2009年度

森基金 研究成果報告書

触覚が持つ音象徴性とマルチモダリティに関する研究

所属:政策メディア研究科 修士課程1年  学籍番号:80924056

氏名:荒田真実子arata@sfc.keio.ac.jp


【研究背景】

ことばの持つ音と意味に意味的な関連性を持つことば(e.g.擬態語)は、音象徴性の高いことば、と表現される。このような種類のことばは世界中の言語に存在しており、そのことばの音から他国語話者や幼児なども、そのことばの意味をある程度理解することが出来る傾向があることが先行研究から報告されている。それは音象徴語の“音”が、あらゆる感覚(e.g.視覚)を模倣しており、その認識に言語経験を超えて普遍性があるからであろう。たとえば、25カ月の幼児と英国人成人は、二つの動画と日本語の既存擬態語を一部変更した新奇擬態語(e.g.ばとばと)を呈示された際、新奇擬態語の音に合った動画を選択することが出来ることがわかっている。しかし、このような視覚情報が基となった音象徴研究が主であり、他の知覚情報(e.g.触覚)が視覚情報を介してその音象徴を持っているのか、それとも直接的に音象徴を持っているのか定かではない。

また、音象徴によって幼児は動詞学習を促進していることが先行研究から報告されている。動きに合った名前が動作についたとき、幼児はそのことばと動きのマッピングを容易にすることが出来、学習が促進されている。つまり音象徴は認知や学習において大きな役割を果たしていることが考えられる。音象徴が認知や学習に影響を与えている一方、幼児、特に英語話者の幼児は強力な形状バイアスを持っていることが報告されている。形状バイアスとは、新奇物に名前がつけられたとき、その名前が物の形状について付けられた名前であると理解する傾向のことである。物の名前に素材(触感)に纏わる音象徴がつけられた場合、この形状バイアスは健在なのだろうか、それとも音象徴を手掛かりにし、素材に付けられた名前だと理解するのだろうか。


【研究目的】

そこで本研究では、視覚以外の触覚という感覚が、視覚情報なしの呈示で音象徴を持つかを研究する。幼児や他国語話者が視覚情報なしで、手触りだけで音象徴を持つのだろうか。そして触覚の音象徴がどのように獲得されるのかを調査する。

また、物体に手触りに纏わる音象徴のある名前をつけた場合、その名前をどのように汎用していくのかを調査する。本来、とくに幼児には物体の名前は形状を指すと考える傾向がある。しかし、もし、素材の触感に纏わる名前が物体についていれば、その名前は形状でなく、素材に纏わるものであると認知するのであろうか。音象徴が物の認知へどのように影響を与えるのか調査する。


【研究成果】

1)触覚の音象徴

二つの中身の見えない箱の中にそれぞれ手触りの異なる木片を入れ、被験者には中を見せないようにし、指で木片の表面を触ってもらう。そこでどちらかの木片の触感に対して音象徴のある名前を呈示し、どちらの木片がその名前が指すかを被験者に選ばせる。結果、日本人の成人、5歳児、3歳児は音象徴性を手掛かりにし、選択を行っている傾向があることがわかった。また、2歳児前半(24〜29カ月児)においてもまだ被験者数が十分でないが、その傾向がある。全ての年齢でチャンスレベルとの有意差が認められた。また、共同研究者の協力で、英語話者のデータも集めているが、英語話者の成人において日本人と同様の傾向があり、こちらも有意差が認められた。この結果、触覚の音象徴は視覚情報を介して存在するのではなく、触覚情報が直接持っていること、そしてそれは言語経験に関係なく、ある程度普遍的に理解されることが示唆された。

その一方で日本語話者の3歳児よりも5歳児の方が、5歳児よりも成人の方がこの課題において音象徴を感じている結果となった。それは既存擬態語の獲得が影響していると考えられる。年齢が高くなればなるほど、既存の擬態語の意味を手掛かりに選択を行っている可能性が高い。しかし、擬態語の学習は音象徴の学習に影響を与えていることは確かだが、既存擬態語の意味をほとんど学習していない2歳児前半児と英語話者においても同様に触覚の音象徴を感じる傾向があることは、触覚に纏わる音象徴も視覚の音象徴と同じように、言語経験とは関係なく、知覚的なレベルで認知されていることを強く示唆している。

日本語話者データ

触覚に纏わる音象徴のついた木片を選んだ試行数(10問中)の平均を表している。つまり5がチャンスレベルとなる。全ての年齢群でチャンスレベルとの有意差がある。


2)カテゴリー認知への影響

まず、あるひとつの物体にその手触りに合う(音象徴性のある)名前をつける。その後、同じ素材で出来ていて形が違う物体と同じ形で出来ていて素材が異なる物体を呈示し、前に呈示した名前を言い、どちらの物体がそれを指すかを選択してもらう。5歳児に関して、音象徴を手掛かりとして選択を行っている(素材が同じものを選択する)ことがわかった。物の名前を形状として判断する傾向がある幼児が音象徴によってその傾向が変化するのであれば非常に興味深く、幼児のカテゴリー学習において大きな意味を持つ結果となるだろう。とくに複雑な形をしているものほど形状に着目する傾向があるが、今回、5歳児のデータに関して、形が複雑であっても単純であっても触覚に纏わる音象徴が名前に含まれるとき、その音象徴を手掛かりにカテゴリーを認知していることが考えられる。 今後もこの実験を3歳児、他国語話者に行うことが決まっている。

日本語話者5歳児のデータ

触覚に纏わる音象徴のついた木片を選んだ試行数(5問中)の平均を表している。つまり2.5がチャンスレベルとなる。複雑なかたち、単純なかたち、どちらでもチャンスレベルとの有意差がある。


【さいごに】

形式言語学では、言語は恣意的なラベル付けで成り立っていると考えられている。しかし恣意的でなく、音と概念に密接な関連性があることばも存在している。このような音象徴語がその他のことば(e.g.動詞、副詞)とは異なる脳内処理をしていることがわかっている。音象徴語の意味処理では、より感覚や知覚、特に聴覚に関わる領域での賦活が大きい。音象徴語の音が他の知覚情報を模倣しており、このことにより、音象徴はことばの学習に大きな役割をもたらしているのだろうと考えられる。

今回の研究では視覚情報だけでなく、触覚という他の感覚においても音象徴が直結して存在していること、そしてそれは言語経験ではなく、ある程度普遍的に知覚されることがわかった。また、触覚の音象徴が物の認知へ大きな影響を与えることがいえるだろう。勿論、多くのことばにはそれぞれ恣意的に意味があるが、それだけでなくことばは、パラ言語的な要素をも意味として含意することがあることが考えられる。音象徴をはじめとする、このような知覚的な意味を持つことばこそが、個人の、そして人類のことばのはじまりであると考えることが出来る。