2009年度森基金報告書_ピアノ演奏における楽譜の読みの脳科学研究

2009年度 研究成果報告書

政策・メディア研究科 修士課程1年 
80924830 鈴木 悠佳


ピアノ演奏における楽譜の読みの脳科学研究


1. 研究概要

神経心理学的研究において、角回を損傷した音楽家が楽譜を読むこと、特にメロディを読む(音の高さ)を読むことに 問題があった。この研究から、楽譜を読むときは脳の角回という部位が機能することがわかっている。しかし、単に 譜面を見て読んでいる(読譜の)場合と、演奏しながら楽譜を読む(初見演奏の)場合では、楽譜の認知の違いが考えられる。 そこで、本研究では角回の活動の違いが読譜と初見演奏の違いにどのように現れるか、光脳機能測定装置NIRSを用いて 酸化ヘモグロビン、脱酸化ヘモグロビン、総ヘモグロビンを観測し、各ヘモグロビン濃度の変化とその関係性から楽譜の読みにおける 大脳角回機能の活動を評価し、人間の音楽機能の解明を目的とする。角回は高次脳機能と言われ、人間にしかない機能であり、 角回の機能が明らかになれば、人間の関連する高次脳機能の解明に大きな進歩をもたらすと考えられる。

2. 研究目的

初見で演奏(初めて見る楽譜を演奏する)をするときと、単に楽譜を読むときとでは脳の角回という 部位の活動に差があり、読譜と初見演奏の違いは、1)視覚情報、2)聴覚情報、3)指運動の三つの観点から 考えることができる。読譜も初見演奏も楽譜を見ているが、見方の違いがあると考えられ(視覚情報)、 音を聴くこと(聴覚情報)と指を動かすこと(指運動)は初見演奏では行うが読譜では行わない。 上記の三つの観点に着目し、近赤外線分光法(NIRS)を用いて脳機能を観測し、読譜時と初見演奏時角回の 働きの違いを調べることによって、大脳における読譜機能を解明することを研究目的とする。 また、角回病変を含む場合、音高の表記の障害を伴うため、音高の表記に対して、角回は重要な役割を担っている ということが示唆されたが、表記(書くこと)ではなく、読みや演奏を伴う読みでの角回の役割は神経心理学的な研究では 明らかにできないため、イメージングの研究で調査をする必要があると考える。 そこで、角回が楽譜の読みや初見演奏に関係するかどうかを大脳皮質のヘモグロビン濃度変化から酸素使用を観察することで 調査することを目的とする。


3. 研究背景

音楽と脳の研究は、今まで多くの研究者・科学者が研究を行っているが、これまでの研究は損傷脳研究が主であった。 『音楽と脳』(著者:岩田誠)に紹介されているように、脳損傷を患った音楽家のその当時の症状(言語障害や 失行障害など)と脳を損傷する前と後での音楽能力の変化から、音楽に関与している脳の部位を割り出すという方法である。 このような方法の場合、音楽に関与している脳部位をある程度見当をつけることはできるが、実際に演奏している時や、 音楽を聴いているときに脳がどのように活動するのかはこの方法ではわからない。近年、fMRIやPET等の脳機能イメージングの 手法が開発され、簡単な作業を行っている時の生きた脳活動を観察できるようになった。だが、この方法では音楽を聴いている 時の脳活動については多くの研究がなされているが、演奏している時の脳活動については研究が少ない。 というのも、fMRIやPET等は装置の構造上、被験者は横になった状態で頭部を固定して課題をしなければならないため、 楽器を演奏する課題を実行するのは困難である。しかし、最近では拘束性の少ない光を用いるNIRS脳計測装置が開発されたため、 座った状態で計測することが可能になり、演奏している時の脳活動が計測しやすくなった。 そこで、NIRSを用いてピアノ演奏時の楽譜を読むときの脳機能を解明したい。

