2009 年度 森泰吉郎記念研究振興基金研究者育成費成果報告

 

相撲界のキャリア開発の特性に関する研究

A study on characteristics of Career Development in the SUMO World.

 

黒岩公輔 Kosuke Kuroiwa

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 前期博士課程

 Master Program, Graduate School of Media Governance, Keio University

80824482 mailto:aquasperience@gmai.com;aqua@sfc.keio.ac.jp

花田光世研究室

政策形成とソーシャルイノベーション(PS)

バーチャルシステムリサーチ(VSR)

 

1.研究概要

相撲界を引退後のセカンドキャリアにおいて困難に直面している相撲力士は多く存在していると考えられる。本研究の目的は相撲界を日本における「伝統的」なスポーツ組織としてとらえ、企業組織などで活用されているキャリア論の中のストレッチング論を援用し、相撲界の人材育成システムと相撲力士のセカンドキャリアに至るプロセスを考察することである。

本研究によって以下の4点を明らかにすることができた。第1に、相撲教習所が新弟子に対して果たしている意味づけや役割は、入門時の学歴によってことなること。第2に、相撲界における日常行動での取り組みが能動的であった相撲力士は、相撲界引退後の現在の仕事における意欲・姿勢が高いこと。第3に、相撲界に長期間在籍した力士養成員は、キャリア自律度が低く、現在の仕事に対する意欲・姿勢が低いこと。第4に相撲界において一門や相撲部屋ごとに教育制度や慣行がことなることが示唆された。

 

1.1 本研究の業績

相撲界の人材育成ステムは先行研究では明らかにされておらず、相撲力士のセカンドキャリアの実態は明らかにされていないどころか、調査の対象とさえなっていなかった。本研究は相撲界の人材育成システムおよび元相撲力士のセカンドキャリアを学術的に研究する基礎的なものである。

先行研究は「長期的視点の欠如」、「対象レベルの限定性」、「アスリートと周囲の人間との関係の限定性」という3点の課題を抱えている。アスリートのキャリアに関する研究への本研究の学術的貢献及は先行研究の課題を克服する以下の3点である。

まず第1に、先行研究では競技引退の際のプロセスのみに焦点があてられている。そのため、本研究では相撲力士が相撲界に在籍している時のキャリア開発への取り組みと引退時のプロセスおよびセカンドキャリアにおける取り組みを研究対象とし、相撲力士のライフキャリアの特性を明らかにした。

2に、アスリートのキャリアに関する研究においては、トップアスリート(オリンピアンやJリーガーなど)のみに焦点があてられている。そのため、トップアスリートにあたる番付が十両以上の「関取」と「標準的」なアスリートにあたる「力士養成員」の双方を研究対象とした。とりわけ、「力士養成員」に注目し、相撲界でのキャリア開発への取り組みやセカンドキャリアを定性的・定量的に分析した。

3に、先行研究ではアスリートと周囲の人間との関係性を捉えられていない。そのため、本研究では相撲力士を取り巻く、年寄(いわゆる親方)や床山、呼出し、相撲協会の職員からもヒアリングを行い相撲力士の周囲の他者へのネットワーキング活動や周囲からのソーシャルサポートを明らかにした。

相撲界への実践的な貢献は、相撲界の人材育成システムの基礎である相撲教習所の特徴を明らかにしたことおよび相撲界の組織風土・慣行が相撲力士のセカンドキャリアでの取り組みに影響を与えていることを示唆した点である。

研究成果を踏まえた相撲界への提言として、相撲界入門時から相撲界を引退しセカンドキャリアに進む相撲力士に対する一貫したキャリア開発プログラムを本研究では提唱した。また、今後の展望としては、サンプル数を増やすことと他のスポーツ組織(例えばテニスやゴルフ)との比較による理論の精緻化、相撲部屋におけるフィールドワークの実施による人材育成システムのより深い考察が考えられる。

 

2.修士論文のレジュメ

修士学位論文は7章で構成されている。以下では7章についてその内容を簡単に説明する。

1         本研究の目的と問題意識

本研究の目的は、相撲界を日本における「伝統的」なスポーツ組織としてとらえ、企業組織などで活用されているキャリア論の中のストレッチング論を援用し、相撲界の人材育成システムと相撲力士のセカンドキャリアに至るプロセスを考察することである。また、論文の構成をビジュアル化したものを掲載してある。

 

 

