2010916日(月) 10:00-11:50

 

話し手:

役員

O.Hさん

 

聞き手:山口 祥弘

 

1.      背景

 据え置き型事業本部 据え置き型開発部門長のA.Nさんへのインタビュー冒頭で、O.Hさんのお話しを伺い、インタビューのお願いをメールにて差し上げました。当時は特にインタビュー活動を始めたばかりと言うこともあり、恐る恐る98日にご連絡差し上げましたが、その日のうちにご連絡があり、秘書の方とあっという間にインタビューの日程を調整できました。

 O.Hさんの役員室は、本社フロアの中ほどに別の部屋として敷居が設けられ、すぐ外側に秘書の机があります。窓はありますがブラインドがかかっているので中を見ることはできません。緊張しつつ秘書の女性にお声掛けすると、すぐに役員室へ通してくださいました。私にとって、役員室に入った最初の経験で、緊張は最大まで高まっていました。8畳ほどのほぼ正方形に感じる部屋には大きめのO.Hさんデスクと打ち合わせ用の机、椅子がありました。

 O.Hさんは新型大容量 Discの生みの親として社内外に知られています。TS社が中心となって進めていた別規格大容量 DISC規格(2002年)との標準化争いは、20082月、TS社が別規格大容量 DISCからの撤退を皮切りに同年普及団体が解散、ブルーレイ・ディスク・アソシエーション(NHDA)の勝利となりました。

2.      内容の概要

 私が初めての役員室にどぎまぎしていたところ、O.Hさんから今回の活動について詳細を逆にご質問頂くところからインタビューが始まりました。O.Hさんからのそういったアイスブレーキングから、まず、新型大容量 Disc商品化チーム立ち上げの特異性からお話を頂きました。実用化された新型ダイオードによって、また、21世紀にはハイビジョン対応の光DISCが必要になるため、新型大容量 Disc商品化への活動が始まります。まず、元副社長 G.Eさんの指示で、当時、役員R&D担当のB.O克明さんが統括されていた青色レーザーに関する研究チームを、丸ごとO.Hさんが統括することとなります。O.Hさんは、トップを任された研究チーム(部長クラス20名、課長クラス20名、総勢300名近く)で孤軍奮闘します。元々、光Discに関する知識のなかったO.Hさんはなかったため、教えてもらいながらのスタートでした。

 O.Hさんのお話しでは、任された当初の研究所では、個々人の研究成果(論文成果)を出すことに注力しており、事業部のような進捗管理を行う文化がなく、研究成果の品質には多大に注力する一方で、スケジュール感がなかったと言います。また、チーム内のコミュニケーションもほとんどない状況であったと言います。私の事業部経験では、品質はもちろん重要ですが、スケジュールはもっと重要であるとされます。また、スケジュール必達に高い頻度のコミュニケーションが必須であることを聞いてきたものです。

O.Hさんは、まずスケジュールをメンバーに実感してもらうために、目標の設定に着手します。それは以下のようなものでした。

l   光ディスク最後のフォーマットとして最新の技術を採用する

l   大容量 HD140分以上

l   ROM,R,RE単一共通フォーマット

l   将来への拡張性 2 ネット接続

l   海賊版の防止

この目標を設定するため、ハリウッド擁するコンテンツベンダー技術陣のご意見や、録画時間がお客様にいかに大切かと言うこれまでの経験が活かされています。なお、各コンテンツベンダーのヒアリングには、ビデオ事業部時代の伝手でO.Hさんが連れて来た2人の力によったと言うことです。私の印象では、ビヨンド社のトップに関する人事異動においては、そのトップの信頼のある数名も異動するケースが多いように思います。そのメンバーをコアとしてチームビルディングを始めるのです。しかし、O.Hさんはこのお二人以外には連れてこなかったとのことです。

次にO.Hさんは、総勢300人の研究所メンバーとのコミュニケーションを活性化するために、課長クラス20名、部長クラス30名と1時間ずつ面談を行います。更に、10人ずつ交代で毎日昼食会を開きます。その場では、必ず誰かしら12人はたくさん話してくれる一方で、必ず誰かしら12人は何も話さなかったと言います。O.Hさんは、様々いるメンバー間で、仕事の内容を伝達することの難しさを強調しました。だからこそ、そこに「仕掛け」を作り出すことが必要なのです。

 外部とのアライアンス、NHDA(新型大容量・ディスク・アソシエーション)の調整についてもまた、コミュニケーションの賜物であったと言います。週2回はG.Eさんと主要パートナーとの宴席であったと言います。また、社内についても、商品化にあたり研究所だけでなく新型大容量 DISCレコーダー、新型パソコンシリーズ、新型ゲーム機器、レコーディング・メディア、PC用周辺機器、新型発光ダイオードデバイスと言った、新型大容量 DISCに関わる事業本部の部長以上に毎週定例ベースの報告会を持ち、小さな部屋に立ち見が出るほどの大盛況の元、コミュニケーションの場を作りました。それは会議と言うよりも、もっとフランクにお互いの交流が可能な場であったとO.Hさんは言います。新型大容量 DISCの立ち上げは、コミュニケーションの解決であったと、O.Hさんはおっしゃいます。

 

ビヨンド社におけるエンジニアの立場

O.Hさんは、「エンジニアが商品を決める」として、提案を受け付ける雰囲気作りが大切だと言います。ビヨンド社の商品が魅力的であり続けるためには、技術屋やデザイナーと言ったゼロから物を作り出せる人材が必須です。その人たちのパワーを最大限に発揮させる必要があります。そして、その信念に立ってビヨンド社は今日まで動いています。

 

G.Eさんとの関係

G.Eさんとの関係についても伺いました。G.Eさんとは、半導体事業部で、小型ビデオカメラの商品化時に知り合うことになります。当時、TV出身のG.Eさんは若手で言いたいことをどんどん発言するG.Eさんに一目を置いたようです。小型ビデオカメラの商品化は、テープを動作させるドラム機構と同時に、LSIもまた開発しなければなりません。カセットを入れてから再生まで数分時間かかるようなものを、商品部と半導体設計部の協調によって商品化できるほどのレベルに改善したと言う背景があり、O.Hさんは、半導体設計の立場で商品部に切り込んでいたとのことです。つまり、部署間の橋渡し役、コミュニケーションを担っていたと言えます。また、G.Eさんとの高い信頼関係にあった逸話として、とある失敗について、G.Eさんに「それは人材教育がなってないからだ!」と反論したなどと言うお話をされていました。その後も様々なプロジェクト、例えば超小型ビデオカメラにおけるマイコンの1チップ化などを任されてきたそうです。「いやなことを言う人をそばに置け、そうでないと裸の王様になるぞ」とはG.Eさんのお言葉だったとのこと。コミュニケーションの仕組み作りと言うお話は、様々な人材を認めることから始まるようです。