4. 実験方法

実験課題は6種類で、課題1.楽譜を読む、課題2.楽譜の曲を聴きながら読む(楽譜の曲のピアノ音を聴きながら楽譜を読む)、 課題3.初見演奏(ピアノの音を消音)(初めて見る楽譜を見ながら演奏するが、自分の演奏音が聴こえない状態)、 課題4.初見演奏(初めて見る楽譜を見ながら演奏する)、課題5.暗譜演奏(楽譜を見ないで演奏する)、課題6.楽譜を 見ながら演奏(知っている曲を楽譜を見ながら演奏する)を課した。


タイミングプロトコルは24秒の楽譜提示、レスト15秒間、 1課題につき10曲課した。課題5の暗譜演奏は、楽譜提示前に3秒間曲名を提示してから、楽譜提示に入った。 楽譜提示されてから、1小節(4拍)メトロノームを聴いて演奏を始めるよう教示をした。 演奏中はテンポ♩=90(一分間に四分音符を90回たたく速さ)でメトロノームの音がなった。 実験刺激は、すべて4分の4拍子、8小節、打鍵数:24〜40に統制した。5.暗譜演奏と6.楽譜を見ながら演奏の刺激は 同じ楽譜(童謡)を使用した。


 

測定には近赤外線分光法(NIRS)を用いた。NIRSは、異なる2波長以上の近赤外光(700~900nm)を用いて、酸化ヘモグロビン (oxy-Hb)、脱酸化ヘモグロビン(deoxy-Hb)、総ヘモグロビン(total-Hb)を測定する、非侵襲の脳機能計測装置である。 移動が簡便で、装置も小さいため、対象者は座った状態で演奏可能であった(図14)。サンプリング間隔は40msであった。 測定領域は、左右両側の側頭葉と頭頂葉を含む部分で、下前頭回、聴覚連合野、縁上回、角回を測定部位とした。 左右各15チャンネルで計30 チャンネル測定した。


対象者は、9名(女性5名、男性4名)、全員右利きで、18~24歳の 平均年齢20.3歳、絶対音感なし、鍵盤楽器経験(ピアノとエレクトーン)9~13年(平均11.1年)とした。 エレクトーンは両手に加え、脚で鍵盤を押すような奏法であるが、右手で演奏する楽譜はピアノと変わらないため、 刺激楽譜を十分に理解できる能力があるといえる。そのため、エレクトーン経験者も対象者に入れた。 対象者は、SFC倫理委員会で承認された実験参加の同意書にサインした者とした。


5. 記録

記録データは、NIRSデータ(deoxy-Hbデータ、oxy-Hbデータ、total-Hbデータ)、MIDIデータ、 ビデオ記録、アンケートであった。MIDIデータは被験者の演奏正答率を算出するために録音した。 その後、リズムの間違い、音高の間違いを別々ミスを数え、正答率を算出した。ミスが多かった課題などは NIRSデータの解析から除外した。アンケートは補助的なもので、各課題で楽譜をどのように見ているか、内観を記述させた。

6. 解析

課題を演奏している時間の総変化量をdeoxy-Hb、oxy-Hb、total-Hb、それぞれ算出し、 各課題の比較を平均値の差の検定(t検定)を行った。演奏課題で正答率が低かった試行、 体動のあった試行は除外して解析を行った。 課題ごとの比較は6種類おこなった。


比較1:課題1.楽譜を読むと課題4.初見演奏を比較し、演奏(指運動)の有無、音情報の有無、 楽譜の見方の違いという3つの初見の特徴において酸素交換がおこった脳部位の検出をおこなった。 この比較は学部卒業研究結果と同じ比較である。


