2009年度森泰吉郎記念研究振興基金 報告書

                                                                                 

研究課題名「言語が人の認知に及ぼす影響プロセスの解明」

慶應義塾大学 政策・メディア研究科 後期博士課程1

田島 弥生

 

 

活動報告

 

1.研究課題

 東洋と西洋という社会文化的構造の違いが、異なる認知傾向を生むと主張したMasuda & Nisbett (2001)に対し、彼らの実験結果は、文化や社会の違いというよりもむしろ言語の違いに起因するものではないか、との仮説を立て、日本語、英語、中国語それぞれの母語話者を対象に、実験的に検証していく。

 Nisbett et al. (2001) は、東洋人は事物を全体の一部として認知する傾向があるが、西洋人は事物を一つの独立した存在とみなす傾向があるとし、東洋と西洋の社会文化的構造の違いがこれら独自の認知傾向を生み出したものと示唆した。また、Masuda & Nisbett (2001) は、日本人とアメリカ人の大学生に海の中を描いたシーンを見せて、日本人被験者の方がアメリカ人被験者よりも周囲により多くの関心を向けることを示し、社会文化的構造の違いから生まれた認知傾向の違いに、その説明を求めた。

 しかし彼らの実験結果は一方で、日本語と英語の言語構造の違いに起因するものと解釈することもできた。仮説はこうである。英語はSVO 構造を持つhead-initial languageであるのに対し、日本語はSOV 構造を持つhead-final language である。日本語のようなhead-final language の場合、句や節においてその主要な要素であるhead が最後に現れるため、常にcomplement-head の順にボトムアップに文を解析することになる(中山, 1999)。つまり、意味的、統語的に周辺的な要素から中心部分へと、ボトムアップに文を構築しているのである。このスタイルが談話ストラテジーにも反映された結果、日本語話者は談話においても、周辺要素からまず先に説明するといったボトムアップスタイルを取るのではないか、そしてその結果、周辺情報により多くの関心を向けるようになるのではないか。つまり、日本語のボトムアップ式の統語、談話構造により、日本語話者は周辺要素からまず先に表現する必要があるため、無意識に周辺情報(field)に関心を向ける知覚習慣を身につけるのではないか、ということである。

 本研究では、前実験で明らかにされた実験手順、及び使用する刺激に関するいくつかの問題点を改善し、再度、上記の仮説を検証する実験を行った。


 

2.実験・結果・分析

日本語、英語、そして英語と同じくSVO 構造をもつ中国語の母語話者、それぞれ約40名を対象に、周辺要素に対する言語パターンと知覚パターンを検証する実験を行った。

 

2-1.言語テスト

被験者に3つのイラストを見せて、いつ(when)、どこで(where)、何故(why)、どのように(how)、何が(what)起こっているのかを明確にしながら、各イラストに描かれているものを説明してもらい、各言語グループ別に、周辺要素と主要事項のどちらが先に表現される傾向が強いかを調べた(Fig.1 参照)。各回答は、そこに含まれている情報内容に応じて、以下の通り分類され、コード化された。そして、主要事項(イラストの中で主に起こっている出来事)の前に述べられた他の周辺情報(下記4以外)の数の平均値を、各言語グループ別に算出した。

 

1: When           (時を表す情報;夜中に

2: Where          (場所を表す情報;森の中で

3: Why             (理由を表す情報;大きな影に驚いたので

4: What            (イラストの中で主に起こっている出来事を表す情報;ヤマネコが飛び                             上っている

5: Peripheral information 

                         (イラスト周辺に描かれている情報;雪の積もった、月が出ている

6: Antecedent events and situations

                            (イラストに直接描かれていない情報;いつもいじめられているヤマネ                             コに仕返ししようとして

7: Feelings and thoughts

                         (回答者本人の感想や意見;親は子供の面倒をよく見るべきだ

 

 

Figure 1. 言語テストで使用されたイラスト例      Figure 2. 言語テストにおいて主要事項の前に述                                                                                                                  べられた周辺情報の数の平均値

 

 その結果、英語、中国語グループに比べ、日本語母語話者グループには、主要事項の前に、より多くの周辺情報を述べる傾向があることが、顕著に示された(Fig.2 参照)。日本語母語話者グループの回答に見られた周辺情報の平均値は最も高く(2.87、続いて中国語グループ(2.09)、英語グループ(1.19)の順であった。また、分散分析によって言語要因の主効果が示されたので、Bonferroni法による多重比較を行ったが、すべての言語グループ間ペアにおいて有意差が確認された(all ps<.01)。このように、日本語母語話者間に、周辺要素から先に説明を始めるというボトムアップ式の談話スタイルをとる傾向があることが、示されることとなった。

 

