2008年度森泰吉郎記念研究振興基金
学術交流支援資金
研究課題名:「中国模範政策 統治システムからみる模範政策」
慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程3年
研究代表:藤原裕子
研究目的と意義
「模範政策が中国の統治システムに如何なる役割を果たしていたのかを明らかにする」
修士論文やその後の研究を通して、模範村が中国政治の統治システムの一要因である事が有る程度立証出来たと考えられるが、情報開示の少ない状況で、模範研究は有る意味隔靴掻痒になっていた嫌いがある。
そこで、模範政策をその初期から現代に至るまでより詳細に調査し、中共の政治と如何なる関係を持ってきたのかということを検証し、最終的には中国の政治安定つまり統治にどのように関わってきたのかということを解明したい。
1940年代、中共は激しい情報戦を展開した。新聞や雑誌、書物は教育のある都市部の居住者に適しているといえるが、内陸地における普及は極めて困難であった。一方中国の大部分を占めた農民達の識字率は極めて低く、印刷メディアよりもラジオや映画がより良く適合すると考えた中共は、口頭メディアに注目した。聴覚、視覚的メディアと対面的コミュニケーションの結合に取り組み始めた中共は、拡声器の普及と個々村への宣伝隊の派遣、更に「模範」という「成功者」の事例を挙げることによって更なる社会的・国家的統合を進めた。
この統合の過程において、筆者は「模範」という存在に注目した。「模範政策」は現在まで継続する中共の政策の一つである。しかしながら、1980年代から盛んになった中共のマス・メディア研究に反比例するかのごとく、その研究は減少する一方である。模範のその継続性から、中国の社会的・国家的形成に大きな影響を与え続けていると推測出来るにも関わらず、現在に至るまで「模範」について正確且つ緻密に分析が行われたことはない。この状況は中共政策・統治の歴史の研究において欠落した部分があるといっても過言ではない。無論、統治を「模範」という視点からのみ捉える事は妥当ではあるまい。しかしながら、様々な視点から中共の社会的・国家的形成に取り組む事が最終的にはその問題の解明に至ると考えられ、「模範」の役割は決して無視出来ないのである。
特徴(先行研究検討)
中共における「模範」の研究が盛んに行われたのは1960年代である。文革期を挟んだこの時代における模範研究はイデオロギー的な偏りが顕著にみられ冷静さが欠如している嫌いがある。それは、中国国内はおろか、日本の研究者にもいえる特徴である。具体的には大島清氏の『大寨に学ぶもの』や安藤彦太郎氏の『大寨と「大寨精神」』九重福三郎氏『中共農村建設の一考察』等が挙げられるが、イデオロギー的偏りが顕著にみてとれる。
1980年代からは「模範」は「虚偽」であるという、暴露的な研究ばかりが目立ち、1960年代同様公正を欠いている部分が多くみられる。つまり、模範に対する研究は中共のイデオロギーに左右された事によって、その構造や成り立ちについて整理されることが出来なかったのである。その中で最も客観性をもって模範の構造を捉え、模範と上級という縦軸の問題に加えて横軸つまり模範及び模範村の周辺に与えた影響を研究発表されたのが小島朋之氏である。小島氏の「中央と地方の共存と対立」の中で捉えられた模範研究は、筆者にとって大きな影響を与えた。
研究の背景
上記のように、模範の研究は未だ未着手の部分が多く、研究者が本格的な調査を行った事も少ない。そこで、筆者は、今回山西省大寨村、河北省五公村の2つの模範村にてフィールドワークをすすめ、模範村の現況とその歴史について詳細に調査をしていきたい。