比較2:課題1.楽譜を読むと課題2.曲を聴きながら楽譜を読むことを比較し、読むときの音のマッピング効果 において酸素交換がおこった脳部位の検出をおこなった。


比較3:課題3.初見演奏と課題4.初見演奏(消音)を比較し、演奏を伴う楽譜の読みに音のマッピング効果において 酸素交換がおこった脳部位の検出をおこなった。


比較4:課題5.暗譜演奏と課題6.楽譜を見ながら演奏を比較し、既知の楽譜を読むこと、楽譜への記憶において 酸素交換がおこった脳部位の検出をおこなった。


比較5:課題2.曲を聴きながら楽譜を読むと課題4.初見演奏を比較し、演奏時の指運動の要素において 酸素交換がおこった脳部位の検出をおこなった。


比較6:課題4.初見演奏と課題6.楽譜を見ながら演奏を比較し、楽譜の初見要素において酸素交換がおこった 脳部位の検出をおこなった。


7. 解析結果

結果1:比較1(課題1.楽譜を読むと課題4.初見演奏を比較)の結果、右角回(ch11,ch12)において、 楽譜読むに比べ、初見演奏時に、有意に酸素交換が起きた。(deoxy-Hb: p<0.05, oxy-Hb: p<0.05)


結果2:比較2(課題1.楽譜を読むと課題2.曲を聴きながら楽譜を読む)の結果、両側下前頭回(ch3, ch19)において、 曲を聴きながら楽譜を読むに比べ、楽譜を読む時に、有意に酸素交換が起きた。(deoxy-Hb: p<0.05)


結果3:比較3(課題3.初見演奏と課題4.初見演奏(消音)を比較)の結果、左角回(ch27)において、 初見演奏(消音)に比べ、初見演奏時に、有意に酸素交換が起きた。(deoxy-Hb: p<0.05)


結果4:比較4(課題5.暗譜演奏と課題6.楽譜を見ながら演奏を比較)の結果、左角回(ch27)において、 楽譜を見ながら演奏するに比べ、暗譜演奏時に、有意に酸素交換が起きた。(deoxy-Hb: p<0.05)


結果5:比較5(課題2.曲を聴きながら楽譜を読むと課題4.初見演奏を比較)の結果、右角回(ch12), 左角回(ch26, ch27)において、曲を聴きながら楽譜を読むに比べ、初見演奏時に、有意に酸素交換が起きた。 (deoxy-Hb: p<0.05, oxy-Hb: p<0.05)


結果6:比較6(課題4.初見演奏と課題6.楽譜を見ながら演奏を比較)の結果、右角回(ch11,ch12), 左角回(ch27)において、楽譜を見ながら演奏に比べ、初見演奏時に、有意に酸素交換が起きた。 (deoxy-Hb: p<0.05, oxy-Hb: p<0.05)



 

8. 学外発表

日本認知科学会第26回大会の口頭発表論文を提出 6月22日(月)


日本認知科学会第26回大会の口頭発表セッション 9月11日(金)

ORF2009への出展
 
日程:2009/11/23(月)〜11/24(火)
場所:六本木アカデミーヒルズ40階
概要:A07言葉の処理と認知・脳科学(石崎研究会)

"近赤外光を用いたリアルタイム高精度脳機能イメージング"

近年脳機能計測手法の研究が進み、人の”認知”の解明への脳科学の寄与に期待が高っている。 本研究室では特に近赤外光を用いた脳機能計測を用いて、主に“言語機能”、“音楽認知”、 “運動療法”をテーマに研究をしている。

言語機能の研究では、NIRSを用いて、人間の心的な概念辞書を表現している「連想概念辞書」を 実験刺激に用いた研究を行っている。また第二言語の習得や、母国語と外国語の言語使用の差に 関する実験も行っている。

楽譜を読むときや楽譜を読みながら演奏をするとき、脳ではどのように処理を行っているのか、 NIRSを用いて脳機能計測実験を行っている。その他に、歌唱時の情動反応や 絶対音感保持者と非保持者における音の認知の違い、音符と言語の認知の違いなど実験調査している。 NIRSは拘束性が低いため、演奏や歌唱などの実験が可能である。

運動療法は、リハビリテーション治療における運動機能評価にむけて、 熟達した動作中と初めて行う動作中の脳活動の比較検討や、 力の強さと脳活動の関係について検討している。

脳機能イメージング研究の代表として、ポスター作成と説明員を担当した。