複数動詞を用いたイベント認知の発達に関する母国語の影響に関する研究
慶應義塾大学政策・メディア研究科 佐治伸郎*
1.はじめに
第二言語習得(L2習得)において語意の習得は中心的なテーマの一つである.特に音声や文法に比して,意味に関する誤りはコミュニケーションのくいちがいを生みやすく,実際のL2運用に際して語の意味に関する知識は非常に重要であると考えられる.しかし一方で,語の意味の問題を考えるに際し,ある語の意味が何を参照するのか/しないのかという問題は,単独の語の意味の内部構造を記述することによってのみ論じられるものではない.例えば日本語の動詞「抱える」は,モノを前に持っていても,脇の下に持っていてもその動作を参照することができるが,ではモノをどこに持っていても「抱える」と言えるかと言えばそうではない.肩の上で持っていれば「担ぐ」として,背中であれば「背負う」と表されるのが適切だろう.更に持っているモノが生物であれば,「抱く」がより自然な表現となるだろう.このように考えると,「抱える」の参照する適切な意味の範囲は,「抱える」単独の語意のみによって成立しているのではなく,他の似たような語との関係により差異化され初めて明確になると言える.しかし学習者にとってL2における複数語彙の意味関係の理解は大きな困難を伴う過程であると考えられる.どのような語を用いてモノや行為等の対象を名づけ分けるかは言語によって大きく異なっているため,学習者がL2語彙を適切に運用するためにはL2における語彙が自分のL1とどのように異なった基準で対象を区別するのかを理解しなければならない. 本研究はこの点に着目し,L2学習者が自分のL1とは異なる体系を持ったL2における似たような語同士の意味関係をどの様に理解しているのか,更にその理解の傾向にはどの様に学習者のL1語彙知識の影響があるのかを実証的に探ることを目的とする.本研究ではSaji et al.(2008)より実験刺激及び方法を踏襲して,中国語をL2として学習する学習者が中国語における「持つ」系動詞の使い分けをどの様に理解しているかを調査した(表1).
表1.Saji et al. (2008)にて用いられた中国語「持つ」系動詞のリスト
Video
ID |
動詞 |
ピンイン |
参照する動作 |
オブジェクト |
1 |
抱 |
bao4 |
前に抱える |
ぬいぐるみ |
2 |
背 |
bei4 |
背中に背負う |
リュックサック |
3 |
顶 |
ding3 |
頭上に載せる |
木製のボウル |
4 |
端 |
duan1 |
水平に保つ様にして持つ |
水の入ったボウル |
5 |
夹 |
jia1 |
脇に抱える |
箱状の鞄 |
6 |
举 |
ju3 |
高く掲げる |
直方体の箱 |
7 |
扛 |
kang2 |
肩に担ぐ |
1mほどの筒 |
8 |
挎 |
kua4 |
肩に掛ける |
トートバッグ |
9 |
拎 |
lin1 |
ぶら下げる様に手に提げる |
ビニールの袋 |
10 |
拿 |
na2 |
手に持つ |
ペットボトル |
11 |
捧 |
peng3 |
捧げる様にして抱える |
花束 |
12 |
提 |
ti2 |
引き上げる様に手に提げる |
手提げ袋 |
13 |
托 |
tuo1 |
手のひらに載せる |
板上のおぼん |
2実験
2.1方法
まず中国語L1話者と,異なるL1を持つ学習者との動詞の運用の比較を行うために,日本語をL1とする中国語学習者(大学生)20名,韓国語をL1とする中国語学習者(大学生)30名,中国語L1話者(大学生)21名が実験に参加した.学習者はいずれも中国在住の留学生であり(日本語話者:学習歴平均28ヶ月,韓国語話者:学習歴平均39ヶ月),日常的なコミュニケーション及び大学の講義等では問題なく中国語を運用できるレベルであった.更に,学習者のL2動詞の運用パタンと,学習者の持つL1の知識との関連性を調査するために、日本語L1話者16名,韓国語L1話者20名が実験に参加した.日本語L1話者は日本在住,韓国語L1話者は韓国在住の,これまでに中国語の学習経験がない被験者であった. Saji et al(2008)で用いられた中国語の13の「持つ」系動詞が刺激として用いられた(表1参照). Sajiらの実験と同様,これらの動詞一つ一つに対して,その動詞の参照する様態で女性がモノを持っているビデオがそれぞれ撮影された(ビデオのサンプルに関しては図1参照).
手続き 実験はコンピュータ上で行われ,被験者にはモニタ上にランダム順で提示されたビデオを見てもらった.中国語L1話者,及び中国語学習者に対する実験では,モニタには一つ一つのビデオの横に「她(ta)??着(zhao)一(yi)个(ge)东西(dongxi)」(彼女はモノを??しています)と中国語で表示され,被験者には空欄に入る動詞を答えてもらった.日本語及び韓国語L1話者に対する実験では,画面にはビデオと同時に「女性が何をしているのかを動詞を用いて答えてください」と日本語/韓国語で表示され,被験者は適切だと思われるL1動詞を答えてもらった.
