2007年度森基金成果報告書                    2008/02/27提出

学籍番号:80725738                  JANP・プロジェクト所属

政策・メディア研究科修士課程1年          吉田賢一(thankyou@sfc.keio.ac.jp

 

 

地域住民組織とエンパワーメント

 

 

【研究対象】

インドネシアの地域住民組織であるRT/RW(エルテー・エルウェー)と呼ばれる隣組・町内会。旧日本軍陸軍第16軍がジャワ島を占領した際に、日本式のトナリグミを整備したわけだが、戦後も名称や役割は変わったが現存している[1]

 

【研究の背景】

インドネシアは、1966年以降スハルト大統領が、いわゆる「開発独裁」といわれる体制を布いてきた。1998年まで続いたスハルト開発体制は、輸出志向の経済政策に基づき、国民経済の拡大とそれに伴うトリクル・ダウンによって、国民の生活を向上させようとした。すなわち、GDP成長率という指標を担保に正当性を得ていた政権だったのである。

しかしながら、1997年のアジア通貨危機によって、その正当性は著しく低下した。インドネシア各地で暴動が発生し、1998年5月21日にスハルト政権は崩壊した。その後、インドネシアは、ポスト・スハルトと危機に対応するために、「改革・民主化」を大きなスローガンとして掲げた。すなわち、スハルト政権下では常識であった非民主的で中央集権の態勢を改革するという試みである。その一環として、インドネシアは抜本的な地方分権化を行なった。地方分権化は、1999年に制定された地方行政法(法律1999年第22号)と地方財政均衡法(法律1999年第25号)を主な法規としている。前者は、村落行政を規定する基本的な考え方を「多様性、参加、固有の自治、民主化、住民のエンパワーメント」であるとしている[2]。したがって、スハルト体制下では画一的で中央集権的だった行政と社会政策の立案を、州、県、ヴィレッジのレベルに分権化した。もっとも権限が強化されたのは県レベルであり、また、農村部ではヴィレッジレベルでも村議会が作られ、独自の政策を立案することができるようになった。

 

 

 

 


Village

(Kelurahan)

 

Sub-district

(Kecamatan)

 

Municipality

(Kota)

 

Village

(Desa)

 

 

Sub-district

(Kecamatan)

 

District

(Kabupaten)

 

Province

 
 

 

 

 

      農村部                   都市部

テキスト ボックス: 行政組織
テキスト ボックス: 自治組織
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ウスマン(2001)によると、国防、外交、国家財政、司法、そして宗教以外の分野をdistrictmunicipalityレベルに分権化した。すなわち、教育、保健衛生、文化、農業、環境などの社会政策を地方自治体に任せることにしたのである。したがって、地方分権化に関する先行研究の多くは、district/municipalityレベルを扱うばあいが多い。しかしながら、農村部のvillageレベルにおいても、BPDといわれる議会が作られ、前述の「多様性、参加、固有の自治、民主化、住民のエンパワーメント」に基づき、政策を作成・実施することができるようになった。また、都市部のvillageにおいても、議会こそないが、villageによっては地域の問題を把握するための組織を整備し、積極的に上級行政に働きかけを行なうことに取り組んでいる。スハルト政権下では当たり前であったトップダウン方式の開発を改め、地域が主体的に開発に取り組むことが期待されるようになったのである。

 

【問いへ】

 上述のとおり、インドネシアはトップダウン式の開発政策から、ボトムアップ式の開発政策へシフトしようとしている。スハルト時代は、上からの開発政策の受け皿として機能させられていた地方行政と末端自治組織は、自ら問題をつくり解決していくことが求められている。では、効果的にコミュニティ・デベロップメントを行なうためには、何が求められるのだろうか?

