2011年度 森泰吉郎記念研究振興基金 研究助成金申請書「研究者育成費修士課程・博士課程」報告書

言語学習過程における脳活性に伴う酸素代謝と脳血流の調節反応の定量化

慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科・博士課程 吉野加容子

 

 

研究課題

脳の活性化を可視化する脳機能イメージングは、脳機能を観察するために、主に静脈の脳血流の増加を生理的指標として用いてきた。血流は、神経細胞で酸素代謝を行うために、酸素分子を運搬する役割を果たしている。つまり、脳の活性化の場所と時間と強さを正確に同定するためには、神経細胞の酸素代謝を観察する必要があった。申請者は、脳活性に伴う酸素代謝と脳血流の調節を評価することで、言語認知と学習を可視化するだけでなく、定量化することを試みている。この定量化によって、本研究は、言語学習の脳科学的なメカニズムを明らかにするだけでなく、これまで困難だった失語症や重症の寝たきり患者の言語認知を客観的に計測し、家族とのコミュニケーションを支援する検査法として提案する。

 

 

研究背景

神経活動に伴って、神経細胞内では酸素代謝が亢進することが知られている。神経細胞で消費される酸素は、赤血球内のヘモグロビンに結合して運搬されるため、脳の血管内では局所の血液供給量が増加すると考えられてきた(Roy and Sherrington, 1890)。この血流増加反応を利用した脳機能イメージング技術は、脳組織の単位体積当たりに含まれる脳血液量(cerebral blood volume: CBV)や、脳組織の単位体積当たり1分間に流れる脳血流量(cerebral blood flow: CBF)の増加を神経活動の生理的指標として用いてきた。実際にヒトの脳活動を評価するために、CBVCBFの増加を指標として用いる従来技術には、ポジトロン断層撮影法(positron emission tomography: PET)の他、非侵襲性の機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI)、近赤外線分光法(near infrared spectroscopy: NIRS)がある。

これらの手法は、血管内のCBVCBFの増減を観察することはできるが、神経細胞内の酸素代謝の増減を同時に観察することができない。そのため、神経活動に対応して酸素代謝と脳血液量の調節反応がどのように起こっているのかを解明することが重要なテーマとして残っている。

 

 

脱酸素化反応のメカニズム

神経細胞と血管を結びつける生理的なメカニズムとしては、脳内で局所の神経活動が生じると、毛細血管内では、酸化ヘモグロビン(oxyHb)から酸素分子が離れて脱酸素化ヘモグロビン(deoxyHb)に変わる 「脱酸素化(oxyHbdeoxyHb + O2)」反応が起こる。脱酸素化反応で生じた酸素分子は、神経細胞へ移動する。この毛細血管と神経細胞の間で起こる酸素移動は、脳酸素交換(cerebral oxygen exchange: COE)反応と呼ばれている(加藤、2006)。

毛細血管内で起こる脱酸素化反応が増加することで、血液供給の需要が高まり、ヒトの場合は神経活動開始よりも48秒程度のタイムラグで、動静脈を含めた血流増加のピークが二次的に生じていると考えられている。従来の脳機能イメージング法は、神経活動の生理的指標として脳血流の増加反応を用いてきた。しかし、遅延反応である血流増加を神経活動の生理的指標とするよりも、神経活動との同期性がより高い脱酸素化反応を計測して生理的指標とした方が、神経活動により密接な脳活動を検出することができるはずである。

 

 

脳機能イメージングの時間分解能の問題点

代表的な脳機能イメージング技術であるPETfMRIの時間分解能は低く、数十秒から分単位の精度で、脳血流反応を統計的に抽出してきた。そのため、PETfMRIを用いた単語認知に関する先行研究では、数十秒もの間、連続的に刺激を提示し続ける課題によって、言語理解の中枢として知られるウェルニッケ野周辺で、CBVCBFが増加することを観察してきた(Petersenら、1988Priceら、1996)。しかしながら、一つの単語を聴取する間に生じる脳活動を、酸素代謝の増加反応を利用してモニターした研究はほとんどなく、脳血管内で起こる機能的な脱酸素化反応を数百ミリ秒の精度でモニターすることは大きな課題であった。加えて、ヒトの言語認知のような高速の処理過程は、血流の増加開始以前に生じていると考えられ、脱酸素化反応に対応する脳血液量の調節が一単語の聴取と同期してどのように行われているのかについても疑問が残っている。すなわち、臨床的に用いることができる一単語の聴取のような簡便なプロトコルで言語認知の計測を行うテクニックがこれまでなかったが、1秒前後の短い調節反応の定量化によって、メカニズムの解明と、臨床応用の両者が可能になると考えている。

 

 

本研究の目的と特色

本研究では、PETfMRIよりも時間分解能の高いNIRSKatoら、1993Kato2004)から得られる変化量を用いて、神経活動と同期性の高い脱酸素化反応を捉えて、酸素代謝と脳血液量の調節反応を評価する指標を定義し、血液量増加が起こる前の短い刺激に伴う一過性の酸素代謝と血液量の調節反応を、Kato(2006)のベクトル解析モデルを応用して定量評価することを目的とした。脱酸素化反応の検出感度を向上させる脳機能計測上の生理的指標の設定を行うことができれば、言語などの高次な認知処理に関して、酸素代謝という新しい側面から高速に脳活動を評価することができると考えた。さらに酸素代謝の生起頻度と、言語学習の定着の関係を、この調節反応を用いて明らかにする。

