2010年度 森基金 成果報告
政策・メディア研究科
修士課程 2年
北山 雄樹
研究課題名:オンライン市場における隠れた秩序の解明
修士論文タイトル:書籍販売における定常的パターンの形成原理
目次
1.研究概要
2.はじめに
3.書籍販売市場における3つの特徴
4.定常的なべき乗分布の形成モデル
5.シミュレーション分析
6.おわりに
参考文献
1.
研究概要
本研究では,オンラインの書籍販売市場において,売れている商品が日々変化しているにも関わらず,販売量の分布がいつもべき乗分布になるという定常性に注目し,それがいかにして可能なのかを説明するモデルを提案する.本研究では書籍市場の3つの特徴,すなわち,「販売量のポジティブ・フィードバック」,「魅力度の逓減」,および「商品の増加」をモデルに組み込む.シミュレーションによる分析の結果,売れている商品が入れ替わりながらも,べき乗分布が定常的に形成され続けるというためには,これらの3つの特徴すべてが必要であることが明らかになった.
2.
はじめに
書籍の販売市場は,ごくわずかな商品が爆発的に売れるのに対して,その他のほとんどの商品はわずかしか売れないという「ロングテール」市場になっていると言われている.実際の販売データの分析においても,販売量の分布は「べき乗分布」に従っていることが分かっている.販売量の分布がべき乗分布であるということは,ほとんどの商品がごく少数しか売れないのに対して,ごくまれに爆発的に売れる商品もあるということである.
さらに,筆者らがこれまで行ってきた研究では,書籍の販売量の分布は,図1 のように,常に同じ分布を保つ「定常性」がみられることが分かっている.書籍販売市場では毎月大量の新刊が発行され,トップセラーの商品は入れ替わっている(表1)にも関わらず,そのような特徴的なパターンが常に維持されるのはどのような原理によって可能なのだろうか.本研究では,その原理の仮説モデルを提案し,シミュレーションによる分析を行う.
図1
オンライン書店における月毎の書籍販売量の分布:2005・2006 年度月次
表1
書籍の月毎の売上ランキング(2010 年1 月から2010 年6 月まで:出版科学研究所調べ)
3.
書籍販売市場における3つの特徴
定常的な販売量分布がどのようなメカニズムによって形成されるのかを考えるにあたり,本研究では,「販売量によるポジティブ・フィードバック」,「魅力度の逓減」,「商品の増加」という3つの特徴に着目する.
3−1.販売量のポジティブ・フィードバック
1つ目の「販売量のポジティブ・フィードバック」は,書籍の販売がさらなる販売を促す,すなわち「売れるものがますます売れる」という効果を示している.これは,ランキングなど,売れている商品がますます注目されるという仕組みによって支えられている.このようなポジティブ・フィードバックは,販売量の差の拡大を促し,結果としてべき乗分布を生み出すことに寄与していると考えられる.
3−2.魅力度の逓減
2つ目の「魅力度の逓減」は,市場において書籍の魅力が時間とともに減少していくということを示している.ここでいう「魅力度」とは,上述したような「売れていることによる魅力」以外の,その商品がもつ内在的な特徴や時代との適合性などの質を総称したものである.そのような魅力度というものは,一般に時間とともに減少していくと考えられる.実際,出版業界では,書籍の出版から6 週間がその書籍の生死の分かれ目であると言われることもあり11),出版後の短期間が書籍の魅力の最も高い時期であると考えられている.爆発的に売れた商品も,いつかは売れなくなる.そのような状況で,高い水準の魅力度をもった新商品が市場に投入されることで,トップセラーの入れ替わりが実現されると考えられる.
3−3.商品の増加
3つ目の「商品の増加」は,市場に新しい商品が追加され,商品の種類が増加していくということである.初めに述べたように,書籍販売市場には日々大量の新刊書籍が追加されている.市場に新たな商品が加わるということは,商品を購入する消費者から見れば,純粋に選択肢が増えるということである.そのような商品の増加は,すでに発売されている商品にとっては販売のチャンスが減少することにつながるということを意味している.さらに,商品の魅力度が下がっているなかで,高い水準の魅力度を持った新商品が市場に投入されることで,トップセラーの入れ替わりが実現されると考えられる.本研究では以上の3つの要因を踏まえ,定常的なべき乗分布の形成モデルを提案する.
4.
