2010816日(月) 17:00-18:00

 

話し手:

民生品グループ

据え置き型事業部

据え置き型開発部門長

A.Nさん

 

聞き手:山口 祥弘

 

1.      背景

 以前の私の業務、新型ノートブックパソコンの立ち上げ時、ハードウェアのチームを統括されておりました。当時私は同新型ノートブックパソコンのソフトウェアチームでBIOS設計を行っており、その伝手で今回のインタビューに快諾して頂いております。私が新型パソコンパソコンでソフトウェア設計を行っていた1996年〜2002年の間、既にA.Nさんは新型ノートブックパソコンハードウェアの統括部長に昇進されていましたが、トップ人事のシャッフルなどがあり、現在はTVや据え置き型新型大容量 DISCレコーダの開発を行う現部署の部門長として活躍されています。インタビュー要請のE-Mail8/6(金)の夕方にお送りしたにもかかわらず、8/8(日)には快諾のお返事を頂きました。休日のお返事は、会社のリモートアクセスを利用したものでしょう。A.Nさんの秘書の方からは8/9(月)に該当日時によるインタビューの調整のメールが到着していました。しかし、(無礼にも)私の方がこのメールの後休暇を取得しており、8/12(木)と遅れて返信したにも関わらず、幸運にも該当日時のインタビューが実現しました。なお、後で秘書の方に伺ったところ、この日時以外、数週間は時間が取れない程お忙しい状態にあったとのことです。インタビューに利用した会議室は、少し小さめの通常業務で利用される会議室です。A.Nさんは細い縦縞のワイシャツに社員証をかけた、ビヨンド社のマネージャー一般的なスタイルでインタビューに応じてくださいました。

2.      内容の概要

 私にとって社内インタビュー初日となるインタビューであったため、少々口ごもっておりましたところ、まず、A.Nさんから話しかけてくださいました。私が大学院まで行って行いたい活動、本論文の趣旨である、ビヨンド社のイノベーション発生の実態を明らかにしたい旨をお伝えしたところ、「そのような趣旨ならば」と何人かのインタビューするべき皆様のお名前を具体的に頂きました。

A.Nさんは、入社してすぐ、G.Hさん(現 役員)の元、CD-ROM/CDI/MMCDと言った、音楽用として既に定着していたCDIT技術として利用するアプリケーションを検討する部隊でハードウェア設計者として活躍されます。その後、M.Yさん(コンピュータ事業本部 本部長、ビヨンド社コンピュータ技術研究所 社長などを歴任)に誘われ、同じG.Hさん管轄のWSKシリーズ第3世代、WSK3000PLを任されます。

その後の1995年、F.M会長(当時)が始めたIT戦略に基づき、G.Hさんのお声掛けにより、新型ノートブックパソコンの立ち上げに統括リーダーとして参加します。立ち上げと言っても完全なるゼロスタートではなく、L.N部長(当時。現在、役員。民生品グループ事業本部長)の率いていた部隊によって、DL社やAP社のノートブックOEMを行った経験あるエンジニアが揃っていました。A.Nさんは、そういった経緯でビヨンド社ブランドとしての新型ノートブックパソコン立ち上げを統括します。これが後に最初の新型ノートブックパソコンとして市場に登場する薄型ノートパソコンです。その途中、G.Hさんは更に高い位置から新型パソコンパソコン事業を見ることになり、部の統括はE.Oさん(現 役員)に代わっています。なお、元マギックポッドに関わっていた部隊も当時の新型ノートブックパソコンに加わっており、その部隊は、伊藤 進さん(別インタビューを参照)が統括され、超薄型ノートパソコンを世にリリースすることとなります。なお、少し時期を早くして、デスクトップ新型パソコンがIT社との協業によって、米国でリリースされていると言う時代背景も追記しておきます。

インタビューでA.Nさんは、「若い人にはもっと自由に提案して欲しい」とおっしゃっていました。会社の外側にあるような自由な発想が、ビヨンド社の製造、設計、影響と言ったアセットのリンクすることで、新しいイノベーションになるのではないか、と感想を述べられていました。