである．エネルギーシステム構成や技術個々の変数を変化させることにより、将来にかけての様々なシナリオを設定し、エネルギーシステムを分析・評価することができる．本研究では「地域エネルギーバランス表」から得られる燃料種別エネルギー消費量の情報を原研モデルで用いられている技術特性データと対照させることにより1990 年から2050 年までの地域モデルを構築した．なお、国モデルの場合には、エネルギー源の採掘から精製、転換、輸送、需要家の最終消費に至るエネルギーシステムを表現するのが適当である．しかし、地域を分析対象とする場合、エネルギー輸送の地域分割が困難である問題もあり、システム全体を追うことは現実的でない．そこで、本研究では、産業、業務、家庭、輸送のエネルギーの最終消費段階に特化したモデルを構築した．
エネルギーシステムの最適化分析モデルMARKAL（Market Allocation,市場配分）は、1970年代末に欧米の研究者を中心に開発が始まった．1981年、IEA及びわが国を含む21カ国は、エネルギー研究開発の長期戦略の策定を目的とする実施協定に署名し、「エネルギー技術システム分析計画」（Energy Technology Systems Analysis Program: ETSAP）を発足させた．以来、IEA/ETSAPは、実施協定附属書（Annex）の下にMARKALなどエネルギーシステム分析手法の改良・拡張を行っている．1990年のAnnex�鍵聞澆蓮�CO2の長期的な排出削減方法と費用に関する評価を中心課題とし、気候変動に関する国際貢献を目的とした分析活動を展開している．現在、わが国を含む世界の約60 カ国で利用されており、最近では、IEA の”Energy Technology Perspectives ”（2050 年のエネルギー技術の潜在的可能性に関する報告書）の基準モデルとしても利用されている．
MARKALモデルは、汎用化、長期化、ボトムアップ型にモデルの特徴があり、1 国1
地域あるいは複数地域のエネルギーシステムを分析対象とする．また、MARKALモデル線形計画法（Linier
Programming）を用いて、所与のエネルギーサービス需要を満足する上での最適なエネルギー、エネルギー技術を、個々のエネルギー市場での競合過程を経て決定するモデルである．最適化前はエネルギー種や技術に関する多数の選択肢が存在するが、最適化後は、エネルギー種や技術の一つ一つについて、取引量（導入量）と限界生産費用（潜在価格）が同時に決定する．なお、最適化の結果に不適当・非現実的な部分があれば、入力データを修正して最適化計算を繰り返す．
わが国におけるMARKAL モデルの取組みは1970 年代にさかのぼる．ETSAP 発足当時、通商産業省所管下の電子技術総合研究所（現、産業技術総合研究所）と科学技術庁所管下の日本原子力研究所（現、日本原子力研究開発機構）がこの活動に参加した．両機関は、わが国のエネルギーシステムをモデル化するにあたり、電子技術総合研究所が需要部門及び最終消費部門を担い、日本原子力研究所がエネルギー転換部門等その他を担った．ただし、1980 年代末のAnnexIII への参加を最後に、通商産業省がETSAP 参加を取りやめたことから、AnnexIV 以降は、日本原子力研究所がMARKAL モデルの開発に取り組んでいる．
日本原子力研究所は、AnnexIV の活動において需要部門を新たにモデル化するとともに、エネルギー技術に関する独自のデータベースを構築した．その後、前提条件の見直しや分析期間の拡張、CO2 の回収・投棄などの技術オプションの追加を行うなどして、MARKAL日本モデル（以下、原研モデルと呼ぶ）を維持・管理している．今日、原研モデルは、ETSAP下の活動のほかにも、2004 年11 月の日本原子力産業会議の報告書「2050 年の原子力：ビジョンとロードマップ」の分析モデルにも利用されている．
原研モデルは、1990 年から2050 年までを分析期間とし、31 のエネルギー源、91
のエネルギー種、35 の発電・熱供給施設、104 のエネルギー変換・貯蔵・送電技術、178
の最終消費技術、38 の需要部門からなる．エネルギーサービス需要の単位には、素材型産業に生産量（100
万トン）、輸送部門に輸送量（10 億人キロ、10 億トンキロ）、その他部門に有効エネルギー量（PJ）を与えている．環境排出に関しては、CO2（億トン）を計量している．
