2010922日(水) 10:30-12:40

 

話し手:

ANE事業部・ソリューション技術開発部 部長

総合技術開発本部 担当部長

Z.Bさん

 

聞き手:山口 祥弘

 

1.      背景

 今回の、民生品グループ 据え置き型事業部 据え置き型開発部門長のA.Nさんへのインタビュー冒頭で、Z.Bさんのお話しを伺い、インタビューの依頼を9/8にメールしました。その日のうちに以下のようなメールが届きました。

Bickyかな?

私の方も、SFCの生活が聞きたいな。

楽しみ。

 このBickyと言うのは私のtwitterアカウントで、以前よりZ.Bさんにフォローして頂いていたのでした。Z.BさんはUNIXワークステーション、WSKシリーズの立ち上げ時のカリスマ的な存在として有名な方ですが、私は仕事上の面識はほとんどなく、本当にたまたまtwitterアカウントを私が見つけてフォローしたのでした。Twitterもかなり早い段階で遊び始めているような方で、根っからのインターネット好きと言うところを覗かせます。

 その後は庶務の女性と、一度 9/17(金)12:30-14:00で設定されますが、一度Z.Bさんのご都合がつかなくなり、最終的には9/22(水)10:30-11:30でアレンジされました。インタビューは実際には10:30-12:40に延長されました。

 

2.      内容の概要

時代は米Sun Microsystems社の1000万円以上もするワークステーションが台頭している1985年。パソコンではMac classicが登場した時代でもあります。WEB新聞の連載、技術再発見『WSKシリーズ --- 一人1台を実現したワークステーション 』によると、ベスト誌198611月号でWSKシリーズを「破格の価格性能比を備えたワークステーション」と紹介したとあります。なんと、当時1000万円以上だったワークステーションを、最上位機種で275万円と言う低価格で登場させたのです。記事では更に、『「一人が1台ずつ持てる高性能なワークステーション」という技術者の欲しいものが形になったマシンだった。』としています。当時のWSKシリーズ登場の衝撃が見えてくるでしょう。その立ち上げを行ったのが、社内有数の有名人である、M.Y 利忠さんです。M.Yさんは当初コンピュータ事業部でコンピュータの開発を行っています。資料によると、そこから32bitワークステーションを立ち上げるプロジェクト「STR(ストロング)」を実現するために4人を引き抜き、更に木原研の研究メンバーを加え、総数11人でコンピュータ開発部を立ち上げています。Z.Bさんは当時、CEEK(シーク)と呼ばれる、ライトワンスの光ディスクを活用した業務用電子ファイリングシステム(写真)の開発に従事されていましたが、この時にコンピュータ開発部に引き抜かれます。なお、Z.Bさんによれば、まったくワークステーションや UNIXに精通していたわけではなかったとのこと。それでも引き抜かれたのは、Z.Bさんに「自由闊達さ」を見出したのかもしれません。

 しかし、社内にワークステーションを立ち上げた経験のある専門家などいなかったとのことです。それでもM.Yさんの号令の元、社内ベンチャーのように様々な試行錯誤がなされます。正に自由闊達な雰囲気であったとZ.Bさんは振り返ります。ハードは現在総合技術開発本部部長のE.Bさん。WSKシリーズに搭載されたOSBSD1年で移植してしまった立役者、スーパープログラマT.MさんがM.Yさんに拠って外部からリクルートされるなど、役者が揃います。凡そ、M.Yさんのコンセプトは、エンジニアに面白そうな題材を与え、ユニークな人材を結集する事にあったのではないか、とZ.Bさんはおっしゃいます。それが結果的に1年たらずの短い期間で素人集団がワークステーションを世に出せたと言うことは特筆するべき事です。

ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、M.Yさんはペンネームム天照二郎(あまてらすじろう)で『人材は悪人からさがせ』と言う本を著していたりするのです。

当時、コンピュータはビヨンド社のマジョリティではありませんでした。逆に注目されないことが功を奏して、このような自由闊達な場を作ることができたのかも知れません。まさに名実共に社内ベンチャーだったのでしょう。「毎日が新鮮な刺激に満ちていて、M.Yさんを含めて、コンピュータが専門かどうかと無関係に、日々、成長していた」とZ.Bさんは当時を語ります。

 

サバティカルな留学

この市場導入の間際、Z.Bさんはイリノイ大学に留学されています。そのことをZ.Bさんは「サバティカル(長期の自由)」と表現して笑ってお話しされます。飛び込み営業のように米国コンピュータ企業に売り込みに行ったりした(させられた)のだそうです。自由に様々な経験が、WSKシリーズの立ち上げを通して培われたのです。

 

「志」こそ大切だ!

Z.Bさんは、「儲ける」だけじゃ上手く行かないだろう、「こういうものを作りたい」と言う「志」こそ大切なのではないか、とおっしゃいます。「儲ける」と言った欲望を刺激するようなインセンティブはゆくゆく失敗する、最後は人間的な力が成功を呼ぶのではないか。よって人材こそが財産なのだと指摘します。その人材に「志」を作っていく体制が必要であり、それにはビヨンド社に限らない外の世界と連携していくことにあるのではないか。例えばオープンソース。私たちは兎角、オープンソースをビヨンド社の権利を守って活用することに目が行きがちですが、そこにもまた、ソフトウェアの発展と言う「志」があります。本来、その志に沿うことが最も大切なのではないか。係数評価はすぐに限界が来る。Z.Bさんはそのように問いかけていました。

 人材こそ財産、志を作っていく体制が必要で、さらに、外を含めて進めて行くと言うやり様が面白いのではないか、とおっしゃっていました。