2007年度 森基金コラボレーション型研究支援資金 研究概要報告書
生体計測による景観評価因子抽出とその応用

菊地進一 (環境情報学部専任講師)
古谷知之 (総合政策学部准教授)
福田亮子 (環境情報学部専任講師)
大前 学 (政策・メディア研究科准教授)
脇田 玲 (環境情報学部准教授)




研究の概要
 現在、景観の保全に対する法的な根拠は建築物の高さや色彩などを基準にした主観評価を主体としており、景観の総合評価に対する客観的な計測指標が必要となっている。そこで我々は景観評価を高次認知機能の一つとして捉え、近赤外分光装置(NIRS)を用いて都市景観と自然景観の画像を見た際に生じる脳機能の変化を計測した。これまでに我々の研究で、両側の下前頭回付近を中心に有意差が観察され、両者の判別が可能であることがわかった。また、この時に何をしていたのかを考察するためにアイカメラを用いて視線解析を行い、都市景観においては空間認知、人の顔および看板に対して、自然景観においては周辺視や稜線や奥行きに沿った動きへの注視時間が長いことが示された。今後、生体計測情報を加味した景観評価の客観性・定量性の向上が期待される。




研究の背景
 平成16年に景観法が施行されたことで、各地方自治体でどのように実態に則した景観形成基準を構築していくかを決める根拠が必要となってきている。たとえば京都市は京都市眺望景観創生条例に基づき、比較的強い規制で京都の歴史的な眺望景観の保全を行っていくことを定めたが、それが人々にどのような影響を及ぼしたり、ひいてはどう地域の活性化につながるのかは未知数なままである。具体的に景観の保全には建物の高さの統一性、形態意匠、色彩、屋外広告物(看板や照明)などを規制することで全体のバランスを保つことが多い(図1)。この他にも電柱・電線や放置自転車なども規制されることがある反面、街路樹や夜景への考察が少ないといった問題点も指摘されている。


図1:景観法による規制 [小田原市HPおよび大阪市HPより転載]

 これらの説明変数は市民に対して強い拘束力をもつにも関わらず、その組み合わせの多さから、生体に及ぼす科学的な影響を定量化しきれておらず、歴史的な背景から確立されてきたものが多い。このような事情からどの変数が最も重要で、どのような組み合わせにおいて景観保全が現実的に有効であるのかを定める科学的な資料を集めることが急務となっている。
 従来、都市景観の総合評価の尺度として、「善い‐悪い」「好きな‐嫌いな」などの形容詞対が用いられてきた。これらは「審美性」のような非常に曖昧な主観量を含んだ作業となる。実際に景観法においても、各地域でどのような景観を目指すのかについては触れられていない。被験者は判断の難しい問いに対して実際に生じた思考を、毎回必ずしも言葉や数値によって表現できるわけではないことから、このような研究には主観評価と生体計測装置との併用が重要であると考えられる。そこで我々は景観評価において脳機能計測装置とアイカメラを導入することを提案する。



研究の方法
 本研究の目的は、生体計測装置によって得られた入力の厳密性に出力変数(景観評価因子)も対応させることで、景観評価に客観的な定量性を持たせることにある。これより入出力間に潜む相関性、ひいては粒度の粗い因果関係を抽出することが期待できる。
 これまでにも脳波計(Electroencephalography, EEG)を用いて景観画像を見たときのα波成分の変化や各種スペクトル変化を抽出してきた研究など(Ulrich, 1981; 木内ら, 1996; 木内&小林, 1999; 和田&奥谷, 2002; 安藤ら, 2003; 大谷ら, 2003)は古くからあるものの、電気的なノイズが混入するおそれがあることに加え、空間解像度の低さから全頭的な活性変化を抽出するにとどまっている。また、皿電極やキャップが心身に与える計測ストレスは感性情報処理を取り扱う上で好ましくない。そこで我々は近赤外線分光法(Near Infrared Spectrometry, NIRS)を脳機能計測装置として用いることを考えた(図2)。NIRSは脳波計や核磁気共鳴装置(Magnetic Resonance, MR)などの他の脳機能計測装置と比較して心身ともに拘束感が少なく、電気的な干渉も生じないことから我々の目的に合致している。
 NIRSとは波長の異なる2つの近赤外光により、脳内毛細血管中のヘモグロビン濃度を計測する技術である (Hoshi & Tamura, 1993; Kato et al., 1993; Watanabe et al., 1996)。脳波計と比べて2cm程度と空間解像度が高く、局所脳血流の変化からどの部位が活性化したかを捉えることができる。またMRと比べて拘束性が低いので自然な状態での計測が可能であり感性評価に適している。

図2:NIRS装置による脳機能計測 [日立メディコ社HPより転載]

 景観画像は数学的要素が強いものの、上記の説明変数だけでなく、通行人の数やそれまでの感情的な記憶など多様な情報に依存するので、計測すべき特徴量をあらかじめ決めることができない。これが景観評価を科学的根拠に基づいて決定することを困難にしている一因である。そこで我々は計測時間中にどのような因子に注視がなされていたかを調べるために視線追跡装置(アイカメラ)を用いることを考えた(図3)。特に我々の用いているTobii社製のアイカメラはディスプレイ下部より照射される赤外線により角膜(黒目)と強膜(白目)を検出するので装具が必要なく、NIRSとの同時計測が可能である。またNIRSはEEGと違い、電気的な干渉にも強いため、視線解析を同時計測することができるという特長がある。


図3:アイカメラによる視線解析 [Tobii社HPより転載]



