2009年度森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告書

研究課題名:次世代プロテオーム解析技術の開発と応用

氏名:岩崎 未央omio@sfc.keio.ac.jp
所属:政策・メディア研究科 先端生命科学プロジェクト 修士課程2年

研究成果

1. 修士1年時に取り組んでいた研究内容である「シアノシステイン切断反応を用いた化学的消化法」が,国際的な科学誌であるJournal of Proteome Research誌に掲載された.
Mio Iwasaki, Takeshi Masuda, Masaru Tomita, Yasushi Ishihama: Chemical Cleavage-Assisted Tryptic Digestion for Membrane Proteome Analysis. J Proteome Res, 2009, 8 (6), 3169-75
2. 液体クロマトグラフィーにおける分析条件を検討しモノリスシリカカラムを用いることで,1分析あたりの同定効率を,大腸菌全発現プロテオームに対して2割から8割と大幅に改善した.
3. 2.で行った研究をまとめ,国際的な科学誌であるAnalytical Chemistry誌に投稿した.
4. 以下の国際学会でポスター発表を行った.
Mio Iwasaki, Takeshi Masuda, Masaru Tomita, Yasushi Ishihama: Cysteine chemical cleavage-assisted tryptic digestion for membrane proteomics. 57th ASMS Conference on Mass Spectrometry, Philadelphia, Pennsylvania, May 31 - June 4, 2009.
5. 以下の国内学会で口頭発表を行った.
岩崎未央, 三輪昌平, 冨田勝, 田中信男, 石濱泰: 大腸菌全プロテオーム解析へ向けたnanoLC-MS/MSシステムの開発. 第20回クロマトグラフィー科学会, 新橋, 東京, 2009年11月11-13日.
6. 以下の国内学会でポスター発表を行った.
岩崎未央, 三輪昌平, 冨田勝, 田中信男, 石濱泰, Development of nanoLC-MS systems for membrane proteome analysis, 第32回日本分子生物学会年会, 横浜, 神奈川, 2009年12月9-12日.

要旨

タンパク質は生体内において非常に重要な役割を担っている.タンパク質を網羅的に解析することは,生命現象を理解するのに非常に重要である.液体クロマトグラフィー-質量分析計(LC-MS)を用いたショットガンプロテオミクスは,タンパク質を網羅的に解析する手法である.ショットガンプロテオミクスでは,タンパク質を質量分析計で測定可能な断片にするために,消化酵素を用いて断片化する必要がある.しかし,膜タンパク質などの疎水性の高いタンパク質は溶解性が低く,同定効率が非常に悪い.また,タンパク質を断片化するため,試料中の複雑性が高くなり,1分析あたりの同定効率が非常に悪い.
筆者は,ショットガンプロテオミクスにおけるこれらの問題点を解決するために,大腸菌を試料として,前処理法,および液体クロマトグラフィー分離法における新規手法の開発を行った.これまでに,前処理法に着目し,化学的消化法を開発することで膜タンパク質の同定効率を改善し,タンパク質の化学的性質に偏りのない同定手法を確立した.本年度は,液体クロマトグラフィーにおける分離法に着目し,研究を遂行した.モノリス型シリカカラムを用いたLC分析条件の検討を行うことで,1分析あたりの同定効率を大幅に改善し,短期間での大腸菌完全プロテオーム分析が可能となった.

1. 序論 タンパク質の網羅的解析について

細胞の乾燥重量の大部分はタンパク質であり,タンパク質は細胞を構成する素材となっているだけではなく,生命活動に必要な機能の大部分を担っている.例えば,食物からエネルギーを取り出すために糖や脂肪の分解を行う酵素,髪の毛や皮膚の細胞を補強する構造タンパク質,酸素などの分子を体内の各細胞へ運搬する輸送タンパク質,光やホルモンなどの情報を受容し細胞内に情報を伝達する受容体タンパク質などの重要な機能をもつタンパク質が知られている.生体を構成するタンパク質(プロテイン)の総体(-ome)がプロテオームと呼ばれ,特に膜タンパク質(transmembrane protein; membrane proteome)は非常に重要であり,細胞内情報伝達系の制御,細胞内外の物質輸送など,細胞にとって必要不可欠な機能を担う.ヒトの全タンパク質の20-30%は膜タンパク質であることが知られており(Wallin and Von., 1998; Stevens and Arkin., 2000),市販されている薬剤の70%程度が膜タンパク質を標的としている(Wu et al., 2003)ことからも,プロテオーム解析,特に膜プロテオーム解析を行うことは重要である.
液体クロマトグラフィー-質量分析計(LC-MS)を用いたショットガンプロテオミクスは,タンパク質を網羅的に解析する手法である(Fig.1).ショットガンプロテオミクスでは,タンパク質を質量分析計で測定可能な断片にするために,消化酵素を用いて断片化する必要がある.しかし,膜タンパク質は極めて疎水的な性質をもつために,現在の実験手法では網羅的な同定が困難である.また,タンパク質を断片化するため,試料中の複雑性が高くなり,1分析あたりの同定効率が非常に悪い.
Fig1.png
図1. ショットガンプロテオミクスのワークフロー
生物試料からタンパク質を抽出し,トリプシンなどの特異的な酵素で切断した後に,液体クロマトグラフィー-質量分析計(LC-MS)を用いて分析を行い,タンパク質を同定する.

2. 結果と考察 タンパク質,ペプチド同定数の大幅な改善

試料中の複雑性に起因する問題により,ショットガンプロテオミクスによるタンパク質の同定効率は非常に低い.本研究では,LC分析条件を検討することで,分離能を改善し,1分析あたりの同定効率が向上するのではないかと考えた.一般的に,LCで用いる分析カラムは,長さを長くすれば長くするほど,分離能が改善し,よりシャープなピークが得られる.しかし,カラム長が長くなればなるほど,ある一定の流速を保つために必要な機械的圧力が増大する.モノリス型シリカカラムは,プロテオミクスで汎用的に用いられる充填剤型カラムに比べて,単位長あたりの分離能は低いが,単位長あたりにかかる圧力が少なくて済むため,カラム長を長くすることで,充填剤型で最大限得られる分離能よりも,より高い分離能を得ることができる.
本研究では,モノリス型シリカカラムを用いてLC分析条件を検討した.その結果,表1に示したように,本手法を用いることで,15,993個のペプチド,および,1,925個のタンパク質を1分析で同定することに成功した.同じ大腸菌試料を用いて行った大腸菌発現遺伝子解析(マイクロアレイ解析)によって,約2,400個の遺伝子が大腸菌において発現していることがわかっている.本手法を用いることで,大腸菌発現プロテオームの約8割を1分析で同定できることがわかった.大腸菌タンパク質の一斉分析に成功した例はこれまでになく,さらに今回同定できたタンパク質数は,報告されている大腸菌のプロテオーム解析研究,さらにバクテリアのプロテオーム解析研究において最大である.本手法は,簡便であり,網羅性が高く,定量的にも優れているため,次世代のプロテオーム解析手法として非常に有用である.

表1. 同定できたタンパク質,およびペプチド数
Table1.png
既存の手法と,本研究で開発した手法を用いて大腸菌タンパク質を分析し,同定できたタンパク質数および,ペプチド数を示した.

謝辞

本研究を遂行する上で,森泰吉郎記念研究振興基金による援助は非常に有益であり,円滑に研究を進めるために必要不可欠であった.ここに感謝の意を表したい.