 

【フォーカス】

 問いに答えるために、最末端自治組織である隣組・町内会を事例とする。スハルト政権下では、隣組・町内会は上からの開発プロジェクトの受け皿として、また住民を監視する機能や与党ゴルカルの票田として機能させられてきた[3]。しかしながら、スハルト政権が崩壊した現在、地方分権化という地域の主体性を重視する流れの中で、開発プロジェクトの受け皿や住民監視という受け身の役割ではなく、より積極的な役割が求められている。本研究は、隣組・町内会を事例として上記の問いに答える。

 

2007年度夏季休暇、フィールドワーク活動】

 上記の「効果的に地域ベースの開発を行なうために、何が求められるのか?」という問いに答えるために、さらに問いを細分化して調査する必要があった。つまり、「コミュニティ・デベロップメントが成功した状態とは、どういう状態なのか?」という問いである。換言すれば、どういう指標・評価基準を用いてコミュニティ・デベロップメントを評価するのかということである。この問いに答えるために、調査対象地にある多数の隣組・町内会を取りまとめる村長(kelurahanの長)に話を聞いた。

 

第1回目:2007年8月21日(場所:村役場、時間:1時間10分)

第2回目:2007年9月5日(場所:村役場、時間:40分)

 

内容:地方分権化と村落行政、上記の問いに関して

0:村の概要

インドネシア共和国、中部ジャワ州、スマラン市(kota Semarang)、チャンディサリ区(kecamatan Candisari)、ジョンブラン村(Kelurahan Jomblang)。

 ジョンブラン村は、スマランという都市部に位置する居住エリアで、人口が約2万人で非常に民家が密集した地域である。ジョンブラン村は、15の町内会で構成されている。この地域で盛んな産業は、豆腐工場である。中規模の工場から個人経営の工場まで、規模はさまざまである。住民の所得レベルは、弁護士や上場企業の職員などの新中間層といわれる人たちから、いわゆるインフォーマルセクターといわれる人たちまで、混在して暮らしている。いわゆるゲーティッドコミュニティは存在せず、高所得の世帯から低所得の世帯までが混在している。

 また、豆腐工場から出る排水と住民のポイ捨てによって、村を流れるバジャック川の汚染がはなはだしい。だが、日本の国際協力によって排水処理施設が作られたり、NGOによる環境教育や生ゴミを堆肥に変えるコンポストが少しずつ普及してきたことによって、特に女性の間で環境意識が高まりつつある。

キャプション:左右に民家が密集している。また、左右に側溝があり、ゴミが溜まりやすく、雨季の時には水が溢れる問題が発生する。

 

キャプション:村を流れるバジャック側。川の両側には豆腐工場が立ち並ぶ。排水や住民たちのゴミのポイ捨てが原因で、非常に汚い。

 

1:地方分権化と村落行政について

 スハルト政権下では、中央政府がすべて政策と予算を決定し、それをインプルメントするのが村(kulurahan)であった。つまり、開発政策や雑務(身分証の発行など)を請け負うのが村落行政であった。

 しかし、地方分権化改革以後、村の裁量は大幅に拡大した。政策は、市レベル(kota

で決められているが、村が独自にプロポーザルを作成し、開発資金を要請する体制が整えられた。たとえば、道路や橋などの補修、貧困層のためにコメを買うための資金、小さなモスク(ムショラ)の建設資金など、住民の生活環境や福祉に関わる分野については、各村が独自にプロポーザルを作成し資金を要請することができる体制が整えられた。

 では、どのように村としてのプロポーザルを作成するのか? 手順として、隣組⇒町内会⇒村というプロセスを経てプロポーザルは作成される。まず、隣組レベルで隣組の問題や生活環境について話し合い、隣組レベルのプロポーザルを作成する。次に、そのプロポーザルは町内会に提出され、町内会レベルでどのプロポーザルを村に提出するか話し合われる。そして、最後に村レベルで話し合われ、村としてのプロポーザルが決定されるのである。

 もちろん、村全域に関わる問題については、村がイニシアティブをとってプロポーザルを作成するし、いくつかの隣組に関わる問題については、町内会がプロポーザルを作成する。それらのプロポーザルは、最終的に村の会議に出されて最終決定される。村の会議はLPMKと呼ばれ、各町内会から3名の代表が出席し合議する。

 

2:コミュニティ・デベロップメントをどう測るか?

