2008年度森基金研究成果報告書

 

政策メディア研究科 修士課程2

学籍番号:80724915

舘野広大

1、活動の概要

 

テーマ

レバノンにおける保健医療改革の実態調査

 

研究課題と活動内容

レバノンにおける保健医療改革がどのようなものなのか把握し、今後の研究における分析に役立てることができる資料や情報を入手すること。

 

活動期間

2008912日から2008924日(正味日数12日)

 

受入機関と実施場所

・機関名:Saint-Joseph University
・部  署:International Relations Department
・受入担当者氏名:Professor Khalil Karam

・実施場所:ベイルート(200891215日、19日〜22日)

            スール(2008916日〜18日)

 

当該活動の位置づけと目的

当活動は、筆者の修士論文研究のための調査に位置づけられる。その研究の課題はレバノンにおける保健医療改革の平和構築の効果を考察するものであり、当活動の目的は当該地における対立状況(被害や復興状況)の把握、保健改革の実態の把握である。

 

活動スケジュール

912日(金) 現地到着。セント・ジョセフ大学への訪問

913日(土) ベイルート市内の把握

914日(日) ベイルート市内の把握

915日(月) セント・ジョセフ大学への訪問

916日(火) スールへ移動、スールの把握

917日(水) スールの把握

918日(木) アメリカン大学(スール)への訪問

919日(金) ベイルートへ移動、アメリカン大学(ベイルート)への訪問

920日(土) ベイルートの状況把握

921日(日) ベイルートの状況把握

922日(月) MOH、セント・ジョセフ大学への訪問

923日(火) 帰国。

実質的な活動は、大学の図書館やデータベースを利用して資料を得ることが中心となった。

 

2、レバノンにおける保健医療改革の実態

以下はフィールドワークを通じて得られた資料を基に、レバノンにおける保健医療改革についてまとめた報告である。

@政府の役割

【政府の役割の増大】

1990年代は国際機関によって適用されてきた政策とパラダイムの見直しが見られたころである。世界銀行は「民営化」を主張してきたが、市場の失敗や公共財は万人へ提供されるべきサービスであるという論拠を基に、その考えを再考せねばならなくなった。保健医療分野における政府の介入も再び重要性を増した。

 90年代中頃の、世界銀行のローンによる支援により、レバノン政府は保健医療分野の統制と保健医療資源の計画、サービス開発における役割を強化することに目標を定めた。保健医療当局の役割は政治的そして行政的変化の事件とともに発展してきた。保健医療当局の役割は、オスマン帝国から維持されている環境と公共衛生の防護に関わるもののみであり、保健医療に関する統制の仕事は次第に導入されていった。

【保健医療サービスを提供する役割】

オスマン帝国下の1860年代にレバノンにおいて初めて公共病院がベイルート、BaabdaBeiteddineに誕生した。当時の保健医療局はその時より、衛生測定、食糧と水の安全、ゴミの廃棄、軍部、貧困者、囚人への医療サービスの責任を担った。

 第一次大戦中、主に天然痘とチフスといった新しい疫病にレバノンは直面し、新しく三つの病院と二つの診療所ができた。1920年までにフランスの委任統治下で、新たに5つの病院が建てられ、1943年にレバノンが独立すると、政府は地域病院をBaabdaZahleh、トリポリ、サイダに設立し始めた。これは地方分権の文脈の中で生じてきた現象である。公共病院は、1970年代に定員数、占有率、業務水準、それと医療研修奨励の提供などのサービスが極点に達した。しかし内戦が勃発すると、公共設備が劣化し、民間部門が躍進した。

内戦後の1994年に、政府は公共病院の再健に従事し、ベイルートの大学病院を含む12の新しい病院と20の近代的保健センターも設立した。これはハリーリ内閣によって打ち出された巨大な再建計画の一部である。政府は建築設備などを中心に再建を進めることに対する批判にさらされたことで、全地域における病院、保健センター、学校などの施設の改善にも取り組んだ。政府は公の戦略としてコストを抑え、公的資金の力を強化し、民間に依存する度合いを小さくすることを掲げたが、この戦略は政府の掲げた民営化の目標を完全に破壊するものであった。

 厚生省(The Ministry of Health: 以下MOH)は公共病院を管理するより良い方法を見つけなければならなかった。1996年、公共病院の自治に関する法律が発行されたが、それはより管理的、経営的柔軟性[1]を病院管理人にもたらした。この法律によれば、いかなる政府予算も自治的な公共病院に割り当てられることはないが、その代わりにMOHを含む融資媒体からの資金供給を許可している。結果として、彼らの歳入は生産性に依存するようになり、民間病院と同様に公共病院も費用対効果を基づいた選択的政策と、需要と供給のコントロールを含む統制指標に動かされるようになった。

