森基金研究成果報告

研究課題名「アートプロジェクトが寿町に与える影響」

政策・メディア研究科 PS 1年 80925308 増崎孝弘

 

 

この研究は、寿町で展開されているアートプロジェクトを調査し、地域の課題解決というアウトカムに、アート手法がどう寄与するのか客観的に示すことを目標にしています

 

@現場の背景

}  文化芸術政策への事業仕分けと、評価の必要性の高まり

Aコミュニティ論の背景

}  シェアードアウトカムと生産性向上の重要性

}  ソーシャル・キャピタルの強化のための様々な方法の生産性と特性を知ることの重要性

B問題意識

}  コミュニティのアウトカム実現のためにアートプロジェクトを手法として導入することのメリットは何か

 

【背景】

1.文化政策としてのアートプロジェクトの評価研究の必要性

@    現場の背景 :文化芸術政策への事業仕分けと、評価の必要性の高まり

Aコミュニティ論の背景

}  シェアードアウトカムと生産性向上の重要性

}  ソーシャル・キャピタルの強化のための様々な方法の生産性と特性を知ることの重要性

B問題意識 :コミュニティのアウトカム実現のためにアートプロジェクトを手法として導入することのメリットは何か

2.労働者のまち⇒福祉のまちとしての寿町が体現する社会問題

【寿町概要】

戦前:港湾地区の労働者とその家族の居住区(ドヤ街ではない)⇒空襲により焦土に(GHQの資材置き場として接収)⇒戦後、野毛にスラム集積⇒1956年:寿の接収解除と横浜市による野毛のクリアランス⇒日雇い職安が寿へ移転⇒寿にドヤ集積(在日の人達による開業)、「寄せ場」としての寿町の確立

現在:バブル以降の日雇い業務の激減と高齢化により生保受給者増⇒近年若者を含めた困窮者のシェルター的機能へ(「越冬」「はまかぜ」)⇒NPOさなぎ達やコトラボ、KANなど新規主体の参入と展開

 

【フィールドワーク報告】

@    寿クリエイティブアクション2010参加のインスタレーションアーティスト:ユミソン氏の作品「寿・パレード」設置を参与観察(設置を軸に展開される、おっちゃんたちとのコミュニケーション資料A)

A    KAN主導の「寿作戦」(ボートピア誘致による資金を使用し街の再開発を行うプロジェクト)で、神大曽我部研の建築設計ワークショップを参与観察(各主体の意図(アウトカム目標)のこじれ)

B    「第36次越冬闘争」炊き出しにボランティアで参加。日雇労組の中村さんのお話を聞く(資料B)

【考察】

●まちに関わる主体には大きく7勢力が存在することがわかった。

@    支援系旧勢力(自治会、日雇労組、寿医療班、炊き出し&パトロールボラ、教会系ボラetc.

A    新規事業形態系勢力(NPOさなぎ達、コトラボ、コトブキオルタナティブネットワークetc.

B    収益合理系勢力(簡易宿泊所経営者(一階の飲食商店)、ボートピア、ノミ屋、ヤクザetc.

C    住人系(ドヤのおっちゃん、路上ホームレス、シェルター利用者、流入若者etc.

D    周辺住民・市民系勢力(駅前マンション住人や商店主etc.

E    外部者系(ホステル利用者、外国人ツーリスト、アーティスト、アート鑑賞者、学生etc.

F    行政(横浜市、神奈川県警etc.

