2008年度 森泰吉郎記念研究振興基金 報告書

研究テーマ『モバイルコミュニティにおけるメディアリテラシー教育の必要性』

政策・メディア研究科修士1年

河口真理子
80824322
mka5267@sfc.keio.ac.jp

 

研究内容の変更について

「オンラインSHG(セルフヘルプグループ)における信用構造の検証」から、「モバイルコミュニティにおけるメディアリテラシー教育の必要性」というテーマに変更させていただきました。その理由は、オンラインSHGだけでなく、広義の意味として現在のメディア全体の問題を捕えることが今後更に発達するであろう日本のモバイルにおけるメディアリテラシー向上に寄与できると判断したためです。

 

研究課題

 

デジタルメディア時代において人々がメディア・リテラシーを身につけることは重要である。ケータイからインターネットを利用するのは特に10代、20代が多く、小学校、中学校、高等学校において先生より生徒の方がモバイルインターネットに詳しい場合が多い。そのため先生が生徒に対し、モバイルにおけるリテラシーを教育することが難しい状況になっている。このような現状を踏まえ、今後どのような対策が必要なのかを検討する。

 

研究背景

総メディア社会

従来はメディアといえばマスメディアが中心で、新聞、テレビ、書籍などの情報の送り手が読者、視聴者などの受け手に一方的にメッセージを伝えていた。インターネットそのものが巨大なメディアで現実世界に大きな影響を与えている。

⇒1.すべての組織の人が表現の自由を行使する具体的手法を得た

2・メディアの融合とメディア企業の融合

3.メッセージとメディアの分離・・・情報のデジタル化は情報内容としてのメッセージとそれを運ぶ媒体としてのメディアが分離する。

 

マス・メディアの機能(ポール・ラザースフェルド)

1. 独占・・・受け手につけいる隙を与えない

2. 水路づけ・・・受け手を特定の方向に誘導する

3. 補足・・・メディアによるメッセージを対面の相互作用により後押しする

 

メディアが4つの型の欲求充足を与える(デニス・マクウェール)

気晴らし・・・抱えている問題や仕事から感情が解放される

人間関係・・・孤独な者の仲間となり、他社との討議の一員となれる

自己確認・・・社会に対し、われわれ自身を評価し、位置づける

環境の監視・・・問題や出来事について情報を得る

 

メディア・リテラシーをめぐる定義

メディア・リテラシーの概念が多様性をもつ第一の理由は,「メディア」「リテラシー」そのものが多様な意味を含んでいることにある。その理由はそれぞれの時代のメディア状況や特定社会の教育システムの在り方に対応してそのつど実践的に使われてきたからである。

 

研究成果

 

メディア・リテラシー(水野伸)

メディア・リテラシーとは人間がメディアに媒体された情報を、送り手によって構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出していくという複合的な能力である。

 

メディア・リテラシーという考え方に半ば必然的に覚醒していくことになった背景には、新しいメディア機器の登場とマスメディアの報道の問題がある。

新しいメディア機器:多メディア、多チャンネルの進展に伴ってPCをはじめとする新しいメディア機器が登場

メディアの報道の問題:構造疲労を起こした新聞社や放送局が、誤報ややらせ、また人権侵害を引き起こすような事件を次々に起こした。

 

複合的なメディア・リテラシー

・メディア使用能力

・メディア受容能力

・メディア表現能力

⇒これら三つの能力は互いに関係しつつ全体としてメディア・リテラシーの総体を構成している。

⇒複合体としてのメディア・リテラシーはそれを獲得した人々が社会の中で主体的にコミュニケーションの回路を生み出していくという、より社会的な実践までを射程としている。

 

メディア・リテラシーの射程

@  メディア・リテラシー論は、メディアと人間の関係性を組み替えていくための思想として、日常生活実践において活用されるものである。そしてデジタル・メディア社会におけるメディアに関わる新しい人間像を提示してくれる。=私たちはマスメディアの時代に送り手と受け手というかたちで分断され、固定化されてきた状況を乗り越えて、メディアをめぐる人間の全体性、循環性を回復していく必要がある。