研究対象
山西省晋中市昔陽県大寨鎮大寨村(1960年代から一貫して中国共産党の「模範村」として継続した唯一の村である)
(2008年9月筆者撮影)
1、大寨とは
(1)大寨の概要
・河北省石家庄から約150km、昔陽県城から5kmの地点にある。太行山脈の山腹に位置し、平均海抜1000m。(村入り口で890m、虎頭山1167m)
・平均気温9.2度
(2)大寨村の模範村としての歴史
・1964年5月11日、毛沢東「農業は大寨に学べ」で、一躍全国にその名を轟かせる。棚田(海綿田)によって、穀物量の増加に成功し、自力更生、刻苦奮闘をスローガンに模範村として活躍。134カ国の訪問者があった。
・村党書記の陳永貴は後に国務院副総理となり、鉄姑娘の郭鳳蓮は「労働英雄」として一躍アイドル的存在となる。
(村党書記、全人代代表郭鳳蓮:左1960年代:右2008年9月)(労働模範、宋立英:左1960年代:右2008年9月)
(3)その後の大寨村(80、90’)
〈80年代〉
・文革の終了とともに批判の対象とされる。10年間の空白と経済的衰退、村指導者の軟禁(事実上)が続いた。
〈90年代〉
・郭鳳蓮書記の復活とともに、多数の国家級クラス幹部の突然の訪問を始める。その後は、急激な経済発展と改革開放の模範村に。
・現在は11の企業をかかえる、模範村として活躍。村党書記は第十六全人代代表。
研究方法
大寨村での本格的な調査は、日本の研究において皆無に等しく、常に中国側の資料に依拠した形であった。そこで、まずは村民との距離を考慮しながらインタビューを中心に、その経済状況、村組織の状況、そして政治的位置づけについて詳細に調査を加える。
(1)具体的なインタビュー内容(一部抜粋:主なものにとどめる)
・1950年代から今日まで「模範」として活躍する大寨は、現在どのような状況なのか(政治的立場も含む)
・「観光地化が進む大寨」という報道が多いが(もはや模範と言えるのかという疑問等)、実際はどのような経済状況になっているのか(どのような収入源があるのか)
・隣村(模範村以外)とはどのような差異が生じているのか。
・大寨の村民は「自力更生」「刻苦奮闘」を現在も持続しているとの発表があるが、実際はどのような状況なのか。
・模範村大寨の歴史的変遷を大寨で活躍中、或は労働英雄として活躍された方々を訪問し伺う。
・明らかにされてこなかった「80年代の大寨」について村民のインタビューを重ね、80年代当時の党書記にインタビューをする。
・何故90年代に突然模範として復活したのかについて調査(状況をみながらの質問にとどめる)
・大寨企業について伺う(状況をみながらの質問とする)
(2) データ収集
・ビデオ、ヴォイスリコーダー、カメラによる撮影、録音をおこない、村の状況や農業・観光地の状況を詳細に収集。
・資料・書籍による収集:村党書記郭鳳蓮からの個人的情報(個人史)、大寨村志(村史)を筆頭に、大寨に関する資料或はデータを村委員会より入手する。また大寨に関する書籍を(大寨村で販売)入手し吟味を重ね、翌日のインタビューや情報収集に利用する。
(3)大寨村、大寨近隣村の視察及び聞き取り調査
・近隣村との経済的格差がどの程度開いているのか、或は同レベルであろうか。
・近隣村は大寨に対してどのような印象を持っているのか。
・大寨の中での貧富の差は生じているのか、大寨企業についてもその実情を把握する。
・農業・林業の状況の把握(村民と畑や山に入って状況を調査)。
フィールドワーク報告
1、大寨村の現況
人口 |
600人弱 |
戸数 |
216戸 |
総収入 |