そして、各主体が「まちの未来」に関し独自の関心を持っている(資料C)

共通のアウトカムをシェアすることよりも、様々な問題意識を緩やかに共存させながら、誰も死なず、排除もされず、かつ価値を生み、持続可能なまちづくりが重要か(アウトカムへの生産性向上ロジックではない、リベラルなエコシステムの維持・発展)

 

支援系の旧勢力の、数十年の活動による正当性と、「闘争」の歴史の経験。外部とのある種の壁。

新規勢力の「壁を壊し、外部を導入し、まちをよくする」という手法に対するわずかな感情的反発。

現状の構造で収益を上げている主体の存在。

そしてまちづくりに関与しない多数の流動的当事者である「おっちゃん」(中にはもちろん全体性にコミットするおっちゃんもいますし、近年の不況による新たな若年困窮者の流入も挙げられます)。

この「齟齬」を全主体が平和裏に乗り越えられる、ということはよいこと(前提として、「齟齬」はあるよりないほうがいい)。そしてそのケーススタディには価値がある。なぜならこの構造は程度の差はあれ、どの地域にも存在し直面している問題だからである。

【研究目的と焦点】

この多層な齟齬を「分類」し、それぞれの克服にアート的手法がどう寄与するのかを明らかにしたい。齟齬の克服には、インセンティブの設計で対応できるが、金は使わず、アートでいかなる設計が可能か・・?

●コミュニティ系アートはその性質上、現場の関係諸主体を巻き込むため、SC蓄積を促す(たぶん)。さらに、アートにおける「作品を作る者」「作品を作る者を見る者」「その作品の総体を見る者」「その結果見られる者」など、それまで固定化した「視線」の中で思考し行動してきた諸主体に対し、その変更を迫る機能に着目する。その変更は、彼らの思考の枠組みをも変質させ、結果彼らの行動(とそれによって生じてきた関係性における齟齬)を変化させる、すなわち齟齬を克服し、共存へ近づく(さらに協調行動を誘発しSCが高まる)のではないか、という仮説が生まれる。

アンケートで:今まで「何」を「誰」を、「どう」見てきたか、「誰」に「どう」見られていると感じてきたか。そしてアートの体験を経て、それがどう変更したか、記入してもらう・・・(さらにその結果現実世界で何か具体的な変化があったか?追跡調査)・・・?

【仮説】

アートプロジェクトによる「視線」の変更は、寿町の各主体の思考・行動の枠組みを変質させ、齟齬克服へ近づけ、共存の可能性を高める(場合によっては協調行動を誘発しSCを高める)。

【検証手法】

ユミソン氏の「寿・パレード」に関与した主体(新旧まちづくり派、ドヤの管理人とおっちゃん、ホームレス、鑑賞者など)各人に「視線アンケート(+追跡調査)」を取る。さらに主体が団体の場合、代表者や有力者に質的インタビューを行う。

RQ

アートによって「視線」の変更はあったか?生活での具体的な変化はあったか?それらは因果関係で結ばれているか?

【今後の予定】

ミシェル・フーコーのまなざし論をレビューし、アートによってもたらされる関係性の変化の質的な枠組みを捉える。

2010年春〜夏にかけて、コミュニティー系アート作家(浦田琴恵氏ら)によるインスタレーションが大々的に行われるので、そこでも参与観察。黄金町の2009年のアートプロジェクトの結果の追跡調査。

路上おっちゃんのコミュニケーションタイプ

 

無視する

常に寝ている。起きてもあまり関わらず用を済ませたらまた寝る。

傍観する

設置を少し離れたところから見ている。「何やってんだ・・」的な雰囲気で。

話しかける

気さくに。「何してるんだ譲ちゃん?」から、作品のこと、なんでここで?など。

いきなり「自分語り」を滔々と始めるおっちゃんも。苦労話、武勇伝など。

絡む

珍しい女性に積極的に話しかけ、性的な話題でバンバン攻める。食べ物を勧めてきたり、触れてきたりする(拒否するとキレそうな雰囲気)女性ならリアルに恐怖を感じるレベル。

諌める

そんなおっちゃんに注意を促し、女性を救うタイプのまさに勇者。

「いい加減にしろ!」と威嚇するタイプと、笑いながら諌める熟達平和解決タイプがいる。

※以外にも「傍観」と「話しかける」が「無視」よりも多かった。

※「絡む」「諌める」は現状で特定の2名ずつ。