2008年度森泰吉郎記念研究振興基金報告書



政策・メディア研究科 後期博士課程
植村 さおり


1.研究課題名

現代シリアにおけるザカー、サダカの実践の変容に関する研究

2.研究の概要

 本研究は、近年シリアのムスリム社会で興り始めた新しいかたちの慈善活動についてのフィールド調査を通じ、 それを同社会におけるイスラーム的社会保障システムの一環であるザカーおよびサダカの実践の変容と捉え、明らかにするものである。さらに、その要因として、ムスリムたちの間に内面的なイスラーム復興現象が起こりつつあるのではないかという仮説を考察する。
 研究の意義としては、イスラームの教えに基づく見えない富の還流システムの実態を明らかにすることで、異なる経済状況にある人々の間でも共有しうる幸福や、その実現のためのヒントを得られる点が挙げられる。さらには、ムスリムたちの平和的で建設的な社会変革に対する取り組みを、内面的なイスラーム復興ととらえることで、概して危惧されがちな「イスラーム復興」に対して新しいパースペクティブを加えることができる。イスラーム世界に対する開発援助政策等に対して提言を行なうことも成果として期待される。


3.本年度の研究活動
3−1.文献調査
 本年度は、おもにザカーやサダカに関するフィクフやイスラーム経済論についての文献を扱ったほか、イスラーム経済論との関わりから、近年日本でも注目されるようになったイスラーム金融に関する文献を整理した。また、(財)国際貿易投資研究所「イスラム諸国でのビジネスの基盤をなすイスラム・ビジネス法の実態」研究会に参加し、 11月26日に研究報告を行った。

3−2.フィールドワーク
 シリアのアレッポのムスリム社会におけるザカーやサダカの変容およびその要因や効果に関する予備調査のため、 2009年2月9日〜2月26日にかけて、シリア・アレッポ市でのフィールド調査を行った。
  アレッポにおける慈善活動は、従来型と新型ふたつに大別することができる。従来型の慈善活動というのは、集められたザカーやサダカを、食料品や衣料品のかたちで貧困層に配布する「ばら蒔き型」であることが多く、一部の貧困層に見られる依存体質の要因にも深く関わっている。一方、新型の慈善活動を担う人々は、このばら蒔きに対して強い問題意識を持っており、ザカーやサダカを、より貧困層が自立して生きるための支援に使うべきだとする「自立支援型」の活動を企画し、実践している点で、従来型の慈善活動者との違いは明らかである。このような「自立支援型」のザカーやサダカは、「ばら蒔き型」に比して、よりイスラームの本来の教えに則ったものであり、それを担う人たちも、そのことを強く認識している。従って、このような活動が登場しはじめたことは、アレッポのムスリム社会におけるザカーやサダカが、その実践における変容の時期を迎えているということを意味しているのではないかと考えられる。
 今回のフィールドワークでは、おもにこうした新型の慈善活動に従事する活動者に対するインタビューおよび、 彼らの活動見学を行った。詳細は以下のとおりである。

■政府公認慈善団体であるEIEA(教育と対・非識字の会)メンバーに対するインタビュー
■慈善活動家の女性たちの活動見学およびインタビュー
 ・未亡人女性をはじめとする貧困層女性および子どもの自立支援活動について
 ・アレッポにおけるザカーやサダカの実践について
■身体障碍者の生活支援を行う慈善団体「障碍者の未来の会」を訪問、代表へのインタビュー
■ハムダーニーヤ地区にあるムスタファモスクのイマーム、ジャミール氏へのインタビュー
 ・イスラームにおけるザカーおよびアレッポにおけるその実践について
■ミダーン地区およびフッルク地区の未亡人女性宅訪問調査
■シリアで業務を展開するイスラーム銀行に関する情報収集


3−3.現在までのまとめ
 現在、アレッポ市においてザカーやサダカの大半は、おもに「ばら撒き型」で、 分散的に配布されていると見られるが、若い活動者を中心に、貧困層の自立支援を目指す 「新型」の活動も、次第に散見されはじめている。しかしならが、こうした活動を担う人々の ところに集まるザカーやサダカは、不定期的で、額も安定していないため、こうした活動者たちは、 自身で活動資金を捻出する方法を模索しながら活動を続けており、その組織化や活動の拡大には 時間がかかると思われる。
 すなわち、アレッポのムスリム社会においては、一定のザカーやサダカは拠出されてはいるものの、それが有益で継続的なプロジェクトのために使われないという問題が指摘できる。毎年ラマダーン月には大量のザカーが拠出されるが、その大半が食料品に姿を変え、飢えた人々の一時の空腹を満たすことしかしないのである。貧困層が自立するために、その子どもたちが一貫した教育を受け、きちんとした職につくための支援をしない限り、こうした状況や社会構造は変わらないと考えられる。
 貧困層の人々自身が、与えられるザカーやサダカに甘んじ、最低限の生活から自分で抜け出そうと努力しないこと、そして富裕層・中間層がザカーやサダカを本当の問題解決に対して投じないことが両方あいまって、アレッポの貧困緩和を困難にしている。そしてこのことは、双方が教えとしてのイスラームをきちんと実践していないという問題に集約される。
 近年アレッポにおいては、イスラームの教えにより即したザカーやサダカの実践の兆しが、草の根レベルで確認されはじめたといえる。こうした実践の変容が社会全体の潮流となるためには、ザカーやサダカとして拠出された富の流れを、貧困層の自律支援を目的とする有益なプロジェクトを担う人々のもとへと届くように変える必要がある。それはどのようにすれば可能なのか、そうした動きが見られるのか、今後の研究で追究していくべき点である。

 ※尚、筆者は3月15日〜4月2日まで、ひき続きアレッポに滞在し、サラーフッ=ディーン地区およびカラム・アル=アファンディー地区等での訪問調査、「新型」の活動家たち、およびEIEAメンバーたちに対するインタビュー調査を行う予定である。