【融資の役割】

 保健医療に関する融資の枠組みの始まりは1920年のフランスのレバノン総督による決議220[2]にまで遡る。貧困層と精神病患者の扱いは1928年に設立されたMOHの温情主義的な役割となったが、欧州の社会政策の発展の影響下で、レバノンの保健医療システムは徐々に温情主義的な規範から人権的な規範へと変化していった。

1960年代に、政府の予算はMOHとの契約する民間病院のサービスと公共病院に割り当てられた。MOHはほとんどすべての国内病院と契約している。MOHは公平さのために民間部門における保健医療サービスへの融資を担っているが、コスト抑制と質の保障がこのMOHの融資の役割の中での課題となっている。

 1998年、政府は民間病院への依存を小さくするという宣言に従い、Frangieh保健医療相は三分の一の病院との契約を更新しようとしたが、政治的圧力の下ですべての病院との更新がなされた[3]1999年の終わりに、Karam保健医療相は287の新たな病床追加のために自治となった公共病院との契約をした。彼は同じ数の民間病院の病床数を減らす代わりに、民間病院との共有病床を増やし、結果として、MOHの契約病床数は34%増加した。

 MOHはほとんどの病院にとっての主な融資者として、その統制のために力を行使しようとした。また改革の計画も、保健医療における支出の合理化とコスト減少のために、MOHの融資の力が十分な強みを有すると仮定している。

【統制の役割】

保健医療市場の統制のための政府の介入は、民営化が拡大するにつれて緊急のこととなった。レバノンは統制がとれていない民間医療部門がどれだけ非効率で、かつ質と量の面で否定的側面にあるのかを一番例証している国ともいえる。

国際機関は、発展途上国におけるNGOを含む民間部門の保健医療への介入を奨励する一方で、保健医療サービスの提供における介入を最小化するように政府にアドバイスしてきた。政府の統制の役割は、政府の介入が直接的な供給においてより小さくなっていくにつれ、どんどん重要になっている。

この公共部門によるサービス提供のジレンマに対する解決策として、政府の能力が実際に弱いのにも関わらず、統制の役割を最大化しようとしているために、その対策は不可解なものとなっている。統制のための法律が必要であるが、このような法律の発効の試みは何度もレバノンにおいて失敗してきた。その反面、出資者と提供者の間の契約は統制にとって有用で効果的である。それは利害関係にある政党の共通の理解に基づくという利点を有し、法律より柔軟で状況変化に対する対応と修正が容易であるからである。

 一般的に資金を持つものがルールを設定できるものとされており、この点ではMOHのような出資者が契約の交渉をする際に有利な取引の立場をとることができる。しかしこれだけでは資金の所有権は監視や統制政策を実施する際に十分ではない。良いもしくは悪い実施媒体を見抜き、必要な制裁または報償を与えるための情報を握る必要がある。

 レバノンのように情報システムが十分に構築されていなく、洗練もされていない国では、何が行われているのかについて分析できる簡単な指標が必要である。過程に関する指標はより詳細さを必要とし、扱いにくい。一方で結果や影響の指標は得られにくく、ある一つの利害行動の結果であると簡単に結論付けられない。それゆえ質と関連し、製品規格に基づく結果の指標は実践的で、得られやすく、特徴をとらえやすく、明確である。

 結論としては、保健医療サービスの融資におけるMOHのための重要な役割を保つことは、公平さを求める過程であるだけでなく、その部門を統制するための力強い行動でもある。

 

A改革のための機会

民間病院組合と「医師の体制」(The Order of Physicians)は変化により受容的なものとなっている。質の高いサービスを効率よく提供する能力にある大病院は、質の悪いサービスを何もわからない患者に施し、扱うことのできない高度な技術に投資を行う二流の病院との不公平な争いの下にある。さらに一般的な開業医と病院外で活動する専門家は過少評価されている。病院の医師が新しい人材を受け入れない「仲間(clans)」を形成するためである。

消費者の側からみると、医療サービスは非常に高価である。提供者側のへの不満はしばしばメディアにより報じられる。保健医療システムの改革はとても人気のある考えとなっており、政治的なスピーチにおいてしばしば言及される。

民間病院が公的資金償還に大きく依存していることを考慮すること、それは家計の支払い能力を減少させる上でさらに重要になると期待されている。

 

