2011年度森泰吉郎記念研究振興基金「研究育成費」報告書
政策・メディア研究科 後期博士課程
植村 さおり
1.研究課題名
現代アレッポにおけるザカート、サダカの実践の変容:慈善活動者によるイスラーム的社会開発の試み
2.研究の概要
本研究は、近年シリア・アレッポのムスリム社会で興りはじめた新しいかたちの慈善活動を、
イスラーム的社会保障システムの一端を担うザカート(義務的喜捨)やサダカ(自発的喜捨)の
実践の変容の表れと捉え、その担い手たちを通して見たシリア社会の問題やその実践的解決の
試みに着目することで、イスラームの教え自体を方法論とした、社会開発の手法について考察するものである。
本研究の意義としては、ムスリム社会の貧困問題解決を試みる際に、開発経済学・社会学の枠組みのみならず、
貧富どちらの立場にも偏向せず、当該社会に埋め込まれているイスラーム的規範を軸に据える点が挙げられる。
それにより、ムスリム社会の内発的発展の枠組みと展望について考察し、イスラーム世界に対する開発援助政策等
に対して提言を行なうことが期待される。
3.本年度の研究活動
3−1.フィールドワーク
本来であれば、2011年11月初旬から12年3月にかけて、シリアのアレッポ市において慈善活動に関する
フィールドワークを実施し、それが本研究の要となる予定であった。しかし、シリアにおける「反体制派」と
「政府」の衝突が激化するなど、不安定な情勢のために大学から渡航許可がおりず、今年度中の実施は断念せざるをえなくなった。
従って、代替措置というほどではないが、来日シリア人の方々に対し、現地情勢に関するヒアリングを実施したほか、
現地のコンタクトパーソンからfacebook等を通じた情報収集を行った。
それによれば、筆者が数年に渡って参与観察とインタビュー調査を実施してきたアレッポのある慈善グループは、
2012年2月現在、貧困家庭支援活動の規模を最低限のレベルに縮小せざるを得なくなっているという。
昨年夏の時点では、これまで通りの活動をしているという報告があったため、反政府側と政府側の衝突として
報じられている諸現象が活動に影響を及ぼしている可能性がある。
しかしながら、活動女性の1人は次のように語った。
「でも私たちには信仰がある。最後にはすべてがよいところに落ち着くはず。
なぜならアッラーは私達にとって最善のことを選んでくれるはずだから。」
こうした中で最も懸念されるのは、貧困対策が疎かにされ、貧困層が取り残されてしまう事態である。
政府によらない富の再分配を持続的に担ってきた慈善活動の役割への注目が必要であるが、
その活動も制限されているという現状は、憂うべき点である。
昨年末ごろからアレッポ大学でも学生デモや治安当局との衝突の模様が
報告されているが、2月に入ってその様相はますます激しさを増している。ただし、現在シリアで起こっていることは、
「独裁政権に立ち向かう反政府勢力」と「市民に対して残忍な制圧を行う政府」という単純な構図では語れないのが実情である。
今後、社会がどこに向かうのかは依然として不透明であるが、若い慈善活動家という、
これまで社会変革を平和的な形で訴えてきた人々の動向への着目は、ますます重要になると考えられる。
尚、本研究の関連調査として、ヨルダンのアンマン市にフィールド調査を2012年3月12日〜30日にかけて行う予定である。
慈善活動のほか、アンネ・マリー・バイローニーが2010年の研究Privatizing Welfare in the Middle East
:kin mutual aid associations in Jordan and Lebanon(Indiana University Press, 2010)の中で報告している
相互扶助組織について、現地での聞き取り調査を行う予定である。バイローニーは、ヨルダンにおいてネオリベラリズム的な
経済改革に伴い公的社会保障が打ち切られた結果、親族関係に基づく相互扶助組織が台頭したことを指摘している。
こうした組織は、一般的な慈善組織と異なり、メンバー同士の相互保険的意味合いが強いということで、
従来的な慈善活動とのすみわけ状況、相互に与える影響について調査したいと考えている。
3−2.文献研究
本年度は、春学期に実施したフォーマル発表準備にともない、おもに博士論文の先行研究の再検討と整理を行った。
