2009年度 森泰吉郎記念研究振興基金「研究育成費」研究成果報告書
研究科題名:「開発援助におけるNGOと住民組織の役割」
原田博行
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程2年
学籍番号:80825082 ログイン名:handa
1 主題
開発援助におけるNGOと住民組織[1]の役割についての研究。ネパールを事例とする。
2 目的
貧困と内戦という国家的危機状況にあるネパールにおいて、開発援助におけるNGOと住民組織の役割、位置づけを明らかにすること。
3 研究背景(問題意識)
3.1 ネパールの政治(1990年代〜)
現代のネパール政治を特徴づけてきたのは、「政権の不安定」である。ネパールでは1990年の民主化運動以降、複数政党制が導入され、それまでの国王を頂点とする一党独裁体制(パンチャヤット体制)から立憲君主制へ移行した。しかし、腐敗や権力闘争の影響も加わって91年から99年まで3回の選挙が行われるなかつぎつぎと短命な政権が交代した。一方、このような政治の混乱状況の中で勢力を伸ばしてきたのがネパール共産党毛沢東主義派(以下、マオイスト)である。1994年以来、中西部の交通不便な山間部で武装闘争(人民戦争)を開始し国内の広い地域を勢力下に治めていった。このように90年代を通じてネパールの政局は国王、マオイスト、政党の三つ巴の様相を呈し、民衆は三者の争いの下、置き去りにされる状況が続いた[2]。
民衆
3.3 経済・開発・貧困
ネパールの産業は農業(GDPの約4割、就業人口の約7割)が中心で、その他の主要産業は観光業と、絨毯や衣服などの製造業である[3]。天候に左右されやすい農業、治安悪化の影響を受けやすい観光業に大きく依存しており、資金面では援助と海外送金によって支えられている。しかも、貧困水準以下の人口が約4割を占め、かつ若年人口比率が高いために雇用問題の深刻化も予想される。これらに加えカースト制度による格差や山間部と平野部というような地域格差[4]も広がっている。このように、そもそも貧困やインフラ整備の不備が問題となっていた国内で紛争による貧困がもたらされるという悪循環が起こっている。
3.4 問題の所在
ネパールの問題の焦点をマクロな国家の危機的状況(例えば、マオイストと政府間の抗争)だけに絞ることはできない。そもそも、政党、反政府勢力、王室の三者が対抗する中で民衆は取り残されてきたことに加え、カースト・民族の格差と都市と地方、山間部との格差が問題となっている。このように国家、市場から取り残された人々を国家、市場と結びつける役割としてNGOや住民組織が重要ではないかと考えられる。
ネパールにおいては、昨今の援助政策における「住民参加」の重視に伴って、組織化が住民に参加の場を提供する前提条件であるかのように様々なプロジェクトの初期段階に位置づけられている[5]。その際、既存の地域コミュニティーを利用または、新たに住民を組織することによって住民と国家・市場をつなぐアクターとしてNGOが重要となってくる。
5 研究対象と研究意義
本研究では地元のNGO、SOUP(Society for Urban Poor[6])の活動に焦点をあてる。カトマンズとその周辺には疲弊した農村から職を求めて流入する人が相次いでおり、カトマンズ旧市街の先住民族であるネワール族の伝統的コミュニティもこうしたライフスタイルの急激な変化によって現在、崩壊の危機に瀕している。こうした伝統的コミュニティの再生と人々の生活改善を目指して活動する地元のNGO、SOUPの活動を事例とする。
6 活動報告
2009年
4月〜5月 ネパール現地調査
5月〜7月 国内聞き取り調査、文献資料による理論的枠組みの構築
9月 海外現地調査(韓国)
2010年
1月〜3月 海外現地調査
7.研究成果
(1)資料収集
海外調査における聞き取り調査、現地調査
(2)新たなフィールドの発見
韓国における調査によって、貧困問題に対してNGO・住民組織が果たす役割を考える上で新たな事例を見つけることが出来た。韓国では、貧困層の雇用創出や職業訓練、マイクロクレジットなどを行う組織(特に社会的企業)が数多く存在する。特に、韓国においては都市貧困層の失業・雇用問題解決において社会的企業が密接に関わっているので今後は、NGOに限定せず中間組織という枠組みで社会的企業にも注目したい。
(3)研究テーマの発展
ネパール以外の国、韓国における調査によって今後、新たな研究の可能性が開けた。社会運動や都市貧困問題への関心の強い韓国を新たなフィールドとして研究する可能性が出てきた。
2009年度の研究活動及び研究成果は、森泰吉郎記念研究振興基金と基金を運用して頂いた慶應義塾大学湘南キャンパス研究支援センターのおかげです。研究育成費は主に海外調査、文献購読に使用いたしました。ありがとうございました。
2009年2月26日
原田博行
[1] 一般には「住民組織」とは一定の地域に暮らす住民たちが何らかの必要性に応じて自発的に形成するものである。それが開発途上国においては、諸外国や当該地域の援助組織によって形成されている(磯野2004)。また、開発援助において受け皿組織を形成する時には、当該社会においてすでに存在する社会組織を活用する場合と、援助プロジェクト受け入れのために新たに住民組織を作り上げる場合がある(佐藤2004)。一方、重富(2001)は市場、国家と並ぶ第三のセクターとして「社会」成員のもつ共同的な資源調達制度を「コミュニティー」と呼んでいる。
[2] 2005年12月には7党連合と呼ばれる主要政党とマオイストが民主主義回復のための共闘に合意した。一方でマオイストを含む諸政党が部分的に組織した民衆による大規模抗議行動により国王は権力の移譲を受け入れることを発表した。これによって2006年5月に議会は国王から権力を奪取し、民衆的かつ非宗教的な共和国の設立を宣言。同年11月にはマオイストと政府間で包括的和平合意が成立し10年にも及ぶ内戦が終結した。2008年4月10日には制憲議会選挙が行われ、結果は大方の様相に反してマオイストの圧勝となり同党が率いる新政府が誕生した(饗場2008)。
[3] 辰巳2005
[4] マオイスト活動の背景には、交通不便な山間部の低開発状況があることが広く認識されており、この開発に向けて、地方分権化が叫ばれているが、各レベルの自治体の財政・組織・権限はなお弱く、その強化が今後の課題となっている(辰巳2005)
[5] 磯野2005
[6] SOUPは都市貧困層の支援を目的として結成され、女性のための識字教室が開設し、その識字教室を終えた女性たちは教室を通じてマープチャ(ネワール語で母親グループの意)と呼ばれる30名程度の女性グループ立ち上げた。このグループの活動の一つが仕出しサービスで独自の収入向上活動を目指そうと活動している。この活動による売上げはグループの預金として積み立てられる他メンバーへも分配され、家計の手助けになっている。