B最新の状況と改革の視点

1997年、MOHは、保健医療改革における研究成果報告書を公式に作成した。「Frangieh Paper for Reform」として知られたこの報告書は原理と指針に要約されており、「医師の体制」と「民間病院連合(Syndicate of Private Hospitals)」と意見を一致させるものであり、達成されるべき目標を定めたものである。

保健医療融資評価は、WHOが支援を行う保健医療再健プロジェクト[4]の下で、1998年の初期に打ち出された。それはNational Household Health Expenditures and Utilization surveythe National Health Accountsthe Burden of Disease studyから成り立っていた。

重要なステップが1999年に「Interministerial Committee for Health Reform」の創設によってなされた。この委員会は首相が議長を務め、保健医療融資と人間開発に関わるすべての大臣、つまり財務、社会問題、経済、労働、高等教育と厚生大臣によって構成される。

MOHはいくつかの目的(供給側を統制することと利益の総体を十分に把握すること)を達成することに失敗したが、他の分野では重要な達成がなされた。保健医療システム改革の様々な要素は、国内平和が戻ってから実際に計画され、実行された。以下では、これら改革の諸要素が叙述・分析をする。

MOHへの権限付与】

MOHの組織機構の近代化のための重要なステップが達成された。情報技術がさまざまな部署において導入され、それに必要な職員の研修が行われた。MOHの融資機能の自動化は、特に提供者との契約の管理に関わることであるが、MOHの統制能力を強化した。それに伴い、MOHは堅実にその指導的役割を回復していった。

地方分権に関してMOHは保健医療地方事務所に利害関係者間の保健医療活動の調整を許可することと、その地域の保健医療プログラムを先導することで、権限付与の役割をになった。

保健医療の予防と促進におけるMOHの役割は、水平的なPHCのネットワーク活動と水平的な防止プログラムを通じて強化された。「疫病調査部(Epidemiological Surveillance Unit :ESU)」[5]の創設を伴ったこのアプローチは、公的保健医療機関としてのMOHのイメージを促進した。

PHCの強化】

PHCの強化と拡大は、保健医療部門改革において主要かつ重要な戦略的目標の一つであり続けている。MOH主導のPHCプログラムの中で活動を行っている公的そしてNGOの保健医療センターは、その土地のコミュニティを巻き込み、WHOの包括的PHC政策に合致した手段で十分なサービスを提供できる能力を有することを証明した。

MOHは、PHCのネットワークの構築のための契約的な同意を通じて、NGOとの伝統的な関係を形作り始めた。これらの契約は説明責任の公的枠組みを提供した。これは、外来の診療とこれらの人口比率に見合ったサービスの再配分の統制へ向けての第一のステップであると考えられる。

医師のための診療手続きと保健医療従事者のためのマニュアルが作成され、医療と緊急救命、管理のための人員のための研修が実行された。情報システムは現在、稼働しており、行政的・医業的な活動を保護している。質の水準の策定と監視システムの強化は進行中である。当初は40ヵ所の保健医療センターが関わっていたPHCのネットワークは、徐々に拡大し、現在では100ヵ所以上に達している[6]

PHCセンターの管理の改善とMOHNGO、市政府との契約関係を更新することに加えて、垂直のプログラムを持続しなければならない。新たな保健医療プログラムは、十分なサービスを受けていない地域や貧困者に対象を定めることで、よりその効果の格差減少に注目するべきである。

【償還機能】

 MOHは民間病院に対して、明細書の受理による償還を行っている。この償還の無料サービスは不必要な入院と診断と治療手続きの過剰化を招いたと信じられている。それゆえ、MOHはインセンティブを戻すために定額料金償還に基づく新しい支払い構造を導入した。これは19985月より徐々に開始され、すべての外科手続きに導入された。

定額料金制の支払いは、入院サービスの利用とコストに大きな効果を与えた。契約された病床数は19981999年において1514床となり、2000年には2020床に増加した。2001年の契約においては病床数に関して、規定が設けられなかった。これにより2000年と20001年は入院者数の急上昇を招いた。

【供給管理】

衛生メニュー(The Carte Sanitaire)が、ニーズ評定に基づく認可を通じて、供給側の統制のための技術的ツールとして利用可能になっている。衛生メニューを強化することは、供給側が誘発した需要とコストの増大、供給の管理のために不可欠だと考えられてきた。

病院サービスの供給管理の同様の問題は、人的資源の問題に当てはまる。大まかに言えば、MOHは欠乏している保健医療専門家を促進することができた。近年レバノン大学とセント・ジョセフ大学における看護研修の資金援助を行うことにより、そして30ヵ所の病院と保健センターとの協同で研修部署を創設した。

