日本での多文化教育の可能性と多文化社会システム設計

2007年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究者育成費 研究報告書

慶應義塾大学 政策・メディア研究科 修士課程2年 

 

 

森基金は、「日本での多文化教育の可能性と多文化社会システム設計」をテーマに申請をし、当初はこの研究に取り組んだ。しかし、研究の過程で「来日外国人児童生徒の母語教育」に焦点を当てて考察を進めた。

 

 

研究目的

海外の多文化教育を見てみると、マイノリティの言語や文化を保障するために多額の予算がつぎ込まれ、公教育におけるバイリンガル教育が実施され、マジョリティの側も第一言語以外の言語を学ぶ場が提供されている。オーストラリア、アメリカ、カナダの3国は、いずれも移民国家として発展してきた国であり、移民を定住者として受け入れてきたという意味で、日本の場合とは異なっている。社会を構成する民族の多様性やその歴史、社会構造に相違があるため、一概に海外の多文化教育と日本の外国人教育を比較することはできない。しかし、いずれの国においても、1960年代頃までは移民に対する教育はまだ体系的なものとはならず、現在の日本のように手探りでの対応が行われていた。そのことを考えると、日本においても多文化教育を実践する素養がないわけではなく、可能性はあると考えるのである。

本研究は日本における外国籍児童生徒への教育課題を踏まえた上で、日本で多文化教育を実践するためにはどのような対応、整備が求められるかを提言する。

 

 

研究背景

 多文化教育(multicultural education)は、1960年代のアメリカの公民権運動に端を発した少数民族文化研究(ethnic studies)に始まり、1970年代を通じて、社会的に不遇な立場に置かれているとみなされるマイノリティの文化を尊重することを基盤にして、社会的不遇の解消、平等で公正な処遇の実現を目指す教育の思想、実践として発展を遂げてきた(江淵1994)。イギリスでは多文化教育といえば、人種・民族間題に関わる教育を意味する。ドイツやフランスでは、異文化間教育(intercultural education)という用語が、オランダでは超文化的教育(transcultural education)という用語が用いられるなど、これらの語は用いられる文脈によって相互に重複したりずれたりしている(江淵1994)。

1980年代になって、多文化教育はその対象が女性や障害者等にまで拡大されるようになり、より総括的な意味での多文化教育という用語が一般化し定着した。これらの諸集団に属する人々は、いずれも何らかの備見と差別の対象となり、ステレオタイプ化されたイメージによって社会的に不利益を被ってきた社会的弱者であるという点で共適性が見られた(江淵1994)。さらに1990年代に入ると、それまでの「国家」を視座とした国内の「マジョリティーマイノリティ問題」の解決に関わる教育だけではなく、その視座を「国際社会」の枠組みにまで拡大し、グローバリゼーション時代の人間の資質を育む上で不可欠の教育であるという視点が強調されるようになってきた(江淵1994)。

 日本では、多文化教育を、「多民族によって構成されている現代の国家において、多種多様な文化的・民族的背景を持つ子どもたちに対して、彼らの平等な教育機会を制度的に保障するために、彼らのエスニシティや文化的特質を尊重して行われる教育であると同時に、マジョリテイ、マイノリティ双方にエスニシティの相互承認の意識の形成を志向するものである」(江原2000)という捉え方で見るのが一般的である。近年、日本においても、外国人の子どもの増加とともに多文化教育が注目され、定住外国人が集任する一部の地域ではこうした教育が行われている。しかしながら、来日外国人の子どもたちへの教育のほとんどは、主に日本語教育と教科教育、および適応指導に限られ、母語教育はもちろんのこと異文化理解という域にはまだ達していない。

 

 

問題設定

 外国籍児童生徒たちは、日本の学校の中で、日本語教育、不適応やいじめ、進路、母語保持など様々な問題に直面し、同化を求める風潮の学校社会の中で苦しんでいる。中には、日本での教育が子どもの母語を消し去ってしまい、母国に帰れなくなるほど人生を左右してしまうほどの弊害が出て、仕方がなく日本に残るという場合もある。

このような外国籍児童生徒を増やさないためにも、彼()らの母語や母文化の必要性について、学習面からの視点だけではなく、家族関係やアイデンティティの問題と絡めて論じる。親とコミュニケーションを図るためには勿論、そしてアイデンティティ保持のためにも母語や母文化は欠かせないし、まして帰国することを考えればなおさら必要である。そういった点から、彼らに母語の保持や伸長を目的とする母語教育が求められていることを考察したい。