 本研究は、スハルト体制以後に整備されたプロポーザル方式の開発に照明を当てたい。既に述べたとおり、プロポーザル方式は地域の問題解決や生活環境整備について地域の実情を反映したものだと解釈できる。このことは、地方分権化が進行するインドネシアにおいて、大いに求められるコミュニティによるイニシアティブの一例であると思われる。したがって、本研究はプロポーザル方式の開発に照明を当てたい。

 村長とのインタビューを進めるうちに、同じ村にある隣組・町内会であっても、提出するプロポーザルの数には差があることが判明した。つまり、毎年2〜3個のプロポーザルを提出する隣組・町内会がある一方で、まったく作成しない隣組・町内会があるという。管見の限りでは、生活環境の改善という点において、問題がない隣組・町内会はないように思われる。どの隣組も、たとえばドブ側の水があふれるとか、アスファルトがはげていて危ないとか、大なり小なり問題を抱えているように思われる。加えて、高所得層のみがかたまって居住している地域でもない。したがって、こういう状況がある以上、プロポーザル方式も活用することは有効な手段であるはずである。それにも関わらず、プロポーザルを多数作成する活発な隣組・町内会と不活発な隣組・町内会があるのは、なぜなのだろうか?

 村長が具体的に指摘したのは

活発:第10町内会、第4町内会

不活発:第11町内会

である。ただし、なぜ上のふたつは活発で第11町内会は不活発なのかということについては、具体的なことは言及しなかった。また、私の調べた限りでは、第7町内会第2隣組も非常に活発である。この隣組は、去年4個のプロポーザルを作成し全てアクセプトされた。その結果、隣組の空き地をコンクリートで整地し、バスケットコートを作って遊び場にし、時には集会ができるスペースを造った。また、隣組の中央に掲示板を立て、情報伝達を促進しようとした。ちなみに、第10町内会では、全ての隣組が、必ず1年間に2個程度のプロポーザルを作成しているという この調査結果を鑑みた結果、アクセプトされたプロポーザルを数でコミュニティ・デベロップメントを測ることにする。

 

【今後】

 今期の調査を踏まえて、今後やるべき調査・整理をいかに挙げる。

1:インドネシアの地方分権化改革について

 植民地時代までさかのぼってインドネシアの地方分権化のスタイルについてまとめる。また、地方分権化改革が叫ばれた背景についても、さらに詳しく文献調査をする。具体的には、スハルト政権末期と2001年の地方分権化2法の施行以後を扱うモノグラフを中心に文献を消化する。

 

2:隣組・町内会についての先行研究レビュー

 学部時代にも整理したが、独立後の隣組・町内会、またスハルト政権下の地方自治について先行研究をレビューする。慶應の図書館で手に入るものは少ないが、できる限り集めて消化する。

 

3:次回の調査に向けて

 次回の調査では、活発な隣組・町内会と不活発な隣組・町内会を選択肢、インテンシブな調査を行いたい。事例研究は、事例を理解することには役立つが、一般化の担い手としては不十分であるとしばしば批判される。本研究は、活発な隣組・町内会と不活発な隣組・町内会のそれぞれの文脈を詳細に調べることによって、コミュニティ・デベロップメントの成功要因を明らかにしたい。なぜなら、成功要因を抽出することで他のコミュニティ・デベロップメントに関する事例にも当てはめることができると考えるからである。今後は、文献レビューとともに、具体的な質問項目を検討していきたい。

 

 

参考文献

倉沢愛子(1992)、『日本占領下のジャワ農村の変容』、草思社。

――――(2001)、『ジャカルタ裏路地(カンポン)フィールドノート』、中央公論新社。

島上宗子(2003)、「地方分権化と村落自治」、松井和久編『インドネシアの地方分権化』、第四章、pp. 159-225

吉原直樹編著(2005)、『アジア・メガシティと地域コミュニティの動態』、御茶ノ水書房。

Sullivan, John (1992) Local Government and Community in Java: An Urban Case Study, Oxford University Press, Singapore

Usman, Syaikhu (2001) Indonesia’s Decentralization Policy: Initial Experiences and Emerging Problems, SMERU Working Paper, London



[1]詳しい歴史的背景については、倉沢(1992)、Sullivan1992)、吉原(2005)などを参照。

[2] 島上(2003)、p. 174

[3] スハルト政権下の隣組・町内会については、Sullivan1992)、倉沢(2001)、吉原(2005)を参照。