2008年度 森泰吉郎記念研究振興基金

研究者育成費(修士) 活動報告書 

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程2年 辰巳 奈央 (石崎研究室所属)

研究題目

NIRSを用いた人間の言語理解過程の脳科学的研究

本研究では光脳機能計測(NIRS; Near Infra-Red Spectroscopy)を用いて自然言語の認知・処理過程における脳内活動を評価し,そこで得られたデータを分析することで,人間の脳内での言語理解のプロセスモデルを構築することを目標としている.

NIRS装置では,近赤外線を頭皮から照射し脳皮質の毛細血管内の血液が光に散乱反射する現象を検出する.酸化型・脱酸化型ヘモグロビンの光吸収係数の違いより酸素交換の現場をほぼリアルタイムで計測でき,神経活動が生じた(思考や発話で酸素が消費された)部位とその時系列変化の検出が可能とされている.本研究では脳内で語が処理される時系列変化の検出を大きな目標としており,空間分解能とリアルタイム性が重要であるため NIRS はこの研究に適した計測方法だと言える.

本研究では特に単語と単語の概念関係に注目して実験を行った.語の概念関係に注目した研究を行っている研究者は現段階では少ないが,人間が言語を理解し使う際に「単語と単語の関係」は大きな影響を与えている.今年度は本研究の初期段階として,語と語が処理される際に,語間の概念連想関係がどのような場所・タイミングで影響を与えるのか,もしくは与えないのかを調べることに重点を置いて実験をデザインした.今後も個々の刺激語に対応する詳細な解析を続けるつもりである.

研究活動

春学期

春学期は主に計測装置を用いた実験を行った.5月中旬に行った予備実験を通して実験計画を検証し,7月に本実験を行った.実験は (株)島津製作所の協力を得て,SFC キャンパス内に装置を搬入して行った.
また対外発表として国際会議で発表を行った.

計測実験

HBM2008

秋学期

データ解析

秋学期は春学期に得た計測データの解析を行った.解析のステップは以下の通りである.

ORF2008

JCSS2009への参加予定

解析データは修士論文研究に向けた研究としてまとめた.
また対外的な発表として日本認知科学会第26回大会JCSS2009で発表するためのデータ整形も行っている.

研究進捗

実験内容

本研究では健常成人を対象に,被験者に対し刺激語として単語及び単文を提示し,脳内での酸素交換機能の活動を計測する実験を行った.概念連想関係に注目した刺激単語・文の提示を実現するために,実験刺激として連想概念辞書を用いた実験をデザインした.連想概念辞書とは連想実験で大量に収集した連想語を構造化した辞書で,刺激語と連想語との距離を定量化したものである.連想概念辞書は他の辞書と比べて語と語の関係に注目している点で本研究に適していると言える.

実験

NIRSを用いた計測実験・解析により,人間が言語を認知する際に重要と考えられる「語と語の概念連想関係」と脳反応の関係を検討するために,単語ペアの視覚提示実験を行った.

データの計測

実験被験者はSFC 所属の学生とし,測定と発表等に関しては慶應義塾大学SFC 実験・調査倫理委員会によって承認された手続きに基づき,文書で了承を得た後に行った.計測装置は島津製作所のNIRStationを使用した.計測範囲は,両側の前頭葉後部から側頭葉(BA44 からBA22 後部)を広くカバーする範囲を計測した.

実験結果

解析の結果,動作概念の関係にある単語ペアの認知においては,左側BA22(聴覚連合野からウェルニッケ野にかける移行領域)において脱酸素化が起こる一方で,左側BA41(ウェルニッケ後端)において酸素化が起こることが示された.また右側BA45後部からBA44(ブローカ野)ではtotal-Hbの増加がみられ,神経活動に伴い酸素が消費されていることが示唆された.

連想距離別の解析では,分散分析の結果,特に左側後半のBA22(ウェルニッケ野)周辺deoxy-Hbデータおいて統計的に有意な差が多く見られた.特に動詞のタスクにおいては,連想距離が短い群と最長群のデータ間で有意差があることが示唆された. 連想距離の長短と脳活動の関係を更に検討するために,同一単語に対して,連想距離の近い試行群と遠い試行群でpaired-t検定を行ったところ,連想距離が近い方が酸素を消費することが分かり,特にBA44周辺において顕著であった.

カテゴリ別に関しては,分散分析の結果,oxy-Hb,total-Hbにおいて,左側頭に側性化することが分かり,特に視覚提示後1000msにおいては特に左側後半のBA22周辺の広い範囲において有意差がみられた.tukeyのHSDテストの結果,右側のBA45において部分・材料概念,環境概念タスクのみで酸素消費が確認できた.同概念は連想語が刺激語の一部分を示しているため自然と具体的に対象を想像したという実験後報告があり,動詞タスクでも同様の報告があったBA45と単語の具体性の関連が示唆される.

時間・空間双方の詳細な結果については,現在も解析中である.

今後の研究予定

本研究で残った課題として,刺激単語の分類,時系列データの解析と他刺激への応用が挙げられる.

刺激単語の分類と解析

本研究では連想概念辞書上での概念連想分類および連想距離を元に脳反応の検討を行ったが,様々な分類によって実験・解析をすることが可能である.

研究計画書で提案した実験では提示名詞をその概念関係から抽象名詞と具体名詞に分類し,それぞれ被験者に提示するとしていた.本実験では抽象・具体にこだわらず様々なカテゴリの単語を連想概念辞書から抽出し実験したが,これを連想概念辞書上の分類で考えると最上位の概念と最下位の概念として捉えることが可能である.

このように実験刺激の単語をどう分類するか,既存の分類を実験上でどう定義するかが実験デザインを考える際の大きな課題であり,更なる解析の際に考慮が必要だと考える.

時系列を重視した実験

また今後の展望として,NIRSの時間解像度を生かした実験の実施が考えられる.

本実験では作成した単語ペアを,ペアのまま同時に提示した.そのため被験者がどのようなタイミングや順番で刺激単語を認知するのかは統制しておらず,被験者によって提示された単語ペアをどのように受け取るかに幅が出るような実験デザインになっている.

この実験は語と語が処理される際に,語間の概念連想関係がどのような場所・タイミングで影響を与えるのか,もしくは与えないのかを調べるためのデザインであり,語と語がそれぞれ処理された時点を分けることに重点を置いていない.時系列データに対する解析を厳密に行うことによって,処理時点や場所を分離することはNIRSのサンプリングレート上は可能であると考えられるが,1語ずつ時間差で与えることによって刺激語が連想語に与える効果をより区別することができると考えられる.
本研究で作成した実験システムでは刺激提示と実験データの正確な同期が可能であるため,今後の課題としたい.

他刺激への応用

本研究では単語と単語の関係を重視する立場から連想概念辞書を使ったが,連想概念辞書の有用性の検討という意味で,他の辞書(親密度データ)との比較も面白いと考えている.
また今回の実験では日本語のみを刺激語としたが,同デザインで外国語の実験も考えられる.例えば,日本語・英語刺激文に関して実験することで,これらの文を処理している時の脳内活動,また英語習熟度による違いを検出出来る.概念関係に注目して単語の繋がりを捉えることで効果的な文・単語の提示法を考え,教育への応用が期待出来る.