本研究では,2006年度に行った石川研究室と徳田研究室合同での小型ユビキタ スセンサを用いた環境モニタリング実験を発展させ,安価なセンサをネットワー クに接続することで,手軽に環境モニタリングを実施できるシステムを構築す る.清木研究室による知識処理技術やデータベース統合技術と融合することで, キャンパスインフラとして多様なセンサインフラを統合するシステムへ発展さ せ,実証実験を通じて都市の緑の基本計画の策定などに観測を応用してゆく.
環境モニタリングは,センサネットワーク技術の有力な応用分野に挙げられて おり,環境科学の専門家による注目も高まっているが,社会的な意義を伴う応 用まで一貫した研究例は世界的にも多くない.本研究は,センサネットワーク 技術の実用化に先鞭をつける研究であるばかりでなく,地域の環境の問題に住 民自らが気付き取り組む,市民参加型のまちづくりの先進事例につながる研究 でもある.
緑地計画では,都市における緑地の適切な保全及び緑化の推 進を通じ,自然環境と人間活動との調和の実現を目指す.その際,審美的な観 点だけでなく,地域の生態系保全や環境保全機能の維持,防災,レクリエーショ ンなど,緑地の持つ様々な機能を総合的に検討する. 緑地計画では,国土全体から地域までの様々なスケールにおいて環境を調査, 評価し,緑地に関わる土地利用計画を設定する.基礎自治体の単位では、緑や オープンスペースを計画する緑の基本計画の策定が制度化されている.一方、 ある程度の規模で行なわれる開発事業に対しては,計画との整合性や環境への 影響を予測し,環境保全処置を検討する環境アセスメントが義務付けられてい る.事業実施後も,継続的に環境への影響を調査し環境保全に努める必要があ る.
以下は,今後の緑地計画の推進に際しての課題である.
住民が,自らの住むまちづくりに関与する市民参加は,地方分権や地方自治の 独自性が重視される現在,重要な手法となっており,緑地計画においても例外 ではない.市民参加では,土地所有者やその土地の企業,まちづくりに関わ るNPOなどが,行政と意見交換や共同作業を行ったり,時には住民主導の形によっ て,都市計画などまちづくりに関わる案件に参加する.
市民参加は,緑地計画の計画立案,事業評価,事後評価といった様々 な場面で試みられている.住民による情報提供や住民を巻き込んだ計画策定, インターネットなどを利用した意志決定への参加などの形がある.また,義務 教育や生涯教育の機会を通した環境教育によって,自然環境への関心を持ち行 動を起こせる市民を育てることも重要である.緑地環境の継続的な維持,管理 には制度整備だけでは不十分であり,市民参加の促進によって地域環境の状況 や問題点が地域住民に共有され,土地利用が環境へ与える影響を考慮しながら 地域環境の保全や向上を目指すことが求められている.
人口や業務施設,商業施設などの集積する都市は,土地が人工物に被われ,大 量のエネルギーが排出されることなどで環境が劣化しやすい.都市部の気温が 高くなるヒートアイランド現象や,大気汚染などによる人々の生活への悪影響 も少なくない.都市空間における緑地は,人々の快適な生活を左右する重要な 要素であり,視覚的,心理的な潤いを与えているだけでなく,都市特有の 局所的な気候変動を緩和するなど自然現象へも影響を及ぼし,快適で安全な都市 環境の実現に寄与している.
緑地計画では,こうした都市の気候の特徴を捉えそれを緩和する視点が重要と なる.様々な人工物の密集する都市では,木一本,建物一つが生活環境に与え る影響が大きく,空間的に細かい粒度で環境を把握し,ヒューマンスケールで の計画立案が必要となる.
緑地計画では,立案段階や遂行に際した説明段階,実現後の評価など,様々な 段階において計画や事業の妥当性を把握する環境の調査が重要となる.環境モ ニタリングによって,事業を行ったことによる環境の変化を把握し,事業評価 や計画の修正などにつなげる.