 

 

母語教育の現状

教科学習に必要な学習思考言語を習得するためには、母語での識字能力や抽象的思考能力が不可欠である。また、それは授業についていくだけの言語能力を得るためではなく、知的発達においても重要な役割を果たす。だが、その必要不可欠な母語を保持し、伸長させる場や機会は家庭以外にはほとんどないのが現状である。文部科学省は、「日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する調査」において母語別の統計を取っているものの、母語教育やその保障に関しては対処していない。母語教育は、いわば例外的な措置として実施されているにすぎず、母語教育のプログラムを持っている自治体そのものが非常に稀である。

 外国籍住民が集中している地域では、ボランティアや母語指導員が学校に派遣されているところもあるが、いくつもの学校を巡回して不定期に子どもたちに接し、正規の授業として母語教育を実施しているわけではない。また、その意図するところは、母語の保持や伸長にあるのではなく、来日間もない子どもたちと母語で話したり、子どもの話に耳を傾けたりして緊張と不安を取り除くことにあるといえる(太田2000)。これによって子どもたちは、母語で自分の表現したいことを表現でき、精神的な安定にはつながっているが、このような母語教育はあくまで日本の学校に慣れるまでの仕方のない対処であり、適応を進める手段として位置付けられているといえる。

 

 

母語の定義

文部科学省の調査では、「母語」に関する定義はなく、子どもたちの出身国や地域で使われている主要言語という意味で使われており、ブラジル出身の場合ポルトガル語、ペルー出身の場合スペイン語と判断されている。だがそもそも、「母語」とはどのような言語を指すのであろうか。言語学者のスクットナブ・カンガス(Tove Skutnabb-Kangas)によると、母語とは、「子どもが最初に学ぶ言語」であり、文字通り母親が話す言語のことである。また、「アイデンティティ形成のための言語」でもある(Skutnabb-Kangas 1981;太田2000)。人は社会化の中のプロセスにおいて、所属集団・社会・文化の諸規範や価値体系を獲得し、自らの所属集団への帰属意識を形成していく。この形成過程において重要な役割を果たすのが母語なのである。つまり母語とは、アイデンティティの形成に不可欠な言語といえる(太田2000)。

 さらに、言語学者の田中克彦も、母語とは、「生まれてはじめて出会い、それなしには人となることができない、またひとたび身につけてしまえばそれから離れることができない、根源のことば」(田中1981)だと述べている。ここでも、母語は、人が生まれて初めて学び、自己の形成に関わる言語であるといえる。

 日本では時に、「母国語」という言葉が、あたかも「母語」と同じような意味でもって使われているが、これらは同じ意味を持つものではない。母語は、いかなる政治的環境からも切り離し、ことばの伝え手である母と受け手である子どもとの関係でとらえ、それがある国家に属しているか否かは関係がないところに、この語の存在意義がある。一方、母国語、すなわち母国のことばは、政治以前の関係である母にではなく国家に結びついている(田中1981)。このように、母語と母国語には大きな相違があるため、両者を区別せずに用いることは大きな誤りである。多くの日本人の場合、母語も母国語も日本語であることが多いが、世界には6000もの言語があるといわれ、母語と母国語が同じ言語であるとは限らない。

 現在の外国人児童生徒への日本語教育が、太田の言うように「補償的言語教育」であり、母語能力を基礎としてその上に日本語能力を養成するのではなく、母語を除去して日本語に置き換えるものである(太田2000)なら、そういった教育により、子どもたちは日本語の習得とともに母語を喪失していっている。特に、滞在が長期化するにつれて、母語の喪失には拍車がかかる。だが、教科学習についていけるだけの日本語能力も得られていない現実があり、日本語も母語も中途半端な子どもが多い。

 

 