図1.刺激として用いた動画のサンプル
3.分析結果と考察
3-1. 分析1:学習者が「知っている」語の比較
続いて,中国語を学習する学習者が刺激のビデオに対してどの様な動詞を,どのくらい「知っている」かについて分析を行った.どのような語が学習者の記憶にあったかを確認するため,実験において中国語L1話者と学習者の産出した語彙数を比較した.具体的には被験者ごとに実験の26ビデオに対して産出された動詞のタイプ数を数え,被験者群ごとに平均値を算出した.結果は中国語L1話者:11.2,日本語をL1とする中国語学習者:7.1,韓国語をL1とする中国語学習者:7.7であり,日本語話者と韓国語話者の間に有意な差は見られなかったが(p>.3, n.s.),中国語L1話者と日本語/韓国語をL1とする学習者との間には有意な差が見られた(all ps <.01, Bonferroni corrected). しかし語を単純に「知っている」ことと,L1話者のように語と語の意味関係を理解して「使えている」こととの間には質的に大きな隔たりがある.そこで以下の分析では,学習者がそれぞれの動詞をどの様に「使って」いるかを分析するために,中国語L1話者,日本語/韓国語をL1とする中国語学習者,日本語/韓国語のL1話者それぞれによって産出された動詞のパタン全体を比較することを試みる.
3-2. 分析3:被験者が各ビデオに対して用いた動詞の使い分けパタンの比較
分析では,被験者の動詞運用パタン全体を可視化するため,産出実験の結果を用いて,MDS(Multi Dimensional Scaling)が行なった.各結果におけるプロットは表1に示された13のビデオを表し,プロット間の距離はそれぞれのビデオがどれくらい同じような動詞の分布で表されたかを示している.図2a,図2b,図2cはそれぞれ中国語話者,中国語学習経験のない日本語,韓国語話者がそれぞれの母語で動詞を産出したデータから算出した布置である(図中の文字はそれぞれのビデオに対して産出された最頻出動詞).韓国語話者,日本語話者はいくつかのビデオを動詞で個別に区別せずteulda, 「持つ」と一般的な動詞で表しているのに対し,中国語のプロットは円状であり,異なる動詞でビデオを表していることを示している.
図2a.中国語母語話者による中国語動詞の使い分けパタン
図2b.日本語母語話者による日本語動詞の使い分けパタン
図2c.日本語母語話者による日本語動詞の使い分けパタン
続いて,日本語または韓国語を母語とす中国語学習者による中国語動詞の使い分けパタンを図3a, 図3bに示す.興味深いことに,学習者の中国語使い分けパタンは,それぞれの学習者の母語の分布と非常に近いものとなっている.例えば学習者が中国語動詞で区別せず,naで表しているビデオはそれぞれの母語話者がteulda,「持つ」で表したビデオと一致している.その他日本語を母語とする学習者が動詞kangを用いて区別しているVideo7は日本語でも「担ぐ」として区別しているビデオであり,また韓国語ではmedaとして表し動詞で区別しないVideo2とVideo8は,中国語での運用でも近い距離に布置されている.これらの使い分けパタンが被験者群間でどれくらい似ているか/異なっているかを調べるため,各被験者群のプロットにおけるそれぞれのビデオのペアの距離を用いて,相関係数を算出した(結果の概要は図4参照).この値は,各被験者群が13のビデオをどのような動詞で名づけしたか,そのパタンがどれくらい似ているかを示している.結果,韓国語,日本語を母語とする学習者と中国語母語話者との相関はそれぞれ同程度に低い値(それぞれr=.27, r=.26)であるのに対し,学習者とその学習者の母語話者による母語での使い分けの相関は非常に高い値となり(r=.83,
r=.72),これらは有意に学習者と母語話者の相関と異なっていた(ps <.01).これらの結果は中国語をL1とする子どもと同様に、L2学習者がL1話者のように複数の語を様々なビデオに対して使い分けるのは難しく,L2語彙を学習者の持つL1知識に応じて汎用する傾向を示している.
図3a. 日本語を母語とする中国語学習者による中国語の使い分けパタン
図3b. 韓国語を母語とする中国語学習者による中国語の使い分けパタン
図4.使い分けパタン同士の相関
4.議論
本研究では,異なるL1を持つL2学習者がどの様にL2における語彙の関係を理解しているのかを,産出実験から得られたデータを元に調査した.まず分析1において被験者がビデオのモノを持つ様態に着目して動詞を産出していることを確認した.次に分析2について,実験において各被験者群が産出した語彙の平均タイプ数を比較したところ,学習者がその中国語学習暦に関わらず,この意味領域に関して「知っている」語彙数がL1話者のレベルまで増えてはいないことを明らかにした.また分析3および分析4ではそれらの語彙の「使い分けられ方」についても,中国語L1話者と学習者では大きな違いがあることを各被験者群における最頻出動詞の比較,及び多変量解析を用いた産出パタン全体の比較から明らかにした.更に分析3および分析4において,学習者のL2語彙の運用の分布は,学習者の持つL1における語彙の使い分けと対応した分布となっており,学習者は自身の母語の知識を転用してL2における複数の語彙関係を理解している可能性が示唆された.