�P2000元 |
平均収入(一人当たり:年) |
7000元 |
専業農家 |
無 |
・ 大寨村党支部、委員会作成資料
2、大寨経済発展状況
【年収の比較】
単位:万元、元(大寨村党支部作成)
3、経済状況
【80年代と2006年度を比較】
総収入 |
570倍 |
固定資産 |
238倍 |
平均年収 |
37倍 |
国家への上納 |
2000倍 |
・ 大寨村党支部、委員会作成資料
(1)大寨公司(村党書記郭鳳蓮インタビューに基づく)
1、炭坑
2、セメント
3、運輸
4、飲料品(大寨クルミジュース)
5、旅行
6、養殖(主に豚)
7、大寨食品
8、大寨酒
等、現在11公司。
*養鹿は中止
(2)福利厚生
老齢年金の充実
60−69歳 |
100元 |
70歳以上 |
150元 |
大寨村党支部、委員会作成資料
・副幹部以上共産党員 毎月:200元
・大学生年間奨学金1000−2000元
・小学校の学費、書籍等無料
・農具費(機械類)無料。
・住宅購入費の50%を村が負担。
(3)住宅事情
新中国誕生前後 |
「窰洞」 |
第一代村民新居 |
「火車廂房」 |
第二代村民新居 |
93年完成:5.5万元 |
第三代村民新居 |
05年完成 6万元 |
大寨村住宅楼 |
施行中 6.5万元 |
愚公石公寓 |
建設計画中 |
新中国誕生前後 「窰洞」(左側)
第一代村民新居 「火車廂房」 第二村民新居 93年完成 5.5万元
第三代村民新居 05年完成 6万元 大寨村住宅楼 施行中 6.5万元
愚公石公寓 建設計画中
4、近隣村との比較
近隣村(晋中市昔陽県大寨鎮武家坪村) 近隣村:陽泉市平定県鎖簧鎮梨林頭村
(1)聞き取り調査の結果
・大寨村の福利厚生がしっかりしているところが羨ましい。
・この辺りの学校は大寨村が一番良いので、子供を寄宿舎に入れている。
・大学進学率は非常に少ない(大寨村よりも)
・生活は安定せず、出稼ぎに行くパターンが多い。
5、大寨の炭坑
(写真左上、右上)この御夫人は山西省の他の地域から大寨炭坑に出稼ぎに来ている。炭坑に女性が入ると石炭が採れなくなるという迷信から、石炭のくずから使えるものを探している。日給25元。何度もぬい直した手袋が過酷な作業である事を物語っていた。
(写真左下、右下)炭坑には宿舎がある。一人一間の宿舎が提供されている。作業員は四川省からの出稼ぎが多い。8時間交替で24時間体制の勤務である。
6、大寨村の教育
・大学進学は1年に5−6人程度であり、設備と教師との質が高い事から、近隣村より生徒が大寨学校に通う(寮を完備)。
大寨学校(小学校)94年落成 大寨中学
雷鋒に学べ 寄宿舎
7、旅行業:大寨の観光
・観光業は大寨総収入の3割程度である。92年朱鎔基の提案で観光業を開始。総体的に、大寨展覧館等「大寨の歴史(政治的な)」を伝えるものが多い。
(1)現在の棚田(退耕還林)
・1992年:朱鎔基の提言で「退耕還林」を開始し、棚田に植林し虎頭山を森林にもどす作業を行っている。また環境面では土砂の流出を防ぐと言った目的も果たしている。棚田の減少と崩壊によって果樹園等も始めた。
以前の棚田 現在の棚田(退耕還林)
(2)大寨観光業の内実
・概観
〈年齢層〉旅行者は概ね40歳以上であり、20、30代は父母からの話を契機に参観するパターンが多い。
〈目的〉「懐古主義」またはその「変貌ぶり」に興味を持つ。
〈旅行者の出身地〉北京,太原,河北,山东,内蒙,阳泉の人々が比較的多い(大寨国際旅行社の回答)
・大寨観光業の問題点
大寨精神との矛盾。
→入場券(30元)を払う事に対する抗議がある。