【薬局のコスト抑制】

薬品登録の厳しい統制は家庭内そして輸入された薬品の品質の大部分を保証する[7]MOHは元の国の物価の減少を監視し、それ相応に市場価格を低下させる。過剰に値段を釣り上げている薬局に対しては、制裁がとられる。消費者物価指数は1998年から2001年にかけて増加が以下のように記録されている。交通通信費(11.6%)、教育費(10.3%)、被服費(8.4%)、住居費(4.9%)、その一方で保健医療費(薬品、入院・救急医療サービス費を含む)は5.9%の減少となっており、それに続いて食費(5.5%)、家具・設備費(2.1%)、住宅維持費(1.8%)の減少となっている。しかしながら、薬品の高コストは総保健医療支出の25%に達しており、主要な懸念事項となっている。介入の三つの領域がコスト抑制のために以下のように特定される。

@競争力の強化:1994年の薬局実施法は薬剤師に、MOHによって定められた一連の価格を堅く守ることを求めた。修正案がそれ以降、省庁間の評議会(The Council of Ministers)によって承認され、批准のために国会に送られた。MOHによる一連の価格が超過することのないよう、しかし低くならないように限度を考慮するよう条件として要求された。これは競争力を強化することとおそらく市場価格を低下させることとなった。

A価格構造の修正:価格依存の利鞘は輸入と高い薬品の輸入と販売を奨励するものと考えられている。安価な薬品のための高い利益率から始まり徐々に減少する規模が提案されている。しかしながらこの提案は、安価な薬品の市場シェアが高価な薬品よりもずっと高くなったため、全請求において反対の効果をもたらした。利鞘と同様に支出に関しても、徐々に増加する計算方式も改定されるべきである。改革の議題におけるこの項目の予定は慎重に考慮される必要がある。

 Bジェネリック薬品の促進:現在の価格構造は高価でないジェネリックの輸入を奨励していない。それに加え、医師はジェネリック薬品をそれらの質に対する自信の欠如から処方を好まない。しかし一番深刻なのは、薬局側の情報を主な情報源として構成されている大学教育と誇大な宣伝キャンペーンである。製品とそれらの代理人は、時々、科学的に正当でなく、非倫理的でさえある攻撃的で説得力のある宣伝を行う。処方の習慣を変えるために、大学と「医師の体制」と協同で、医療のカリキュラムを再考することと、教育プログラムを続けることを通じての研修を行う必要があるだろう。

【質の保証】

 質の保証の枠組みは、構造、過程、結果の3つのレベルの介入を考慮している。MOHは入院と救急医療における二つの異なるアプローチを採用する。MOHは、また全体の質の改善過程を監督し、おのおのの団体が適切な役割を担っていることを確認する。

入院治療に関しては、MOHは近年、以下で説明するような第一国立病院群の認定調査を行った。認定は構造的そして組織的事由に焦点を当て、明確な政策と手続きの採用と実施に特別の注意を払うものである。評価の結果として、MOHは標準退院概要(Standardized Discharge Summary: SDS)がすべての入院のケースの明細書に組み込まれるべきであると要求した。

MOHは現在、製品の仕様の償還とつなぐために質の指標を統合する作業を行っている。この質に関連する支払いシステム(QRP)は、管理の容易な民間提供者との契約的関係を作り出すだろう。他方で、定額料金支払いは行政を詳細な明細書の会計監査の重荷から解放する。また一度法典化・自律化した成果の評価を可能にする。

 救急医療の質の安定に関しては、未来においてより重要な役割を担うということが期待されたPHCセンターに現在焦点が絞られている。民間診療所は差し当たり、質の安定プログラムに参加できないだろうと思われる。

PHCのための対策は入院治療のものよりも必要とされている。その政策と手続きは、NGOと専門家集団を考慮しつつ、MOHによって合同で据えられている。そ医師のための診療的専門用語と保健医療従事者のためのガイドライン、マニュアルが開発され、経営研修と同様に診療研修が行われた。MOHPHCの活動の直接的な監視を行ってから、監視システムは質の安定化の重要な要素となった。

【病院の認可】

第一国立病院の認可調査は、保健医療サービスの質を改善させる方法における重要な達成を表す目印となるプロジェクトの一つであった。20005月、総合的品質プログラムの一部として救急医療病院の基礎と認可の水準(Basic and Accreditation Standards)を規定する契約が締結された。そのプロジェクトで主に求められたものは、地方の状況に適した、病院の認定マニュアルを開発、試用、適応そして仕上げることであった。