環境調査の際に必要とされる情報は,土地利用や植生,生物の分布などのデー タや河川の水質や水量,温度分布や大気成分など様々である.土地利用や植生 などは,ある一時点の様相を示す情報をGISデータとして整備し用いることがで きる.しかし河川や大気の情報などは刻々と変わる情報であり,情報の取得に はセンサを用いた環境モニタリングが必要となる.
従来,環境モニタリングは衛星を利用した広域を対象とするものであったり, 高価なセンサ機器を用いた専門家によるものであった.しかしユビキタスコン ピューティング技術によって環境モニタリングが手軽になることによって,市 民参加の促進や都市環境の把握につながる,以下のような特徴を備えた環境モ ニタリングが可能になると考えられる.
環境モニタリングのための情報システムには,センサデータの管理に留まらず, 生態系や植生の情報なども含め環境評価に必要な情報やその解釈手法などを, 市民や行政,専門家などの間で共有するプラットフォームとなることが求めら れる.特定の地域や事業ごとに関連する情報が整理され,データに加え専門家 による解釈なども交換できるシステムであることが望ましい.
環境調査や環境モニタリングは,環境情報の取得手段としてだけなく,初等教 育や市民参加のイベントとして実施することで市民の環境への関心を高めるきっ かけともなっている.市民参加による環境モニタリングは,現在は試薬を用い た水質調査や生物,植生の調査などが行われているが,ユビキタスコンピュー ティング技術によって,広範囲におよぶ継続的なモニタリングを多数の市民の 協力によって行うなど,市民が情報発信者となる環境モニタリングの実現が期 待できる.その際には,観測結果を効果的に示すことで市民が環境との繋がり を実感し,環境モニタリングへの参加意識が高まることが望ましい.
建造物や樹木,水の流れといった環境の要素と,その場の環境との関連性を発 見しやすい環境モニタリングが期待される.温度を中心とした熱環境の測定や, 空間的に高密度な観測の実現などが必要である.また周辺との観測値の差異を 容易に比較できるなど,観測値の解析を支援する機構が望まれる.
一部のセンサがパッケージごとカラスに破壊された点を除き,ほぼ全てのセン サは実験期間中正常に動作し続けた.パッケージも十分にセンサを保護し,浸 水や破損といった問題はなかった.
センサからの信号の受信状態は設置したXBridgeにより差異が出た.15m程度離 れるとほとんど受信できなくなるものもあれば,事前の実験通り30m程度の受 信性能が確認できた場所もあった.これは,XBridgeの防水の際に金属を含ん だ防水テープを利用しアンテナを固定したためと考えられた.
一部のセンサにおいて,早朝の温度上昇が周辺の他のセンサと比較して急激で あるという現象が見られた.これは,パッケージ内に直接差し込む太陽光が原 因だと考えられる.また,屋外での使用では照度センサの測定限界を上回る明 るさとなってしまうため,照度センサの出力値からでは十分な情報を得られな いという問題もあった.
設置作業の前半のインフラ構築作業は,ほとんどがケーブルの敷設作業であっ た.新宿御苑においては既設のネットワークが整備されていたことやネットワー ク管理者の協力を得られたことで作業は比較的効率よく行えた.ただし,タッパー やビニール袋などによる防水作業はケーブルを固定したあとの現場での作業と なったため,工具の運搬や作業場所の確保に苦労することもあった.この 段階の作業は実験場所の設備や協力の有無などに大きく依存し,標準的な作業 手順を定義することは困難だと考えられる.
後半のセンサ設置作業は,作業手順や作業に必要な技能が明確でない状態から 始め,試行錯誤を経て以下の作業手順が定まった.はじめに実験目的を理解し 環境の様相を判断できる者がセンサの設置箇所を数カ所大まかに決定し,セン サを仮置きする.次に信号の受信状況から観測の可否を検討し,設置を決めた センサを固定し位置や環境を記録する.この手順を繰り返すことでセンサを設 置した.センサの設置箇所の決定やセンサの設置環境属性を登録する作業は, 実験内容や樹木名などに対する知識が必要で,作業に当たれる人員は限られる 形となった.