定常的なべき乗分布の形成モデル
提案モデルでは,市場に次々と新刊の商品が追加されていく.それぞれの商品は固有の魅力度と累積販売量をもち,それらが時間とともに変動する(図2).本モデルで,外生的に与えるパラメータは,次のとおりである.
図2 提案モデルの概念図
• 販売量の増幅度w
• 商品の魅力度の減少率r
• ステップ毎に市場に追加される新商品の数m
• ステップ毎に市場全体で増加する総販売量s
なお,本来,書籍の魅力がどの程度の速さで減少するのかということは書籍毎に異なると考えられるが,本モデルにおいては単純化のため,魅力度の減少する速さに関しては一定の割合と仮定している.モデルにおいては,時間ステップ毎に,(1)新商品の追加,(2)販売量の増加,(3)魅力度の減少が実行される.以下では,それぞれについて説明していく.
4−1.新商品の追加
まず最初に,市場に新商品がm 種類追加される.
ここで,Nt+1 は,t+1 ステップ目における市場の商品の種類数を表している.なお,ここで加えられる新商品には,その商品固有の魅力度ηが0 ≦ η < 1の範囲でランダムに設定される.
4−2.販売量の増加
次に,商品毎の販売確率に従って,そのステップにおける商品の販売量sj,t が決定する.その結果,各商品の累積販売量が増加することになる.時間ステップt における商品i の相対的な販売確率pi(t) は,次式によって求められる.
ここで,ηi,t は商品i の魅力度を表す値で,0 ≦ ηi,t < 1 の実数値をとり,vi,t−1 は時間ステップt − 1 における累積販売量を表す値で,1 ≦ vi,t−1 の整数値をとる.また,w は累積販売量が販売確率にどの程度影響するかという,累積販売量の増幅度を表す任意の定数である.この確率pi,t にもとづき,ステップ毎の市場全体の販売量Sの数だけ,各書籍が販売される.
4−3.魅力度の逓減
最後に,次式で示されるように,市場に含まれる全ての商品の魅力度が一定の割合で減少する.
ここで,ηi,t+1 は時間ステップt + 1 における商品i の魅力度を,r は魅力度がどれくらいの速さで減少するのかという魅力度の減少率を表す.
5.
シミュレーション分析
これまで説明してきたモデルによって定常的なべき乗分布の形成が,どのような条件のもとで可能なのかを調べるため,シミュレーションとその分析を行なう.
5−1.定常的なべき乗分布の形成
シミュレーション実験の結果,販売量のポジティブ・フィードバックと魅力度の逓減,商品の増加という3つの要因が作用している状態では,実際の市場と同様に販売量のべき乗分布が生まれるということが確認された.図3 は,シミュレーション結果における販売量分布である.
図4 は,(r = 0.001,w = 1.2,m = 10,s = 1000)のケースであるが,常にべき乗分布が生成され続けていることが見て取れる.
図3 長期間の販売量の分布(r = 0.001,w = 1.2,m = 10,s = 1000)
次に,本論文で着目している3つの特徴,すなわち「販売量によるポジティブ・フィードバック」,「魅力度の逓減」,「商品の増加」の効果を調べることにしよう.
まず,販売量のポジティブ・フィードバックが作用していない場合にはべき乗分布とはならない.図5 のように,全ての商品の販売量が一定範囲に収まるような均一化された状態が生まれてしまう.この結果からは,販売量のポジティブフィードバックがなければ,販売量の偏りが生まれず,ほぼ全ての商品が一定の販売量に収まるような分布になることが分かる.
また,魅力度の逓減が起こらない場合にも,べき乗分布は生まれず,図6 のように分布のテール部分が大きく伸びた分布となる.ここでは,販売量のポジティブ・フィードバックの作用が商品の販売量による販売の促進効果を生み出し,販売量の分布が圧倒的な販売量を持つ商品と,全く販売量を伸ばせない商品に二分されていることが分かる.
一方で,商品の増加がない場合は,魅力度が全体として減少していくものの,そのことが販売確率に影響せず,販売確率自体はほとんど変わらないため,べき乗分布自体は生まれることが分かった.しかしながら,この条件では,販売確率がそれほど大きく変化せず,実際の市場のように販売量の順位が入れ替わっていくというような現象は見られない.
以上のことから,実際の市場におけるのと同様に,売れている商品が入れ替わりながらも,べき乗分布が定常的に形成され続けるというためには,これらの3 つの特徴すべてが必要であることが明らかになった.