このような展望のもとでは、批判的な聴衆者であると同時に、能動的な表現者であるような市民の姿が明らかになる。

A  メディア・リテラシー論がはらむメディアをめぐる人間の全体性、循環性の回復という展望は、私たち市民が社会的構成体としてのメディアを自らのものとして主体的にデザインしていくこと促す。=マスメディアをめぐる「送り手対受け手」という二項対立図式を乗り越えることはメディアを構成しメディアで表現する主体を、国家や資本、マスメディアの側から市民へ取り戻すプロジェクトに行きつく。

B  デジタル情報化が進展する21世紀の社会状況の中で、メディア・リテラシー論は多文化メディア・リテラシー、混成メディア・リテラシーとでも呼ぶべきものへと展開していく必要性をはらんでいる。多文化/混成メディア・リテラシーの次元・・・(1)私たちの生活世界に、さまざまなメディアがあふれかえり、しかもそれらが複合的に組み合わさって存在しているという多メディア状況におけるリテラシー。(2)グローバル化の進展に伴い国民文化が相対化されて展開してくる異種混合的な多文化状況の中で必要とされる、文化リテラシー。

 

メディア・リテラシー(鈴木みどり)

「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを作り出す力を指す。また、そのような力の獲得を目指す取り組みもメディア・リテラシーという。」=「私」が既存のメディアを批判し、自らメディアを駆使する技術の獲得をさして「メディア・リテラシー」が唱えられている。このようなメディア・リテラシーが唱えられる背景にはマスメディアに対する不信がある。マスメディアが真実を伝えず、情報を操作する疑念に対して、個々が主体的にメディアを批判し、情報を発信する環境と技術を獲得することが必要だと論じられている。

「人々の多くは、メディアが構成し提示する現実を多面的かつ批判的に読み解く力をもたなければ、今日の社会にあって、民主主義に基づく自らの権利を行使しつつ生きていくことさえ困難になっていることを自覚し始めている。」

 

メディア・リテラシー論

私たちはインターネットが拡大するなかで、情報の海に投げ出されている。玉石混交のネット上で個々が勝ちのある情報を選択し、そうではない情報を取捨する責任が問われている。メディア・リテラシー論が私たちに求める批判性とは、放送メディアに対してもそうした責任を持つことである。放送されたから真実とするのではなく、いかなる欺瞞と戦略が隠されているかを見抜きながら真実にたどり着くことが市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価することの意味合いである。

 

サイバーリテラシー

サイバーリテラシーとは、IT社会を生きるための能力のことである。それは現代社会を私たちが現に生活している現実社会とインターネット上に成立したサイバー空間の相互交流する姿と捉えることでこれからの社会を快適で豊かなものにするための実践的知恵を導きだすことをめざしている。

 

「コンピュータリテラシー」がコンピュータをはじめとするデジタル機器の操作に習熟することに重点を置くとすれば、「情報リテラシー(メディアリテラシー」」はそれより広く、情報もろもろを取り扱う上での基本理解、情報や情報手段を主体的に選択し、加工し、発信していくための能力を重視する。「サイバーリテラシー」はさらに広い考え方で、サイバースペースにおり囲まれることになった現代人の生き方そのものを包括的に捉えようとする。

 

サイバーリテラシー3原則

・サイバー空間には制約がない

・サイバー空間は忘れない

・サイバー空間は個をあぶり出す

 

 

研究意義

 

ケータイというメディア

ケータイでインターネットが使えるようになったのは、1999年2月、NTTドコモがインターネット接続サービスのiモードをスタートさせた時である。

「ケータイ世代」と呼ばれているのはおおむね1980年以降に生まれた若者たちである。

 

インターネットというメディアには、情報アクセスとコミュニケーションの2つの役割がある。

情報アクセス=秩序の社会性・・・コミュニケーションが正しく情報を伝達することが目的であり、そのために送り手と受け手の間での誤解を減らすための様々なルールが作り上げられた。

