2008年度 森基金報告書
記憶を想起させる都市・ベルリン考察
政策・メディア研究科 HC所属
修士課程2年 鹿久保 翼
第一章 研究概要
1.1 はじめに
1.2 研究背景および問題意識
1.3 これまでの研究活動
1.4 本研究の手法
1.5 期待される成果
第二章 フィールドワーク活動報告
3.1 アンケート調査
3.2 ヒアリング調査
3.3 分析
3.4 今後の予定
第一章 研究概要
1.1 はじめに
1990年のドイツ再統一に伴い、旧西ドイツの首都であったボン市からベルリン市へ首都機能が移転した。これを機に、東西に分断されていたベルリンは、それまで存在していた東西ふたつの都市機能を統一し、新しい首都として再建されることになった。大学や市庁舎等を含む行政区域の統一、連邦議会の機能を中心に据えた政府機関区域の整備、東西を縦断する交通網の多様化等、ベルリンの都市計画をめぐる議論の分野は多岐に渡る。これらの建築デザイン、都市の機能性等にかかわる議論と並行して絶えず浮上していたのが、その再建に関わる理念である。東西ベルリンを横断する重要な交通道路「フリードリッヒ通り」を、19世紀プロイセン時代と同じ道幅に戻そうとする議論に象徴的にみられるように、理想とする都市のありかたを「古き良き時代」へと遡ろうとする議論が頻繁にみられる。ベルリン再建が始まって以来、ドイツでは「Erinnerungskultur」(想起文化)という言葉が使われ始めたのもこの現象のもたらした特徴のひとつである。したがって、ベルリンの都市計画にこの理念が強く反映されているであろうことは推測し得る。
本研究の目的は、1990年から現在まで続くベルリンの都市計画のプロセスを、上記の理念をめぐる議論のなかで捉えなおすことにある。そのためには、これまでの様々なメディア媒体に見られるベルリン都市計画をめぐる議論をデータとして収集、分析すること、さらには現地でのアンケートおよびインタビュー調査を通して、文字化されてこなかった理念の部分を明らかにすることが必要である。
1.2 研究背景および問題意識
筆者はベルリン留学中に、ベルリンの都市計画をめぐる議論が現在まで続くことに疑問を抱いた。たとえば、市内中心部のMitte区にあるPalast der Republik(共和国宮殿)という旧東ドイツ時代の象徴ともいえる建造物が1990年のドイツ統一後、アスベスト汚染を理由に閉鎖され、除去されたのちは、鉄骨とコンクリートが剥き出しの廃墟になっている問題がある。この復興案としてプロイセン時代のベルリン宮殿の再建が話題になっているが、既に2002年ドイツ連邦議会において議決されたにも関わらず、第二帝政期プロイセンがナチスに与えた影響を懸念し、自国の文化的アイデンティティー危惧から、もしくは旧東独の文化保存を訴えて反対する声も上がっている。この例からも分かるように、個々の意見が様々存在しているからこそ、議論に決着がつかないのだと考えられる。つまり、何をベルリンらしいかというのは個々によって異なる意識、記憶を想起させるものに左右されるのではないだろうか。
本研究においては以上のような問題意識により、想起文化“Erinnerungskultur”を過去における潜在意識の一片を思い出し、現代に示そうとする動き(Peter Reiche、1999)[1]という定義を用いて、想起文化として何を今後残していくのかというベルリンの都市開発議論を対象に検証を行う。
1.3 これまでの研究活動
2006年9月より塾内交換派遣留学によりドイツ・ベルリン自由大学に在籍し、秋学期は都市ベルリンの文化的概観の歴史を中心に学んだ。春学期には東西ドイツの比較を担当していたHochmuth氏、そして東ヨーロッパにおける社会的発展プロセスが専門のGenov教授のゼミにおいてドイツ人の捉える歴史問題、社会発展における問題を現地学生と議論することで修士論文研究につながる記憶という着眼点を得た。また、滞在時にはプレ調査として歴史学部を中心とした大学生、ベルリン市政府観光局およびベルリン市都市開発省などにてインタビューを行った。この活動を通して今後の活動へ足がかりとなる指針を見出し、研究動機となる「東西ドイツ統一、東西ベルリンの統一」がもたらした個々の意識、理想が解決されていない現状について有益な情報を得た。
帰国後の2007年9月より政策・メディア研究科に在籍し、戦後のベルリンの歴史的な発展、東西統一後、そして現状の問題点について都市政策、都市開発をキーワードに先行文献収集、考察をしている。先行研究として田中(2000)[2]におけるイメージ・ポリティクスによるベルリンの文化メトロポリスと歴史認識の衝突に関する考察があげられる。特に、ベルリンの都市文化の伝統を継承する者であると自称する批判的再構築論者の視点から都市アイデンティティー、都市の記憶という観点から再度問い直しをする。
また、メディア分析としては、都市における開発や政策などの問題がどのような背景のもとに議論されているのか、ドイツ語圏から発信された情報を収集し、メディア上における議論を分析する作業を行っている。海外データーベースを用いて、統一後1990年以降の媒体に対して「ベルリン」「都市」「都市開発」「議論」など考えうるキーワードにより検索し、メディアとしてはドイツ語圏の新聞であるFrankfurter Allgemeine Zeitung、Die T ageszeitung、Sueddeutsche Zeitungや、雑誌媒体ではDer Spiegel, FOCUSなどを現在収集し、分析している。