図4 短期毎の販売量の分布(r = 0.001,w = 1.2,m = 10,s = 1000)
図5 販売量によるポジティブ・フィードバックがない場合の販売量の分布(r = 0.001,w = 0.0,m = 10,s = 1000)
図6 魅力度が減少しない場合の販売量の分布(r = 0.0,w = 1.0,m = 10,s = 1000)
5−2.条件範囲の特定
定常的なべき乗分布の形成はどのような条件範囲において可能なのだろうか.ここでは,定常的なべき乗分布の形成が可能な条件範囲を特定していく.
5−2−1.魅力度の減少率
魅力度の減少率r について検証を行った結果,定常的なべき乗分布が生まれ得る魅力度の減少率の値は0 < r ≦ 0.01 であることが明らかになった.図7 はr を,0.001 ≦ r ≦ 1.0の間で変化させたときの分布の変化を示している.
魅力度の減少率r は既存の商品の販売を抑える働きをするため,この値を増加させると販売量がより均一になり,分布のテール部分が抑えられる.ここでは0.001 ≦ r ≦ 0.01 の条件範囲では比較的べき乗分布に近い分布を示すのに対して,それよりも値が大きくなると,べき乗分布が崩れてしまう様子が見て取れる.
r = 0.001 の場合のように,r の値はかなり小さな値であっても,べき乗分布は生まれるが,r = 0.0 の場合には魅力度が逓減せず,販売量の順位は入れ替わらない.これは,現実のトップセラーが次々と入れ替わる市場を考えると,内部における振る舞いにおいて現実的ではなく,0 < r が条件として妥当であるといえるだろう.
図7 魅力度の減少率r の条件毎に見られる販売量の分布(w = 1.2,m = 10,s = 1000)
5−2−2.販売量の増幅度の条件
販売量の増幅度w について検証を行った結果,定常的なべき乗分布が生まれる条件範囲は,w ≒ 1.2 であるということが明らかになった.例えば,前節で示した条件(r = 0.001,m = 10,s = 1000)の場合には,図8 のように,w = 1.2 前後の値でもっともべき乗分布に近いパターンを示すことが分かる.r の値を変化させた場合にもこの条件は同様で,r の
値がべき乗分布の生まれる条件を満たしているのであれば,w の値の上限はw ≒ 1.2 であるといえるだろう.
販売量の増幅度w は商品の販売量の差を増幅する働きをするため,この値を増加させると販売量の格差が拡大し,分布のテール部分が伸びる.
図8 販売量の増幅度w の条件毎に見られる販売量の分布(r = 0.001,m = 10,s = 1000)
5−2−3.新商品数と総販売量の条件
1 ステップ毎の新商品数m と総販売量s について検証を行った結果,定常的なべき乗分布の生まれる条件範囲はそれぞれ,1 m,100 s であることが明らかになった.図9,10 からも分かるとおり,新商品数mと総販売量s は分布の傾きには作用するが,その形状自体には大きな影響を与えておらず,ある程度の値以上であれば,定常的なべき乗分布が形成可能である.
新商品数mは市場における商品の種類を増加させるため,この値を増加させると各商品の販売量が抑えられ,分布の傾きが急になる.一方で総販売量s は市場全体としての販売量を増加させるため,この値を増加させると,各商品の販売量が増加し,分布の傾きが緩やかになる.
以上のシミュレーションの結果から,本研究で構築したモデルにおいて,定常的なべき乗分布の形成条件の範囲を特定するとともに,各パラメータが結果に与える影響も明らかになった(表2)
図9 新商品数m の条件毎に見られる販売量の分布(w = 1.25,r = 0.001,s = 1000)
図10 総販売量s の条件毎に見られる販売量の分布(w = 1.25,r = 0.001,m = 10)
表2 実験結果のまとめ
6.
おわりに
本研究では,実際の書籍販売市場に見られるべき乗分布と同様のパターンが「販売量のポジティブ・フィードバック」,「魅力度の逓減」,「商品の増加」という3つの要因を実現したモデルにおいて形成可能であるということが明らかになった.また,どのような条件を満たすときにべき乗分布が生まれるのかということについても検証を行い,定常的なべき乗分布が生成される条件の範囲を突き止めた.本研究におけるモデルが,さらなる新しい仮説やモデルの研究につながれば幸いである.
参考文献
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