ウェアラブルアプリケーション実証基盤の研究開発

慶應義塾大学大学院 政策メディア研究科 修士2年 清水大悟

 

 

1. 発話を視覚化するウェアラブルアプリケーション「しゃべりカス」

 しゃべりカスとは,消えゆく発話を視覚化し,対面コミュニケーションの活性化を支援するウェアラブルインタフェースである.しゃべりカスはマイクからの発話を認識し,服埋め込み型ディスプレイにて視覚化をおこなう.これにより,対話時の表情や身振りに続くダイナミックな表現が期待できる.また,発話を視覚化することで,新たな気づきやコミュニケーションの質に変化を起こすことを意図しており,個人の胸部に表示することで,その人の発信する情報を拡張するものとしての印象を与える.すなわち,自分の発話行為そのものが衣服のデザインに変化し,対面時のコミュニケーションの新しいチャンネルとして利用できるシステムである.

図1.しゃべりカスの外見とシステム構成

 

1.1 「しゃべりカス」の機能

 普段われわれの話し言葉と書き言葉は異なる.特に日常の会話や電話などで用いられる話し言葉には漸次性があり,相手の知らない情報だけを伝えたり,発話の断片を思いつくまま次々に伝えたりすることが多い.この漸次性が,話し手と聞き手で共有されている知識や情報を省略したり,統語構造が簡単で認知的な負荷の小さい表現を可能にしている[1].しゃべりカスでは,テレビのように需要側と供給側に分かれたスタイルではない点と,文法を逸脱した言語コミュニケーションをおこなっている点を考慮して発話した言葉を形態素ごとに分割し,色を分けて表示するように設計した.また,どのような言葉を良く使っているのかを知るために形態素ごとの頻出単語ランキングも表示する.しゃべりカスでは,テレビのテロップのように意味・内容を補完する目的として言葉を表示するのではなく,キーワードや量・イメージでの理解を助けることを目的に言葉を表示し,会話のキーワードにより画像検索をおこない関連する画像を表示する.

 

図1.左:しゃべりカスの画面表示説明,右:画像表示時

 

2. 「しゃべりカス」の評価(1):アイデア出し実験

 コミュニケーションにおける「しゃべりカス」の与える影響について明らかにするため,(1) 多様な手がかりから生産的な思考を支援する.(2) 会話を楽しむ状態を支援する.の2点のうち,(1) については後述する各条件での課題の回答によるアイデア数の比較評価を,(2) についてはアンケートによる「しゃべりカス」に対する印象評価とインタビューをおこなった.

 

2.1  評価(1):アイデア出し実験の方法

 試作システムが生産的な思考を支援するのかを検証するために,21組(3015組)のペアでの立ち話を想定した会話でのコミュニケーションを観察した.条件として,しゃべりカスを着用した場合と,なにも着用しない場合とを比較した.次に,質問紙を通じて,被験者がしゃべりカスを着用した場合における印象について5段階で評価した.

 被験者は3分ずつ,なし条件(しゃべりカスを着用しない),あり条件(しゃべりカスを着用する)の2つの条件の下で,それぞれ異なるテーマについてできるだけ沢山のアイデア・具体的なプランを出すことを目標に自由に話合ってもらった.通常こうした対照実験においては試行の順序を半数のペアに対して逆順にすることが知られているが,本実験においては,あり条件での実験が終った後にアンケートによる主観評価を10分程度おこなう都合上,実験条件の統制を優先する必要があった.そのため,すべての実験は最初になし条件,次にあり条件の順序で実験をおこなった.なお,両条件で用いるテーマは半数のペアに対して「旅行するならどこへ行きたいですか」,「宝くじが当たったら何を買いたいですか」の順に出題し,残りのペアに対しては逆順で出題した.なお,出来るだけ自然な会話を観察するため,被験者同士は最低でも週に1度は顔を合わせる知己の場合を条件に実験した.

2.1.1アイデア数について

 創造性開発のさまざまな手法でも,少なくとも問題解決初期にはさまざまなアイデアを出すことの重要性を一致して指摘している[2][3][4].本研究でも,価値判断や質の判断を保留して,とにかくさまざまなアイデアを持ちよることを創造の基本と考え,アイデア数を比較した.

 ここでは課題に対する適切な回答のみをアイデア数と判断し,「行きたくない」「欲しくない」といったネガティブな要因として発言された回答に関しては除外した.また,「“フィンランド”の“ヘルシンキ”に行きたい」のような発言内容はフィンランド(ヘルシンキ)として1つに数えた.

 

2.2  評価(1):アイデア出し実験の結果

 しゃべりカスの評価(1):アイデア出し実験では,なし条件に比べ,あり条件の方がアイデア数は増えた(t(14)=4.24p<0.05)ことがわかった.インタビューによる調査の結果,キーワードによる画像や逸脱した言葉が生産的な思考に影響を与えたと報告するケースが多く見られた.このことから,過去のパターンから導かれない予測を与え,かつ,重要な発見に繋がるデータ自体に気づくことを支援したと考えられる.