*旅行会社の人によれば10%の人が大寨旅行に満足であったと述べている。
→入場料の問題と過去の政治的プロパガンダ展示館は好評とは言いがたい。大寨国際旅行社回答)
(写真)右:前党書記、陳永貴の偉大な石像の前で踊る大寨ダンシングチームの皆さん 左:周恩来に出された果物の陳列
・大寨における観光業(まとめ)
・新大寨は観光地として活躍しているとは言いがたい。
・観光客は年々減少。特に外国人は殆ど皆無。
・郭書記、旅行社も新たな計画を模索中。
8、「農業は大寨に学べ」の崩壊
1975年 |
第一回農業は大寨に学べ会議」(華国鋒主催)鄧小平との確執 |
1976年 |
四人組逮捕。 |
1977年 |
生産請負制開始 |
|
→大寨への批判が徐々に強まる。 ・大寨村で華国鋒支持の運動を展開。 |
1980年 |
鄧小平との懇談:郭鳳蓮の直訴(6月) |
1980年11月23日 |
政府による大寨報告(批判) 鄧小平への嘆願から5ヶ月後。 |
|
郭鳳蓮、大寨より追放。 |
大寨村での華国鋒支持の行進:先頭は現党書記の郭鳳蓮
鄧小平より「大寨は自身の力で創造してきた。国家の援助ではない。私も大寨に行って学んだ事が沢山ある。もし大寨運動がなかったら全国の生産量は上がらなかった」と激励と支持をとりつけるも、結果的に批判の対象に。
中共中央(83号)文�」(80年11月23日) 「関与農業学大寨運動中経験教訓的検査報告」 【要約】 文革以前は先進典型であった。文革後左路線に走り、主な責任は陳永貴氏が負った。中央は大寨の自力更生と刻苦奮闘への回帰を願い良き作風、伝統を守り、先進典型として社会主義建設に新しく貢献してもらいたい。 |
(1)80年代の大寨村と指導者】(インタビューの内容を含む)
郭鳳蓮書記は夫の賈富元が住む昔陽県人武部の宿舎に移住。2年間の自宅待機。82年自宅待機から楡次市にある晋中果樹園研究所の副所長の職を与えられるが、事実上の軟禁状態であり、果樹園の中に一間の家という粗末なものであった。1983年、胡耀邦との面談(郭鳳蓮)が叶い「党の責任を貴方が一人で負う必要性はない、今の望みはなにか」と復帰を尽力すると言われる。
昔陽県での仕事を希求した郭鳳蓮の希望が通り、昔陽県道路局党支書記の職に就く。
(2)〈村の状況〉(80年代初期のインタビュー内容を含む)
大寨で生産請負制を開始し、30万元投資し「炭坑、石炭会社」を設立。周辺からの大寨批判の増加は顕著であり、非常に過酷な時期を過ごした。経済の衰退は著しく、村外へ打工(出稼ぎ)の増加。それに加えて、急進的な指導者が定まらず、書記の頻繁な交替がみられた。その後、200万元の借款を受けて合成化学工場を造るも1992年に操業停止(多額の負債)
・指導者の不在と経済的逼迫状況に陥る。
*下記80年代の人事をみると、指導者の任期が極端に短くなっている。
書記の交替
職務 |
姓名 |
性別 |
在職期間 |
書記 |
賈進財 |
男 |
1948.8-1952冬 |
|
陳永貴 |
男 |
1952.冬-1973.6 |
|
郭鳳蓮 |
女 |
1973.6-1980.12 |
|
賈長鎖 |
男 |
1980.12-1983.3 |
|
趙素恒 |
男 |
1983.3-1985.7 |
|
趙存棠 |
男 |
1985.8-1986-12 |
|
高玉良 |
男 |
1987.1-1991.10 |
|
郭鳳蓮 |
�� |
1991.11 |
(出典:大寨村志)
副書記
職務 |
姓名 |
性別 |
在職期間 |
副書記 |
陳永貴 |
男 |
1948-1952冬 |
|
賈進才 |
男 |
1952冬-1956 |
|
梁便良 |
男 |