コミュニケーション=つながりの社会性・・

・コミュニケーションそのものを自己充足的に維持することが最も重視される。

 

日本のケータイがおかれている特殊な状況

・日本のケータイ技術が世界の足先端をいく高度なものであるが、独特なかたちでこの島国の中だけで進歩してきた。

・2007年前半、日本のケータイ契約台数が約1億台を突破。

@ インターネットサービスの著しい普及・・・欧米や東アジアではコンピューターからアクセスするのが一般的なインターネットへ日本人の多くがケータイの小さな画面から限定的にアクセスしている。

A 通話ではなく、メールでの利用が突出している。理由・・・利用料金の安さ。仮説/コンピュータからのインターネット接続が相対的に遅れ、ケータイで取り戻そうとした。文字入力の方法が工夫されている。日本社会では直接的、対面的な話し合いよりも、詩歌や文書を介した間接的なコミュニケーションを大切にする伝統があった。

B ケータイ写真の日常化・・・2007年、日本のケータイの9割以上がカメラ付きである。ケータイがメディア表現や記憶の蓄積のために利用される。

 

例:学校裏サイト

「学校裏サイト」とは、学校の公式サイトとは別に生徒が設置したコミュニティサイトであり、生徒複数で参加し学校に関連する話題を語り合うサイトのことである。生徒数人が掲示板機能をもつサイトを利用することで、他愛もない雑談を行っており、そこでは独特の文化が形成されている。しかし、2007年、マスコミで数多くの特集記事や番組が組まれたが、そこでは「裏」という呼び方に象徴されるように、そのほとんどが「いじめの温床」「匿名ゆえの陰湿さ」という否定的な印象とともに語られていた。

⇒「裏サイト」という表現には、「学校の公式サイトではない」という意味だけでなく、「闇サイト」などのように違法なサイトあるいは否定的な使い道に使われるサイトというイメージが付随しているので、「学校」とそれに付随するテーマについて語り合う、関係者同士が利用する非公式サイトのことを「学校勝手サイト」と表記している。

 

学校勝手サイトの状況

・学校勝手サイトの継続利用率は全体的に低い。

・学校勝手サイトの主目的は情報交換や交流などであり、悪口を目的として掲げる者は相対的に少ない。

・学校勝手サイトの全てが裏化している訳ではない。

・「学校裏サイト=ケータイ文化」という連想には誤解が含まれている。

・学校や保護者らは現状を把握できず、具体的な指導方法を浮かばずに手をこまねいている。

 

学校勝手サイトの形式分類

@  掲示板の形式(標準レス型、挿入レス型、ツリー型、スレッドフロート型)

A  トピックの流動性(一チャンネル型、多チャンネル型)

B  設営の形式(既存サイト、専用サイト、コミュニティサイト)

C  集合単位(地域、学校、クラス、部活、特定グループ、特定テーマ、ほか)

D  閲覧設定(完全公開、準限定、完全限定)

E  閲覧モード(携帯専用、パソコン専用、両方閲覧可能)

F  検索設定(検索に表示されるか否か)

G  相互認識(匿名的、顕名的)

 

「学校裏サイト」の問題はそれを使う人間の問題である。

一般に学校裏サイトの問題として騒がれていることの多くは、実際は学校裏サイトによって引き起こされている問題ではない。技術の問題ではなく、それを使う人間、そしてその人間の置かれているコミュニティの問題であるからこそ対応が困難である。コミュニケーションとリテラシーの問題として捉えなおす必要がある。

 

今後の研究

@ メディア・リテラシーに関する理論的研究

A メディア・リテラシーとその教育に関する事例調査

B 学校教育におけるメディア・リテラシー教育の方法論

研究費の使途について

研究をすすめるにあたり必要となる参考文献の購入、PC周辺機材の購入等に活用した。ありがとうございました。