2009年度 森泰吉郎記念研究振興基金研究助成金 研究成果報告書

 

研究課題名

地球環境変動下のリスク解釈とヒューマンセキュリティ

―ツバル<海面上昇>を事例に―

 

慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程2

吉田真理子

80825775

 

 

 

1.研究の概要

 本研究は、気候変動にともなうリスク予測によって自国の環境政策へと反映される科学専門知としての〈海面上昇〉が、ミクロ国家住民の生活文脈においてどのように受容されてきたのか検討するものである。テクノクラートの合意のもと価値中立であると捉えられてきた科学合理的な知識が生活現場の環境認識に流入する過程において、ミクロ国家という枠組みがどのような政治的葛藤をもたらすのか明らかにする。南太平洋島嶼国家ツバルを調査地として設定し、ニュージーランドに二親等以内の親族をもつ・首都フナフチ居住の浸水被害世帯 ・離島ヌクフェタウ居住の世帯に聞き取りを行った。

 

2.研究の背景

 温室効果ガスを起因とする気候変動は、近代化の営為であった国民国家の確立が飽和した20 世紀後期以降、国際社会の克服すべき脅威として認識されてきた。脱植民地化を遂げた新興国民国家が経済成長を道標とするなか、開発が環境汚染を引き起こすことを強調する先発国民国家と、未開発状態の改善を最前の課題とする後発国民国家との利害調整がその関心事であった。東西冷戦の終焉をへてチェルノブイリ原発事故などの事象が表面化するにつれ、国家は「安全」を保障する唯一・絶対のチャンネルとしての機能を弱めていく。高度に専門分化した産業構造によって、原因の生産者が脅威を受ける当事者になるという陥穽が肥大化するようになった。「気候変動に関する政府間パネル(以下IPCC)」によれば、19992099 年の人為起源の地球温暖化にともなう平均海面上昇値は、化石エネルギーまたは非化石エネルギーいずれかの重視によって異なるシナリオに応じてシミュレートされる。こうしたリスク評価は1990 年代初頭より開発され、本研究のフィールドであるツバル首都フナフチ環礁フォンガファレ島の平均海抜は約1.5m、海面上昇値は年間2.0±1.7mm との報告がなされている。沿岸域の抵抗力を測量し、対策に関する政策支援および適応策を実施するアプローチや、南太平洋島嶼国家の固有性に着眼した脆弱性評価方法などが実施される一方で、それぞれのモデルや気候感度によってつねに不確実性をともなうため緩和・適応策を講じるにすぎない。こうした不確実性は、後期近代型の「リスク社会」‐すなわち実際に生じた破滅や災難ではなく、そのような事態が起こるかもしれないという予期のもと再帰的に知識編成がなされる社会‐として議論が可能である。未然に防ぐことができないという意味で「危険」であった地球環境変動も、一定領域内の政治経済的負荷を最低限にとどめる欲求を持った後期近代社会では、リスク予測を通じてこれらの「危険」をコントロール可能なものにする。未来の不確実性に対するこのようなリスク予測は、人間の生活変容の表象をも規定することとなった。すなわち「『危険』とは認知的・社会的に構築されたもの」(Beck 199719)であることにくわえ、生活変容への眺めから生産・蓄積・シンボル化されたテクストやイメージもまた、リスク予測によって修正・加味された知識体系への信頼を強化していると言えよう。危険を取り除く決定的な処方箋がないという自覚のもと、自然とは人間の知識体系に極度に修正され、制御される存在である。また、こうした不確実性をもちうる科学合理知にたいして、当事者の解釈や語りはさまざまな均衡に委ねられながら社会的に構築されるのであり、それが現場の「日常」だと言える。(Bird 1987:260)。言い換えれば、因習や習慣、解釈そして協議による不確実性などによって構成されるのが科学自体の活動プロセスであるが、一方で地域住民のリスクの選択は、科学的証拠の確実さや危険の可能性よりも、有害な問題についての情報の加工と評価において誰の声が支配するかに基づいて決まる。(Douglas 2007:127)ツバルにおける計4 回、約8 ヶ月にわたる長期フィールド調査の結果、〈海面上昇〉は国営ラジオ放送を通じて全島に共有されながらも住民間の話題にあがることはなかった。「科学者」が、それまでの権威的な確実性をもつ「聖書」の対照として位置づけられ、不可視だが科学合理的に構築される環境リスクは、「浸水」や「畑の塩害」といった日常の体験を「海面上昇」として捉えなおす概念作用をもたらしていた。現状では年間75 名のツバル人を労働移民として受け入れる海外移住制度Pacific Access Cateforyが実施されているが、あくまでMIRAB(移民による送金、海外援助、官僚制を特徴とする南太平洋島嶼経済モデル)の概念枠組みにもとづいた労働移住である。

 

3.調査成果

「地球環境変動下における地域住民の環境リスク認識」を明らかにするため、以下の調査を行った。

 

文献調査(2009 年7月~

近代環境思想史およびイギリス帝国植民地史の文献精読

  IPCC 評価報告書の策定過程の概観

  後期近代リスク概念理論の整理

 

フィールドワーク(2010 119~3 10日)

  ツバル 首都フナフチ環礁および離島ヌクフェタウ環礁

Pacific Access Category(特別移住枠組)応募経験者および移住希望/非希望世帯への継続的なインタビュー、個人所有畑(プラカ芋)の土地利用変化に関するインタビュー、国営ラジオ放送の<海面上昇>に関するニュースのフォローイング、観光局主催King Tide Festivalの観察、基礎収入支出にかんするアンケート調査

 

本調査では、ニュージーランドに二親等以内の親族をもつ・首都フナフチ居住の浸水被害世帯 ・離島ヌクフェタウ居住の世帯に聞き取りを行った。・浸水被害世帯に関してはPacific Access Category(特別移住枠組み)への応募経験有/無に分類し、特別移住枠組みが労働移住としての枠組みでありながら<海面上昇>というタームに触れるのであればどのように解釈しているのか(「科学者」の対立項として語られる「聖書」の環境変容の解釈はいかなるものか)、ニュージーランド在住の親族から得られる情報をどのように受容しているのか検討した。