1956.10-1991.10 |
|
宋立英 |
女 |
1958.10-1987.12 |
|
賈承譲 |
男 |
1964-1977 |
|
郭鳳蓮 |
女 |
1968-1973.6 |
|
趙存棠 |
男 |
1983.3-1985.7 |
|
賈承生 |
男 |
1987.1-1991.10 |
|
賈春生 |
男 |
1991.11- |
|
李会明 |
男 |
1991.11- |
(出典:大寨村志)
9、郭鳳蓮の帰村と急激な経済発展
91年11月15日郭鳳蓮大寨党書記に復帰
(87年:昔陽県道路局党支書記)
92年3月国務院副総理 田紀雲訪問。
3月 華西村を訪問(宋立英と)。呉仁宝と会談後、大邱庄に向うよう進言される。
4月大寨経済開発総公司設立 郭鳳蓮主任経理に。
5月国務院副総理 朱鎔基訪問。
→退耕還林政策開始。
国家幹部の大寨村訪問履歴と大寨村の経済発展状況
年/ |
訪問履歴 |
大寨経済発展 |
称号授与 |
1992年 |
副総理田紀雲(3月)、朱鎔基(5月) |
経済開発総公司 |
十四大党代表(9月) |
1993年 |
国務院副総理鄒家華 |
炭坑、石炭会社、セメント会社、セーター会社、貿易公司設立、ワイシャツ会社設立 |
先進党支部称号 |
1994年 |
江沢民(山西省視察)郭鳳蓮と座談会。 |
大寨工貿ビル建設、大寨新学校、大寨道路全面整備 |
精神文明村 |
1995年 |
|
大寨ニット有限会社、大寨森林公園、大型貯水池完成 |
小康建設先進村 |
1996年 |
国務院副総理李嵐清 |
人民作家の墓建設、大寨展覧館完成、水利事業完成 |
全国先進基層党組織 |
1997年 |
香港鳳凰衛星電視台総統訪問/全国からテレビ、新聞記者200人あまりが来訪 |
大寨酒有限公司、陳永貴胸像完成 |
紅旗基層党組織 |
1998年 |
国務委員、国家民委主任司馬義訪問 |
新大寨住宅完成 |
省級文明村 |
疑問点
1経済発展の為の金銭の工面。
2突然且つ多くの国家クラス幹部の訪問(称号の授与も含む)
(1)金銭の工面(郭書記インタビュー等)
・92年:友人(個人的な)からお金を工面してもらった。
・93年:銀行の融資。
【個人的な友人】
・大邱庄の禹作敏に50万元の融資を受ける。(10月に大邱庄訪問。華西村からの紹介)
・香港投資会社の黄鴻年からの出資。(山西省副省長の張維慶からの紹介)
(2)国家幹部の訪問の理由
・大寨を全面否定する事は共産党の否定にも繋がる(大寨は中共と同じ境遇である)
→左路線に利用されただけ。
・華西村や大邱庄等の模範利用が盛んになる中、知名度の高かった「大寨」の再利用を模索。
→改革開放の村として復帰させる。
10、大寨の継続性と指導力
*指導力の背景と模範村継続の鍵
(1)郭鳳蓮の縦と横の人脈
80年、鄧小平への直訴、83年には胡耀邦と面談。92年には香港、華西村、南街村、大邱庄訪問。
・ 郭鳳蓮は各地の改革開放村を視察、県、省級クラスの人々に面会。縦と横のコネクションを駆使していることが分かる。
・ 「大寨と郭鳳蓮」の知名度を如何に使うかを熟知している。
・村民からのフィードバックを常に機能させる。不在の際は他の幹部に大寨村の管理を頼む(サブリ�[ダーの存在:宋立英、梁便良氏]
(2)河北省饒陽県五公村との相違
戸数 |
800戸 |
人口 |
2960戸 |
総収入(年収) |
3000元 |
進学率 |
1年に14人程(正確には統計無し) |
(インタビュー内容:筆者まとめ)
・村企業ゼロ。観光収入ゼロ。専業農家ゼロ。出稼ぎ。
五公村 耿長鎖書記銅像
耿長鎖記念館 五公村党書記李長鋒