2-2.知覚テスト 

 続いて行われた周辺要素に対する知覚パターンを調べるテストでは、まず被験者に3枚の写真を見せて、そこに何が写されているかを説明してもらい、各言語グループ別に、写真の中心に写っているもの(Central Objects)と、写真の周辺に写っているもの(Peripheral Objects)との、どちらにより多くの関心が向けられているかを調べた(記述テスト、Fig.3 参照)。次に、別の40枚の写真(20枚は既に見せた写真の周辺部分を切り取ったもの、20枚は新しい写真の周辺部分を切り取ったもの)を見せて、既に見た写真の一部であるかどうかを判別してもらった。これにより、周辺部分(field)にどれだけ関心が向けられていたか、そしてまた、どれだけ記憶されていたかが調べられた(記憶テスト、Fig.4 参照)。

 

下の写真は、既に見た写真の一部だと思いますか。

 

はい

いいえ

 

 
      

Figure 3. 知覚テストで使用された写真例                                      Figure 4. 記憶テストで使用された問題例

 

 

 先の言語テストと同じく、今回の記述テスト、記憶テストにおいても、日本語母語話者の周辺部分(field)に向ける関心の高さが示されることとなった。まず記述テストでは、日本語母語話者グループの回答に現れたPeripheral Objectsの数は最も多く、英語グループの約2倍、さらには中国語グループの4倍以上であった(p<.01 Fig.5参照)。また、各言語グループ内における、Central Objectsに対するPeripheral Objectsの数の割合は、中国語母語話者グループ(83%)、英語母語話者グループ(112%)、日本語母語話者グループ(213%)で、日本語母語話者グループは、提示された写真を描写する際に、Central Objectsの実に2倍以上のPeripheral Objectsについて言及していたことが分かる。そして、続いて行われた周辺要素に関する記憶テストでも、日本語グループは、英語、中国語グループに比べて、より高い正解率を出し、周辺部分(field)に向ける関心の高さを示した(Fig.6 参照)。

 

 

 

 

Figure 5. 記述テストにおいて述べられたCentral Objects   Figure 6. 記憶テストの各言語グループ

  とPeripheral Objectsの数の各言語グループ別平均値        別スコア平均値

 

 

 

3.結論・今後の方針

 以上、周辺要素に対する言語・知覚傾向を、各言語グループ別に検証してきた。まず言語テストでは、日本語母語話者間に、主要事項を述べる前に周辺情報により多く言及するという言語傾向(ボトムアップ式の談話スタイル)があることが示された。そして知覚テストでも、同じく日本語母語話者間に、周辺部分fieldにより多くの関心を向けるという知覚傾向があることが示唆された。これらの結果は、上記で述べた、日本語のボトムアップ式の統語、談話構造により、日本語話者は周辺要素からまず先に表現する必要があるため、無意識に周辺情報(field)に関心を向ける知覚習慣を身につける、との仮説を控え目ながら支持することとなった。さらに、最も注目すべきは、Nisbettらによって同じ東洋に分類されていた日本語母語話者と中国語母語話者間に、特に知覚テストにおいて、最大の差異が見られたことであろう。これにより、Masuda & Nisbett (2001) によって示された日本人被験者とアメリカ人被験者の認知傾向の違いは、文化(東洋vs.西洋)によるものというよりはむしろ、言語構造の違い(SVO vs. SOV)に起因するものであるとの可能性を示したのである。

 しかし、今回あらためて示された、周辺要素に対する日本語母語話者の言語、及び知覚傾向が、果たして日本語の統語構造(SOV構造)によるものなのかどうかについては、まだ推論の枠を超えてはいない。今後は、日本語・英語・中国語の談話構造にも研究の焦点を当てて、各言語特定の談話構造が、本当にSVO/SOV構造に起因するものなのか、もしそうでないとするならば、何に起因するものなのかについても、さらに研究を深めていきたい。

 

 

活動実績

 

国内外での学会発表

 

   1.     Duffield, N., & Tajima, Y. (2009. 9). "It matters what language you speak:     (why?) East Asians do not all think alike!" The 2009 Annual Meeting of the          Linguistics Association of Great Britain, Edinburgh              University, Edinburgh,   UK.(第二筆者として口頭発表)

 

   2.      田島 弥生、Duffield, N. (2009. 9) 「言語が知覚に与える影響について:日本語、         英語、中国語のSVO/SOV構造から」日本認知言語学会第10回大会、京都大学

              (ポスター発表)

 

   3.      Tajima, Y., & Duffield, N. (2009. 10) "Linguistic influence on attention: A       response to Masuda & Nisbett (2001)" The 13th International      Conference on the Processing of East Asian Languages, Beijing Normal               University, Beijing, China.(口頭発表)

 

論文

 

   1.     Duffield, N., & Tajima, Y. (2010 in printing) "On the Non-Uniformity of Asian             Thinking (for Speaking): A Response to Masuda and Nisbett" Proceedings of          the 2009 Mind/Context Divide Workshop, 28-39, Cascadilla Proceedings Project,          Somerville, MA, USA.

 

   2.      Tajima, Y., & Duffield, N. (2010 掲載予定) "Linguistic influence on attention:              A response to Masuda & Nisbett (2001)" 日本認知言語学会論文集第10

 

 

謝辞

 今回、森基金研究者育成費に採択していただき、御蔭さまで、研究調査を実施し、その結果を国際学会で発表させていただくことができました。誠にありがとうございました。