2008年度森泰吉郎記念研究振興基金 報告書

                                                                                           

言語獲得における複数動詞を用いたイベント認知の発達に関する研究

慶應義塾大学 政策・メディア研究科 佐治伸郎

 

 

      活動報告

 

1.課題

語の意味を学習という問題を考える際,一つの語を産出するか/しないかといった単純な指標のみではなく,似たような他の語との関係を大人と同じように理解しているか/いないかという視点は非常に重要である.例えば子どもが日本語における「切る」という語の意味を大人と同じように理解するためには,ある動作に対して「切る」という動詞を適切に産出できるだけではなく,大人であれば「壊す」「割く」など動詞を用いるような他の動作に対して「切る」ではなくこれらの動詞を産出出来なくてはならない.本研究ではその様な語と語との使い分けの関係を子どもがどの様な過程を経て理解するか,中国語,日本語それぞれの持つ/運ぶ系動詞を取り上げ,実験的手法を用い調査した.中国語の分析は,前年度に取ったデータを用いたものに更に分析を加えたものを一部含んでいる.

 

2.中国語児に対する実験

中国語の持つ/運ぶ系動詞の特徴として,その種類の多さが挙げられる.例えば頭の上でモノを支える”Ding”, 肩で担ぐ”Kang”,手のひらでお盆の様なものを支える”Tuo”など,その種類は20以上にも及ぶ.本研究では刺激としてそのうちから13の動詞を選びビデオを作製した.実験はビデオを用い,産出実験を行った.産出実験においては3(16)5(20)7(21),大人(大学生:21)に加えさらには2歳児の母親(16)5歳児の母親(16)に参加してもらった被験者はそれぞれのビデオを見,最もその動作に適する動詞を答えてもらった.親は自分の子どもと共に実験に参加し,子どもに対して語るように実験を受けてもらった.産出実験の結果から年齢群ごとにビデオに対して産出された動詞を集計し,各年齢群の名付けパターンを表したマトリクスを生成した.

 

3.分析

       3-1.相関分析

次に,子どものビデオに対する動詞の使い分けのパターンが,どの様に大人に近づくのか(または離れるのか)を見るために,相関分析を行った.手続きとして,まず各年齢グループにおいて,各ビデオに対する産出動詞のベクトルのペア全てから相関行列を生成し,さらに年齢群間で相関行列動詞の相関を取る方法を取った.大人と子どもの分布の相関を図1に示す.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


    Figure1. 相関分析

 

子どもの産出パターンは年齢が上がるにつれ,大人との相関を高めている様である.しかし7歳児であっても大人との相関は0.6程度で大人に充分に近づいているとは言い難い.

この様な結果に至った要因を考えると,親の運用というのが一つの可能性として挙げられるだろう.つまり親が積極的に簡易な語を子どもに対して用いることによって,子はその運用パターンを習得してしまう可能性である.しかし今回の実験において,2歳児の親も,5歳児の親も,その運用パターンは極めて自然な状況で実験を受けた大人(大学生)と高い相関を示し,この影響は考えにくいことが示された.

 

              3-2MDS

では実際の運用の仕方にどういう違いがあるのだろうか.次に子どもと大人の実際の動詞の運用パタンを視覚化するためにマトリクスを入力としたMDSを行った.2に示した各年齢群におけるプロットを見ると,大人のプロットは円状,つまり各プロット間の距離が比較的等間隔であるのに対し,低年齢になるといくつかのプロットの位置が近く,島を構成していることが見て取れる.このことは,子どもがいくつかの動詞を混同し,うまく使えていないことを示している.

 

Figure2DAdults

 

Figure2C7歳児

 

 

この子どもと大人の運用パタンの違いにはどの様な要因が働いているのか調べるために,個人差MDSを行った.結果を以下に示す.

 

 

Figure3BCommon Space D1XD3

 

Figure3ACommon Space D1XD2

 

 

 

Figure4AIndividual Space D1XD2

 

3に示した共通空間を見ると,次元1は“体のどこでモノを持っているか”に関する軸であると解釈できる.次元2はオブジェクトがどれだけ子どもにとって親しみがあるか,軸3はオブジェクトの知覚的特徴に関する軸であると解釈できる.続いて個人空間を見ると,大人は軸1に対して子どもより重み付けをするのに対し子どもは大人よりも軸23に重きをおいていることが分かる.これは大人が動作の名づけに対して動作のmannerに着目できるのに対して子どもはイベントにおけるオブジェクトに引っ張られて名づけを行ってしまうという特徴の違いを表しているといえる.