・平均年収3000−4000元(大寨の半分)
【模範として大寨のように継続出来なかった要因】
・パイロットケースであった事。
・耿長鎖書記が死去後、親族が書記になるものの、経済的発展に立ち後れる。
→指導力の問題は重要。
(3)大寨と権力闘争
大まかな権力闘争
年 |
権力構造 |
60年代 |
毛沢東(大寨)と劉少奇(桃園) |
70年代 |
70年代:華国鋒と鄧小平 |
80年代 |
80年代:胡耀邦と鄧小平 |
90年代 |
朱鎔基と鄒家華 |
大寨村訪問履歴と訪問者の背景
年 |
訪問履歴 |
訪問者の背景 |
1991年 |
|
朱鎔基上海書記と鄒国家計画委主任が国務院副首相に選出。 |
1992年 |
副総理田紀雲(3月)、朱鎔基(5月) |
全方位:田紀雲、朱鎔基。 →江沢民への警告。 朱鎔基のみ政治局常務委員に抜擢(鄒の地盤弱体)/南巡談話。鄧小平→李鵬の後任を朱鎔基、李鵬は後任に鄒家華。 |
1993年 |
国務院副総理鄒家華 |
江沢民国家主席就任。 |
1994年 |
江沢民(山西省視察)郭鳳蓮と座談会�B5月28日国務院副総理、田紀雲 |
|
1995年 |
|
|
1996年 |
国務院副総理李嵐清 |
江沢民のモスクワ留学組。 |
1997年 |
5月全人代常委会副委員長李錫銘。全人大常委会委員長6月喬石 |
李錫銘(保守派) |
1998年 |
国務委員、国家民委主任司馬義訪問 |
朱鎔基:1998年3月から2003年3月まで江沢民国家主席の下で5年にわたって国務院総理 |
1、91年朱鎔基上海書記と穏健改革派の鄒家華国家計画委主任が副首相に選ばれる。
→この人事で改革開放にてこ入れをすると同時に江沢民指導部に警告(鄧小平)
2、李鵬の後任
→鄧小平は朱鎔基、李鵬は鄒家華を推す。
3、92年朱鎔基のみ政治局常務委員に抜擢。
→「全方位」:田紀雲、朱鎔基(鄒の地盤緩む)
(4)大寨と権力関係(まだ調査中)
・91年からの問題は「経済問題」であり、農村地域の活性化(改革派)を重視した。鄧小平から「経済の分かる男・朱鎔基」と呼ばれていた朱鎔基は、上海(沿岸地域)発展だけではなく、農村地域の活性化で成果を上げる事によって、権力闘争の勝敗が決まる事が背景に有る事と、模範村の利用の高まり(華西村、大邱庄)という状況から、大寨の再利用を進めたと推測する事も出来る。
11、大寨にみる中宣部の宣伝方式
*大寨精神の意味とその変遷。
*自力更生の大寨から改革開放へ移行させる手法。
(1)大寨精神(自力更生、刻苦奮闘)
他の者に頼らず自分の力で一生懸命奮闘する。
→国家からの援助を受ける事なく、自力で成果を出す。
【文革前後】
→上記の意味に付加して、質実剛健、質素倹約、物質主義の否定が大寨精神に組み込まれている。
(入場料支払いの拒否に繋がる)
【90年代以降】
「大寨精神」を基本に新しい社会主義市場社会を建設したいと考えた。(華西、南街村)
→「自力で懸命に頑張って利益を上げ、豊かになれる者から豊かになるのだ」
(2)中宣部の模範利用による中共正当性とその方法
【スライディング方式】
・大寨精神(自力更生、刻苦奮闘)の意味付けを変化させる。
→白黒はっきりさせない。
・自力更生の意味の変化。
→解放軍の軍企業問題で用いられなくなる。
「大寨精神」と「刻苦奮闘」のみ使用。
12、今回新たに判明した事
1、模範村が「虚偽でねつ造されただけの村」ではない。
→大寨の評価への反論。
2、「観光村大寨」(一部論文、新聞報道)の否定と「改革開放の模範村」としての活躍。
3、模範村の成果には指導者の指導力が重要である。
結論
