2010年度 森泰吉郎記念研究振興基金「研究育成費」研究成果報告書
研究課題名:
ポスト「社会主義」時代の労働権問題に関する考察
――中国広州ホンダ工場のストライキを事例として
慶應義塾大学大学院
政策・メディア研究科 GR
修士課程2年 胡 曼琳
1.研究概要:
本論文の目的は、ポスト社会主義時代の中国における労働権問題が深刻化している要因として、政策特に労働関連制度の整備などに着目し、その社会問題を緩和するプロセスを明らかにすることである。
(修士論文の研究計画概要は上記の通りである。)
2.問題の所在:
本稿では、近年の中国における「労働権問題」が深刻化している要因として、政策特に労働関連制度の整備に注目し、その社会問題を緩和するプロセスを明らかにすることを目的とする。
3.活動報告:
・現地インタビュー調査
対象:広州にある多数日系企業(広州ホンダ部品工場、広州小松建設、広州日産、トヨタ系合弁工場広東省のホンダ系部品工場)、主に広州ホンダ系部品工場(ホンダ汽車零部件製造有限公司)
基本状況:工場の資本金は9,000万USドルで、全額を本田技研工業(中国)投資有限公司より出資することである。
調査期間: 2010年8月26、27日‐30日、9月10‐12日、12月5‐8日、2011年1月3‐6
・文献資料分析
-事前調査で取得した一次資料
-労働争議に関する資料、新聞、ニュース
-学術論文、雑誌
4.研究成果
(1)、事例の広州ホンダストライキの全体像
ストライキの経緯は以下のようになる。
時間 |
人数 |
ストライキ状況 |
注 |
5月17日月曜日午前 7時50分 |
約500人~600 (遅番[1]の従業員達) |
ストライキが始まった |
代表者:譚明(仮名)と蕭華(仮名) 理由:「給料が安すぎるから仕事をやめよう!」と呼び掛けた スト全体像:彼らはインターネットのメッセンジャーや携帯のショートメールを使い、また「散歩」という形で工場内の連携を取り合って、広くスト参加を呼び掛けた。 |
20日 |
54人の交渉団[2]が工場側および地元の総工会との協商を始めた。 |
ストライキ継続(拡大) |
交渉内容:月給水準を800元(約1万円)引き上げるよう要求した。両方の交渉失敗 スト全体像:しかしこの段階では積極的でない従業員も少なくなかった。 |
21日夜 |
700人(昼番と遅番従業員全員) |
ストライキ継続 |
理由:賃上げしない、代表者を解雇するうわさが広がった |
22日11時 |
従業員全員参加(約1800人) |
ストライキ継続 |
理由:譚と蕭は生産妨害を理由に解雇を言い渡される。従業員の反日感情に火をつけ、それまでストに乗り気でなかった者たちまで一致団結したという。また、研修生たちは必ず「確認届」にサインすることを要求したことである。 |
24日 |
従業員全員参加 |
ストライキ継続 |
理由:食費の補助金は60元から120元または155元まで調整の提議を納得できない |
25日 |
|
ストライキ継続(拡大) |
スト全体像:広州ホンダ他の部品工場の生産も全部停止 |
26日 |
従業員全員参加 |
ストライキ継続 |
交渉内容:工場側は賃料調整法案を提出、月給水準を340元~477元位引き上げる。従業員側は調整の提議を納得できない |
27日 |
従業員全員参加 |
ストライキ継続 |
理由:従業員全員は「誓約書」をサインし、両方の交渉失敗 |
28日 |
従業員全員参加 |
ストライキ継続 |
スト全体像:広汽本田は完成車組み立て工場の操業停止を発表。 |
31日 |
従業員全員参加 |
ストライキ継続 |
理由:従業員を、工会が雇った外部の警備員が無理やり仕事に復帰させようとして衝突、負傷者がでるまでになった。 |
6月1日 |
16人の交渉団[3]が工場側との二回目の協商を始めた。 |
ストライキ停止 |
理由:親会社・広汽本田の総経理で全人代代表(国会議員に相当)の曾慶洪氏が調停にのりだした。彼は、かつて工場長もつとめて、従業員の間でも信望が厚かった。 |
6月3日 |
談判 |
ストライキ停止 |
内容:工場側の法律弁護士は「ストライキ」は違法の行為を指名し、従業員達はやりようがなくて困る。 結果:従業員側は、労働者の権利擁護で知られる人民大学労働人事学院の常凱教授と連絡をとり、従業員代表側の法律顧問を依頼。 |
6月4日 |
従業員代表が14名増え、全部30名[4]または常教授の立ち会いのもと協商が継続したという。 |
ストライキ停止 (終わり) |
内容:何度も決裂しかけたが、最後に約500元(約6500円)の賃上げを勝ち取って終了した。賃上げ後の基礎賃金は1900元(約2万5000円)となった。 |
(筆者作成、事例調査と資料の参考により)
(2)、広州ホンダストライキの原因に関する分析
第1の理由は外需主導の経済成長から内需主導の経済成長への転換を目指す中国の抱える賃金格差である。
第2の理由は物価上昇のスピードである。
第3の理由として、労働契約法の改定に象徴される労働者保護・弱者保護の基本姿勢から、労働者が権利意識を強めている点が挙げられる。
第4の理由は労働者の質の変化であると考えられる。
第5の理由は、労働争議を解決する組織「工会」機能と解決法案の欠如である。
(3)、各アクターの変化
労働者:今回社会の力で自己の利益を守り、問題解決できたと意識しているため、これからの労働争議の解決に経験が積み、自信が高まる。
企業側:現地化を含め、マネジメントの改善も必要である。
政府:地域の管理方法は再検討すべきである。
工会:労働者を代表する労働組合が誕生する時期が来たようである。
5、結論:
①、労働者の権利保護意識の高まり、または社会よりの支援、社会の力と労働者の力が一つになったので、新しい社会の力が誕生するとみえた。労働権問題のある程度の解決も見られる。
②、今度の本田事件の解決は他企業のモデルとなっているので、あたらしい労働争議が始まるに違いない。
③、社会世論の発言権利の増大。
④、政府と「工会」の不関与が社会アクターの参与という結果生じた「労資矛盾の消失」という虚構だとする認識が広がる。また一方で、中国共産党の統治の合法性にとって、重要な根拠である公共善の独占が社会アクターの活躍で崩れつつある。これは、中国政治社会の変容にとっても重要な意味を持つ。
⑤、労働権意識がいまだ収入増加という一点に限定されているという意味で、農民工の労働運動には限界がある。対症療法的に社会アクターと協力が生じても、恒久的な自主労働組織の設立といった運動にまでは至っていない。これが、ある意味政府の介入を防ぐ結果にもなっている。
⑥、社会主義の中国では、理論上、労働争議はストライキを行う必要もないという建前に立つが、経済の高度な発展に伴い、このような問題に直面すべき時期にさしかかっている。地域の調和のため、対応方針の制定の必要性が目前に迫っている。
6、謝辞
2010年度の研究活動及び研究成果は、基金創設者である森泰吉郎様と基金を運用して頂いた慶應義塾大学湘南キャンパス研究支援センター様のおかげである。御基金のご支援無くしては、長期間のフィールド・調査を実現することは出来なかった。ここに厚く御礼申し上げます。