2007年度 森基金 研究成果報告書
【研究題目変更前】
ミッションを伝達するOJTプログラムに関する研究
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【研究題目変更後】
海士町における社会起業家精神の伝播と育成
政策・メディア研究科 修士課程1年 羽鳥圭
【1.活動報告】
当初、ソーシャルベンチャーにおけるミッション伝達を行うOJTプログラムに関する研究として開始した。しかし、5/30(水)のスワンベーカリー町田店店長のインタビューののち行き詰まり、9月に行った隠岐の海士町でのフィールドワークののち、研究フィールド・研究テーマの再設定を行うこととした。
実際にフィールドにて行った活動は以下のとおりである。
・5/30(水) スワンベーカリー町田店店長インタビュー
・9/13(木)〜26(水) 島根県隠岐郡海士町での現地調査
・10/24(水)〜26(金) 島根県隠岐郡海士町での現地調査
・11/10(土)〜12(月) 長野県上高井郡小布施町での現地調査
・12/29(土)〜1/5(土) 島根県隠岐郡海士町での現地調査
・2/14(木)〜20(水) 島根県隠岐郡海士町での現地調査
最終的には、1月に海士町を訪れた際に、修士論文の研究フィールドとしたい旨、またその際漸次構造化法的研究アプローチで研究を実施したいため、海士町に貢献できる仕事をしながら研究を進めたい旨を先方に伝えた。現在は、都市部からの海士町に対する学生の長期実践型インターンシッププログラムの立ち上げを、東京と海士町を往復しながら実施し、その中で私の研究テーマにとって重要なアクターである、町役場の中心人物たちとの信頼関係の構築に奔走している。
【2.現在の研究テーマ】
現在の研究テーマは「海士町における社会起業家精神の伝播と育成」である。
海士町は、過去10年に渡り、新しい商品や新規事業の創成により、中山間地域の最大の問題である、若者の雇用の創出を行ってきた。しかしこれらの取り組みは、ただ町の取り組みとしてやられたのではなく、さざえカレーの商品開発を担当したA氏が、さざえカレーの商品開発初期に「(農協の主婦たちの協力を引き出すために、)9時から5時まで半年間、タマネギを切り続けた」と言うように、中心メンバーたちが強い想いをもった、町のために本気の活動が行われた。
その結果か、2004〜2006年までの3年間で2400人の町に145人のIターンがあり、さらに商品開発研究生という形で新しい挑戦を受入れ、実際に数多くの新商品の開発が行われた。その背景について、自身もIターンであり、“日本一の教育”を作り出すべく奔走する、教育コーディネーターのI氏は「なんか(海士町には)、新しいことを後押しするような“雰囲気”がある」と語っている。
そしてそのような、町役場とIターンの商品開発研修生を中心とした新事業創出の取り組みの末に、実際に町出身のT氏らが中心となり、やはり雇用創出のために隠岐牛の育成が始まっている。
これらの取り組みはどれも、社会起業家精神あふれる取り組みである。しかし多くの新事業創出の取り組み、特に隠岐牛の取り組みは、町役場を中心とするメンバーが「新しいことを後押しするような“雰囲気”」、つまり「新しいことを後押しする」という町の文脈を形成する中で生まれてきた、創発された社会起業家精神というべきものであり、単なる個人の資質にとどまらないものである。
当研究では、この海士町における「新しいことを後押しするような“雰囲気”」がどのように形成され、それによってどのようなことが可能となったのかを、町役場や町民・Iターン生などを中心としたメンバーへのインタビューを通じて明らかにしていく。
【3.今後の展開】
先述のように、現在私は海士町における長期実践型インターンシッププログラムの立ち上げを行いながら、信頼関係をつくっている段階である。プログラムの立ち上げの過程でも、中心メンバーと話す機会が多くあり、少しずつであるが、まとめてお話を伺う機会は得られない。そのため、既にインターンシッププログラムの立ち上げを依頼した方に、夏ごろまで、と期限を伝えてある。可能であれば、大学が休みに入る8〜9月には3〜4週間程度の長期で滞在し、仕事をするかたわら、多くの方にインタビューを行い、実際にどのようにこの文脈が形成されたか探っていきたいと考えている。
以上。
【謝辞】
この1年間、本当に自由に研究活動を行うことができたのは、この森基金があってのことであった。実際、4回にわたる海士町の訪問と1回の小布施町の訪問には、交通費だけで10万円以上、宿泊費や現地での実質的に唯一の移動手段である自動車(自動車は、海士町が出している交流事業の予算よりAMA-netが購入した車両を使用している)のガソリン代などをあわせれば17万円にもなる額であり(町営のバスは、循環バスが1日2本あるのみであり、これを使用しての研究活動は実質的に不可能である)、一大学院生である私が、個人として費やせる額を正直超えていた。このように良い環境を提供してくださった森様や、私に対して研究助成を決めてくださった、審査員の方々に心より感謝したい。