2010年度森泰吉郎記念研究振興基金 研究成果報告書

 

研究課題: 参加型開発における持続的農業と住民組織の研究:タイ東北部の事例から

 

所属: 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 後期博士課程

氏名: 廣川 幸花

 

1.報告内容

 

本研究は、開発下の「貧困」地域の小規模農家を対象としたタイ東北部の事例から、開発後進地域が経済発展につれて直面する農業近代化、経済格差の拡大、過剰都市化、少子高齢化といった現象に伴う諸問題を理解し、その中で「持続的農業開発」(Sustainable Agriculture Development)が果たす役割について考え、とりわけタイにおいて持続的農業として位置づけられている中で最も多くの実践者を有する「複合農業」(Integrated agriculture)に着目する。

 本論の主な対象者は、タイ東北部農村地域の小規模農家である。タイ農地改革局(ALRO)が保有農地面積を基準に区分した「土地なし」(landlessness)、「準土地なし」(near-landlessness)(0.8 ha未満または5ライ未満)、「限界的小農」(marginal farmers)(1.4ha未満または10ライ未満)、「小規模農家」(small farmers)1.63haまたは10-20ライ)といった分類枠組みがあり、本論では小規模農家とは、”marginal farmers”(0.21.4haまたは19ライ)と”small farmers”(1.63haまたは1019ライ)を示すこととする。開発下において農村人口の大多数を占めるのは小規模農家である。所有農地が少なく、農閑期は保障のない日雇い労働に従事し、病災害や環境の変化など不確実性に十分に対応するだけの資本がない。彼らの多くは農繁期に農業に従事し、農閑期には日雇い労働者として近郊の都市に出稼ぎに行く。とりわけ、東北部はその不安定な降雨量と肥沃度が低い砂質土壌が農業の生産高に影響し、灌漑地域が限られているため農業用の水資源管理が難しく、生産性が最も低い地域として知られている。農業収入だけでは生活していけない世帯が多いため、都市や海外への移動労働が多い地域としても知られている。

筆者の問いの出発点は、最初に入ったフィールド対象地の村で住民組織が主体となって持続的農業を導入している状況を観察する中で「貧困地域と呼ばれ、それぞれの農家の所有農地も大きくはないのに、環境に配慮した農業を導入しようとするのはなぜか」という素朴な疑問であった。通常、「貧困」であれば生計のために収益の向上が不可欠である。しかし、観察対象の農家は、必ずしも集約化による生産性の向上を果たし資本に余裕ができた上で環境に配慮しているというわけではないようである。

先進国では、成熟した市場と付加価値による所得向上が見込まれることを前提に有機農業など環境に配慮した農業が進められてきた。一方、開発後進地域では取引費用が依然として高い未成熟な市場と低所得の状態のまま持続的農業開発が進められている。この開発後進地域において「貧困」の最中に置かれた小規模農家が、環境や食の安全に配慮するとされる「持続的農業」を導入している状況は、市場が成熟していない地域において取引費用が高くなるために、一見すると経済的合理性を欠いた行為のように思われる。

では、なぜ貧困地域で環境に配慮した農業なのだろうか。それは、小規模農家が日々の生活の中で直面している実践的な課題――就業機会の確保、世帯単位の食料安全保障の確保、家計収支の改善――に応える一つの手段として複合農業が選ばれているからではないか。つまり、開発後進地域における持続的農業普及は、単に環境保護や農産物価格の上昇を目的としているのではなく、農村の高い人口圧力と都市工業部門の低い雇用吸収、世帯単位の食料安全保障といった諸問題に対応する社会開発として機能しているのではないか、というのが本研究の仮説である。

本研究の対象地であるタイ東北部では、降雨量が不安定な地域で灌漑も普及しておらず、農業には厳しい環境条件にあるため、これからも生産性が劇的に上がることを期待しにくい地域である。その制約の中で村人が生きていくために、拡大家族による送金や出稼ぎといった手段が取られ、近年では兼業化も進んでいる。もう一つ、農村で生きていくための選択肢として、タイ政府によって持続的農業に位置づけられている複合農業がある。通年栽培であることから、村内の就業機会の創出につながることは先行研究でも指摘されている。ここで重要なことは、単純に複合農業を選ぶことの良し悪しではなく、農家が置かれている環境条件や世帯の状況に合わせた農法を農家自身が選ぶことができるようになることであると強調したい。それまでは近代的投入財(農薬・化学肥料)を使用する慣行農業しか実質的に選択肢がなかったところから、世帯・村落を取り巻く情報・制度といった支援体制が構築されることによって、農家自身が情報を解釈し、判断し、当人にとってより適切な農法を選択して実践できるようになることは、村人の「エンパワーメント」と言えるであろう。

タイでは第8次国家開発計画(1997-2001)から持続的農業政策が始まり、1997年のアジア通貨危機を背景として、タイ国王は国家の発展には持続性とバランスが必要であると提唱した。1997年のアジア通貨危機の影響で都市部の雇用吸収力は限界を露呈して失業者が溢れ、農村はその受け皿となって一時的なセーフティー・ネットの役割を果たした。タイ政府は1997年末に持続的農業を雇用政策の一つに位置づけている。持続的農業開発とは雇用政策の一環であり、農村内の就業機会の創出、ひいては村落共同体の社会関係を構築するものではないかと考えられる。ただし、先行研究では持続的農業が農村の就業機会につながるであろうという提言に留まるものが多く、その実証研究についてはまだほとんどないのが実情である。

タイ政府は持続的農業を推進しているが、積極的に持続的農業を受け入れる農村と、そうでない農村、また同じ農村内でも持続的農業に移行する農家とそうでない農家が存在する。その違いを生む条件は何だろうか。持続的農業の普及を考えたとき、環境保全型の農法は、開発後進地域の農家にとって「選択肢」の一つとして捉えられているのだろうか。「選択肢」となるには、まず「情報」が必要であり、次に実現可能性を引き上げてくれる具体的な「制度」がなければいけない。タイ政府の開発評価では、持続的農業によって環境保全や所得向上に貢献するということを強調しているが、持続的農業を導入する農家は依然として少数派にとどまっている。導入しようとする農家が直面する障害やそれに対応する戦略といったプロセスを描き出すことで、タイ政府が進める持続的農業普及の世帯レベルの利益と負担を検討することができる。また、持続的農業に移行する際の負担を明らかにし、その負担を低減させ、持続的農業普及を支援するような情報・制度を明らかにする研究が急務であるといえよう。この負担を低減させるにあたり、住民組織が重要な役割を果たしており、参加型開発に欠かせないアクターとなっていることが観察された。本論では、住民組織によるエンパワーメントという視点でこの課題に切り込んだ。本研究は、開発後進地域において持続的農業普及を進める上で、小規模農家の生活戦略という視点から農村にとっての有効な政策・制度を明らかにして、東・東南アジア域内の農村開発援助研究に貢献するものである。

 

2.研究の成果

 

今年度の研究成果として、下記の2つの国際会議にて発表を行った。

 

(1)      Sachika Hirokawa, ‘Case studies of Rural Development and Clean Agriculture in Lao PDR’, The Third International Conference on Lao Studies, Khon Kaen University, July 14-16, 2010.

 

(2)      Sachika Hirokawa, ‘Promoting Sustainable Agriculture Development and Farmer Empowerment in Northeast Thailand’, "The Multidimensionality of Economy, Energy and Environmental Crises and their Implications to Rural Livelihoods," the 4th International Conference of Asian Rural Sociology Association (ARSA), Bicol University, September 6-10, 2010.

 

以上