開発した設置支援システムは,センサ設置手順の理解が不十分であったため, 設置の現場で十分に活用することは出来ず,紙の地図へのメモ やExcel,ArcGISなどの既存アプリケーションで情報を整理しデータベースへ登 録する必要が生じた.システムの設計段階では,ひとつのセンサごとに設置箇 所を確定し,設置場所や設置環境を登録するという手順を想定していた.しか し実際には,作業効率の向上やセンサそれぞれの設置環境を差別化するために, 近傍の複数個のセンサをまとめて設置する手順となった.一旦決定した設置箇 所も,電波状況に応じて移動することがあり,設置位置の確定には現場での試 行錯誤が必要であることがわかった.センサの位置を調整しているうちに木陰 のセンサを見失うことが何度もあり,位置調整への支援の必要性も感じた.
また設置支援システムを運用する際の機器やインフラの問題も明らかとなった. 設置の際には様々な工具を持つ必要があり,同時に1kgを超えバッテリ駆動時間 が限られたタブレットPCを利用するのは困難であった.ネットワーク接続の確 保も問題となった.センサデータの受信状況を確認するためにはネットワーク 接続が必要であり,センサ設置時に一時的に無線LAN設置していた.しかし無 線LAN設置作業は煩雑であり,作業場所によっては電波が届かないという問題も あった.
実験の際運用した可視化システムは,センサパッケージに張ったQRコードによっ て,携帯電話を通してそのセンサの温度変化グラフを閲覧できるシステムと, 地図上に丸で示したセンサ設置位置の色を変化させることによる温度表示シス テムである.前者はすべてのセンサに用意しており,実験期間中は一般来場者 を対象に稼働させていた.後者は,6月3日のイベント時にイベント会場のPCディスプ レイを用いて稼働させており,イベント来場者に対し対面にてシステムや新宿 御苑の温度分布について説明を行った.
現在の可視化システムはまだ初歩的な段階の実装であり,機能や実現性の確認以上 の評価は行っていない.しかし,来場者や説明を行った学生の感想などから, 今後の改良につながる以下のような知見を得た.
地図による可視化は,空間的な温度分布を説明する際の資料として役立った. イベント会場への来場者に対し,地図表示を用いながら新宿御苑の環境の特徴 や周辺市街地への影響を分かりやすく説明出来た.データがリアルタイムに更 新されていることを伝えると,地図上に示された温度分布への関心は高まった. さらに過去に観測した特徴的な温度分布を示すデータを提示したあと,アニメー ションによって連続的にリアルタイムデータ表示に移行させることで,過去の 情報に対しての関心も高めることが出来た.
一方,データの表示方法は不十分であり様々な改良点が浮かび上がった.温度 の表示に関して,より直感的に差異を見出せる表示方法の必要性を感じており, 等高線や3Dグラフなどによる表示を議論している.また「一日の平均気温」 「30度を超えた時間の合計時間」など,観測データを処理することで得られる 情報も環境の特徴を捉える際に有効だと考えられる.こうした情報へも事後の データ処理を経ずにリアルタイムにアクセスできる必要性を感じた.ただし現 状の一部分のみを被うセンサの設置方法ではこうした表示手法を十分生かせず, センサの設置領域を含めた改良が必要である.
携帯電話による閲覧は,機能としては関心を集めたが実際のアクセスはほとん どなかった.センサパッケージそのものは目立っており多くの人が興味を示し たものの,それが温度を測定しているセンサであるということ,携帯電話によっ て情報にアクセス出来るという点は説明が不十分であった.また事前の学生を 対象とした実験では,QRコードの扱いに不慣れな学生や,機種によって認識し にくい携帯電話があり,誰にとっても使いやすいインタフェースとは言い難い 状況が明らかとなった.