 

実験

対象は健常成人であった。課題は単語の受動聴取課題とした。受動聴取実験の後、被験者によって既知単語と未学習単語に分離し、未学習単語の学習を行った。その直後に、再度、受動聴取実験を行った。さらに1週間後、学習済みの単語を再度受動聴取させた。

課題の提示時間はこれまでNIRSdeoxyHb増加が報告されている1.5秒程度(加藤ら、2004Kato2004Yoshinoら、2005Wylieら、2009)の刺激を使って脱酸素化反応の検出を試みた。NIRSから得られるoxyHb濃度変化(ΔO)とdeoxyHb濃度変化(ΔD)に加え、脳血液量の変化量を示すΔCBVと、脳酸素交換量の変化量を示すと考えられるΔCOEの4つの単独指標を評価した。

またNIRS研究では、課題に同期して、毛細血管内で高速で生じる酸素反応“FORCE (Fast Oxygen Response in Capillary Event)”が神経活動の生理的指標として有効であることが提唱されている(Kato2004Katoら、2005)。しかしFORCEは明確な指標化の定義がなく、脱酸素化反応を示すFORCEと脳血液量との関係は明らかにされていなかった。そこで、ΔO、ΔD、ΔCBV、ΔCOEの4つの変化量の増減の組合せを用いて、酸素代謝と脳血液量変化の調節反応を分類できる生理的指標を新たに定義した。実際に短い刺激に同期して、酸素代謝の亢進を示す脱酸素化反応及び酸素代謝の低下を示す酸素化反応と、脳血液量の増減がどのようなパターンで調節されているのかを調べた。

 

 

研究の進捗と結果

(1)基礎データ

対象者に単語を受動的に聴取させる酸素消費(COE)の評価実験を行った結果、理解語聴取時にのみ、ウェルニッケ野・角回に相当する部位でCOE反応が増加した。加えて、意味理解の学習成立を特定部位のCOE指標によって聴取のみで有意に判定可能であった。

(2)調節反応の定義とパターン化

 基礎データの結果を、酸素代謝と脳血液量の調節反応という観点から再解析した。その結果、調節反応は8つのパターンに分類されることが明らかとなり、言語認知に伴う8パターンの生起頻度が明らかとなった。これによって、言語認知を特定するパターンの存在が示唆され、被験者が言語として認知したかどうかを、調節反応の分類によって、約70%の確率で同定できることが明らかとなった。

(3)調節反応の定量化

さらに、上記の高速の調節反応を定量化するために、神経活動の生起が明らかに確認できる運動野の活性課題を用いて、酸素代謝と脳血液量の調節反応をベクトル解析によって定量化する解析モデル(Kato, 2006)を発展させ、脳の活性化の定量画像の作成を提案し、その有効性を検証した。酸素代謝と脳血液量が直交する二次元平面上のベクトル回転運動のスカラーと侠角を評価することで、脳活性に伴う酸素代謝の時空間と強さを定量評価することが初めて可能となった。

 

 

今後の予定

脳の酸素代謝に注目して定量評価することで、被検者の言語に対する理解の有無や学習成立の有無を他覚的に(本人に応答を求めずに)評価することが可能であった。ウェルニッケ野におけるこの非応答判定は、著者によって示されてきたが、今回、定量画像で、さらに診断精度が向上したことが本研究の成果としてあげられる。今後、課題や部位を変化させ、本研究でまとめた新しい脳活性の定量評価法が、様々な課題や脳部位に対しても有効であるかどうかについても検証を進める予定である。

 

本研究に関わる発表(一部)

1) Yoshino K, Ishizaki S, Kato T. Oxygen consumption reaction of COE (cerebral functional mapping of oxygen exchange)Early deoxygenation depending on task in BA10; 12 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage 31 S1 578 W-PM. Florence, Italy, 2006/06

2) Yoshino K, Kato T, Yamaguchi K, Murakoshi A. COE (cerebral functional mapping of oxygen exchange) COE function in the language areas in persistent vegetative state; 12 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage 33 S1 610W-PM.  Florence, Italy, 2006/06

3) Yoshino K, Kato T. Differences of cerebral oxygen exchange depending on familiarity of words; 13 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage 36 S1 125M-AM.  Chicago, USA, 2007/06

4) Yoshino K, Kato T. Using phase analyses of the regulation between COE and CBV during single word learning; 16 th Organization of Human Brain Mapping, NeuroImage S1 849MT-AM.  Barcelona, SPAIN, 2010/06

5) 吉野加容子、石崎俊、加藤俊徳、“酸素代謝を用いたヒトの脳活動の生理的指標の作成”、KEIO SFCジャーナル、Vol. 11 (1) pp.155-1702011
※ダウンロード http://www.nonogakko.com/research/brf2011.html