母語喪失の危険性

 母語の喪失がどういった弊害を起こすかであるが、日系南米人の場合を見てみたい。彼らに滞在の長期化という現象は見られるものの、日本への定住を決定している家庭はまだ少なく、多くが母国への帰国を念頭に置いている。そこで問題になるのが母国へ帰ったときの子どもの教育問題である。コガ・エウニセは、ブラジルへ帰国した日系ブラジル人児童生徒の学力低下を指摘している。それによると、彼らは日本から帰国した直後は、ポルトガル語が堪能ではなく、発音も変であり、当該学年に入れずに落第 をしたということで悩む子が少なくない(コガ1998)という。帰国してもブラジルでの教育を来日前のように受けることが困難になり、日本での教育を選んで日本に戻ってくるケースもある。さらにコガは、「1990年以降日本への出稼ぎ現象に伴い、日本に連れてこられた日系人子弟の場合は、ブラジルで教育を受けた日系人成人と比較した場合、一時的な現象ともいえるが、彼らはポルトガル語の能力をはじめ、勉学に関するレベルが低いと言わざるを得ない。来日している日系ブラジル人の学歴は、その約4分の1がブラジルでは大学入学以上の学歴を有していたものの、それと比較すると日本での居住経験のある日系人子弟はブラジル及び日本の大学に入学する可能性は低くなりつつある」(コガ1998)と指摘している。つまり、母語の保障をせず、日本語のみを媒介とした日本語集中型教育が、彼らの教科学習における抽象的・論理的思考の発達を阻み、帰国して学校に戻ろうとしても、日本の学校に滞在した期間が学力にダメージを与え、ブラジルでの学校復帰を困難にしている。

 このような子どもたちの存在を防ぐためにも、母語による抽象的・論理的思考ができる子どもにはその保持を、できない子どもには母語教育によってそういった思考を身につけさせることが求められる。また、母語は、親子間の関係にも重要な役割を果たす。日本語ができない親が多いため、母語ができなければ親とのコミュニケーションが成立しないことも多い。

 

 

母文化の重要性

 次に、外国人の子どもたちの文化に関することについて述べていきたい。彼らは、母文化と日本文化の中で葛藤に直面する。佐藤は、外国人の子どもの異文化適応の特徴として第一に、文化的アイデンティティや文化的特性の保持が、学校、学級内の「同化圧力」により困難になっている点、第二に、日本の集団との関係性がつくれない点、の二つをあげている(佐藤1998)。

まず、第一の点に関してだが、異質排除性の強い日本の学校では、対人関係での対立や軋轢が生じやすい。日本社会の風潮もあって、日本の子どもたちは概して異質なものに対して不寛容であり、外国人の子どもたちに対して、支配的な学校文化、学級文化への同化を強いる傾向がある。また、文化の階層性も大きく関与する。「日本語モノリンガルな風土、外国語としての英語中心主義風土」(宮島1999)の中で南米やアジアから来た外国人の子どもは、母語や母文化を周囲から否定的に見られるために、自文化を自由に表現できないままに、自分で母語や母文化を抑圧し、潜在化させ、しかもそれをネガティブなものとして捉えやすい。よって文化的アイデンティティを保持できなくなり、自己の否定的評価にも結びついている(佐藤1998)。その結果、日本への適応を過剰にはかる子どもも見られ、親が授業参観に来るのを拒んだり、来日間もない生徒への通訳を嫌がったり、「自分は日本人だ」と主張したり、日本名を欲しがる子がいる。これは、学校側が「適応指導」と題して彼らに日本の学校に慣れさせようと規則や習慣の遵守を求めていることも大きな原因と言える。外国人の子どもの教育に取り組むことは、外国人を日本人にするための教育ではないにもかかわらず、現状は彼らを日本人の子どもと同様に扱えるように日本語教育と適応指導を行っているという状態である。日本語を教え、日本の習慣を身につけさせるだけというなら、かつて日本がその植民地で行っていた同化教育と同じである。

 二点目に関しては、日本語力と家族的要因が介在している。現在の教育システムでは、 日本語ができなければ学校生活に適応できず、友人関係もつくりにくい。また、共働きで 夜遅くまで働いている槻のもと、家事が子どもの仕事となり、部活をしたくてもできないなど学校生活への積極的関与が閉ざされてしまっている。また、教師が彼らに対して「○○人」「○○文化」といったステレオタイプ化した枠をあらかじめ設定し、そういった異文化性の捉え方のもとで外国人の子どもとの関係を構築しようとすることも要因の一つと言える(佐藤1998)。

 

 