 被験者がしゃべりカスを着用した場合における印象評価では,試作システムの目的が明確に伝わり,感覚や経験の面でユーザーは楽しさを覚えたが,同時に,本来の会話への集中は低くなったとの評価を得た.また,予想しない内容が表示されたとの評価を得たが,これは新たな視点・発見が得られた結果に繋がり,予想とは反した表示内容が新たな視点・発見を得る刺激になったと考えられる.また,本システムから得られる情報をコントロールしている感覚については評価が割れる特殊なケースが見られた.

 このことから,試作システムが会話を楽しめる状態,コミュニケーションが活性化している状態を支援し,生産的な思考を促進することがわかった.

 

3. 「しゃべりカス」の評価(2):発話表示の入れ替え実験

 21組(3015組)のペアでの対面コミュニケーションにおいて,発話内容の表示場所を入れ替えることで,次の2つの利用目的が考えられる.(1)相手の発言から情報を得る.(2)自分の発言から情報を得る.以後,(1)を正条件,(2)を逆条件とする.これらの条件によって,コミュニケーションがどのように変化するのかを検証した.まず,どちらの条件がコミュニケーションを活性化するのかを明らかにするために,それぞれの条件で発話数を計測した.次に,両条件を比較したアンケートによる印象の比較評価をおこない,インタビューをおこなった.

 

3.1  評価(2):発話表示の入れ替え実験の方法

 正条件と逆条件において,試作システムがどのようにコミュニケーションに影響を与えているのかを検証するため,両条件ともに会話のテーマを限定せず,自由に会話をしている様子を観察した.次に,質問紙を通じて,どちらの条件が楽しさを覚える状態を支援し,本システムの利用に適していると感じるのか,5段階で評価し,インタビューをおこなった.

 被験者は3分ずつ,正条件,逆条件の試行の順序をランダムにし,試作システムの機能を楽しむように自由に話し合ってもらった.また,被験者はアイデア出し実験と同じペアで構成されており,本システムにある程度なれた状態で実験をおこなった.

3.1.1発話数について

 コミュニケーション活性化の尺度として発話を単位に分けて数えた.発話単位のとり方として,次の2つの基準を用いた[5](1) 話者が交代した時点を発話単位の終了とみなす.(2) 一定間隔以上(ここでは1秒)の沈黙があった場合そこを発話単位の終了とみなす.

 

3.2  評価(2):発話表示の入れ替え実験の結果

 しゃべりカスの評価(2):発話表示の入れ替え実験では,逆条件に比べ,正条件の方が発話数は増えた(t(14)=6.71p<0.05)ことがわかった.正条件では意図した通りのユーザー行為の流れが見られ,逆条件では互いに黙ってしまう場面も見られた.

 両条件を比較したアンケートによる印象の比較評価では,逆条件の方が楽しむ状態を支援したとの評価を得た.しかし,本システムの利用目的の明確さや効果的に利用できるといった評価では正条件が支持された.このことから,正条件では,表現を拡張するマルチモーダルなシステムを実現することでコミュニケーションを支援し,逆条件では,フィードバックを得るシステムを実現することで楽しむ状態を支援したことが推測できた.また,今回の実験結果からは,マルチモーダルなシステムとして利用した方がコミュニケーションの活性化を支援することがわかった.

 また,アンケート結果を因子分析したところ,コミュニケーションの盛り上がりに関する因子(強い因子)と表示される情報が役に立つという因子(弱い因子)を確認し,30名の被験者をプロットすると,強い相関関係が見られた.インタビューの結果,両因子ともに得点の高いグループ3の被験者は正条件を好む傾向があり,両因子ともに得点の低いグループ1の被験者は逆条件を好む傾向が見られた.

 このことから,コミュニケーションの盛り上がりを求めるシーンでは表現を拡張するマルチモーダルなシステム(正条件)が適しており,自分の発言を参照にしたいようなシーンや,ゲームとして遊ぶようなシーンではフィードバックを得るシステム(逆条件)が適していることがわかった.

 

4. 参考文献

[1]岡田美智男. 口ごもるコンピュータ. 共立出版, 1995.

[2] R.A. Finke, T.B. Ward, and S.M. Smith. Creative Cognition: Theory Research and Applications. In MIT Press, 1992.

[3] 諏訪正樹. 構成的知覚-知覚と概念をコーディネートする認知能力-. 日本認知科学会第20回大会発表論文集, pp. 30–31, 2003.

[4] 鈴木宏昭. 創造的問題解決における多様性と評価:洞察研究からの知見. 人工知能学会誌, Vol.19, pp. 145–153, 2004.

[5] 海保博之, 原田悦子. プロトコル分析入門. 新曜社, 1993.