これは学部からの継続的研究手法であり、今後も重要なファクターとなる手段だと考えている。
1.4 本研究の手法
研究手法として 先述したメディア分析とフィールドワークを使用するが両者は研究成果に向けて互いに補完しあうものであると考える。メディア分析は、都市開発問題に対してどのような議論が存在するのかを内容分析により明らかにするために用いる。フィールドワークのアンケート・インタビュー調査は都市計画に関する現地の人々の意識を明らかにすることを目的とする。2008年夏にプレ調査を行い、本格的な調査は2009年初春を予定している。
@
パイロット調査、およびアンケート調査の実施
2008年8月のフィールドワーク調査開始前までにベルリン、およびハレにてアンケートを行う。
下記のアンケート内容をまずパイロット調査として5月中旬よりベルリン自由大学の学生およびハレ大学の学生(10名)に行い、結果により内容を改める。
<アンケート内容>[3]
ベルリン:8月6日から8月20日の二週間、 ハレ:8月21日から9月3日二週間
○調査対象の属性として
20代、30代、40代、50代、60代(各10名)
年齢(五段階別)、性別、職業、出身地(ベルリンにおいては地区)、親の出身地
出身学部(研究テーマ)、家族構成(既婚、未婚、子供)
○質問項目として
あなたにとってベルリンを感じる“象徴”的な場所(建物、通りを含む)はどこですか?
・ 理由について。
・ 具体的にどの部分か。
・ いつごろからそう感じるか
・ 今後この場所はどうなってほしいか
A
インタビュー調査[4]
全てICレコーダーで録音して、帰国後にスクリプト化する。
@)ベルリン市都市開発省におけるインタビュー調査
期間:8月6日から20日の間、もしくは9月3日以降(調整中)
内容:ベルリンの都市開発の過程、および議論について(賛成意見、反対意見)
政府としての今後の展望(具体策および見解)
A)上記のアンケート内容により特に回答数が多かった場所を答えた人や、特異的な答えをした人をピックアップしてさらに内容を掘り下げるためにインタビュー調査を行う。
B
ベルリン市都市開発省、政府観光局において政府刊行物の収集。さらに、国立図書館、ベルリン市図書館、ベルリン自由大学図書館において文献収集。
C 上記のデータ、文献の分析と考察
1.5 期待される成果
本研究において、前述のメディア分析の手法とアンケート・インタビュー調査によってメディアにおける議論の内容と人が都市に求める事柄という二つの結果が内容的に一致していれば、記憶と都市開発議論の新たなつながりを明らかにすることができるのではないかと考える。ベルリンには様々な背景、歴史が存在する。つまり、個々の記憶が数多く存在するので、都市を想起させる記憶も多く存在していることは予測し得る。また少なくとも、都市の特徴として都市内において東西分裂をしていたという事柄は大きく影響すると考えられるため、旧西独に暮らしていた人々は帝政時代のプロイセンを理想的なベルリンであると想起し、旧東独に暮らしていた人々は旧東独(DDR)を理想であると想起しているという仮説をとり、このような差異が都市開発議論の背景に存在していることを本研究において検証されることで現状を分析するための有効な手段となりうる。
さらに、ハレ市とベルリン市は歴史的背景からも分かるように、全く異なる都市変遷をたどっている。すなわち、ハレ市民のハレ市への意識調査においてはベルリンの調査とは違った多様な都市への記憶が検証されうる。また、ハレ市民のベルリン市への意識調査を行うことでベルリンに暮らす住民の内側の視点だけでなく、外側の視点から都市と記憶の検証、および分析することが出来ると考えている。
今回の調査を通して、旧東ドイツ都市における事例を収集し、旧西ドイツ都市であるボン市やミュンヘン市といった事例を集めて、さらに多角的な考察を行う事を視野に入れている。したがって、今後のベルリン以外の都市における調査の足がかりとしても今回のフィールドワークは非常に重要だと考える。
第二章 フィールドワーク活動報告
2.1 アンケート調査
ベルリンでの街頭アンケートは25部集めることが出来た。調査した場所は主にベルリン自由大学構内、シュテーグリッツ駅付近、フリードリッヒシュトラーセ駅付近、アレキサンダープラッツ駅付近である。今回は本調査のためのプレ調査なのでさまざまな場所でアンケート回収を試みたが、街頭での回収は困難を要した。
ハレにおいてのアンケートは街頭ではなく、協力してくれたハレ大学の学生を中心に行った。彼らの家族や親戚などにお願いをして幅広い世代の意見を抽出しようと試みている。
また、アンケート項目については一部を除き、ハレでも同じものを使用している。実際に使用したアンケートは添付資料を参照のこと。
問1で属性を明らかにするための項目として、性別、年齢、仕事、住んでいる地区、ベルリンに住んでいる年数、両親の出身(東か西か)を用意した。
問2では住んでいる都市・ベルリン/ハレについての住民の意見を調べるため、
(1)全体として、地域の住みよさはどうですか?