聞き取り調査

著者は、外国人の子どもに日本語や教科学習を行うボランティアを行っている。学生のボランティア団体で、東京・千葉・神奈川・埼玉を中心に学生を派遣している。学生は子どもの家を訪問し、そこでマンツーマンで教えるという、いわばボランティア家庭教師である。その活動の中で、彼らの日本での生活が、家族関係や学校での生活の中でどのように展開し、どのような問題を提起しているか観察した。日系人児童生徒のいくつかの事例を見てきたが、たいした問題もなく数年間で日本の学校になじめるようになるということは、非常に難しいものであるという。社会生活言語を習得していても学習思考言語を習得している子供はまだ少ない。一見問題がないように見える日本語能力が中級の日系ペルー人三世の11歳の男子生徒や、上級の日系メキシコ人三世の14歳の女子生徒でも、強化学習においては大変苦労している。日本語教室が設置されていてもその収容人数が多いために十分な指導ができない状態であることなども問題として挙げられる。そして何よりも重要なことは、自分の仕事のことで一生懸命な親が、正確な子どもの状況を知ることや、もっと教育に関心を抱き、子どもが犠牲とならないような滞在予定を立てて日本での生活を考えるということに尽きる。また、そういった外国人の子どもたちや親を、学校や家庭に限らず、もっと広く地域の中から支え、日本人の子どもたちに寛容性を持たせることや地域での日本語教室の充実も求められている。

 

 

考察

このように、現在行われている日本語教育、および適応指導では、母語の保持に支障が出るだけではなく、子どもの自尊心や自信、アイデンティティという精神的な面においても否定的に作用するということが明らかになった。ブラジル人ならブラジル人としての、ペルー人ならペルー人としての肯定的で積極的な自己意識の発達や、アイデンティティの確立のうえで重要な意味を持つのは、やはり彼ら自身の言語である母語にほかならない(太田2000)。だが、母語のみでの教育ですむわけでもない。日系南米人の場合、今後どちらの国に生活の基盤を置くかが未定であることが多いからである。アイデンティティの面では母語が欠かせないと言っても、現実的観点に立つと、定住するならば日本語と日本文化が支配する世界の中で生きていく対応能力を身につけなければならない(宮島2000)。要するに、外国人の子どもに対する教育は、学力と文化的アイデンティティの二つを保障するという意味において二言語教育、バイリンガル教育が必要である。子どもが持つ言語的・認知的・文化的な能力を基礎にして教科および日本語の学習を進め、それによって子どもの抽象的・論理的思考を可能にするべきである。

 また、外国籍の子が学校に入ってくることを異文化理解や国際理解のチャンスとして、「人間は皆それぞれ違う」ということを受け入れられるような意識の喚起につなげることができよう。その際、外国人の子どもの出身国や地域を教材として取り上げたり、日本語教室を開放して日本人と外国人の双方が交流できるような場にしていくことが求められる。

受け入れられている来日外国人児童生徒の数が少ない小規模校が全体の8割を占める中で、これらを実行に移すことは難しいことだといえる。だが、少しずつでも進めていかなければ、現在のように日本語も母語も中途半端なセミリンガルな子どもを増やしかねない。 政治・経済・文化におけるグローバリゼーションの進展により、国家に多くの国民以外の人々が暮らすようになった今、公教育においても国民のためだけの教育という視点であってはならない。日本での教育が子どもの母語を消し去ってしまい、母国に帰れなくなるほど人生を左右してしまうほどの弊害が出ている。仕方がなく日本に残るといった望まれない定住をこれ以上増やしてはならない。望まれない定住を防ぐためにも多文化教育は欠かせないものであり、それによって子どもたちは生き方の選択肢が増えてくるだろう。

 

 

参考文献

                     石井由香(2003)『講座グローバル化する日本と移民問題:4 移民の居住と生活』明石書店

                     江淵一公(1994)『多文化教育の概念と実践的展開―アメリカの場合を中心として―』日本教育学会編『教育学研究』第61 第3号

                     江原武一編(2000)『多文化教育の国際比較―エスニシティへの教育の対応―』玉川大学出版部

           太田晴雄(2000)『ニューカマーの子どもと日本の学校』国際書院

           佐久間孝正(2006)『外国人の子どもの不就学』勁草書房

           佐藤郡衛(1998)『教室のグローバル化と教育の問題』教育科学研究会

                     関口知子(2003)『在日日系ブラジル人の子どもたち−異文化間に育つ子どものアイデンティティ形成』明石書店

           田中克彦(1981)『ことばと国家』岩波書店

           宮島喬(1999)『文化と不平等』有斐閣

           宮島喬(2000)『外国人市民と政治参加』有信堂高文社

                     宮島喬(2005)『学校システムにおける受容と排除-教育委員会・学校の対応を通して』宮島喬・太田晴雄編

 

 

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