本研究では、上記の原研モデルのエネルギーの最終消費段階（最終消費技術と需要部門)に特化したMARKAL地域モデルを構築した．本モデルは、20のエネルギー種、155の最終消費技術、35の需要部門で構成される．本モデルは、原研モデルの基準エネルギーシステムの最終消費段階をダウンスケールしたものであり、技術パラメータの多く（効率、稼働率、入力エネルギー、出力需要、建設単価、CO2排出係数、導入開始時期など）は国と同一に推移すると仮定し、原研モデルの値を用いている．ただし、原研モデルの最終部門のうち、鉄道・船舶・航空などの輸送部門の9区分、23技術については、地域分割が困難であるなどの理由から、地域モデルの構成要素から除いている．モデルの分析期間は、国モデルと同様、1990年から2050年までの1期5年、13期とする．また、TJ（10＾12 Joule）、MW（10＾6 Watt)を基本単位とし、CO2排出量の原単位にはkt-CO2/TJを与えた．なお、CO2は、エネルギーの最終消費段階で算出している．
本地域モデルは、エネルギーシステムの前提条件となる社会経済指標や技術要素の多くの部分を原研モデルに従っているが、最終消費技術及び需要部門の変数のいくつか（設備容量制約、新設容量制約、残存設備容量、設置伸率制約、鉄鋼部門の燃料種比率、エネルギー種の輸入量制約、最終需要のエネルギーサービス等）を変化させることにより、エネルギー消費の地域特性を表現している．具体的には、「都道府県別エネルギー消費統計」を用いて作成した自治体別の「地域エネルギーバランス表」で示される値（業種別燃料別最終エネルギー消費量）を原研モデルと対照させることにより、国モデルの最終消費技術の外生変数を地域レベルで再現している．また、1990年、1995年、2000年の過去3 期については、「地域エネルギーバランス表」各セル（実績値）とおおよその一致をはかるよう、設備容量制約を狭めてキャリブレーションしている．本モデルの適用結果については、文末（注）を参照されたい．
本研究では、「都道府県別エネルギー消費統計」などの既存の統計資料をもとに作成した「地域エネルギーバランス表」とエネルギーシステムの最適化分析モデルMARKALを用いて、地方自治体を分析対象とするエネルギーモデルを構築した．さらに、本モデルを具体的な自治体に適用し、エネルギー需給シナリオを得た．
本モデルは、基本的な分析対象を都道府県とするものの、一般世帯数、製造品出荷額等いくつかの地域固有の指標による按分を用いることにより、わが国1800余の市町村に関するエネルギー需給シナリオも得ることができる．さらに、個々の自治体が最終エネルギー消費量やCO2排出量に関する削減目標を定めた場合に、その削減目標に合致した代替政策シナリオを求めることができる．現在、わが国において、地域のエネルギー需給シナリオを描く有効なモデルが見当たらない中、複数の自治体の取組みを扱う際に、本モデルを有効に活用できると考える．
今後、モデルの精度を高めて、汎用化を図るとともに、再生可能エネルギーの導入分析やCO2の排出削減シナリオについて検討し、将来にかけて地域が持続的な社会を築く上での課題及び必要となる政策的措置について検討していく．
・遠藤栄一，小山茂夫，1986： エネルギーシステムモデルMARKAL の実用化と応用に関する研究，電子技術総合研究所報告第869号，電子技術総合研究所.
・後藤純孝, 佐藤治, 田所啓弘，1999： 我が国の長期エネルギーシステムのモデル化，JAERI-Research99-046，日本原子力研究所.
・経済産業研究所： 都道府県別エネルギー消費統計, 2007. Available at http://www.rieti.go.jp/users/kainou-kazunari/energy/index.html
[2007, October25]
・佐藤治，2005： 我が国の長期エネルギー需給シナリオに関する検討，JAERI-Research
2005-012.
・IEA/Annex33，2000： Advanced Local Energy Planning A Guidebook. Available at http://kea.bitux.de/downloads/ALEP_Guidebook.pdf [2007, July 14]
（注）なお、本研究で得られた成果の一部は、「EcoMod Conference on Energy and Environmental Modeling」（2007 年9 月14 日, Academy of National Economics, Moscow)、「第44 回日本地域学会」（2007 年10 月9 日, 九州大学）で報告した．
・Motoki, Y.，Kosaka, H.，2007： Local Energy Planning for Japanese Municipalities:
Modeling and Comparison, Abstract of EcoMod Conference on Energy and Environmental
Modeling, p33.
・元木悠子，小坂弘行，2007： MARKAL モデルを活用した地方自治体のエネルギーシステムのモデル化,
日本地域学会第44 回報告論文集CD-Rom.