(2)あなたの住んでみたいまちのイメージをお聞きします。
(3)あなたは今住んでいる地域に愛着がありますか?
(4)あなたは今お住まいのところに住み続けたいですか?
(5)あなたは、これからのまちづくりはどのように進めていくべきだと思いますか?
(6)あなたは地域の問題を自分たちで話し合うことはありますか?
(7)あなたは地域において行われる施策について説明会があった場合、参加しますか?
(8)あなたは市町村の取り組み(サービス、計画等)に関心がありますか?
(9)あなたは市町村の取り組みに対して意見を述べたことがありますか?
以上9つの項目を用意した。(2)以外はそれぞれ5段階評価で選択肢を一つ選んでもらう形式を採用した。
問3においては、具体的に都市に関する住民の意識についての調査としてここからは記述形式のアンケートを作成した。項目としては以下のとおりである。
(1)あなたにとってベルリン感じる“象徴”的な場所(建物、通りを含む)はどこですか?
(2) 理由を教えてください
(3) 具体的にその場所(建物、通りを含む)を感じるのはどの部分ですか
(4) いつごろからそのように感じますか
(5) 今後この場所はどうなってほしいですか
最後の項目である問4では自由筆記として何か都市計画・都市再開発に対して思うことについて記述してもらうスペースを用意した。
2.2 ヒアリング調査
日本滞在時よりあらかじめアポイントを取り、それぞれ1時間程度ヒアリング調査を行った。質問内容はそれぞれの立場から都市ベルリン・ハレに対してどのよう捉えているかを中心に話を聞いた。ヒアリング調査に協力してくれた人の多くが都市計画に携わっているので、具体的な仕事内容や今後の展望についても政府・民間の意見の差を聞くことができた。しかし、今回の調査で一番知りたいのは、ベルリンやハレについて話してもらう際にどのような表現やどのような言葉で何を話すのか、という部分なので質問項目以外は自由に話してもらえるように心がけた。
主な質問項目としては以下のとおりである。
・ベルリン/ハレではどのような都市開発プロセス経てきたのか?
・どのような都市への理想を持っているのか?
・内面性や歴史的背景や考え方などが都市に対する住民の意見に反映されていると思うか?
・ベルリン/ハレの都市開発の未来についてはどのように考えているのか?
・東西差(ハレの場合は旧市街・新市街の差)はどのように克服するのか、またどのような意見の違いが見られると思うか?
○ベルリンでの訪問機関・施設
・ベルリン市都市開発省:Kurt Neliusさん、Ellen Mickleyさん
・都市コンサルタント:Cornelius van Geistenさん
・ベルリン自由大学:Falco Weberさん
○ハレでの訪問機関・施設
・ハレ市市役所 都市開発局:Margit Sachtlebeさん、Christiane Luetgertさん
・ハレ市市役所 新市街担当クオリティマネージャー:Jana Krischさん
2.3 分析
フィールドワーク内容分析としては、アンケート項目のデータ処理からはじめ、今はヒアリング調査で得た内容のテキストおこしを終了し、[5]内容分析を行っている。2008年内には分析を終えて、来年度への本調査準備に取りかかる予定である。
現段階から見えている世代間の意識の違い、ハレとベルリンという都市の違いなどを踏まえて、分析・考察を行っていく。
2.4 今後の予定
2008年内にフィールドワーク活動内容の分析を終了し、2009年2月を本調査のため再度渡独する予定である。帰国後よりフィールドワーク内容の分析をプレ調査と同様に行い、修士論文執筆を始める。