2         調査対象の背景

本研究では、相撲を単なるスポーツの側面から捉えるのではなく、日本の伝統を継承した歴史・文化を色濃く示すものとして相撲界の慣行や現在の相撲界の基盤となった背景にも注目する。

相撲界の社会・組織構造を相撲力士の分類(トップアスリートにあたる「関取」と「標準的」なアスリートにあたる「力士養成員」)、一門制度や付け人制度から社会構造と組織構造にまとめた。

相撲界の人材育成システムを花田ら(2003)の伝統的HRDモデルを援用することで整理した。とりわけ、企業組織内のHRDであれば、職位や職級にもとづく序列によって決定されているが、相撲界のHRDでは年に6回行われる本場所の取り組みに応じて決められる「番付」によってHRDが運用されている。

相撲界における引退とは、相撲力士を辞め、相撲界の外の世界へとセカンドキャリアを踏み出すことである。相撲力士を引退し、相撲界に残る(財団法人日本相撲協会の職員となる)場合は、再雇用という形態になる。なお、相撲協会を定年(65)し、相撲協会の職員を退くことを退職という。

相撲界の特殊性は、他のプロスポーツでは引退年齢の弱年齢化、現役期間の短期化が進んでいるのに対して、相撲界では引退年齢の高齢化、現役期間の高齢化が進んでいる。その背景には、相撲界の特殊な報酬制度がある。相撲界では、力士養成員の人数に応じて、相撲部屋等に費用が支給されている。そのため、親方は相撲力士を引退させずに相撲界にとどめておこうとするインセンティブが働く。また、相撲力士にとっては、自らのキャリアを自ら構築していこうとする自律性を育みにくい報酬制度になっている。

 

 

3         理論的背景

アスリートのキャリアに関する先行研究の課題は以下の3点である。すなわち、「長期的視点の欠如」、「対象レベルの限定性」、「アスリートと周囲の人間との関係の限定性」である。

相撲に関する研究としては、社会学的・経済学的・歴史学的・医学的等多くの学問分野からなされてきた。しかしながら、相撲界の人材育成システムや相撲力士のライフキャリアとりわけセカンドキャリアの実態は明らかにされていない。

キャリアに関する研究としては、キャリアを「過去・現在・将来にわたり『自分らしさ』『他者とのちがい』をスキル/job、ビジネス、組織内マネジメント、ライフスタイルといった様々な対象に向けて、発見し・構築し、表現し続ける一連のプロセス」と定義した。キャリア開発を「身体的発達や社会性の発達などと同様に職業選択や適応など職業的行動の発達で、一般的には、成長期、探索期、確立期、維持期、下降期など、それぞれ異なる発達課題をもついくつかの段階が想定されている」と定義した。キャリア論の誕生から歴史的な変遷についてレビューした。キャリア論は静的なキャリア論から動的なキャリア論にパラダイムシフトしており、そのなかで、ストレッチング論が注目を浴びていることを指摘した。ストレッチングとはスキルの向上とは異なり、認識を拡げ、キャリアの開発を行う「自己概念の変態・変容」である。

離職に関する研究は、国外、とりわけ米国での研究の知見をレビューしながら、それが国内の離職研究にどのような影響を与えたのか、国内では離職研究はどのようになされているのかを検討した。また、アスリートの離職である、競技を引退する際のプロセス(キャリア・トランジション)に関する研究の国内外の動向や、アスリートのキャリアサポートに関する先行事例についてレビューした。

 

 

4         キャリア論からみた相撲界

4章では、各種のキャリア論から相撲界をみるとどのように説明できるのかを検討した。「静的」なキャリア論としてLife Span-Life Spaceアプローチ、Personality-Type論、Career-Anchor 論、「動的」なキャリア論としては、Transition論、Planned Happenstance論、ストレッチング論から相撲界の事象を説明してみた。

そのうえで、相撲界の相撲力士のライフキャリアを捉えるにはストレッチング理論が最適であるとの結論に至った。以下では、ストレッチング論をベースに研究を進める。

 

5         仮説

先行研究および、相撲界の現状を明らかにするために以下4つの研究課題を導出した。

l  研究課題1:相撲界における相撲力士のキャリア開発への取り組みを明らかにする

l  研究課題2:相撲力士が相撲界を引退する際のプロセスを明らかにする

l  研究課題3:相撲界でのキャリア開発への取り組みと引退の際のプロセスが、元相撲力士の引退後のセカンドキャリアにどのような影響を与えているかを明らかにする

 