なかでも、Denis J SullivanのPrivate Voluntary Organizations in Egypt :Islamic Development, Private Initiative, and State Control
(University Press of Florida, 1994.)は、本研究と対象や問題関心の近い研究として位置づけられる。
サリバンは、1980年代後半〜1990年代前半のエジプトにおける社会経済的発展において、民間ボランティア団体、
とりわけイスラームをはじめとする宗教的な背景をもつ慈善団体が果たした役割を功利主義の立場から検証し、その一定の役割を評価している。
サリバンは、イスラームの名のもとに人々が活動し、よいものを生み出すことが、「伝統的(宗教的かつ人間的な)価値を尊重したかたちでの
エジプト社会の草の根改革、よりよい自立、経済的および社会的(そしておそらく政治的)発展を推進する可能性さえ秘めている」(96頁)とする。
また、エジプトにおいて慈善活動を行う宗教組織について、以下のように結論づけている。
「純粋に宗教的な献身、あるいはイスラーム運動の背景にある理由とそれらの政治やその他の事柄へのかかわりについては、
ほとんど言及されてこなかった。一方で、このことは これらの多くの組織に本来的に備わっていると考えられ、一般大衆へのアピールのために
宗教的シンボルを使用することで、その目標は宗教的用語の中で支持されている。だが他方では、誠実さからくるコミットメントと政治や
他の目的のためのシンボルの操作を区別するのは難しい。ここで重要なのは、これらの組織の「現実」と「自己認識」である。
結局のところ、誠実さとは、それを見る人次第である。経済的、社会的、政治的領域における宗教団体や宗教組織の継続的な
関与から得られる結論は、ムスリム世界を越えて適用可能である。」
以上のような視点は、シリアのムスリム社会を扱う際にも非常に学ぶことの多い視座である。さらに本研究が付け加えたいのは、
慈善活動を行う人々や組織の「現実」と「自己認識」を見つめる際の基準、さらにはその「誠実さ」を測る基準を「それを見る人」に委ねるだけでなく、
聖クルアーンとハディースを根拠とする教えとしてのイスラーム自体をその軸に据えることである。活動者たちがその活動の方向性や方法を
決定する根拠としている本来的な意味でのイスラームは、その実践について問う際、我々自身の認識よりもより公平で客観的な視座を与えてくれるはずである。
また、サリバンの立場は、「イスラーム的民間ボランティア団体とその他のグループは、限られた資源を充当することができない政府によって
残されたその空白を埋めようと試みたのである」(第3章)と語るように、イスラームを、民間でも政府でもない、オルタナティブとして捉えるものである。
一方、本研究ではイスラームが近代的国家や市場経済を補足するといった消極的評価や、「オルタナティブとしてのイスラーム」という枠組みとは
別次元にある、教えとしてのイスラーム実践が積極的に作り出す自律的かつ持続的な社会開発の土壌とその可能性についても提示することを試みたい。
即ち、政府や民間というレベルルを相対化し、包摂するようなイスラームのあり方を模索するということである。
イスラームは総合的なかたちで、人々の潜在能力、ひいては社会の潜在能力を開花させるような枠組みをもっている。
ムスリム社会の安定と発展を考える際には、むしろそれを活かした内発的で自律的な開発手法の包括的な検討が求められるのではないだろうか。
4.今後の展望
シリア情勢の今後は極めて不透明であるが、フィールド調査のチャンスを窺いつつ、文献研究をもとにした論文執筆を進めたいと考えている。
フォーマル発表にてご指摘いただいたイスラーム地域以外の事例や開発理論および概念の検討、既存の研究枠組みにおける位置づけ、
「イスラームを方法論とする」妥当性の考察等、課題は多い。研究の理論的肉付けを試みつつ、ひきつづき現地のコンタクトパーソンからの
情報収集を続け、今後の中・長期フィールドワークの実施に備えたい。
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