・大寨村という模範の継続は、金銭面のなにかしらの支持があったと仮定しても、そこで重要であった点は「指導力」であったと認識出来る。
→継続性は指導者の指導力に大きな要因が潜んでいる。
・模範村が「模範」とさせる対象や目的が細分化されている。
・大寨:農村地域の活性化が主な目的
→「観光の大寨」ではない。
・中宣部の模範利用の手法の解明。
→80‘から90年代にかけての大寨精神の解釈の変化。
・現在も、模範村が統治或は支配の「正当性」を証明する役割を担っており、中共の特徴ある政策の一つである。
・大寨村が単なる「観光村」としてだけではなく、具体的な結果(経済発展という)を出して「模範村」として活躍している。
・「新農村建設」というスローガンと・の結果を基に特に農村地域の幹部訪問等を通じて活動を続けている。
・中央とも連携し、国務院中央精神文明建設委員会から「文明建設先進村」という称号をうけ、現政権、共産党を支持する事を表明また指導されている。
→模範は生きた「手本」であり、中共の「正当性」を主張する手段である。
但し、模範に関する諸問題は噴出してきている。
・北京オリンピックの英雄少年問題。
→内陸地と沿岸部の人々、或は知識人や若年層の模範不支持の傾向は否めない。
将来の展望
【研究の視点】
統治、支配の正当性にみる模範
【今後の計画】
・大寨と現在もつながりの強い「華西村」と「南街村」のフィールドワーク。
→横軸の解明。
・北京オリンピックの英雄少年利用。
→模範の新たな局面。
13、学会報告
(1) 国内学会発表
「模範村の変革「改革開放の模範村『大寨』」
----大寨村フィールドワーク報告----」
「日本現代中国学会 第58回全国学術大会」於:東京大学 2008年10月18日 (土)・19日 (日)
(2) 国際学会発表
“Model Propaganda by the Chinese Communist Party-Example of Dazhai”
The Fifth Gradurte Seminar on China:第五届国際研究生当代中国研討班 January7-10,2009 Hong Kong Chinese University:香港中文大学
参考文献(一部抜粋)
・ 王俊山編『大寨村志』山西人民出版社2003年
・ 大寨村党支部、委員会作成資料
・ 孔令賢『大寨滄桑』山西経済出版社2005年
・ 『陳永貴』VCD10枚組 中央人民広播電台電視節目政策中心
・ 『大寨紀実』VCD6枚組 広州新時代影音公司出版発行
謝辞
今回森基金助成金を頂き、その結果日本での研究者が殆ど調査を行ってこなかった模範村にて多くの貴重な資料を得る事が出来た。
この助成金がなければ私のフィールドワーク自体が遂行出来なかった為、感謝の気持ちで一杯である。
中国の農村に入る事は予想以上に危険と隣り合わせであり、準備も万端で臨む必要があったが、それらの面も助成金によって色々と解決する事が出来た。
また、森基金でのこのフィールドワーク活動を、国内・国際学会で発表出来た事は、研究者としても大きく飛躍出来たと思う。
心から感謝の言葉を述べたい。
また、大寨村、五公村の皆さんのご協力がなければこのフィールドワークは成功出来なかった。本当に有り難う御座いました。
郭書記、李書記、大寨、五公人們、非常感謝。
そして、昨年亡くなられた、筆者の指導教官である小島朋之先生に感謝の気持ちをお伝えしたい。
小島先生、先生の写真を大寨村と五公村に持って行かせていただきました。先生が歩かれた大寨村の道で、様々に思いを巡らせながら毎日歩きました。
先生の御指導を無駄にする事なく、精進して参ります。