2008年度森基金報告書(博士課程2年 槌屋洋亮)

研究課題:移行社会における福祉ーベトナムにおける高齢化への対応からー

研究内容

本研究は、開発政策によって急速な社会変容を経験する、東南アジア地域における高齢者の福祉促進の条件を、実地調査に基づいてあきらかにしようとする研究である。本研究の目的は、「行動する主体」としての高齢者の観察を通じて、その開発政策の直接の恩恵者とはなりにくい高齢者の自立条件(ないしはその欠如)を明らかにすることである。過渡期を迎えている典型的な地域としてベトナムを取り上げ、主に中部の都市あるいは周辺農村地域で調査を行う。この地域は、開発途上地域の高齢化という一般課題と、ベトナム戦争時の激戦地であったという特殊事情をかかえているからだ。過渡期を生きる高齢者の能動的な生活上の営みへの観察は、高齢者を福祉あるいは経済発展の恩恵の受益者と捉える、既存の東南アジア地域を対象とした福祉国家論や開発政策を批判的に検討する視座を提示することにつながるだろう。

「行動する主体」である高齢者の生活上の営みとして、次の点へ注目する。すなわち、彼ら/彼女らが認識する生活上の課題(経済的な自立の問題、健康問題など)に対して、いかなる「支援」を開拓/利用し、解決を図っているのか、その営みに注目する。ここでいう「支援」とは、高齢者が「自身が望ましいと考える生活」の達成へ向けて、積極的に開拓/利用する関係(network)という意味である。具体的には家族(特に子供からの)との関係、隣人/宗教を媒介とした関係、あるいは地域コミュニティとの関係や、わずかながらに設定されている国家による支援関係を指す。本研究が検討すべき課題は、次の2点に集約される。1)過渡期を過ごす高齢者は、どのような条件のもとで、いかなる動機を持って、どのような形の「支援」を開拓/利用するか 2)1によって開拓/利用される「支援」を構成する、歴史的・社会的に形成されている(あるいは形成されてきた)規範あるいは政策思想は何か。 現時点での調査対象地は、ベトナム中部のフエ市であるが、今後はベトナム国内の地域ごとの歴史的・政治経済的な差を考慮する意味でも、調査対象地を中部フエ市周辺の農村地帯へ拡大し、地域間比較を行う。ベトナム戦争時の政治体制を巡る対立と混乱が、現在の社会経済状況に影響を及ぼしていることを考慮し、戦闘が頻繁に起きた中部の農村地域へと対象を拡大する必要がある。また多くの高齢者は農村に住んでいることを考慮すると、都市部と農村部の比較が重要となる。都市部と農村部での比較を通じて、高齢者が開拓/利用する「支援」の普遍的性格を明らかにしたい。

また、本研究では特に以下の属性を有する高齢者を重点的にとりあげてゆく。1)子供と同居していない高齢夫婦世帯 2)1人暮らしの高齢女性 3)非政府系の養護施設(たとえば宗教団体の施設)で生活している高齢者。いずれも、何らかの原因によって、子供と同居ができない(あるいは子供がいない、子供が同居を拒否する)状態に置かれている人々である。ベトナム高齢者法では、高齢者の生活は家族によって支えられるべきであるという点が、明記されているが、これらの人々はまず期待すべき家族との関係を形成することができない。何らかの理由で子供がいないとか子供に同居を拒否されている背景には、ベトナム戦争時の家族の混乱による、生活の困窮化があると考えられる。上記の属性を有する高齢者は、まさに開発政策からも外れ、「家族による福祉」からも外れ、政策から最も遠くに位置する人々であり、彼ら/彼女らが抱える問題はまさに歴史的な産物なのであり、本研究でも特に重点を当てなければならなない対象であろう。

今年度の活動

今年度は、これまで過去3年に渡って収集してきた資料、インタビューデータをもとに、研究の概念的枠組み、方法論の再検討を中心に行ってきた。これらは現在も継続中の作業であるが、2009年春学期中に、これまでの成果をまとめた報告論文を執筆し、学会誌への投稿、国際会議での発表を予定している。また、ベトナムでの継続的かつ体系的な調査を遂行する為の協力体制の構築を、継続して行っている。さらに、慶応義塾外国語学校ベトナム語科にて,ベトナム語の習得を継続的に行ってきた。今年3月に上級コースを修了し、同学科を卒業予定である。

今後の予定

継続的に研究の概念的枠組みと方法論の検討を進めてゆきたい。具体的には、福祉レジーム論や批判老年学、あるいは既存の開発論批判を基本的なフレームワークとしつつ、ベトナムの高齢者問題についての実証的な研究や、高齢者対策、医療制度、社会保障制度等に関する政策文書・レポート、統計データ等の収集・分析を行う予定である。今後は特に介護(ケア)の問題に焦点をあてて諸々の概念構築、先行研究の整理を進めてゆきたい。並行して、中部フエ市での調査を本格的に再開するための手続き等をすすめてゆきたい。