研究課題1から研究課題3を明らかにするために、以下の5つの仮説を導出する。

l  仮説1:相撲界における日常的な取り組みでジョブストレッチングしていた相撲力士は、現在の仕事における意欲・姿勢が高い

l  仮説2:相撲界を引退する際のトランジションで、バリューストレッチングしていた相撲力士は、現在の仕事における意欲・姿勢が高い

l  仮説3:相撲界に長期間在籍していた力士養成員は、キャリア自律度及び現在の仕事に対する意欲・姿勢が低い。

l  仮説4:相撲界における一門によって、相撲力士のセカンドキャリアへの取り組みはことなる

l  仮説5:人間力やキャリア自律度が高い元相撲力士は、現在の仕事における意欲・姿勢が高い

 

 

6         調査の概要

調査対象は相撲界を引退し、日本相撲協会の職員になっていない元相撲力士である。相撲界における番付の最高位は、十両以上の関取と幕下以下の力士養成員の双方とする。

調査方法としては、相撲教習所におけるフィールドワーク、元相撲力士へのインタビュー調査およびアンケート調査である。

 

 

7         調査結果

インタビュー調査とアンケート調査から相撲界におけるキャリア開発への取り組みが能動的であった相撲力士は現在の仕事に対する意欲・姿勢が高いことが明らかになった。また、相撲界を引退する際のプロセスが能動的であった相撲力士も現在の仕事に対する意欲・姿勢が高いことが明らかになった。

また、インタビュー調査から相撲界の特殊な概念(ごっつぁん意識、心のリハビリ、ケガの功名など)を抽出すことができた。

 

 

8         結論と今後の展望

調査からの成果としては以下の4点を上げることができる。

l  1に、相撲教習所が新弟子に対して果たしている意味づけや役割は、入門時の学歴によってことなること。

l  2に、相撲界における日常行動での取り組みが能動的であった相撲力士は、相撲界引退後の現在の仕事における意欲・姿勢が高いこと。

l  3に、相撲界に長期間在籍した力士養成員は、キャリア自律度が低く、現在の仕事に対する意欲・姿勢が低いこと。

l  4に相撲界において一門や相撲部屋ごとに教育制度や慣行がことなること。

 

本研究の意義としては業績の概要にあるように学術的貢献および実践的貢献がある。研究成果を元に相撲界に対して相撲界入門時から相撲界を引退しセカンドキャリアに進む相撲力士に対する一貫したキャリア開発プログラムを本研究によって提言した。

本研究の限界としては、調査協力者のバイアス、外的妥当性(Yin 2003)の問題がある。今後の展望としてはサンプル数の増加、他のスポーツ組織(ゴルフやテニス)との比較および一門や相撲部屋間の比較による理論の精緻化である。また、相撲部屋における教育制度(弟子と親方との関係、規律)を明らかにする ことで相撲界に人材育成システムをより深く考察することである。

 

 

3.謝辞

森泰吉郎記念研究振興基金研究者育成費に支援していただいたことで充実した研究を行うことができました。心より感謝申し上げます。

 

 

4.主要参考文献

l   花田光世, 宮地夕紀子, 大木紀子「キャリア自律の新展開--能動性を重視したストレッチング論とは (特集 キャリアをつくる) <一橋ビジネスレビュー> , <51>1,  (2003)  p.6-23.

l   金指基, 『相撲大事典 第二版』, 現代書館, (2007).

l   Lavallee, D., Golby, J., & Lavalle, R “Coping with retirement from professional sport”. In I. Cockerill(Ed.), <Sociology in sport psychology>. Thomson. (2002) p.184-197.

l   中島隆信, 『大相撲の経済学』, 東洋経済新報社 (2003).

l   生沼芳弘, 『相撲社会の研究』, 不昧堂出版 (1994).

l   大場ゆかり・ 徳永幹雄, 「アスリートの競技引退に関する研究の動向」, <健康科学> , <22> (2000) p.47-58.

l   篠田潤子, 『プロ野球選手を対象とした非自発的役割離脱の研究』, 平成20年度慶應義塾大学博士学位論文 (2008)

l   高橋潔,Jリーガーがピッチを去るということ (「キャリア・トランジション」の技術 : トップアスリートから学ぶ「転職」と「天職」), <Business insight : the journal for deeper insights into business> , 15 (2007), p.4-21.

l   田中ウルヴェ京, 「キャリアトランジション--スポーツ選手のセカンドキャリア教育 (特集 スポーツと労働) <日本労働研究雑誌> , <47>4 (2005) p.67-69.