- 2009年度 森基金研究成果報告書 -
バイオプラスチックの実用化に向けた高効率乳酸生産菌の代謝解析
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程2年 廣江 綾香
学籍番号: 80825117
E-mail : ahiroe@sfc.keio.ac.jp
研究概要と目的
環境問題の深刻化が叫ばれる今日,大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会から環境に配慮した持続可能な社会への転換が求められている.本研究では,カーボンニュートラルの原理に基づき石油に依存しない次世代の新素材として注目される乳酸由来バイオプスチック(ポリ乳酸)の原料であるl-乳酸を,大腸菌の乳酸発酵を利用して効率的に生産するための技術開発を目指し,研究を進めてきた.微生物による有用物質生産は,近年の遺伝子組み換え技術の発展により,元来野生株では存在しない代謝経路を異種生物種由来の遺伝子を導入することで付加し,より効率的に行うことが可能になった.しかしながら,異種遺伝子の選択は,スクリーニングの指針がないため,様々な生物種由来の遺伝子を実験的に導入し,生産性の向上を図る試行錯誤を要するのが現状である.そこで,我々は大腸菌によるl-乳酸生産系の構築において,様々な生物種由来の同一遺伝子を導入し,導入遺伝子産物である酵素の反応速度論的特性からスクリーニングの指針を考察する.本論文では,ショウジョウバエ(Drosophila melanogaster) ・マウス(Mus musculus) ・乳酸菌(Lactococcus lactis) ・シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)のl-乳酸デヒドロゲナーゼ(以下l-LDH)遺伝子を大腸菌株に導入し,培養条件下における各株の乳酸合成速度(実測値)と,in vitro酵素キネティクス・酵素発現量・細胞内基質濃度から算出した乳酸合成速度(理論値)を比較することで,乳酸生産性の向上に寄与する導入異種酵素の特性について議論する.
作製した組み換え大腸菌株
大腸菌野生株は,グルコースを基質とした発酵により,酢酸・ギ酸・d-乳酸・コハク酸・エタノールを生産する.本研究では,l-乳酸生産用の組み換え大腸菌株の宿主として大腸菌MGW03株の5遺伝子欠損株(pflB, pta, ldhA, frdB, gloA)を用いた.5つの遺伝子欠損により,副産物である酢酸・ギ酸・d-乳酸・コハク酸生産を抑え,上述した4生物種l-LDHの導入によりl-乳酸合成フラックスの増大を試みた.
作製した組み換え大腸菌株
組み換え大腸菌株の乳酸生産性
乳酸菌l-LDH導入株(Ll)の乳酸生産速度が最も早く,収率84%,光学純度100%を示した.ショウジョウバエl-LDH導入株(Dm)及びマウスl-LDH導入株(Mm)はLl株の約1/3倍の乳酸合成速度を示し,収率と純度はLl株と同等だった.シロイヌナズナl-LDH導入株(At)はl-乳酸を生産しなかった.
導入酵素L-LDHの解析
(1) in vitroキネティクス
キネティクス測定は,連続法を用い,pH7.2・37℃の同一条件下で行った.乳酸合成方向及びその逆反応共に,乳酸菌(Ll)由来l-LDHの最大反応速度(Vmax)が最も大きく,基質との親和性はマウス由来(Mm)l-LDHが最も高いことが示された.
表1.l-LDHキネティクス
l-LDH生物種 |
Km,PYR |
Km,NADH |
Vmax PYR->LAC |
Km,LAC |
Km,NAD+ |
Vmax LAC->PYR |
Dm |
2.1 |
0.17 |
340 |
72.6 |
6.1 |
70 |
Mm |
0.4 |
0.05 |
539 |
4.7 |
0.4 |
112 |
Ll |
7.7 |
0.18 |
2724 |
238.0 |
1.5 |
350 |
Km: ミカエリス・メンテン定数(mM), Vmax: 最大反応速度(μmol/min/mg-protein)
(2) 発現量
酵素の発現量は,SDS-PAGEにより確認した.1細胞当たりのl-LDHの発現量の相対比は,Dm: Mm: Ll = 9:6:1であり,Atはl-LDHが発現していなかった.
(3) 細胞内基質濃度
ピルビン酸の細胞内濃度はキャピラリー電気泳動-飛行時間型質量分析計(CE-TOFMS)によるメタボローム測定より算出した.NADH・NAD+濃度は文献値を,l-乳酸濃度は細胞外濃度を細胞内濃度として示した(表2).
表2. 細胞内基質濃度(mM)
基質 |
Mm |
Ll |
ピルビン酸 |
1.01 |
0.33 |
NADH |
0.016 |
0.016 |
l-乳酸 |
35.9 |
37.6 |
NAD+ |
0.028 |
0.028 |
異種酵素スクリーニングに向けた乳酸合成速度の理論値と実測値の比較
酵素キネティクス(表1),酵素発現量,細胞内基質濃度(表2)のデータから,ショウジョウバエ(Dm)・マウス(Mm)・乳酸菌(Ll)l-LDH導入株の乳酸合成速度の理論値をMultiple Michaelis-Menten式を用いて算出し,培養データから算出した乳酸合成速度の実測値と比較した(表3).
表3.
乳酸合成速度の理論値と実測値(mmol/h/ l-LDH(mg)-jar)
|
Dm |
Mm |
Ll |
乳酸合成速度(理論値) |
0.9 |
158 |
2.6 |
乳酸合成速度(実測値) |
1.8 |
1.5 |
4.7 |
ショウジョウバエ(Dm)及び乳酸菌(Ll)l-LDH導入株は理論値が実測値をおおよそ再現した.これはin vitroにおける酵素反応速度とin vivoにおける酵素反応速度がおおよそ一致していることを示しており,異種酵素スクリーニングにおけるin
vitro試験の可能性を示すことができた.しかしながら,マウスl-LDH導入株(Mm)については,マウスl-LDHの乳酸合成方向のin vitroにおけるKm値(Km,PYR
,Km,NADH)が小さいことに起因して,理論値が実測値を大幅に上回った.このことから,細胞内においては,マウスl-LDHのKm値が活性阻害物質の存在やモレキュラークランディングの影響により,in vitroよりも大きい値を示す可能性が考えられる.今後の展開として,酵素キネティクスの反応系をより細胞内環境に近づけるように再構築し,異種酵素スクリーニングの指針となる導入酵素の特性を示すことが期待される.
学会発表
- Hiroe A,
Saito N, Ishii N, Nakahigashi K, Mori H, Tomita M.
Metabolic Analysis of Lactate production in Escherichia coli Introduced Heterologous
l-lactate Dehydrogenase
Genes, ICSB, 2009, Stanford
- 廣江綾香,斎藤菜摘,中東憲治,森浩禎,冨田勝. 異種生物種l-乳酸デヒドロゲナーゼ遺伝子を導入した大腸菌における乳酸生産性の相違のメカニズム解析,生物工学会,2009,名古屋