研究の成果
 我々はプロトタイプの実験として、健常者男女26名に対し、日立メディコ社製のETG4000の52chプローブを用いて前頭葉を計測した。ディスプレイ上の景観画像を眺める課題15秒、閉眼安静45秒のシーケンスで5回行った。画像は3秒に1枚とし、自然景観・都市景観を分けて計測を行った。それぞれの酸化ヘモグロビン濃度のグラフを加算平均して、自然景観と都市景観に対する差のt検定を行った。
 本研究課題の期間において得られた結果をまとめると、自然景観と都市景観では脳血流分布が異なることがわかった(p<0.01)(図4、図5)。とくに両側の下前頭回付近(44、45、46野)を中心に有意差が認められた(p<0.05)。また、前頭眼野(8野)のあたりにも有意差が認められる(p<0.05)。


図4:自然景観に優位であった活性化部位


図5:景観画像を見た際のヘモグロビン濃度の変化

 実際に景観画像をどのように捉えていたかを主観評価と視線解析を用いて調べた。眼球運動の計測には Tobii社製のTobii2150を用いた。視線解析の結果から、都市景観では人の顔や看板に注視時間が集中していた(図6)。これは屋外広告物を規制対象にするような知見と合致している。一方、自然景観については、全体を捉える見方や水平線・海岸線に沿った動き、奥行き方向への動きなど、いくつかの注視パターンが示された。おそらく、これらは両側下前頭回の賦活の違いの一因になっていると考えられる。主観評価は「乱れた‐整った」「醜い‐美しい」「親しみのない‐親しみのある」という3つの尺度で行ったところ、自然景観のほうが都市景観よりも評価が高く、都市景観では看板が少ない方が評価が高かった。


図6:景観画像に対する注視時間のヒートマップ

 景観画像においては感情的な記憶が評価に影響を及ぼす可能性があることから、東京都の代表的な商業地の都市景観から特定しづらいものを選択している。自然景観においては沖縄県の風景画像を用いている。今回は先行研究が報告されていなかったために、52chと多めのプローブを用いて前頭葉から側頭葉までの広い範囲を計測した(図4)。プロトタイプとなる実験の結果から、人の顔や看板などのよく知られた認知課題に特徴があることが示されており、側頭葉における顔認知や言語認識などの知見ともあわせて考察していきたい。
 認知脳科学の分野において棄却域が0.01であるような実験課題はあまり多くないことから、自然景観と都市景観の分離は受動的な主観評価課題として有効な課題の一つになることは確かめられた。ただし、現段階では自然景観を「美しい」「よい」、都市景観をそうでないもの、として単純化しているために、引き続き「景観規制のある都市景観」「景観規制のない自然景観」などの提示画像を交えた差分法により実験・考察を加えていく必要がある。また両群ともに空間認知(稜線・奥行き)に対する視線停留や視線移動が長かったことから、これらは数理モデル化しやすいと考えられる。



今後の展開
 今後はこれらの解析によって得られた因子を通して、主観評価、脳機能計測、眼球運動の3つの計測法を統一的に記述するような評価軸をみつけることで、客観的な景観指標の構築や生体に与える影響の理解へとつなげていきたい。特に、注視対象である看板や人の顔が、景観評価という高次認知に対して、どのような影響を与えているのかを調べることで、景観政策へ何らかの科学的な提言ができるものと考えている。神奈川県各地域の景観まちづくりへの反映や全国的な景観法に対する検証も視野に入れながら研究していきたい。実際に、神奈川県小田原市では屋外広告物条例が制定されている。
 また、これらの計測指標が景観評価以外の感性情報処理におけるプロトコルとなることを期待している。通常の刺激提示画像は現実世界を要素に細かく分解した原始図形が用いられるが、今回のような全体論的な方法論が、例えば広告などの他の数学的要素の強い対象に対しても応用されていくのではないかと考えている。
 この資金で得られた成果は本年度のORFにおいて中間報告として発表された。さらに来年度のORFにおいて最終報告が予定されている。また対外的には、土木学会・土木計画学研究会委員会にて発表を予定しており、その内容をまとめたものを土木計画学研究・論文集に投稿したいと考えている。また外部資金獲得につなげて持続的に研究を行うため、今回の成果をもとに脳科学関連、都市工学関連の助成金に一つずつ、および科研費に申請を行った。



参考文献
Ulrich RS (1981) Natural versus urban scenes: some psychophysiological effects. Environment and Behavior, 13:523-556.
木内豪, 小林裕明, 神田学, 栗城稔 (1996) 脳波計測と官能試験による河川空間等の快適性の定量化. 水工学論文集, 40:383-388.
木内豪, 小林裕明 (1999) 屋外空間における快適性と脳波の関連について. 土木学会論文集, 629:143-152.
和田尚之, 奥谷巖 (2002) α波・β波を用いた都市景観の自己組織化臨界状態解析. 日本計算工学会論文集, 20020020.
安藤昭, 赤谷隆一, 佐々木栄洋 (2003) 被験者の景観に対する感受性を考慮した街路景観の評価について. 土木学会論文集, 737:133-146.
大谷一郎, 梨木守, 北川美弥, 尾上桐子 (2003) 草地景観の静止画とビデオ画像による呈示の脳波反応の比較. 日本草地学会誌, 48:522-525.
Hoshi Y, Tamura M (1993) Detection of dynamic changes in cerebral oxygenation coupled to neural function during mental work in man. Neuroscience Letters, 150:5-8.
Kato T, Kamei A, Takashima S, Ozaki T (1993) Human visual cortical function during photic stimulation monitoring by means of near-infrared spectroscopy. Journal of Cerebral Blood Flow & Metabolism, 13:516-520.
Watanabe E, Yamashita Y, Maki A, Ito Y, Koizumi H (1996) Non-invasive functional mapping with multi-channel near infra-red spectroscopic topography in humans. Neuroscience Letters, 205:41-44.