2010年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究助成金申請書「研究者育成費修士課程・博士課程」報告書

脳酸素交換指標を用いた語意学習プロセスモデルの構築

慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科・博士課程 吉野加容子

 

 

研究課題

近赤外線分光測定技術によって、ヒトの脳の言語関連皮質における単語の知覚と語意処理の指標化を行い、語意学習反応を神経生理学的に定量評価することを目的とする。時空間解像度が粗かった従来の<脳血液量指標>に加え、本研究は神経細胞と毛細血管の酸素伝達に着目し、新しい代謝指標となる<脳酸素交換指標>を用いることを特徴とする。
 これまで、語意処理の指標となる大脳皮質の応答が観察され、語意を理解できる理解単語と、語意を知らない非理解単語を分離できた。加えて、語意親密度や英単語学習の定量評価にも適用可能なことを示した。今年度は、脳血液指標と脳酸素交換指標の両指標の2次元解析の考案と理論化によって、語意処理に伴う皮質反応変化の時間的推移と、部位的な処理遷移の詳細な実測データ解析への有用性を示し、語意学習の生理学的プロセスを可視化する脳酸素交換機能プロセスモデルを考察する。

 

 

研究背景

近赤外線の拡散/散乱光を使った非侵襲脳機能イメージングは、計測時の簡便性と非拘束性から注目されている。一般的に広く利用されている手法としてNIRS(Nearinfrared spectroscopy:近赤外線分光法)があり、血液内のoxyHb(酸化型ヘモグロビン)濃度変化とdeoxyHb(還元型ヘモグロビン)濃度変化を高い時間解像度でモニターできる。NIRSは従来、Hb濃度変化から脳血液量(CBV:Cerebral Blood Volume)の増加を脳機能の指標として用いてきた。
 しかし生理的には、CBV増加は神経活動の生起から数秒間の遅れの後に起こる生理反応であるのに対し、脳組織の酸素濃度は神経活動と同時に変化する(Thompson et al, 2003;2004)。この組織の酸素濃度の変化は、毛細血管から神経細胞への酸素交換(COE:Cerebral Oxygen Exchange)の増加を伴う。
 本研究によって、従来のCBV指標が増加するまでの数秒間に、これまで不可能だった高速のCOE指標の変化が捉えられれば、COEは一単語の認知を捉える感度で、神経活動をより精度よく同定する指標となる可能性が期待される。これまでのNIRSは空間解像度が低かったが、COEの信号は、CBVCBFよりもさらに局在しているため、空間解像度を改善する計測設定を工夫し(Yoshino et al.,2007)、CBVCBFを捉える従来の非侵襲手法よりも高精度の機能イメージングが可能となるだろう。

 

 

目的

脳から得た信号を直接装置に入力して作動させるブレインマシンインターフェイス (BMI:Brain Machine Interface)は、実際の脳機能に対して遅延して起こるCBV指標を用いると、装置の作動開始に約67秒程度のタイムラグがあるという課題があった。従って現段階では電極を頭皮に埋め込む侵襲性のBMIや、空間分解能が低い脳波によって同時性が実現されているが使用者のリスクが大きい。教育・医療現場では、発話や手指運動ができない障害児者に対する言語学習支援を行うが、対象者本人の発話や指差しによる応答が得られず、臨床的な言語検査や学習評価が適用できず、神経生理学的な学習評価システムが必要である。
そこで、NIRSを用いて神経活動と同時に生じるミリ秒単位の酸素消費を示すCOE指標の検出が実現できれば、言語野を選択する空間解像度を満足させ、使用者に身体的負担の少ないリアルタイムのBMIが実現すると考えられる。障害児者の聴覚残存率は高く、NIRSの利便性を生かした臨床現場で使用可能な、言葉を聞かせるだけの理解単語判定や学習効果判定の検査の開発が現実化する。
 本研究では、対象者の自発的な応答を用いない脳計測の実験パラダイムを考案し、実際にヒトの言語野での単語理解の反応を正確に判定するCOE指標の検出と解析法について検討する。得られたCOE反応の挙動から、言語学習の神経生理学的なプロセスモデルを提案することを目的とする。

 

 

