2007年度森泰吉郎記念研究振興基金「研究育成費」成果報告書

研究課題:「老い」への不安―解消に向けての個人的戦略の研究

研究代表 政策メディア研究科後期博士課程 権永詞

 

 

▼研究課題について

 本研究は、高齢化が進む日本社会において、向老期にある個人の「老い」の不安に対する戦略的な思考と行動を、インタビューを中心としたフィールド調査を通じて明らかにすることを目的としている。向老期にある個人が抱える不安への対応を分析することで、彼/彼女らが直面している個別の課題群を把握すると同時に、加齢を巡る社会・文化的規範の変容についての検討を行う。

 本研究の背景には、1990年代以降の「多様な高齢者」「活動的で自立した高齢者」像の普及がある。こうした議論は、一方でエイジズムに代表される抑圧状況からの高齢者の解放を意味すると同時に、他方では高齢者の多様性を個性にまで還元してしまうことで、加齢に伴い生じる高齢者に共通する社会的・文化的課題が何であるのかを捉え難いものにもしている。

 本研究では、個々人が感じる日常的な不安を、高度に近代化した社会に特有の生活の不安定性を表象するものと捉え、成熟社会におけるヒューマンセキュリティの確保という文脈の中にこの問題を位置づける。本研究の理論的な軸として次の2点を挙げたい。

 第一に、ウルリッヒ・ベックらが指摘する成熟社会の「個人化」という現象について。労働市場と社会保障という二つの制度整備を背景に、20世紀の四半後期以降、欧米・日本といった先進諸国では「個人化」が進展しているとベックは指摘する。家族・職域・地域といった共同体からの個人の離脱は、一方では個人の選択肢の拡大を意味すると同時に、他方では失業や離婚といった偶発的な出来事の結果責任が個人に転嫁され、過剰な負担となることが危惧されている。

 第二に、ヒューマンセキュリティの発想による安全/不安の認識の転換が挙げられる。これまで成熟社会における社会問題とは、女性、子供、老人、障害者といった特定の社会集団にとっての課題であるとの認識が一般的であった。しかしながら、近年の高齢者の多様性への注目が顕著に表わしているように、成熟社会においてはこれら社会集団の均質性・画一性を自明視することは困難な状況であるといえる。ヒューマンセキュリティの発想が不安を重視するのは、既存の集団的コードが解体しつつある中で、不安こそが人間の生活一般に関する安定性を阻害する要因であるとの認識に基づいている。

 以上のような背景からは、高度に近代化が達成された社会においてこそ、生活の安定化という観点からは極めて不確実性の高い生活が営まれているのではないか、という疑問を導き出すことができる。向老期にある個人が抱える不安に注目する理由はこの点に求められる。

 

▼今年度の活動報告

 上記の課題設定の下、本年度は向老期にある50代から60代の男女10数名に対するインタビュー調査を関東近県の在住者を対象に行った。インフォーマントの選定にはスノーボール方式を採用し、調査は半構造化面接法を用いて行った。今年度の調査では、特に向老期にあるインフォーマントのライフ・プランについての聞き取りに重点を置き、身体的、社会的環境が変化する高齢期における「人生の再編成」に対するインフォーマントの意識や態度が、「活動的で自立した高齢者」像から受ける影響について分析するための素材を収集した。ただし、インフォーマント数が十分とは言えないため、論文として成果を発表するためには今後も継続をして調査を遂行する必要がある。したがって、今年度の調査は、研究課題全体を進める上でのパイロットケースとして位置づけることができる。

 

 上記調査と平行して、成熟した近代社会における個人化の進行が、向老期の個人が抱える「老い」への不安に与える影響について、論文を執筆し、20078月に行われた国際学会にて発表を行った。また、成熟化した近代社会が抱える高齢化の問題を、解決主体としての福祉国家の限界という観点から考察する共同研究を行い、その成果を200711月にソウルで行われた国際シンポジウムにて発表した。

 

 上記の調査及び発表、執筆活動においては、「活動的で自立した高齢者」像が抱える幾つかの問題点をリスク計算・管理という側面から論じ、成熟した近代社会における社会的不平等の個人化という概念構築を行った。概要を以下に記す。

 リスク計算・管理が一部の専門家のものではなく、再帰的近代社会を生きる全ての個人に等しく求められる能力であるということは、個人に対して二つの相反する帰結をもたらしつつあるように思われる。

 第一に、個人は「単純な近代」社会に比べて大きな自由を獲得しているといえるだろう。とりわけ、ジェンダー、人種、民族、年齢、障害といった社会的障壁を打開していくためのエンパワーメントとして再帰的近代化の肯定的な効果を評価することができる。こうした社会的差別は未だに強く残存しているとはいえ、近代の再帰性は少なくとも問題を可視化、クレイム化していくための力の源泉となりえる。その意味では、「活動で自立した個人」という高齢者像は、近代における個人の解放を象徴するものといえる。

 これに対して第二の帰結は、個人を「可能性の専制」状態に晒す。より大きな自由の獲得は、他方ではあらゆる事象に対する自己決定の規範化を進める。小幡正敏の言葉を引用するならば、彼らは「意思決定の負担を軽減してくれていたそれまでのルーティンを禁じられ、「可能性の専制」を前にして途方に暮れつつ、宗教、伝統、国家に代わる新しい生活形式を模索せざるをえない」。日本の近代化過程における伝統の排出は、「老い」における共有可能な生活の様式の解体を意味しており、それゆえに「活動」「自立」といった概念が重視されることになる。

 再帰的近代化は、人間を「自由へと解放」すると同時に「自由へと拘束」する両義的な過程である。自由の獲得は人間の解放/拘束を同時に意味する。そこで、「自助努力の生活史」を描いていくことは、より良い生活への可能性として評価されると同時に、新たな権力の形式をクレイム化する必要を喚起する。

 「自助努力の生活史」が問題化される状況は無数に想定することができる。別の言葉で言い換えると、「自助努力の生活史」の一般化は、ある事象を、とりわけこれまで「社会問題」として扱われてきた事象を、クレイム化するためのプロトコルがドラスティックに変化することに結び付く。「活動的で自立した高齢者」は高齢期における自らの生活を、「自助努力」の結果として組織化しなければならない。それゆえに、現在、向老期にあるインフォーマントの発言からは、極めて近い将来に想定される自らの生活環境全般に対して統制的に振舞おうとする傾向が見出されるのである。

 

▼執筆・発表

 森基金による助成を含む、本年度の研究成果は、国際学会における発表2回の他、2点の執筆を行った。

 

作品

1)Eiji Gon, “Individualization of Ageing in Japan: The idea of independent and self-determinative older people”,2007, APRU Doctoral Students Conference.

2)Daisuke, Watanabe, Eiji Gon, Satoshi Watanabe, Yosuke Tuchiya, “Ageing and Human Security: Some Conceptual Issues for Formulating New Policy Agenda”, 2007, Yonsei – Korea – Keio – Waseda Graduate Student Millennium Symposium.

 

発表

1)Eiji Gon, “Individualization of Ageing in Japan: The idea of independent and self-determinative older people” at APRU Doctoral Students Conference, Keio University, July 30th – August 3rd, 2007

2)Daisuke, Watanabe, Eiji Gon, Satoshi Watanabe, Yosuke Tuchiya, “Ageing and Human Security: Some Conceptual Issues for Formulating New Policy Agenda”, 2007, Yonsei – Korea – Keio – Waseda Graduate Student Millennium Symposium, Yonsei University, November 13th 16th, 2007.