また,携帯電話からアクセスできる一地点の情報から,地図で表現するような 俯瞰的な視点へつなげる方法にも課題が残った.現在地の気温やその履歴をきっ かけに,周辺との比較などを通して各場所ごとの特徴への理解を深めることが 望まれた.しかし,地図やリンクによる周辺データへの誘導以上に積極的にデー タの比較を行わせる手法は議論の途上である.
実験後に,取得した温度分布地図をアニメーション化し,1日の変化を約10秒に 圧縮した動画を作成した.これは環境の特徴や温度変化を読み解くきっかけと して好評だった.変化の特徴を際立たせるためには,こうした時間的圧縮や, 俯瞰的な視点の導入などによる空間的整理が有効であることを,ここでも確認 できた.リアルタイムであること,現地で閲覧できることによる興味の喚起や 説得力も本システムならではの特徴であり,こうした特徴と俯瞰的な視点によ る理解の促進とを結びつけることが,データ可視化における今後の課題であ る.
2006年度に環境モニタリングの実証実験の舞台となった新宿御苑においては, 本年度も継続的に研究活動を行った.新宿御苑は,都内の貴重な大規模緑地で あり羽村で取水した玉川上水の江戸市中への給水を管理する水番所がおかれた ことから,近代水道史の観点からも重要な場所である.この地域では,長年に わたってこの玉川上水の流れの復活を目指した活動が,地元住民の参加の下で 行われてきた.2006年度におこなった環境モニタリング実験は,新宿御苑100周 年記念イベントとして開催された「玉川上水復活に向けて」(主催:新宿区・ 慶応義塾大学・NPO法人東京セントラルパーク環協力:境省新宿御苑管理事 務所)に関連し行われたものである.
2007年度は,子供ワークショップ「まちに水を流そう!」を行った.このワー クショップは,付近の花園小学校の児童とその保護者を対象としかつての玉川 上水の流れに隣接する新宿御苑散策路に自分たちの手で水の流れを作り出すこ とでまちを流れる水を楽しみながら玉川上水と新宿御苑の林新宿のまちの水と 緑の将来について考えることを狙いとしたものである.最後に参加した子供た ちに玉川上水によせる想いを短冊に書いてもらい作り出した水路の上に映るよ う糸で展示した.子供たちは既に総合学習の時間に玉川上水の歴史を学び社会 科見学で羽村取水堰を訪れていたがこのワークショップ通じ実際の水の流れを 体験することでまちの中に身近な水緑の魅力と必要性について実感できたよう であった.
このような活動の積み重ねにより,2008年度より新宿御苑地区において「内藤 新宿分水」実施設計が開始することが決定した.
地球温暖化やヒートアイランド現象への対策は,水・緑の保全,創出の際の重 要なキーワードである.対象となる水・緑に関する歴史や地形,人々の生活と いった従来の地域の文脈と合わせ,気候の緩和といった環境保全機能の現況を 把握していることが必要となる.身近な緑から,このような都市域の大規模緑 地まで,いつでも具体的な数値として環境を可視化できるモニタリングは,一 般市民や市民グループ,専門家,企業,行政といった多様な主体を結びつける 有効な手段として注目が高まっている.新宿御苑をはじめとして今後も様々な 対象地での観測活動が重要でありAiryNotesはこうした可能性を切り開く研究で ある.
本研究の成果として,本年度は以下の論文発表,学会発表を行った.
本ページでは,小型センサデバイスを用いた環境モニタリングシステムであるAiry Notesシステムについて,その緑地計画における位置づけや評価について述べ た.また,大規模な観測実験を行った新宿御苑での本年度の活動を紹介し,継 続的な研究が続いていることを示した. Airy Notesシステムは,現在SFCにおいて実験を継続しながら,システムの改良を行っている. それらを通じてデータの視覚化や解析手法を洗練させ,ユビキタスコンピュー ティング技術による環境モニタリング技術の確立につなげてゆく.