本研究の特色

ヒトの語意学習のプロセスモデルを検討する際に、従来のCBV指標と、新しいCOE指標の両方のパラメータを使って評価することが本研究の新規性である。具体的には、神経活動によって大脳に血液供給(CBV増加)が生じることが広く知られ(Roy and Sherrington, 1890)、単語理解も被験者応答を用いてCBV増加で評価されてきた(Petersen et al, 1988; Wise, 1991; Binder et al, 1995: Price et al, 1992; Price et al, 1996; Binder et,al.,2000)。しかし従来の装置で計測されるCBV増加は静脈由来であり、神経活動に対して間接的な指標であった。そこで一単語の知覚と語意理解を他覚的に判定できる精度に向上させるためにCOE指標を新たに用いる。加えて従来の単一指標の増減評価に対し、CBVCOEの相互関係をベクトル平面上で幾何学的に8つの位相に区別して評価する新しい手法(Kato, 2006;2007)を取り入れ、側頭葉での言語学習評価に用いる有用性を示す。

 

 

研究の進捗と結果

これまでの実験により、一単語の認知に関わるCOE,CBV変化は非常に高速かつ微弱なため、単一指標の相対的な増減評価だけでは、統計上有意に検出できない場合があった。また生理的に、酸素消費を示すCOEは、血液量(CBV)との相互関係を無視して成り立たないことから、2つの指標を同時に解析する手法の確立が課題であった。そこで、COECBVから成る2次元座標を適用し、新たな脳機能評価の理論として提案する。加えて、COEの他にも、詳細な生理的変化を定量評価するための新たなパラメータを考案し、実験データを用いてパラメータの有効性を評価する。この理論と解析法により、微弱ながら生理的に重要なCOE反応を強調し、かつ強度が大きいが生理的に不要な静脈由来のCBVデータを排除することが可能かどうかを検討する。この解析法が確立することで、語意学習プロセスを定量的に可視化でき、BMIを利用した臨床検査の開発への応用が現実化する。
 対象は、SFC倫理委員会が承認した内容と手続きに同意した健常成人であり、COECBVデータを得るための実験において、正確に言語野の同定を行うために頭部MRI撮影(3T)を行った。計測課題は持続時間を1500mに統制した単語の受動聴取であった。Pre-learningの計測時では未学習単語を受動聴取した。その直後に語意を教示し学習させた。post-learning測定は語意学習の直後に行い、その時点で学習が遂行された単語を追跡対象とした。1週間後に追跡単語の受動聴取測定を行い、語意を覚えていたsuccessful words53.0%、語意を忘れたfailed words47.0%であった。測定の直後にfailed wordsの語意学習を設け、学習効果を再度確かめる計測を行った。
 結果は、意味を理解できている単語(理解語)と理解していない単語(非理解語)では、聴取中1.5sが真逆の位相をとった。語意を理解している場合には、COEがウェルニッケ野(言語理解の中枢)で単語聴取中に増加した。一方、未学習単語と1週間後に語意を忘れた単語は、CBVは増加してもCOEは増加しなかった。単語聴取後はCBVが増加したが、すべての条件で同一位相(CBV>0, COE<0)に収束し、単語認知の違いを反映しなかった。
 単語学習を追跡した結果、語意を理解しているかどうかの単語認知の変化は、CBVではなく、ミリセコンドオーダーのCOEに影響を与えた。この新しい知見は、従来のCBV増加を指標とした遅い血流計測では評価することができないことを示唆した。COECBV2次元平面は、これまで分かっていなかった単語理解のような短い時間で、CBV減少とともにCOEが増加する高速現象を説明するのに有効であった。

 

 

本研究に関わる発表(一部)

1) Yoshino K, Ishizaki S, Kato T. Oxygen consumption reaction of COE (cerebral functional mapping of oxygen exchange)Early deoxygenation depending on task in BA10; 12 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage 31 S1 578 W-PM. Florence, Italy, 2006/06
2) Yoshino K, Kato T, Yamaguchi K, Murakoshi A. COE (cerebral functional mapping of oxygen exchange)
COE function in the language areas in persistent vegetative state; 12 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage 33 S1 610W-PM.  Florence, Italy, 2006/06
3) Yoshino K, Kato T. Differences of cerebral oxygen exchange depending on familiarity of words; 13 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage 36 S1 125M-AM.  Chicago, USA, 2007/06
4) Yoshino K, Kato T. Using phase analyses of the regulation between COE and CBV during single word learning; 16 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage S1 849MT-AM.  Barcelona, SPAIN, 2010/06