 病院の認可のために求められるべき基礎的水準と、質の安定に基づく高いレベルの認可水準との線引きを行う二層アプローチがとられた。マニュアルに基づく調査は20019月から20026月の間に行われた。調査官は病院経営者、診療と管理の経験を有する看護師と医師であった。基礎水準のために使用された採点システムは「はい」を1点とし、「いいえ」を0点とした。認可水準は0.5点であり、「改善の必要な」項目に与えられた。水準と認可の両点数において、「適用できない」項目は見積もりから外された。

  続いて、各病院へ13日訪問し、そこで詳細な調査評定報告が完成され、関係する病院とMOHに送られた。各々のレポートは、基礎と認可の水準において調査された病院に受け入れることができたすべての水準の評価と得られた点数を含んでいる。

【公的基金受給者の相互連結】

20011月に、MOHと電子的につなげるために、異なる公的基金の受給者データベースを構築することに決定された。この相互連結データベースはMOHとその他の公的基金、つまり軍(The Army)、国内治安軍(ISF: The Internal Security Forces)、国家社会安全基金(NSSF: The National Social Security Fund)、公務員協同組合(CSC: The Civil Servants Cooperative)との資格を有するかの情報共有を許可するものである。主な目的は、二重支援と重複を避けるため、融資者が不適正の証明を発行する厄介な行政上の手続きからの解放のため、それらを得る負担から市民を解放するためである。このデータベースは査証・請求書作成システムと統合され、後の段階において、異なる人口の区分の利用パターンの見積もりと、融資の責任と各基金の業務の評価に貢献するものである。

 そのデータベースは受給者層と受給者の有資格性についての情報を蓄積する。各基金は支援者を得ること、もしくは扶養している人の情報を更新すること、そして実際上の責任がMOHに移ったメンバーが抜けることで、常時自身の資金プールの情報を更新する。MOHに位置している中央情報システムは自動的にこれらのファイルを異なる基金から集め、統合された受給者データベースを更新する。

 MOHは他の基金を、失われた受給者情報を集め、処理することで支援する。公的基金は間接的に目的のものを探すために中央集中型のMOHのデータベースにアクセスできる。この相互接続システムはサービスの使用と重複支出の新しいアプリケーションの開発のためのプラットフォームを提供する。この目的のために、MOHと公的基金は、アプリケーションと暗号化システムの標準化、承認と請求書のフォームの統一化に取り組んでいる。

 

3、感想とこれからの課題

 今回初めてフィールドワークを行ったが、そのために苦労することが多かった。現地で何ができるのかが全く想像できず、現地の公用語であるアラビア語も特に堪能でなかったため、予めできる限りの準備をして、活動の拠点となる大学を定めて、そこで活動を行った。特に受入機関となったセント・ジョセフ大学の日本語センターの佐野光子氏に特に助けられた。同氏の取次により、同大学のデータベースを利用させてもらったことで、フィールドワークの成果は大きく充実した。またアメリカン大学とレバノン大学(MOH資料室)にも訪問させていただいたが、両機関とも外国の学生に対し、快く情報提供に応じてくれたことに感謝した。

現地活動中は、この地域の夏の暑さとストレスで体調を崩し、長時間の活動が難しかったことと、大学が活動しない土曜日と日曜日に活動日数が消費されてしまったことが悔やまれた。土曜と日曜日の活動はそのため、市内の状況を歩いて確認したり、関連のありそうな観光ズポットに足を運んだりした。しかしながら、首都ベイルートおよび地方都市スールをくまなく歩くことで、地方と都市の状況が大きく異なることや、ベイルートの中でも地区によってその特色が大きく異なることが実感された。活動の日数の割に活動の効率が悪いことで、もどかしい思いもしたが、帰国後に論文を読む際にレバノンの情景が思い浮かぶようになり、その内容がイメージしやすくなったことで、修士論文の執筆の大きな弾みとなった。

 



[1] 特に採用や斡旋、保険会社との契約上の取りきめなど。

[2] 公共病院における貧困層への扱いについての決議。

[3] しかしながら、更新された病床数は30%減少した。

[4] そのプロジェクトは保健医療部門改革のための論拠の提供や技術的支援を目的とした。

[5] ESUMOHの機構改革の一例で、1995年に創設されたESUは伝染性の疫病の調査と疫病管理のための実地診療の責任を負っている。ESUは疫病研究を行い、保健医療専門家へのフィードバックを提供し、彼らを調査員としてトレーニングも行っている。

[6] 国内の必要性を満たすPHCセンターの数は130から150に変化すると考えられている。

[7] 例外はNGOに寄贈された比較的少量の薬品で、それらはMOHの特別許可を得た後にそのシステムを迂回して診療所に達する。