 

4.日本語児に対する実験

ではこの意味の再編成は日本語の場合はどう進むのであろうか.日本語にも「持つ」「背負う」「担ぐ」などの複数の持つ/運ぶ系動詞があるが,例えば「持つ」が上位概念的に,一段抽象的な意味を持つ一方で他の動詞はより詳細な動作を参照している点で中国語とは異なる部分があるといえる.また動作の様態の表し方についても名詞や擬音語,擬態語に軽動詞を用いることで多様に表現可能である.この中国語とは異なる特徴を持った日本語を,日本語を母国語とする幼児は以下にして学習していくのだろうか.本研究ではこの様な問題意識の元, 中国語への分析を引き継ぐ形で日本語児を対象に実験を行った.

実験では,幼児が親しみやすい用,女の子が様々な様態で鞄を「持つ」ている16種類のカードを刺激として用いた(例として図5参照).これを3歳児(10)4歳児(17)5歳児(20),大学生(25)にランダムに提示し,その動作を最もよく表す動詞を答えてもらった.

分析では,まず各年齢群が産出した動詞のタイプ数を確認した.各年齢群における産出動詞のタイプ数の平均は3歳児:4.24歳児:4.415歳児:5.65,大学生:8.96であり,ボンフェローニ補正を用いたt検定の結果幼児グループ動詞に有意な差は無かったが,大人のグループと幼児のグループにはいずれも有意な差が見られた(all ps <.01).次に実際にそれらの語を用いた幼児グループの運用パターンと,大人の運用パターンがどれくらい似ているかを調べる為,中国語同様,行をカード,列を産出された動詞としてマトリクスを作成した.続いて16の行(16のカードそれぞれ対してどの様な動詞が産出するかを表したベクトル)を用い相関行列を作成し,更に各年齢群の相関行列同士の相関を取った.結果は3歳児と大学生の相関が.224歳児と大学生の相関が.305歳児と大学生の相関が.28となった.ここまでの分析で特に大人との相関が低い3歳児の運用に着目すると,3歳児は他年齢群と比べ“する”“やる”で表される軽動詞の使用が多く(被験者内使用率の平均,3:.21),年齢が進むとこの使用は少なくなり(4:.045:.09),「持つ」や更に具体的な動詞へと移っていく.これはSaji(2008)の中国語のケースには見られなかった特徴であり,特に日本語の動詞の獲得初期においては抽象的な意味を持ち,広いイベントをカバーできる軽動詞が大きな役割を果たす可能性を示唆している.

 

 

5.日本語児の実験に対して用いたカード

 

 

5.今後の方針

目下日本語の分析を進行中である.低年齢群の「する」「やる」などのlight verbの運用からより具体的な動詞への推移を,定量的に明らかにする.またこれらの分析と動詞進行で,新奇動詞を用いた拡張実験も,今年度予備データを取ることが出来た.来年度はさらに,これについても本実験へと肺って行きたい.

 

 

6.活動実績(学会・シンポジウムでの発表)

         Saji, N., Saalbach, H., Imai, M, Zhang, Y., Shu, H., & Okada, H. (2008.7). Fast-mapping and Reorganization: Development of Verb Meanings as a System. Proceedings of the 30th Annual Conference of the Cognitive Science Society(pp. 35-40). Mahwah, NJ: Erlbaum.

         佐治伸郎,今井むつみ,Saalbach Henrik(20086), 語彙獲得における動詞の使い分けに関する研究:中国語の「持つ」系動詞を事例として, 日本認知言語学会論文集第8

         Saji, N., Saalbach, H., Imai, M, Zhang, Y., Shu, H., & Okada, H. (2009). From Object-based Category to Manner-based Category: Developmental Trajectory of Children's Verb Learning, Poster presented at the SRCD 2009 Biennial Meeting. Denver, Colorado, USA